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勝負は楽しく真剣に

作者: クレオパトラ委員会

カァン!

金属音が夕暮れ時のグラウンドに響き渡った。

「また私の勝ちね」

桃瀬菜々子は得意げに言った。言われた方、久場健太郎は何かを叫びながら拳でマウンドを殴りつけている。しかし声変わりをしていないからなのか、全く迫力はなく、菜々子も平然としていた。

「ほんと、情けない。これで何連敗?男のくせに」

小学生のうちは、口の強さは女の子の方にぶんがある。

「くそお……」

何も言い返せない健太郎は、自分を責めるしか無かった。

「健太郎君」

捕手をしていた大崎翔が駆け寄って声をかけていたが、健太郎には何も聞こえていない。

「じゃあね。楽しい勝負だったわよ」

健太郎は歩き去る菜々子の後姿を睨み付ける。

すこし茶色がかかったショートカットが風でなびいていた。


「くそお」

自宅へ戻った健太郎は、庭に置いてあるネットに向かってボールを投げつけていた。

「桃瀬のやつ、いつか絶対負かせてやる。」

投げながらそんなことを呟いていた。それを見た家族は特に驚くことは無く、父親にいたっては

「また菜々子ちゃんに負けたのか」

とからかっていた。

「違う」

と健太郎は語気を強めて言ったが、父親はニヤニヤと笑うだけでそれがさらに健太郎を不機嫌にさせた。


健太郎の所属する高岡イーグルスは、高岡小学校の野球部である。小学四年生の健太郎は二年生から四年生で編成されるBチームのエースだ。桃瀬菜々子は監督の親戚で、三年生の頃に入部してきた。健太郎は同じクラスになったことはなく、この時が初対面であった。健太郎の第一印象は、少しかわいいけど、足でまといになりそうだな、事実、背は高いが、体の線は細い、モデルのような体型をしていたからだ。しかし小学生の時期は体だけではなく、身体能力も女子の方が高い。菜々子が入部してからずいぶんたったある日、試合形式の練習をしたことがあった。他の男子チームメイトが健太郎の直球に手も足も出ないのに対し、菜々子はいとも簡単にはじき返し、打球は外野の頭を超えていったのだ。監督は大喜び、チームメイトも大絶賛。しかし健太郎にはそれが面白くなかった。その日以来、健太郎は不定期で菜々子に《勝負》を挑みそのたびに返り討ちにされている。


翌日、練習前のランニングで多くの部員が汗を流していた。

健太郎は女房役の大崎翔と並んで走っていた。

「健太郎君さ、もういいんじゃない?同じチームなんだしさ」

菜々子のことだ、と健太郎はすぐに察し、

「いーやだめだ。俺はいずれプロになるんだ。女になんか負けてられねぇよ。」

はるか前を淡々と走っている菜々子を睨みながら言った。

「あいつ監督の親戚って言ってたよな。秘密の特訓でもしてるんじゃねえのか?」

「そんなことないよ。監督は違うっていってたし」

「そうか……」

健太郎は口ごもってしまい、しばらく沈黙が続く。

「健太郎君、球は速いからコントロールがもっと良くなったら勝てるよ。絶対」

「だな。藤川もコントロールいいもんな」

健太郎が憧れている野球選手が藤川で、野球に関してはこの選手を手本にしていた。

「じゃあ翔、今日も付き合ってくれるか?」

「うん、もちろん」

翔は健太郎に向かって微笑んでいた。



「おい桃瀬」

練習後、健太郎は菜々子に声をかけた

《勝負》をするためだ。

「何?クバケン」

健太郎はこの呼び方も気に入らなかった。うまく説明できないが馬鹿にされているような気がするからだ。

出会ったばかりの頃だった。

くばくん(久場君)じゃ語呂が悪いわね。

クバケンにしましょう。語呂が悪いってなんだよ、ちゃんと名前で呼べよ。と健太郎は反論したが聞き入れてもらえず、以来菜々子にはそう呼ばれている。

「今日、やるぞ」

「ええ、オッケーよ。楽しい勝負をしましょう」



健太郎は、募るイライラをボールに込めて投球練習をしていた。なにが、楽しい勝負だ。こっちは真剣にやってるのに馬鹿にしやがって。勝負を挑むたびに言われるこの台詞も、健太郎は不快だった。

