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第2話 「詰み」


帰り道、父は一言も喋らなかった。


母も、父の背中をさするだけで何も語らない。

俺もまた、かける言葉が見当たらなかった。


来た時と同じ道を、なぞるように帰った。


来る時は気づかなかった、壁に張られていたポスター。


青空、草原、白い城。

光を纏った精霊とともに立つ男女は、作り物めいた笑顔で城を指差す。

下には大きく、「ここは理想郷。いざ、約束の地へ」と書かれている。

その希望に満ちたポスターは、世界の歪みを覆い隠しているようで、どうにも不気味だった。


異界のことを理想郷だと、はやし立てる連中。

異界こそが破滅の元凶だと、まくし立てる連中。

そのどちらもが、妙に腹立たしかった。




◇◆◇





家に着くと、父はいつものソファーに崩れ込むように座った。


大きくもたれ、しばらく天井の一点を見つめる。


整えていた髪がぐしゃぐしゃになるほど、頭をひとしきり掻いた。

そして、長い息を一つ吐き切ると、気持ちに踏ん切りをつけたようだった。


「お前達、家族会議をする。座りなさい」


その言葉に、俺はすぐに定位置に座った。


「……あなた、郁斗も一緒でいいの?」


母は座る前に、父へと確認をした。


「あぁ。大事な話だからな。分からなくてもいい……郁斗も一緒に聴きなさい」


異界への移住の件は、両親が二人で話し合って決めていた。

俺へは決定が決まったあとの相談というか、報告のようなものだった。


なので、重要事項を話し合う時に発動する家族会議だが、

俺が最後に参加したのは二年前の、「犬を飼って良いか」という議題で否決されて以来だった。


「正直、あそこまでハッキリと移住を断られるとは思わなかった。

たった三年でここまで扱いが変わるとは……素直にすまないと思っている。

見通しが甘かった」


父は苦虫を噛み潰したような悔しそうな顔で、頭を下げた。


なぜ父が謝るのか分からない。

俺が、困惑した顔をしていると、父はすぐにそれを察した。


「郁斗には、ほとんど説明していなかったな。悪かったな……順に説明しよう」


そういって紙とペンを取り出した父は、いつもの優しい表情に戻りつつあった。


父は質問されることを好む。

とはいえ、内容によっては、ヒントだけ出して自分に調べるように返されることもあるが、難しい内容は、いつも噛み砕いて教えてくれる人だ。


「勉強したから、知ってると思うが復習だ。

異界には魔素が満ちていて、それを身体に吸収して魔力に変換。精霊と契約することで魔法が行使できる。ここまでは良いな?」


「うん。地球にはないエネルギー源だから、魔素の研究がされてるんでしょ?」


ニュースでも、たびたび魔素研究がどうとか、ノーベル賞受賞とかで話題に上がる。


異界に行けば、魔素を吸収して魔力を使えるようになるというのも、向こうが理想郷たる由縁だ。

精霊と契約出来なければ魔法は使えないが、魔力だけでも身体能力を大幅に強化するらしい。


「そうだな。一番熱い分野は魔素研究だ。

今から話すのは、その研究分野にいる知り合いから聞いた話でな……。

――その魔素が地球に入り込んで“悪さ”を始めている」


父は、真剣な顔でそう告げた。


「魔素はな、どうやらウイルスに近しいものと考えられてる。

身体に入り込んで、増えて、魔力を作り出してくれるが……増えすぎると身体によって毒になるらしい」


紙とペンを取り出した物の、何も書くことなく説明は続く。


「……魔素が、俺たちにとって薬にも毒にもなるのは分かったけど。

でもなんで、逆に異界に行こうとしてたの? 向こうこそ魔素が多いじゃん」


異界人と俺たちは似ているらしいが、身体の構造は違ったのだろう。

俺たちには“合わない”のだ。それならば、魔素が入り込まないようにしたり、消すべきであって……

向こうに行く理由が見当たらない。


「お前は、本当に賢いな。その通りだが、すでに十五年前から地球人は向こうに渡っている。

それでも移住を勧めるんだから、無事で生きれるんだろう。

今回分かったのは……向こうの魔素と、地球の魔素が“同じではない”ってことなんだ」


手持ち無沙汰の父は、形の違う二つのウイルスのようなイラストを描いた。


「ウイルスが進化するのは別に不思議な事じゃない。インフルエンザもA型とB型とかあるだろ?」


「……地球の魔素が通常のより危なく進化した、ってこと!?

