続・異世界で口裂け女に聖女を添えたら意外と有能説
前回読んでくださった方に捧げる続編
聖幼女レベッカの祖父であるモンタナ・グラントは、図体も声もデカい男だった。
「なるほど! 事情はわかった。このモンタナにまかせておけば問題ない! 王家の者があれこれほざいてきても突っぱねるから安心いたせ。おぬしらも護衛役、ご苦労であった」
孫のレベッカを抱っこして相貌を崩しながら、護衛だったアンジー達に声をかける。
それを受けて、アンジーとリリアが恭しく頭を下げる。
私? 私は口裂け女だから棒立ちよ。
あちらも私が人間じゃないって知ってるみたいだし。てか、ただの人間の不興を買っても妖には関係ないし。
そもそも私は、辺境伯の屋敷の門前で、おさらばするつもりだったのよ。
なのにリリアがすごい早業で腕に縋りついてきたのよ。やっぱりあの子、メイドにしとくにはもったいないわ。
私が一瞬動きを止めた隙に、アンジーが騎士どもに、お世話になった妖精だとバラしちゃって、あれよあれよという間に屋敷に連れこまれちゃったってわけ。
通された豪華な一室で、レベッカの祖父だと紹介された辺境伯は、たぶん40代くらいの筋骨隆々とした、いかつい男だった。レベッカと同じプラチナブロンドだから、白髪が交じっていてもよくわからない年齢不詳タイプね。
「そちらは妖精のクチシャケ殿といったか。そなたがいなければ危なかった場面もあったそうだな。礼を言うぞ。もちろん褒賞金も出す。受け取ってくれ」
「いらないわ」
そっけなく返すと、祖父モンタナが驚いたように目を見開いた。
「私、寝ないし食べないから、お金使わないのよ」
妖怪がどこでお金使うっていうのよ。
「んん? そうなのか? 俺の知ってる妖精は美味そうに菓子を食べていたが、種族で違うのか。まあ、金はあっても困らんと思うぞ。金で買えるのは物だけじゃない。金があれば情報も買える、と俺の弟が言っていた」
祖父モンタナがニヤリと笑う。
あら弟さん、けっこう良いこと言うのね。
情報、確かに買えたら助かるかも。なんせここは私が知らない異世界だから。
それなら受け取りましょうと返事をしたら、褒美を準備するあいだ、面会した部屋よりもひと回り小さい部屋に通され、そこで1人待つように言われた。
広いソファに腰かけ、これからのことを考える。
といっても、もう決まっている。
良さげな路地裏を見つけて、口裂け女稼業に戻るだけ。ただ、マスク外しても、誰も驚いてくれなさそうな予感はあるけど。
しばらくすると、扉の向こうが何やら騒々しい。殺気や緊迫した空気は感じないから大丈夫だと思うけど、何かしら?
小首を傾げていると、扉が数回ノックされた。
いそいそとアンジーとリリアが入ってくる。
「褒賞金を預かってまいりました」
アンジーが持つお盆の上に乗った革製の巾着袋の大きさに、わずかに眉が寄る。
「嵩張りそうね」
そうよねえ…剣と魔法の世界なんだから、そりゃあ火と水に弱い紙幣は使わないわよねえ。
巾着の口から、金色の硬貨がのぞいている。金貨かな。
「ポケットに入る分だけもらってい――」
「ご安心くださいクチシャケ殿! こちらのマジックバッグもお渡しいたしますので」
金貨の半分以上をお断りしようと口を開いたら、かぶせ気味にアンジーが言った。
サッとリリアが差し出したポーチには見覚えがある。
「ここまでの道程で使っていたマジックバッグです。これならクチシャケ殿のコートのポケットにも入るかと思います」
「…もらっていいの?」
これ、お高いんじゃない?
