その1 混線事故
その日、少女は師に従って鍛錬室で魔術の訓練を行っていた。
少女、エルメンライヒ王国第四子にして第二王女であるエリシエル・クーニグンデ・クリフォード・フォン・エルメンライヒ――愛称はエリー――は、かつて失われ、今は魔族、神族、そしてごく一部の魔術師しか使えない古代魔術の使い手である。それも、並外れた魔力を持つ才女だ。
……しかし、そんな才能も、制御できなければ何の意味もない。
そう、エリーは魔術の制御が極めて苦手だった。
簡単な魔術であれば、制御は難しくない。鍵開け、明かり、通訳、そして魔力砲。この程度の魔術ならば未熟なエリーにも難なく扱える。特に魔力砲の威力は師ですら「手を抜いたら自分がやられる」と言わしめるほど。
他にも、長詠唱で発動する炸裂弾、散弾、貫通砲などが扱える。……おとなしい顔と性格に似合わず、エリーの魔術は攻撃特化であった。
そして、今日エリーが行っていたのは、最も簡単な召喚術。自分の最も近くにいる小鳥を召喚する、と言うもの。
しかし、簡単、とは言ってもそれは召喚術の中では、と言う但し書きが着く。これまで学んだ中では間違いなく最難関になる、極めて制御の難しい魔術だ。
だが、逆に言えば、この術が正しく行使できるようになれば、魔術師としての実力の証明でもあるし、何より自分の制御力の高い上昇が見込める。
そして、エリーは、その術の行使にかつてない手応えを感じていた。
(行ける……。これなら……)
自らの意思に従い編まれていく魔術式。朗々と響き渡る詠唱。その声は鈴を転がすように美しく、世界に語りかける歌声は、他人を惹き込むものがある。
エリーは、長い長い詠唱を終え、最後の一息で術を起動させた。
刻まれた魔法陣が輝き、部屋中にエーテルを撒き散らす。やがてエーテルは陣の中央へと収束し、ついに爆発するかのごとくまばゆく瞬いた。
あまりの輝きに目を閉じていたが、その目を開ければ、目の前には小鳥の姿が、
……
…………
………………
「……………………あれ?」
何もいなかった。
◆ ◇ ◆
「まったく。あれだけの手応えで何も起こらないってどういうことなのよ」
1時間後。修行を終えたエリーは、王家専用の風呂に入っていた。
湯船に浸かった腰まで届く長い金髪が湯を吸い重くなる。この金髪は、エリーのちょっとした自慢だった。
(この髪にふさわしいスタイルならよかったんだけどなぁ)
150にわずかに届かない身長とぺったんこな胸はエリーのひそかなコンプレックスである。
今年で15になると言うのに、いまだに初対面の人間からは3つ、時には5つも幼く見られるのは気分のよいことではない。
(姉様はあんなにスタイルいいのに)
5つ年上の姉の姿を想像する。少なくても自分と同じ年の頃にはすでにかなりナイスバディだった気がする。ついでに15歳ともなれば、男と違って成長の早い女だ。そろそろ成長期も終わるころだろう。エリーは考えて憂鬱になった。
「……そういえば、姉様の儀式は成功したのかな」
ポツリとつぶやく。エリーの姉、ジャスティン・イザベラ・クリフォード・フォン・エルメンライヒは、今日、魔王軍や他国に対抗する「勇者」の召喚の儀式を行っていたはずだ。
確か、ちょうど自分が修行してるときと同じ時間の予定だったはずで。当然、結果はもう出てるはずだ。
「上がったら聞いてみようかな」
多分失敗はしていないだろう。あの儀式は特殊な魔法装置の補助を受けている。と言うか、実質召喚を行うのは魔法装置であって、術者はその起動役に過ぎないのだから。
エリーは身体を洗おうと、湯船から立ち上がった。そのときである。ヴヴヴ、と言う耳鳴りを感じ、エリーは周囲を見渡した。
「……何の、音?」
曲がりなりにも一国の姫であるエリーは、命を狙われる可能性もある。その可能性を意識し、エリーは周囲を警戒した。そして。
真上から、馬鹿でっかい何かが降ってきた。
「んみゃあ!?」
見事に「何か」と衝突し、湯船に沈むエリーと何か。沈んだ拍子に水を少し飲んでしまい、めちゃくちゃ苦しい。
エリーは咳き込みながら、自分にのしかかる「何か」に目を向けた。
男だ。
それも、17,8くらいの少し年上の男だった。
背はかなり高い、って言うか見るからに鍛えられた筋肉とあいまって、筋骨隆々とか熊みたい、などのような表現が似合っている。毛深いわけではなさそうだが、黒髪だしさしずめ黒熊だろうか?