でも、さすがに治るんでしょ?」


「……正直、分からない。すでに確認されている患者は、一ヶ月経っても治る気配はないし、悪化する一方だ。

今は隔離して抑えられているが、空気感染するから、一度広まれば爆発的に増えるだろう」


「それってヤバいじゃん……」


いよいよ、二人があれだけショックを受けていた理由が分かった。


俺も、喉の奥が急に乾いたようだった。


「“魔素感染者”と呼んでるんだが……そういった患者は、まだ広まってない。

それでも、新規患者はこれからどんどん現れるだろうな」


父は休日も病院に回診に行くし、暇があれば手術の映像や医療雑誌に目を通している人だ。医療知識において、誰よりも信用できる。


「俺たちは、地球でパンデミックが起きる前に、異界に逃げたかったんだ……」


それを聞いて、「よくパンデミックなんて言葉を知っていたな」と褒められた。

嬉しいけれども、今は嬉しくない。


「なにぶん、症例数が少なすぎる。だから確定的な事は言えないが……。

大袈裟ではなく、自然に治癒しないパターンもあり得る。いわゆる不治の病だな。

治療薬やワクチンが作れれば良いんだがなぁ」


そう言って、父はまた天井を見上げた。


きっと様々な最悪シミュレーションをしているのだろう。

時計の秒針がカチカチとうるさく、耳障りだった。


「国は、そのこと知ってるの? 被害拡大しないためにも、次の異界門開かせない方が良いんじゃない?

ってか、今日旧皇居行っちゃったけど、感染してないよね?」


ようやく事の重大さを理解した俺は、矢継ぎ早に疑問を投げかけた。


「国は知っている。その上で、まだニュースになっていない。

異界門停止案も却下されている。そもそも、時期が来たら向こうから勝手に開いてしまう。止められないそうだ」


父がよく国の体質を嘆いていたが、今回ほどそう思ったことはない。


秘密主義で、俺たちの事を何とも思わない姿勢は本当に嫌になる。

取り返しのつかない事態になってから、焦るんだろうな。

そして、それは間近に迫っている。


かといって、マスコミにリークして情報発信しても、陰謀論で片づけられるような話だ。

事実、父からの言葉でなければ、俺も信じていなかった。


「今日、感染してないかどうかだが……正直、症状が出るまで分からん」


父は毅然として口にしたが、母は顔を引き攣らせていた。


俺も思わず、言葉を失う。


「ただ、専門家によると……旧皇居だからといって特別に魔素濃度が高い訳ではないそうだ。むしろ、原因不明だが――すでに薄っすらと、魔素は世界中の観測網が追いつかない規模まで広まっている。だから、どこにいてもリスクは同じ。

流れ込んできただけでは片づけられない規模で、大気中に拡散してしまっている。

その件は、魔素研究の奴らが必死に調査中らしい」


父は、今日一番恐ろしい話をあまりにあっさりと語った。


原因不明で済ませていい話じゃない。

ニュースでは、そんなこと一言も言っていなかった。


陰謀論も、すでに現実味を帯びてきた。


「これって……もしかして、詰んでるんじゃないの?」


俺の一言で、沈黙の針が落ちる。


父からは深い溜息が返るだけで、否定はされなかった。




◇◆◇




「で、家族会議とは言ったが――俺たちに出来ることは少ない」


そう言いながら、父はペンを仕舞い、紙を折りたたんでゴミ箱へと捨てた。


「まずは、俺たちはいつもの日常生活に戻る。

魔素拡散についても解明・対策され、魔素感染者もこれ以上増えることなく済めばいい。

もしくは、治療薬やワクチンなどの対抗策が出来上がれば万事解決だ」


話は終わりとばかりに、父は立ち上がってしまった。


きつく締め上げていたネクタイを緩めて、ワイシャツのボタンを外していく。


「俺は神を信じちゃいないが、いまだけは神に祈ろう。

パンデミックに備えて、これからは出来るだけ備蓄を買い足しておく。

一度始まったら、歯止めが効かなくなるかもしれん。

まぁ、そんくらいだろうな……出来ることは」


父は、すっかりいつもの父に戻っていた。


冷静で、物静かで、出来ることを着実にこなす人。

俺に話す中で、踏ん切りをつけたのか……。

もはや、諦めているのか。


「――何か言っておきたいことは?」


そして、俺と母の顔を見る。


「俺は、別に……」


「はい! パンデミックが不可避になった時を考えて、今のうちに旅行を進言します!」


母は、元気よく手をあげて冗談めいた。


「はい。お母さんの意見を可決します!