「はい。辺境伯様にはクチシャケ殿にお譲りする許可をいただいております。王城で詰め込んだあれこれも入ったままなので、そちらもどうぞお使いください」
「クチシャケ様は身軽さを好まれると思いましたので、私達、辺境伯様にお願いしたのです!」
私が喜ぶことを微塵も疑っていない若い二人のキラキラした眼差しに、なんかいろいろ面倒になった私は、あーはい、と素直に受け取った。
それから…と言いながら、リリアがメイドのエプロンのポケットから一枚の布を取り出す。
広げると、長方形の生成りの布の四隅に、同じ生地で作った紐がついている。
「差し出がましいかとも思いましたが、市井では、クチシャケ様が身に着けている真っ白な綿のマスクは少々浮きます。真っ白なモノは高級品なので」
真っ白な長方形のガーゼマスクは、令和の時代でも別の意味で浮いてたけどね。
「ですから、どうぞこちらをお使いください。時間がなかったので、不格好で申し訳ないのですが」
リリアがちょっと照れながら差し出した生成りの布を受け取る。
「あなたが縫ってくれたの?」
「はい。私、お裁縫好きなんです」
「そう……この右下についてる赤黒い丸い刺繍は」
「リンゴです! ワンポイントがあると可愛いかと思いまして」
そう。
血痕かと思ったわ。
裁縫が好きだから上手いとは限らない典型的なパターンね。
「私はそういうチマチマしたことが苦手で。刺繍が出来るリリアはすごいです!」
アンジー本気? それ本気で言ってる? 血痕リンゴよ?
まあ…リリアは若いから、これから上手くなるんでしょう…きっと。
貰える物を受け取った後、私はアンジーとリリアに付き添われて、屋敷の通用口へと向かって廊下を歩いていた。
口元を覆うのは白のガーゼのマスクではなく、リリア作の生成りのマスクだ。
早く使ってみてくれという圧がすごかったのよね。口裂け女を威圧するメイドってどうなの? あの子、メイドより向いている職業が絶対あるわよ。
屋敷内は、扉越しに感じた印象通り落ち着かない様子で、使用人が忙しく走りまわっている。レベッカが増えただけで、そこまで準備することがあるのだろうか。
「なんだか屋敷内が落ち着かない雰囲気ね」
たまらず隣を歩くアンジーに尋ねると、彼女は少しだけ眉を下げ、チラリと周りをうかがってから口を開いた。
「辺境伯様が、レベッカ様の歓迎の宴を開くとおっしゃられて」
「は? 浮かれすぎじゃない?」
おもわず呆れが口からもれると、アンジーがさらに困ったように眉を下げて口を噤む。
彼女もそう思ってるけど、立場上、口には出せないってことね。
辺境伯様は、それだけご自身の防衛力に自信がおありなんでしょうけど、ちょっと王族側舐め過ぎじゃない?
するとリリアがそっと身を寄せてきて、耳打ちしてきた。
「一部の者は懸念しておりますが、今、モンタナ様に意見を申せる方達がそろって外出中なのだそうです」
あらま。それって映画なら何かが起こる不穏なシチュエーションじゃないの。
まっ、口裂け女には関係ないけどね。
屋敷の出口には、護衛のゴツイ男達に囲まれたレベッカが待っていた。
「クチシャケさん、またね!」
「妖精殿。お嬢様の護衛は我らにおまかせください! この筋肉にかけてお嬢様をお守りいたしますぞ!」
そう、せいぜい頑張ってちょうだい。
聖幼女と自信満ちあふれた騎士達に見送られ、私はようやく辺境伯の屋敷を後にすることが出来た。
辺境伯の屋敷からしばらく石畳を歩くと、少しずつ人の往来が増えていく。
あー石畳ってヒールで歩きにくいわねえ。油断すると石と石の間にヒールの先がひっかかるから、嫌いなのよね。
昼間に屋敷に着いて、今は夕暮れに近づいている時間帯。
逢魔が時という言葉があるように、太陽が沈む瞬間も、妖怪の出没に向いてる時間帯なのだけど、やっぱり初仕事は夜がいい。