菜々子が打席に入る。チームメイトも監督も帰り、グラウンドにいるのは菜々子、健太郎、翔の三人だけだった。

「いつもどおり、三打席勝負だぞ」

菜々子が頷くと健太郎は足をあげた。しかし今日はいつもより制球に苦しみ、ストライクを取りに行ったボールをはじき返された。

「くそったれ」

ムキになった健太郎はさらに力を込めて、ボールを投げた。が、それがまずかった。

あっ、と健太郎が思った瞬間と同時だった。ボールはストライクゾーンを大きく外れ、菜々子の顔付近に近づいていきそれを避けようとして縮こまった菜々子の頭部に直撃した。ボールは跳ね返ってマウンド付近に転がってきた。

「痛ぁ……」

菜々子は搾り出すような声を出し、その場にうずくまっている。

ヤバイ……頭に当てた……しかも女の……

健太郎はその場にいるのが恐ろしくなり足早にグラウンドを立ち去った。翔が、自分の名前を呼ぶ声がしたが、無視した。

家に帰ってからは、食事を摂るとすぐに自分の部屋へ戻り布団にもぐりこんだ。手足がガクガクと震えている。健太郎の心の中で何かが崩れた。


翌日、菜々子は練習に来ていた。頭には傷などはない。

良かった。これが硬球じゃなくてほんとによかった。

健太郎は胸をなでおろした。翔は昨日逃げ出したことを責めず、いつもどおりに接してきた。それが逆に苦しかった。どうやらあの後すぐに起き上がり、普通に帰ったらしい。監督にバレているんじゃないかとビクビクしていたが、何も言われなかった。しかし健太郎のトラウマはなくなっていなかった。練習後、菜々子を呼びとめ昨日の謝罪ともう勝負は降参するとの旨を伝えた。

これでいいんだ。全部俺が悪いんだから。当然のことだ。そう言い聞かせ立ち去ろうとすると

「待ちなよ」

菜々子が行った。健太郎が振り向いた瞬間、胸倉を掴まれた。

「一回ぶつけたからってなに?なんで落ち込んでんの?あたしが女だから?ふざけないでよ。あんたはいいわよね。男で。

あたしはあと一年くらしか野球できないのよ。六年生になったら男子のほうが成長するんだから。一度くらいあたしに勝ちなさいよ

あたしが野球やめる前に。あきらめないでよ」

最後のほうは嗚咽まじりだった。健太郎は視線が定まらずきょろきょろしていた。すると

「ちょっと来て」

腕を引っ張られ、マウンドまで連れて行かれた。左手でバットを担いでいる。まさか。

「はい、これ」

いつの間に用意していたのか、菜々子はボールを手渡すとバッターボックスに向かっていった。健太郎は呼び止めようとしたが、うまく声が出ない。もう勝負はしないっていったのに、どういうつもりなんだよ。またぶつけたらどうするんだよ。

「さっさと投げる!」

菜々子に言われるがまま、足を上げて投げた。いつもの剛速球と程遠い、山なりのボールだった。菜々子はバットを出し空振り、したかと思うと健太郎の目の前にバットが飛んできた。あわててグローブで受け止める。

「危ねえだろ。なにすんだこのやろう」

健太郎が菜々子に向かって叫んだ。

「これでおあいこでしょ」

「えっ?」

最初、健太郎は意味が分からなかった。

「あんたはボールをぶつけた。でも私も同じようなことをした。これでおあいこでしょ」

くそったれが。脅かしやがって。そういうことかよ。

「これで話はおしまい。あんたはもう気にすること無い。これからも」

菜々子は1拍置いて言った

「楽しい勝負をしましょう」

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