私が夜空(そら)を眺める時、猫は地面(した)ばかり見ている
猫の日なので、猫のエッセイを。
雪がちらつくシーズンなのに、一歳と半年ほどの猫はずっと元気だ。
この毛玉は、一年ほど前に我が家に突然飛び込んで来た。お腹を空かせ、庭をウロウロしていたので家の猫の餌をやり観察をしていたら、家の猫に付いてリビングにぴょーん!と飛び込んだのだ。
まだ小さな子猫は、毛が長く足が短い。明らかに何か洋風のお猫様の血が入っている。探している人がいるだろうと思い、そのまま保護して警察、最寄りの役所、最寄りの保健所に連絡したが探している人はいなかった。
とにかく臭いので体を拭こうと風呂場に連れて行くと、そのまま風呂場の猫用水を飲み、脱衣所と風呂の中を行ったり来たりと走り回る。捕まえたらそのままオシッコを垂れてしまうような忙しい毛玉だった。
知らない人に捕まって最初こそプルプルと震えていたが、それはすぐにゴロゴロに変わり、二か月もすると遠慮がなくなった。
警察からも保健所からも探している人がいるという情報が入らないまま、うちで飼えない事情があったので飼える人を探したが見つからず、一年も家にいる。
毛玉は外に出たくて仕方がなく、私にせがむので「胴輪を付けてならいいよ」と庭を散歩する。そんな習慣がついたのは春から夏に変わる頃だった。
しかし、毛玉は極度の人見知りだった。誰かが通るたびにパニックになる。
そのうち昼間は怖いと学習したのかベランダに入り浸るようになり、夜になると玄関の戸を短い前脚で「開けて」とばかりに擦り、外に行きたいとせがむようになった。
夏はよかった。
まだ暑さが残ってはいるものの、夜風は肌に心地よく何の苦もなかった。
それどころか猫が喜ぶと思い昼間に土手でバッタを捕まえて来て、夜には既に逃げてしまうのだが庭にリリースしたり、ニンゲンもそれなりに楽しかった。
夜空は夜中でもそれなりに明るく、雲が流れていく様も星々も月もそれなりには見えるが、ため息が出る程ではなかった。
ただ、連れた猫が「何かいないかな」と、庭のあちらこちらを手で掘り返している姿を観察するのが私の日課になっていた。
季節が変わり、冬が到来した。
寒かろうが暑かろうが、猫には関係がない。毛玉は長毛なので、耳の中から指の間から足の裏までみっちり毛が生えていて、いつでもあったかそうなのだ。
「寒いからもう帰ろう?」
早い秋が過ぎ去ってから、私の口からはその言葉が頻繁に出るようになったが、猫は絶対に嫌だと帰ろうとしない。
それどころか、一日十分のお外の時間が一日三回になり、いつの間にか一回二十分を超えるようになった。ニンゲンが風邪をひこうが熱を出そうがおかまいなしで外に出る。バッタどころかダンゴムシすらいないというのに、まだ地面を掘り返している猫を見るのにも飽き、何の気なしに空を見上げた。
夏とは違い空気が澄んだからか、美しい星のまたたきが輝いていた。
そのうち、毎日夜空を眺めるのが楽しくなってきた。
今までも夜空を見ていなかったわけではない。田舎なので、昔住んでいた地方都市とは違い、星はそれなりに見えた。
しかし残業で夜遅くに家に帰る時に車の中から見るくらいしかなく、月が細かった丸かった、UFOが飛んでいたなどの、くだらないことしか目についていなかった。
オリオン座の三点は、家を出る時間によって場所を変えている。
大熊座のしっぽの星は瞬きの回数が多くて、見ていると忙しい。
曇っていても、我先にと出てくる星の位置はいつも同じ。
近くにある隣県の空港には、割と夜遅くまで飛行機が飛んで帰る。
稀に衛星でも飛行機でもないUFOが飛んでいる。
星のことはよくわからないが、チカチカと光る速度が速い星もあればゆっくりの星もあるし、一定のリズムで光る星もあれば、そうでない星もある。
もっと幼い頃から天体に興味があれば、星座の名前も分かるのだろうかと思いながら眺める空は、寒波が近付くにつれてそのうちハッキリと見えるようになった。
ある大雪の日、外に出たい猫は雪を見て驚いた。冬は二度目というのに忘れてしまったのだろう。
意を決して歩いたら冷たかったのか、一分も持たずにベランダから撤退した。
それを忘れてまた夜になると外に出ると騒ぐので、連れて出ると寒さに驚き一度家に撤退する。しかしすぐに忘れて一時間もせず外に出たがる。次は雪の上を恐る恐る歩くものの、やはり寒くて家に逃げ帰る。
積もった雪は二晩で消えたが、とはいえ寒さは尋常ではない。バケツの水はまだ日付が変わるまで数時間あるというのに凍り、庭を歩くと石まで凍っている。
猫を連れて庭に出ると、凍った石はジャクジャクと不思議な音を立てて鳴った。
私はあまりの寒さに息を吐くのも忘れ、夜空を見上げる。
深く高く広がる夜の闇は、空に輝く星を大きくしていた。
いつもなら見えないような星が瞬き、いつも見えている星は更に輝きを増している。さながら天体ショーだ。
興奮した私は、猫に話しかける。
「ほら、見て! 星が綺麗だよ?」
そんな私のことなど「知らなーい」とばかりに地面ばかりくんくん匂っては、たまに低木に顔をこすりつけたり隣家と我が家を隔てる壁に足をかけて様子を伺ったりと、いつもと同じように猫は地面しか見ていない。
「オリオン座が今日はお隣の屋根で見えないね」
「あれは大熊座なのかな? 北斗七星って北極星あるんじゃなかったっけ? 全然明るく見えないから北極星とは違うんだろうけどなぁ」
猫が私のことを見ようともしないので、ひとりごとを脳内で呟く。どうしても猫に空を見て欲しいのに、抱こうものなら「ウゥゥゥゥ、シャー!」と拒絶される。
それでも、この美しさは誰かに伝えたいほどのものだった。拒絶されながら抱き上げた猫は、どんなに言っても空を見ずに早く降りたいと地面ばかり見ている。
暴れる猫をゆっくりと地面に戻すと、猫は「めんどくさいけど、なあに?」とばかりに私を仰ぎ見た。
猫が夜空を仰ぐとき、私は地面にいる猫を見る。
上手くいかない、そんな毎日だ。