そんなことを考えながらチラリと空を見上げ、視線を落とす。
……そもそも今天空にあるアレは、太陽でいいのかしら。
「まあ気にしても仕方ないわね」
さて、ここからは妖怪らしく過ごすといたしましょうか。
私は気配を限りなく薄くして、人ごみに紛れていった。
街の通りを歩く人間が、酔っ払った冒険者風の男ばかりになった頃、私はコツコツと小さく足音を鳴らしながら路地裏を歩いていた。
治安の良い街らしく、月明りに照らされた路地裏も、そこまで荒んだ雰囲気はない。
……今無意識に月明りって言ったけど、あの空に浮かんでいる二つの惑星を月と呼んでいいのかしら。
そんなことを考えて、ふと立ち止まった時だ。
自分の後ろに何かの気配を感じ、勢いよく振り返った。
暗がりに光る金色の目と目が合う。
「おまえ、人間じゃないにゃ。何者にゃ?」
建物の陰からゆっくりと現れたのは――。
「ねこまた」
「ケットシーにゃ!」
かぶせ気味に否定された。
「ねこまたが何か知らんが、なんかイラっとしたにゃ!」
不機嫌に言うねこま…ケットシーは、二足歩行を除けば、見慣れた成猫と同じ大きさの白黒猫だった。あっ、あと魚の刺繍が施されたボレロを着てるわ。
ケットシーって確か、北欧の童話に出てくる妖精じゃなかった? あーなるほど。私と違って本物の妖精さんねえ。
「何者かって訊いてるにゃ」
「口裂け女よ」
端的に答えると、白黒猫が小首を傾げた。
「んん? 聞いたことない種族だにゃ。どこから来た? この街に何の用にゃ?」
嘘をついても仕方ないし、どう思われても特に気にしないので、気付けばこの世界の草原に立っていたこと、王都から逃げてきた辺境伯の孫娘を無事に送り届けた後だということを、簡単に話してきかせた。
もちろん「今は妖怪口裂け女として、人を脅かすつもりでいた」なんて馬鹿正直に言ったりしないわよ。面倒はごめんだもの。
話を聞き終えたケットシーは、神妙な顔で顎に手(前足)をやると、ぽつりと言った。
「心配にゃ」
今の話のどの辺が?
「モンタナが、ちゃんと孫娘を守れているか心配にゃ」
え…心配なのはそこ? どゆこと? 街角のケットシーに心配される辺境伯。確かに油断して宴を開こうとしてはいたけども。
「モンタナさん、王族から身柄引き渡しを要求されても突っぱねるって言ってたわよ」
「確かに正面から要求されたら、モンタナでも突っぱねることは出来るにゃ。けど、道中で襲ってきたということは、どんな汚い手を使ってでも攫おうとしているにゃ」
まあ、それはそうなんだけど。
「でも、辺境伯の屋敷内から攫うのは簡単じゃないでしょ? 屋敷には見張りだっているし、孫娘には護衛もついてるし」
私の言い分に、ケットシーは憂い顔のまま首を横に振る。
「そう、いつもなら大丈夫だけど、今はタイミングが悪いにゃ。事実上の指示役である弟のアルフレッドとその部下達が、数日前から隣町に行ってて留守にしてるにゃ。明日には帰ってくるはずなんだけど」
そういえば、リリアも辺境伯に物申せる人間が外出中だって言ってたわね。
「あなた、詳しいのね」
街角ケットシーなのに。
「俺っちはこの領を、モンタナやアルフレッドのじい様の代から縄張りにしてるからにゃ。あいつらのことは、赤ん坊の頃から知ってるにゃ」
白黒猫は、ちょっと得意げにふふんと胸を張った。
「あ、自己紹介がまだだったにゃ。俺っちの名前は、シャルルっていうにゃ」
「シャルル……本当はサルルってことは?」
「意味がわからないにゃ」
そう、口裂けがクチシャケになったのは私だけ…と。
「おまえは何ていう名前にゃ?」
「だから口裂け女よ」
繰り返したが、猫…シャルルは、それは種族名にゃ、と納得いかなげに首を傾げた。
いやいや、本来妖怪に個体名は無いからね。あの有名妖怪漫画のねこ娘だって、ねこ娘って呼ばれてるんだから。