しかし、そんなことはどうでもいいのだ。要は、その男が、今自分にのしかかっていると言う事実が問題なわけで、あれ? 今私どんな格好してたっけ?
「う……」
胸元から、うめき声がした。
男が、落下のショックで失った意識を取り戻したようだ。
………………マテ。
イマ、コノオトコハ『どこ』ニカオヲウズメテイル?
「む……ここは……」
むに。
男が、起き上がるためだろう、手を着いた。
今まで顔をうずめていた、エリーの胸に。
「……」
「……」
二人の視線が、ここで始めて絡み合った。
取り合えず。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」
エリーは思いっきり悲鳴を上げ、目の前の痴漢――山岸啓太の頬を思いっきりひっぱたいた。
◆ ◇ ◆
……気まずい。
何が気まずいか、など言うまでもない。
どんな経緯があったのか。よくわからないが、取り合えず気がついたら入浴中の12歳くらいの女の子に抱きついていたのだ。しかも胸に顔をうずめて。しかも起き上がろうとして思いっきり手で触っちゃったし。
眼福だったのは認めよう。俺も男だ。尤も、さすがにぺったんこすgげふんげふん。
そうではなくて。そのせいで、とても気まずいのだ。
女の子が悲鳴を上げたら、すぐに女騎士、と言う風貌の人がやってきて、俺をあっさりと拘束。牢屋まで連れて行かれた。さすが騎士、抵抗の余地もなくあっさりと牢屋に入れるとか凄腕なのかもしれない。なぜか1時間位したらすぐに出されたが。
理由を尋ねたのだが、兵隊さんの言葉がわからない。一応お袋の主張で英会話塾も通ってたんだが、英語とかじゃないらしい。何語だ?
で、さっきの女の子のところまで連れて行かれた。ここで、冒頭の気まずい、まで戻るのだ。
事故(だと思う、さすがに)とはいえ、あんな破廉恥なまねをした奴が、被害者に何をいえばいいと言うのだろう。そもそも言葉通じないし。まあ、それでも誠意を持って謝ることからはじめてみるべきか……
と、やおら女の子が何かを言い始めた。だが、それは俺に対する呼びかけではない。槍を突きつける兵士達へのものでもない。歌うような、つぶやくような美しい旋律。可愛らしさと美しさを兼ね備える彼女の容貌とあいまって、妖精の歌声、などと言う柄にもないフレーズがよぎった。
「あの、私の言葉、わかりますか?」
「……へ?」
いかん、見惚れてたようだ。気がついたら女の子が上目遣いにこっちを見てる。……やばい、そんな気はないつもりだったが、これだけの美少女にそんな目で見られると、ロリコンに目覚めそうだ。
「あ、ああ。聞こえてる。……って言うか、何でいきなり会話が?」
「それは、私が通訳の魔術を使ったからです。この魔術は術者自身が知らない言葉でも会話が通じるようにするもので、他人にかける魔術ではないので、あなたは私としか会話はできないのですけれども」
はい? 魔術? マジック? 手品? 痛い妄想?
ぶっちゃけ信じらんねえ。なんだって魔術なんてファンタジーがでてくるのか。ただ、今の会話が急に通じるようになったこと、謎の移動、その直前に見た魔法陣。これらのキーワードは、魔術、なんていう非科学的な概念を持ち込めば、納得できてしまうものでもあった。
「……あー。やっぱり異世界の方だと魔術とかいってもわからないですよね。わかりました。一番最初から改めて話しますので、聞いていただけませんか?」
「……わかり、ました」
顔に出てたらしい。よくわからないけど、説明があるならまあいいか。
「まず、一番最初にお話しないといけないのは、信じられないかもしれませんが、ここは今まであなたが暮らしてた世界とは別の世界、つまり異世界、と言うことになります」
はい、いきなり着いていけない言葉が出ましたよ!
