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第13話:本当の気持ち

 怒り狂った男が、ハインフェルトに襲いかかる。力任せの切っ先から丁寧に身をかわし続けているものの、ぜえぜえと息が上がっていた。身体中が汗でぐっしょり濡れている。

 右足を一歩下げたとき、踵が木の根にひっかかった。一瞬グラつく。とっさに態勢を立て直すも、弾みで眼鏡がずれた。ハインフェルトの集中力が途切れる。男が叫びながら走ってきた。身体ごと押さえて斬りかかるつもりかもしれない。

 そのとき、セリスの声が響いた。

「足よ!」

 いちかばちか。男の腕が掴みかかる数秒前、ハインフェルトは男の足元に思いきり剣を投げた。

「うああっ!!」

 刃先は男の脛に突き刺さっていた。無我夢中で男が剣を引き抜くと、鮮血が溢れだした。アルコールが入っていることもあってか、次から次へ血は溢れる。男はうずくまり、痛みに悶絶していた。

 ハインフェルトが剣を拾おうと動いたとき、後方から影が伸びた。ハッとして顔を上げる。いつの間にか後ろに回り込んでいた不精髭の男が、剣を振りかざしていた。

 斬られる。ハインフェルトは覚悟した。

「ギャァア!!」

 だが、叫び声をあげたのはハインフェルトではなかった。不精髭の男は振り下ろす手を止め、声のほうを振り向いた。ハインフェルトも地面に手をつきながら、同じ方向を見た。

 太ももを押さえて崩れ落ちるもうひとりの男。

 その後ろに、短剣を手にしたセリスが立っていた。

 それは、カルラから渡された護身用の短剣だった。白いドレスに返り血が散っているのも気にも留めない様子で、セリスは不精髭の男を睥睨していた。


「クソ、ふざけやがる」

 不精髭の男が舌打ちした。その間に、ハインフェルトは剣を拾い上げ、態勢を立て直そうとする。だが、男の目が光った。

「甘えんだよ!」

 男がハインフェルトに斬りかかった。左腕に向かって刃が振り下ろされる。

「――!!」

 激痛がした。衝撃で奥歯と奥歯がぶつかり、身体中を低い振動が駆け巡る。

 刃は、袖の外側を大きくえぐっていた。破れた袖から、赤く染まった腕が露出していた。肉の表面を削った程度の怪我だったが、それでも身体中の血液が集まったかのように腕が熱い。

 フラついたところを、腹部に男の蹴りが入った。喉の奥から奇妙な声が漏れた。乱暴に地面に転がされる。

「手間かけさせやがって」

「ハイン!」

 ぼんやりした頭に、セリスが叫ぶ声が聞こえた。

「おっと、ストップだ」

 駆け寄ろうとしたセリスを、不精髭の男が制した。倒れたハインフェルトの身体のそばにしゃがみこんで、剣の刃を首筋に当てる。ひやり、と冷たい感触がした。

「そのまま10歩下がれ。少しでも近寄ったら、こいつの首を掻っ切るぜ」

 セリスは黙って男をにらみ返した。

「強情な態度取ってる場合か? マジで殺すぞ」

「私のことは置いて、セリス様、逃げてください!」

 ハインフェルトの身体がもう一度蹴られる。今度は背中だ。

「殊勝な家来をお持ちだな。じゃじゃ馬なお姫様の代わりになってくれるってさ」

 男が刃先でハインフェルトの首筋を弄ぶ。ハインフェルトはセリスの顔を朦朧と見つめながら、首を振った。

「この男の言うことを聞いてください。そしてどうか、逃げてください」

 セリスがゆっくりと、後ろに下がり始めた。

 8歩、9歩、10歩。

「……下がったわ」

「最初っから言うこと聞いてりゃ、こいつも乱暴な目には合わなかったのによ。わかったか?」

 男の低い嘲笑が響いた。だが、セリスは笑わなかった。

「わかった」

 ただし、逃げてくれというハインフェルトの願いも聞き届けられてはいなかった。

 ほっそりした片手が、短剣の柄を持ち直す。 

「じゃあ、ここから一歩も動かずに、あんたを殺す」

 限りなく透明に近い無表情のまま、セリスは屹立していた。


「な……っ」

 男の顔は驚愕の色を隠せず、口をあんぐりと開けた。

 しかし次の瞬間、ぶはははは、と狂ったように笑い始める。

「どうやって殺すってんだよ。やってみろよ!」

 セリスは静かだった。

「あんたも森の男なら知ってるでしょう? 獲物をどうやって仕留めるかくらい」

 短剣を掴んだ右手をすう、と持ち上げる。男の動きが止まった。

「まさか、投げるってのか、正気で?」

「鳥や小動物なら矢を使うところだけど、この距離なら短剣のほうが確実なときもある」

 セリスが首を左右に鳴らした。それから顎を軽く上げて、あたりを静かに俯瞰する。口許に笑みが浮かんだ。

「特に、無駄に図体の大きい生き物なら」

 男の顔から生気が引いていく。気圧されているのを振り払うように咆哮した。

「あんたみたいな姫に、できるわけ……」

 セリスの目の色が変わった。磁石を瞳の内に収めたような、言い知れぬ吸引力。その鋭い目つきに、ハインフェルトは見覚えがあった。昨晩、馬車の中で。一介の姫君には有り得ない、剣の作法を知っている人間の佇まい。