でも異世界じゃあ、そんな言い訳、通じそうにないわね。
「そうね…不本意ながら、この世界ではクチシャケさんって呼ばれてるわ。このマスクを縫ってくれた子とかに、ね」
口元を覆うリリアがくれたマスクを指さすと、ハッとしてようにシャルルが目を見張った。
「そのマスク……血がついてるにゃ」
「リンゴの刺繍だそうよ」
「リン、ゴ…だ、と?」
語尾に「にゃ」がつかないほどの戸惑い、よくわかるわ。
気まずげにマスクから目を逸らしたシャルルは、話を戻すように、孫娘が心配にゃ…と呟いた。血痕リンゴの話題は無かったことにするらしい。
「でも、その指示役の弟さんがいなくても、辺境伯なんだから大丈夫なんじゃない? 強そうだったし」
そう軽く返すと、あいつはダメにゃ! と一刀両断された。
「え…見かけ倒しってこと? あんな筋骨隆々だったのに?」
「確かにモンタナはめちゃくちゃ強いにゃ。けど、それは魔物や正面から挑んでくる相手の時だけにゃ。それ以外の、守りに関しては、てんでダメにゃ」
「てんでダメ…」
あまりの言い様に、思わず繰り返してしまったわ。
「モンタナは辺境伯だけど、実務は弟のアルフレッドがやってるにゃ。アルフレッドの肩書はもう一つある町の領主なんだけど、実情はアルフレッドが辺境伯で、モンタナが魔物討伐隊長みたいな感じにゃ。今はモンタナの息子が大きくなって手伝ってくれるようになったから、仕事が楽になったって、この前アルフレッドが言ってたにゃ」
「そう…それは大変ね」
本当にあの男、筋肉だけの男なのね。
とうとう同意した私に、シャルルが、しかも、と続ける。え…まだ不安要素があるの?
「アルフレッドとモンタナの息子がいない今、きっと警備はザルの状態にゃ。モンタナは攫われても自分であっさり解決してきた人間にゃ。そんな人間の守りはザルにゃ。魔物相手なら無敵だけど、姑息な相手には対処できないにゃ。自分基準で考えるから、暗躍する敵の動きが予測出来ないにゃ。魔物討伐では頼りになるカリスマだけど、それ以外は本当にダメダメなヤツにゃ!」
真っ向勝負の力比べは負けなしのモンタナだけど、彼主体の警備体制はまったく当てにならないってことね。
「なるほど。だんだん私もあの子の身が気になってきたわ」
祖父の元に届けて終了だと思ってたのに。
クチシャケさ~ん、と呼ぶレベッカの声がなんだか鮮明に思い出されるわ。
クチシャケさ~ん、て。
クチシャケさ~んおへんじして~。
「……気になってきたせいかしら? なんだか幻聴まで聞こえてきたわ」
「幻聴? もしかして」
私の呟きを拾ったシャルルが、トコトコと近寄ってくる。
「ちょっと耳を見せるにゃ。気づかないうちに敵から魔法をかけられたかもしれないにゃ」
返事する前に、素早く肩車してきた猫が、髪をかきあげて私の耳をのぞき込む。
妖精らしくあまり重さは感じないが、妙齢の女性に対してどうなのよ。
「んん~魔法の痕跡はないいけど、なんて聞こえるにゃ?」
真面目に心配しているようなので、仕方なく猫を肩に乗せたまま答える。
「クチシャケさ~んお返事して~って、レベッカの声で」
「レベッカって誰にゃ?」
「今話題の辺境伯の孫娘よ」
んんん~? とシャルルが首をひねる。
「近くには人間の気配はないにゃ」
「ええ。私も聞こえるのは声だけね」
「クチシャケさんお返事してって言ってるんだにゃ? なら、返事してみるにゃ?」
「安直ね」
でも、邪悪な感じはしないし。
そもそも私が妖怪だし。
クチシャケさ~んおへんじして~クチシャケさ~ん。
「はーい」
途端、視界がぶれた。
次に焦点が合った瞬間、目に飛び込んできた人相の悪い男をとっさに髪で口元から全身を拘束する。
立っている自身の体が小刻みに揺れる。ここ、走っている帆馬車の中?
