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傘男

作者: 文月
掲載日:2026/07/10


傘を盗まれた。

治安最高と言われる日本で、なぜかビニール傘だけは罪悪感なく盗まれていく。


電車内で寝こけていた自分の落ち度か。

と、盗んだ者が一番の悪という事実は変わらないのに自然と浮かぶ自責の念。


窓の外には暗く分厚い雲。

雨粒がしきりに窓を叩く音を聞きながら、いつのまにこんなに降り出したのかと思う。


最寄りの駅まであと5駅。

駅から自宅まで徒歩20分。


あいにく自宅の最寄は無人駅で、コンビニや売店はない。


窓の景色は速度を落としていく。

次の駅に着くようだ。


窓の外に駅直結のコンビニを見つけた。


普段途中下車をしないため、この先で同じようにコンビニがあるかわからない。グッと重い腰を上げる。

初めて降り立つその駅で、数年前に比べて値のはる傘を見つける。


コンビニを出ると雨の匂いの中にスパイスの香り。


こんな雨の中にと周りを見渡せば、駅横の建物の換気扇がこちらを向いている。


ぐう。と腹がなった。

次の電車は40分後。


おそらく本格派カレー屋だ。カレーであれば40分もあれば余裕があるだろう。


食欲のままに、香りに誘われ足を運ぶ。


店内は空いていた。

この雨と夜飯にしては少し早い時間だからか。


「好きな席に座れ」とやや乱暴な案内を受け、席を見渡す。


傘だ。

いや、外は雨なのだから傘を持つ客がいるのは当然ではある。


だが違う。あれは俺の傘だ。

視線は釘付けになる。


傘は「この駅に着く前に」盗まれていた。

客のテーブルには「完食したカレー皿」が置かれている。


おかしい。


__泥棒は傘を持って車両を移動し、同じ駅で降り、カレーを食べ切った?

…俺がコンビニにいる数分の間に。

あまりに人間離れした所業だ。


__ただの勘違いなのか?

なんせビニール傘だ。


目を凝らす。

そして見つけた。確かな証拠。

家を出る時、ラックに引っ掛けてできたビニールの破れ。



そろりと傘の持ち主の先客の顔を見ようとする。


が、


「いつまで突っ立ってんだ。早く座れ」


水の入ったコップを持った店員が、メニュー表でカウンター席を激しく叩く。


傘の持ち主はカウンター席背後の2人掛け。


自然に近づくことができるが、一度席についてしまえばもう確認できない。


店員に気持ち程度の会釈をしながら、視線は二人掛け席へ。


不自然にならない程度にゆっくりと歩みを進める。


席に着くまでのたった数秒に神経を研ぎ澄ませる__

が、「顔は見えなかった」


首元まで隠れる分厚いフードに、パーマをあてた重ための前髪。

唯一見えた口元には無精髭を蓄えていた。


収穫なしと、落胆した俺が椅子に腰掛けるその瞬間、その口元に歪んだ笑みが浮かんだ。


ゾクリと身震いすると、背後に動く気配があった。

小銭を机上にコトリと置き、椅子を引く。

最後に、ビニール傘がカサリと俺が座る椅子に擦れた。


「悪いな。」


男は確かにそう言った。


一瞬遅れて入り口を振り返る。

無情にもドアは閉まりかけ、男の姿はもう見えなかった。

店内にただ、雨音だけが響いた。


___

__


店を出て再び電車に乗り、土砂降りの中をフラフラと帰宅する。

新しい傘はあまり意味をなさず、雨は容赦なく俺を襲った。

築50年ボロアパートの錆びて雨を弾かない階段をカツン、カツンと上がった。


「ーっ…」


自室のドアノブには見覚えのある破れたビニール傘が静かに佇んでいた。

乾いた傘からは一滴の水もこぼれることはなかった。




最後まで読んでくださりありがとうございます!

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