「ああ!? そんな胡散くらいものを見るような目で見ないでください! しょうがないじゃないですか事実なんですから! 取り合えず今は『信じられないけどそういうものなんだ』とでも思って聞いてください。
……こほん。
話を戻しますけど、ここは異世界です。なぜ貴方がいるか、と申しますと、我々が呼び出したから、と言うことになります」
「呼び出した? なんでまた? それにどうやって?」
「はい。現在、この世界は極めて危険な状態にあります。魔族と呼ばれる化け物の侵攻、人間の国家間での争い。さらには国内でもどこの国にも内乱の種がある、といわれており、気を休める余裕もない状態。
これを解決する英雄として、伝説の勇者を異世界から召喚する、と言う儀式を行ったのです」
……オーケーオーケー。魔族とか言うものの存在は、「取り合えずそういうもの」で納得しよう。異世界に呼び出されてるのが事実なら、そういう儀式があると言うことも納得しよう。
だが。
「化け物の侵攻、国家間の問題、内乱の種。これを全部解決するために呼び出された? 俺一人で何ができるって言うんだよ、それ」
「……え、え~と」
「……ん? ちょっと待った」
「はい? なんでしょう?」
「いや、俺はその儀式で呼び出されたんだよな? ならなんで俺は風呂なんかに? 君もはd「忘れてください」……はい」
弱っ! 俺弱っ!
い、いや仕方ないじゃないか! まだこんな小さな子供とは言え乙女は乙女。忘れれろというなら取り合えず触れないのが紳士の嗜みって奴に決まっている!
まあ、記憶削除自体は無理なんですが。
「それで、そこなのですが。実は、勇者として呼ばれたのはあなたではない、と言う可能性が高くて、ですね」
「はい?」
「実際に儀式が行われていた当時、私も別に召喚の魔術の練習をしていたんです。師匠がおっしゃるには、それがおかしな感じで混線したんじゃないかってことなのですが。儀式ではきちんと赤茶の髪の勇者が呼び出されたと聞きました。
ただ、召喚者である姉様が言うには、その勇者様は「その召喚に一緒に友人も巻き込まれた」とのことで……」
ああ。つまりあれか。馬鹿飛鳥に巻き込まれて俺の平和な日常ライフさようならですか。
あんにゃろう! またか! また俺を揉め事に巻き込むか!
飛鳥はトラブルメイカー、と言うか。巻き込まれ体質らしい。昔から何かにつけて揉め事に巻き込まれていた。あいつ自身が原因になったことはないし、大義は基本あいつにあったのだからあいつを責めるのは筋違いなのはわかってるんだが……なぜそれにいつも俺が巻き込まれるんだ!
「……あいつが勇者なあ。納得できるといえばできるんだけど」
あいつ無駄に正義感高いからな。ただ、あいつ不器用だしそこまでどうにかできる完璧超人じゃないと思うんだが……まあいいや、がんばれ。
「ただ、ですね。混線をした、と言うことは、召喚する過程であなたと勇者様が入れ替わってしまった可能性もあるんです。なので、勇者様とあなたと、ともに選定の儀を受けていただければ、と」
「えー」
いいよめんどい。勇者とかなっても責任重いだけだろうし。大体俺は勇者と呼ばれるほど強くねえし。まあ、色々やってはいる。剣道、空手、柔道、ボクシング、弓道。色々やってたし、喧嘩慣れもしてるから素人よりはましだろうけど、多分そこにいる兵士さんにも勝てねえんじゃね?
その点飛鳥は剣の腕が立つ。数字上の段位こそ3段だが、その実超高校生級だ。基本善人だし、見栄えもするし。
「と、言うわけであいつにやらせておけよ。大体やっても得るものもないんだろ?」
「いえ、真実勇者様なら国を挙げての前面的なバックアップも出ますし、大抵のわがままは通ると思いますけど」
「……お金とか?」
「ええ」
「よし、やろう」
馬鹿馬鹿しいとはわかってるんだよ! でも貧乏人には大切なんだ!
ちなみに、この異世界の王侯貴族の名前は、(自分の名前)・(母の名前)・(父の名前)・フォン・(家名)と言う設定になっております。
なので、エリーは、「王侯貴族であるエルメンライヒ家のクリフォードを父に、クーニグンデを母に持つエリシエル」と言う意味を持ちます。
平民の場合は人によって大きく異なり、ある程度裕福であれば貴族称号である“フォン”がないだけで貴族と同じであり、そこまで裕福でなくとも大半の平民は両親の名を継ぎます。ただ、両親を知らない子供、あるいは継ぎたくない人などもおり、そういう時は名前のみを名乗るわけです。
以上、多分役に立たない雑学でした!