第12話:捕らわれた姫君
どちらからともなく立ち上がり、宿へ戻る道をゆっくりと歩き始めた。セリスがつかつかとまっすぐに歩いてハインフェルトを置いて行くことも、ハインフェルトが慌ててそれを追いかけることもない。無意識のうちに互いのペースが揃っていた。
道を踏みしめる音以外は、自然のささめきしか聞こえない。生い茂った森の脇の道を歩きながら、ハインフェルトは道中のことを思い出していた。わずか2日の間に、あまりにもたくさんのことがあったような気がする。
少なくとも、18年の人生において、ひとりの相手とこれほど深く対峙したのははじめてのことだった。それは読書で体験したどんな感情の起伏とも違っていた。
だけどそんな時間も、もうすぐ終わってしまう。
「すげーな、確かにこりゃ上玉だ」
思考が途切れたのは、後方から突然野太い声が響いたからだった。
ハインフェルトが振り返るより早く、セリスの口から小さな悲鳴が漏れるのが聞こえた。
3人の男がそこに立っていた。シャツにくるぶし丈のズボンというラフな格好。年齢はハインフェルトより4~5歳上だろうか。地元の人間のようだが、堅気には見えなかった。ひとりが、セリスの左腕をがっしりと掴んでいる。
「綺麗すぎて人形みたいだな。なあ、ちょっと相手してくんない」
赤いシャツを着た真ん中の男が言った。リーダー格のようだ。恰幅がよく、不精髭を生やしている。
「離してください」
セリスが慇懃な口調で言った。強く握られているのだろう、握られた部分の腕の色が変わっている。
「離したら逃げるってわかってんのに、離すバカはいないだろ。いいじゃん、ちょっとこっち来て話し相手になってくれりゃあいいんだ」
不精髭の男は、口をゆがめて笑った。息が酒臭かった。他の二人も、ほんのり頬が赤く、目が充血している。
油断していた。背中に流れる汗を感じながら、捕えられたセリスをハインフェルトは茫然と見やった。
あたりに人気はない。宿まで少し距離がある。叫んでどうにかなる状況ではない。
「お話なら、宿で聞きます。離してください」
もう一度、毅然とした態度でセリスは言った。それが気に食わなかったのかもしれない。セリスの左腕が乱暴に引っ張られた。
「わかんねえお姫様だな。気取ってねえで、黙ってついてこいって言ってんだよ」
「……!」
セリスが一瞬、眉間にしわを寄せた。苦痛を我慢しているのだ。ハインフェルトは思わず大声で言った。
「姫を離してください。姫への無礼は許しません」
男たちが、舌舐めずりするようにハインフェルトを見回した。不精髭の男からフッと笑いが漏れる。
「おもしれえ冗談だな。誰が誰を許さないって? ガキ。それ、王家の軍服みたいだけどよ、似合ってないぜ。お小姓か?」
明らかにハインフェルトをバカにした声だった。残りの男たちもクックと笑った。
ハインフェルトは彼らをまっすぐにらみ返した。
「冗談を言っているつもりはありません。あなた方が、私の立場を認識しているなら尚更。王家に対する反逆は憲法違反です。今すぐ、姫から手を離しなさい」
額には脂汗が浮かんでいた。両足も緊張で小刻みに震えている。だが意外にも、心は冷静になりつつあった。セリスを取り戻す。絶対に。その気持ちだけが、ハインフェルトを動かしていた。
退かない姿勢に、男たちの笑みが消えた。不精髭の男の声が鋭くなる。
「ああ知ってるよ、王家がクソだってことはな。うるさく取り締まるくせに、自分たちは贅沢してんだ。おまけにお前みたいなガキまで、王家を笠に着て偉そうな口聞きやがる。この女は王女かなんかか? 偉そうでムカつくんだよ。だから、市民の声ってのを教えてやろうと思ったのさ」
「あんたたちチンピラに教えられることなんてひとつもないわ。クズ」
表情は毅然としながら、しかし思いきり侮蔑を込めた声音で、セリスが吐き捨てた。
「このアマ!」
不精髭の男がセリスの髪を引っ張った。もう片方の手で、腰に差していた革袋から剣を取り出す。短剣より一回り大きく、でっぷりとした刃はゆるいカーブを描いている。刃の先をセリスの頬に当てた。
「生意気もたいがいにしとけよ」
白い肌から、赤いしずくが一滴こぼれた。
ハインフェルトは腰から剣を引き抜いた。細く長く、磨き抜かれた王家の騎士の証。大きく息を吐いて姿勢を正した。構える。
この先、もう使うことはないと思っていたのに。
「もう一度だけ言います。セリス様への無礼はゆるさない」
「やる気か?」
不精髭の男は不敵に笑った。セリスを掴んでいないほうの男に目線をくれる。お前から行け、という意味らしい。男は頷くと、右手で太いナイフを握り、腕を高く上げた。
ヒュッ、ヒュッ、と刃が空気を切る音がこだまする。
男はパワープレイを得意としているらしく、乱暴な振りを繰り出して威嚇してくる。すでにハインフェルトの上着の肩章は、相手のナイフによってえぐられていた。
男の一振りを、ハインフェルトは刃先で受ける。ぐいんと鈍い音を立てて曲がったものの、なんとか防いだ。ハインフェルトの剣はリーチが長いぶん、防御には有利だ。だが、じりじりと後方に追い詰められている。
ニヤリと笑って、男が腕を大きく回した。とっさにしゃがみ込んだハインフェルトの頭部をナイフがかすめる。黒髪がパラリと宙を舞った。
男の脇に隙が出たのを見逃さず、ハインフェルトは斜めから剣を突きだした。ざくっと切れる手ごたえを感じた。男のシャツが破れると同時に、鮮血が散った。
「ぐあっ」
それなりの打撃は加えられたらしい。ハインフェルトの口から思わず安堵の息が漏れる。だが闘いはまだ続いている。案の定、すぐに男はナイフを構え直してきた。
セリスが危惧していたよりも、ハインフェルトの腕は悪くなかった。さすが伯爵家の出身というべきか、腐っても王家の騎士らしく、きちんと教育された太刀筋だ。防御に偏っているきらいはあるが、男に比べて無駄な動きが少ない。一方、相手は酔っているからか、元がそういう性格なのか、隙が多い。乱暴にナイフを振り回しているばかりで、技術的には大したことはない。
ただ、とセリスは思った。体力と体格に差がありすぎる。
ハインフェルトの息は目に見えてあがってきていた。長引けば、どんどん不利になるだろう。
不精髭の男は、闘いを黙ってみつめている。セリスを捕えている男は、「何やってんだ、おめえ!」と大きな声で騒いでいた。相変わらず腕の拘束は強固だが、意識はハインフェルトの側に向いている。
セリスは自由な右腕をそっと動かした。
チンピラがステレオタイプすぎてすみません。
闘いのシーンの描写が難しすぎる・・・もう少しだけお付き合いください。