「にゃにゃっ? 瞬間移動したにゃ」
シャルルが忙しなく左右を確認し、拘束した男を見ながら耳元で尋ねてくる。
「こいつ、敵にゃ?」
「わからないけど、とりあえず黙らせてみたわ」
「賢明にゃ。そのまま拘束しとくにゃ」
私の肩から飛び降りた猫が、足音をたてずに外の様子と御者の様子、それからいくつかの荷物を確認し、戻ってくる。
「後続の帆馬車が一台、それに5人くらい乗ってる。酒の匂いがするから酔っぱらいにゃ。この馬車にも御者が1人。こいつも酒飲んでる。夜道なのに警戒心0なのは、そこに置かれた魔物避けの魔道具箱と、姿消しの魔道具箱を使ってるからと思うにゃ。こんな高価なモン、こいつらが持ってるのはおかしいにゃ」
それから…と言って、シャルルは木箱に囲まれた大きな樽を指さした。
「あの樽の中から人の気配がするにゃ」
「……」
私は無言のまま一歩で樽の前に移動した。
蓋は簡単に取れ、それを持ったまま中を覗き込む。
こちらを見上げる潤んだブルーの瞳とかち合う。
「さ……」
さらわれとるやないかーい!!
え、ちょっと待って、ウソでしょ?
早すぎない?
言葉にならない叫びをあげながら、とりあえず樽の中からレベッカを取り出す。
「その子、知ってる子にゃ?」
「噂の辺境伯の孫娘よ」
はあ? と言いたげにシャルルが猫顔を歪める。
ホントに、はあ? よね。口裂け女もびっくりだわ。
「レベッカ。拘束を外すけど、大きい声を出しちゃダメよ」
私の言葉に、コクコクと目を潤ませながらもレベッカが頷く。
こんなに小さいのに苦労するわね。
「さっそく攫われてるって、敵が優秀なの? それとも辺境伯がポンコツなの?」
「だからモンタナはダメダメって言ったにゃ。……でも本当に攫われるとは、正直思ってなかったにゃ」
シャルルが自分の失敗のように、しおしおと肩を落とす。
手首を縛る布と口元の布を外すと、あのね、とレベッカが囁いた。
「あのね、がんばっておいのりしたら、クチシャケさんのおみみに、レベッカのこえ、とどくとおもったのよ」
「あらそう」
あなたがそう思うとね~届いちゃうのよ~。尋常じゃない影響力の持ち主だから。
「何があったか話せる? 辺境伯のお屋敷にいたのよね?」
「そう、あのね、もうおねんねのじかんだって、おへやにいったら、みんな、レベッカよりさきにおねんねしちゃったのよ」
「なるほど」
筋肉にかけて守りますぞとか言ってたけど、筋肉の出番なく攫われたのね。
「さて、これからどうするかにゃ。街には転移出来ないのかにゃ?」
「無理ね。こっちに私達が来れたのは、レベッカの不思議パワーと私の存在の曖昧さが上手い具合に作用しただけだから、元居た場所に戻ることは出来ないわ」
ちなみにあなたは私の肩に乗っていたから、巻き込まれたんでしょうよ。妙齢の女性の肩に軽々しく乗った罰ね。
「なら、この馬車を奪うにゃ」
「あら、なかなか良い案ね。でも私、御者なんて出来ないわよ」
昭和でも令和でも馬と触れ合ったことないから。
「大丈夫。俺っちが馬と話すにゃ。ついでに森の木々にお願いして道を作ってもらうから、後ろの馬車くらいなら撒けるにゃ」
「……ケットシー、意外と万能なのね」
木にお願いするなんて、なんてファンタスティック。
いや、口裂け女も大概ファンタジーだけど、なんか種類違うファンタジーきたわ。