 血の模様が散った白いドレスをまとった姿は、異様な気迫を放っていた。

「その口から心臓まで貫いてやる。悪いけど、狩りの腕には自信あるの、わたし」

 狙いを定めて、手首をくいと曲げた。


 村の子どもたちの中で、一番運動神経がいいのが自慢だった。

 お転婆に大地を駆け回り、獲物を捕えたときの興奮。

 両親や年の離れた弟妹に喜んでもらえるのが嬉しくて。

 グレゴールに教えられた剣技も、あっという間に上達した。

 それもあって、彼とカルラの夫妻は、殊更に可愛がってくれた。

 貧しくても、村での暮らしは満たされていた。


 だから悲しかった。

 いきなり別の角度からでしか、自分を認めてもらえなくなったことが。

 輪の中からひとりだけ放り出されてしまったようで。

 もう村の一員じゃないみたいで。

 それでも嫌われたくなかったから、自分を閉じ込めてきた。

 だけど。


「うわあああああああああ」

 男がナイフを放り投げ、尻餅を着いた。腰を抜かしたまま、ずるずると後ろに引きさがる。

 セリスの指が花開き、スローモーションで短剣が離れていく。

 その動きは、まるで手品のように美しかった。

 短剣は鋭い軌道を描いて、男の真横の地面に刺さった。

「ひっ」

 息ひとつ切らすことなく、セリスは歩み寄ってきた。男は目を見開いたまま、ぶるぶると震えている。セリスは男に目もくれずに短剣を抜きとると、ハインフェルトを助け起こした。

「すぐに手当てしないと。はやく宿に戻りましょう」

「セリス様、今のは」

 高度な手品、もしくは魔術。そう言われても納得してしまうほど、ハインフェルトはたった今、目の前で起きたことが信じられなかった。

「本気で殺すわけないじゃない。さ、行きましょう」

 セリスは唇の片端で笑った。

「あなたという方は……」

 ハインフェルトの全身から力が抜けた。

 セリスの気迫に呑まれていたのは、あの男だけではない。ハインフェルトも、腕の痛みを忘れるほど見入って動けなかったのだ。セリスの佇まいは、余計なものをすべて削ぎ落したように美しかった。

 いったい、なんという姫君に出会ってしまったのだろう。

 出会った瞬間からきっと定められていたのだ。この姫君には、とてもかなわない。美しくて気高くて、強くてまぶしい、私の姫君――。


 そこからは、絵のように断片的な記憶しかない。

 背後から剣を構えた男が駆け寄ってきたとき、セリスの反応が一瞬遅れた。ドレスの裾に脚をとられたのだ。

 6年間のブランクはこんなふうに表れるのかと、脳裏を自嘲的な諦念がよぎった。どれだけ切れ味がよくとも、放っておくと錆びない剣はないように、かつての運動神経も、姫であり続けるうちに鈍るのは当然だ。さっきのハッタリが効いただけでも上出来だったのかもしれない。

 今ここで死んでも、村に報奨金は出るだろうか。ぼんやりとそんなことを考えた。

 だからセリスをかばうようにハインフェルトが飛びだしたとき、セリスには事態が理解できなかった。鋭い刃が、まっすぐにハインフェルトの胸に食い込もうとしている。


 何かを考えるより先に、ハインフェルトの足は動いていた。身体の疲れと怪我の痛みは、不思議と感じなかった。むしろ、今まで生きてきた中で最も素早い動作だったような気がする。

 目を見開いて立ちつくしているセリスをかばうように、全身を広げた。恐れも、後悔もなかった。

 父の言ってきたことが今ならわかる。すべてを投げ出しても、仕えたい誰かがいる。

 この気持ちの正体をやっと知った。

 セリスを守りたい。

 ただそれだけだ。


 ナイフは深々とハインフェルトの胸に突き刺さった。

 衝撃で身体が浮いた。右手からは剣が、そして顔からは眼鏡が、弾かれるように飛んだ。

 ゆっくりと後ろ向きに倒れながら、ハインフェルトはかすんでいく世界を見送った。


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