俺も忙しくなる。ゆっくり温泉でも浸かりたいな」


父は、それを即決する。


「はい! 人生に悔いなく過ごすため、新しいペットを所望します!」


「却下。ゴールデンウィークになったら秩父の親父のところに行く。

その時にシッポのことを可愛がってやれ」


そういって、家族会議は終了となった。


祖父の飼っている、サモエドのシッポは尋常ならざる可愛さを秘めている。

俺が、犬を飼いたくなった原因でもある。


まだ四月。ゴールデンウィークまで、一ヶ月弱もある。


神へと祈る時、俺はいつも胸元のネックレスを握り締める。

幼いころからずっと身に着けている、母からもらったお守りだ。

これに触れていると安心して、心が静まる感じがした。




◇◆◇




結論から言うと、シッポのところへは行けた。


真っ白な毛並みに、愛くるしい顔。

俺が行ったら、気が狂ったように喜び、シッポは尻尾をぶん回した。


だが、神に祈りが通じたかというと微妙だった。


両親の勤める病院でも、魔素感染者の新規患者は、やはり増えだしていた。

さすがに隠しきれなくなり、ニュースでは連日のように報道され始めている。

出来ることは、手洗いうがいの励行。マスク着用。密集を避けるといった予防に努めるくらいのものだ。

それも、どれほどの効果があるかは怪しい。

一見して、風邪症状から始まるそれは、確定診断までに時間が掛かり発見を遅らせた。


父は、仕事からの帰りがどんどん遅くなっていった。




◇◆◇




依然として魔素拡大の原因は不明のまま。


それでも“魔素感染”というワードは強烈で、第七回目を控えた異界門への反対運動は活発化していった。


空気中、水中、土中まで……あらゆる場所から魔素は検知され、その濃度は徐々にだが高まる一方だった。国は異界門が開くことによる影響とは無関係とし、目下調査中と一点張りを貫いた。

それは反発を強めたが、確かに異界門は三年間開かないのに上昇が続くのは不思議であった。


――そんな中、七月七日。


今年も七夕の日に、第七回目の異界門は開かれた。


その様子は一般公開される訳もなく、厳重な警備の元、つつがなく行われたという。

多くの物資、兵器、そして世界から有名な大金持ちが僅かに減った。


反対デモに参加する連中は、日々増えていく。

「異界門開通による魔素感染の危険性」を謳いながら、その現場に足を運んでいた。


ニュースに映る彼らの顔を、俺は無音で見つめた。彼らが発症するとその分だけ病院を圧迫する。

そして、パンデミックがまた一歩近づくと思うと、その愚かさが腹立たしかった。

父も母も、仕事が終わるとぐったりと疲れ切っている。

そうした様子を見ているせいで、その感情は余計に募った。



そして、その日の夜。


テレビは、第七次異界門通過成功の特番でもちきりだった。


新たに何が来たとか、何が送られたとか……。

移住を決意した人たちの感動秘話みたいな話だ。


選ばれなかった俺たちにとっては、どうでも良い。


しかし、突然緊急ニュース速報が入り、その番組を塗りつぶした。


そこには、「長らく謎だった、魔素拡大現象の原因判明」という見出しとともに、

一つの映像が映し出されていた。


伊豆・小笠原海溝、水深三〇〇〇メートル付近。

探査機のライトが照らした先に、それは林立していた。


まるで林のよう――。


黒い結晶の柱が、海底から無数に突き出している。

表面は脈打つように微細な凹凸が走る。まるで、冷え固まった臓器。

鉱物のような光沢を持ち、それでいて生命のように湿って見える。

植物のように見えるが、葉はない。

だが、確かに先端からは拳大の実のようなものが垂れ下がっていた。


深海――光も、音もなく。高圧力の環境下で。

誰にも悟られることなく、静かに揺蕩っていた。


そして、確かにそれは“群れ”だった。


海水サンプルを回収。

比べようもないほど、高濃度の魔素を検出したという。


原因は、海にあった。


海水に溶け込み、水蒸気となって空に昇り、世界中に拡散していた。

その最悪のニュースは、一夜で全世界を駆け巡ることとなる。


それは人間が容易く手出しできない、深海の奥底で――今も育ち続けていた。


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