「ケットシーなら誰でも出来るわけじゃないにゃ。俺っちが経験豊富なベテランケットシーだからにゃ」
ふふん、と得意げな顔をするシャルルと、これからの動きを打ち合わせる。
作戦はこうだ。
私の髪で御者も拘束して、すでに拘束している男と共に、陽気に酔っぱらっている後ろの馬車に投げ飛ばす。それと同時に馬を駆けさせ、木々がよけて作った道に逃げ込む。
「仲間を返してあげるなんてお優しいのね」
皮肉でもなく思った通りのことを伝えると、シャルルは意外にもニヤリと口の端を引き上げた。
「優しいかもにゃあ。超高価な魔物避けの魔道具箱と姿消しの魔道具箱を、向こうの馬車にも積んでたらの話だけど」
なるほど。さすが悪戯好きと言われる妖精。清廉潔白じゃないところ、けっこう好きよ。
てか、こんなゆるゆるな誘拐犯どもにやられるなんて、辺境伯、おまえ許さんぞ。
私は御者席に繋がる幕を少しめくり、手を伸ばして、酒瓶片手の御者の背中をちょんちょんとつついた。
なんだあ? と男が振り向く。
「ねえ私きれい?」
目を見開いて身を引いた男を髪で拘束し、荷物を飛び越えて後ろに移動する。
後ろの幕を勢いよく足で跳ね上げ、開いた隙間から思い切り男二人を後ろに投げ飛ばした。
馬のいななきと男達の悲鳴が夜道に響き渡る。
その間に、御者のいなくなった馬の上に移動したシャルルが、大声で、何やらわからない言葉で誰かに話しかけている。誰か…あ、木か。
「クチシャケさん…」
木箱の陰にしゃがんで小さくなっていたレベッカを抱き上げ、荷物を飛び越えて御者席へと移動する。
馬車に付けられたランプの光が照らす道がゆるやかにカーブしている。そのちょうどカーブ部分の木々がわさわさと揺れたかと思うと、あっという間にまっすぐにのびる道が出現した。
馬車がぎりぎり一台通れる幅だ。
「あの木々の間の道を進むにゃ」
シャルルの声に、男達の怒号がかすかに重なる。後ろの馬車もスピードを速めたらしく、背後が何やら騒々しい。
私たちの馬車が、木々がよけて出来た道へと侵入する。
御者席にレベッカを座らせ、身を乗り出して後ろを確認すると、私達がすり抜けると同時に木々が元の場所に戻っていく。
徐々に喧噪が遠のいていき、やがて、私達の馬車が進む音だけになった。
「もう大丈夫にゃ」
「そう? 馬車を捨てて追いかけてくるんじゃない?」
「今、森の妖精が管理してる湖に向かってるにゃ。人間だけじゃ迷って辿り着けないから、安心するにゃ」
「そんな場所があるのね」
「俺っちはベテランケットシーだから、この辺りには顔が利くにゃ」
ちゃんと逃げた後のことまで考えてたなんて。
シャルルあなた、見た目猫なのに、頼りになる男だったのね。驚きだわ。
その数分後、馬車は霧に包まれ、晴れた時には湖の前に来ていた。空に浮かぶ二つの不思議惑星が湖の水面に映り、きらきらと輝いている。
「ここで休憩するにゃ。幼児には、猫やケットシーと同じくらい睡眠が必要にゃ」
シャルルあなた、見た目通り、猫と同じくらい寝るのね。そこは意外性がないのね。
こちらの妖怪…妖精は奥が深いわ~なんて感心しながら、御者台で舟をこぎ出したレベッカをとりあえず地面におろす。
帆馬車内に戻って荷物を漁るが、酒瓶に酒樽に干し肉に剣に何かの牙?鉱石?
あいつら、お眠のレベッカに使えそうなものが何もないじゃないの!
腰に手を当て、ため息をついた時、ふとコートのポケットが膨らんでいることに気が付いた。
あ、そういえばマジックポーチもらったんだったわ。
「王城であれこれ詰め込んだって言ってたけど、何か使えそうなものは……」
ポーチの口を開けて指を入れると、様々なモノが頭に浮かんでくる。
「シーツ37枚って、ホテルのリネン室みたいなところから奪ったのかしら。あ、クッションもあるわ。水はないけどリンゴジュースはあるわね」
貰って良かったマジックバック。勢いで詰め込んだリリアとアンジーも良い仕事したわね。
手慣れたキャンパーのごとく、シャルルが集めた枝で焚火を作っていく。
「火があって暖かいと落ち着くにゃ」
シャルルあなた、見た目猫なのに以下略。
シーツを2枚取り出し、レベッカが横になれる大きさに折り畳み、厚みを出して焚火の前に敷く。そこに座らせ、まずはリンゴジュースを与えると、レベッカは一気に飲み干した後、パンも欲しがったのでそれも渡した。
安心してお腹が空いたのね。
空になったコップにジュースを注ぎ足していると、甘い匂いがするにゃ、とシャルルが食いついてきたので、ポーチに入っていた木のコップをもう一つ取り出して与えた。
甘いものは嗜好品として好きらしい。
一息ついたところで、私は気になっていたことを問うことにした。
「ねえ、このまま辺境伯の屋敷に送り届けても、また攫われるんじゃない?」
そしてまた、私はこの子に呼ばれるんじゃない? 土地勘ないから困るんですが。
「アルフレッド達が戻れば、大丈夫だと思うけど…」
「ずっと警戒し続けられるものなのかしら」
「うにゃぁ…そうだにゃあ。向こうがこの子を、いつ諦めるかわからないから」
「いっそ死んだことにしたら?」
木のコップに視線を落としていたシャルルが、弾かれたようにこちらを見る。
「それは、モンタナもアルフレッドもみんな、悲しむにゃ」
「そのアルフレッドって方にだけ、知らせることは出来ないの?」
お得意のケットシーの不思議パワーで。
すると、出来るにゃ、とシャルルは即答した。すげーなケットシー。
「手紙を森の妖精から屋敷妖精に渡してもらって、それからアルフレッドに渡してもらえばいいにゃ。でも俺っちは……」
神妙な雰囲気で、私とパンを齧るレベッカを交互に見てから一つ頷く。
「まず本人に、これからどうしたいか訊くべきだと思うにゃ」
「……」
台詞だけ聞くとすごい男前発言だけど、おい待てシャルル。
相手、幼児やぞ。レベッカは聖女で頭良いけど、3歳の幼児やぞ!
「レベッカはこの後、どうしたいにゃ?」
私の無言の抗議に気づかず、シャルルがレベッカに問いかける。
「どうしたい?」
両手でパンを持つレベッカが小首を傾げる。
「この後、どこ行きたいにゃ?」
「どこ…」
俯いて両手でパンを握る手に力をこめる。
「…のところ、…のところにいきたい」
レベッカが小さな声で答えた。
「何て言ったにゃ?」
「レベッカ、ママのところにいきたい」
そうはっきりと口にした瞬間、ブルーの大きな瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
で・す・よ・ね~!
あーもう口裂け女も納得なお返事よ!
逆によく今まで口にしなかったもんだわ。
一度零れた涙は止まることなく、ぽろぽろと零れ落ち、徐々に肩も震えだす。
訊ねたシャルルもあわあわと焦りだす。
「う~うえ~あ~」
「かっかわいそうにゃ! 連れていくにゃ!」
「う~~ママぁ~」
「大丈夫にゃ! シャルルにまかせるにゃ!」
こいつ、動揺して安請け合いしやがったぞ。
私はポーチの中の43枚あるタオルから1枚を取り出し、レベッカの頬をポンポンと軽く拭いてあげた。
タオルでごしごし擦るのは、お肌に悪いのよ。
「そんなこと言って、あなた、この子の母親の居場所を知ってるの? ここから近いと助かるんだけど」
「アルフレッドに訊けばいいにゃ」
「そう……。じゃあ返事が届くまで、この森で待機ね」
私は正直、もうこの子に呼び寄せられたりしないなら、辺境伯領だろうが母親がいる領だろうが、どこだっていいのよ。
どうせ、どこ行っても異世界なんだから。
親と引き合わせたら、さすがにもう呼び寄せられたりしないでしょう。
頑張れレベッカの親。
そう思いながら、口裂け女は異世界の夜空に輝く二つの惑星をぼんやりと眺めるのであった。
END
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