2紫国の王
輝火帝国の外れに、紫国という属国がある。
紫国が、輝火帝国に下ってから五十年近く経つ。
紫国の始まりは、遊牧民族の集合体だった。
紫、赤、青、緑、黄族の五つの族がそれぞれバラバラに小さな領地でお互いに牽制しあっていたのだけど、輝光帝国に対抗するために、一つにまとまった。
紫族が他の族を従えたため、それを表すため国の名前を紫国にした。
紫族の家長が王になるが、通常その妻は他の部族から選ぶ。
官職も紫族が中心になっているが他の部族を尊重して高い地位に任命する事が多い。
紫国と輝火帝国の争いは五年間続いた。国の規模の違い、兵士の数、王は亡国になるより属国になることを選んだ。
黎光は紫国の第五王子だ。
国一番と謳われた娼妓の母を持ち、その母は事故で彼が二歳の時に死んだ。
しかしながら黎光は成長するにしたがって、それが事故ではないことがわかった。
第五王子、母の身分も低く、王位継承も五番目。
才を見せれば命が危ない。
黎光は生きる気力もなかったが、死にたいという衝動もなかった。
彼はただ第五王子という立場の範疇で人生を楽しんだ。遊学もそのひとつだったが、実際の理由は馬鹿らしい王位継承争いに巻き込まれたくない、それだった。
母に似た容姿を持つ黎光は、ともかく美しかった。
男女に関係なく好意を持たれ、皇帝陛下も他ならず。
百人以上の女性を侍らせる後宮を持つ皇帝にも請われ、彼は帝都へ入った。
帝都では、紫国は蛮族の国として扱われおり、黎光は色々苛立つ質問をされた。しかし問題を起こさないため、微笑みを浮かべ聞き流した。ただ一つ、人食いついては全力で否定した。
(いったい紫国をなんだと思ってるんだ。まったく)
彼にとって遊学は苛立つことが多かった。その最大の苛立ちは皇帝だった。
黒髪、黒目、顔立ちも整った、美丈夫の皇帝陛下。
しかし、彼は節操なしで、黎光にまで色目を使ってきて、彼は何度も拳を振り上げそうになった。
「黎光。紫国を出て、余に仕えぬか。第五王子としても身分も面倒だろう」
彼はそう言って何度も誘う。
(後宮に百人も抱えているのだから、十分だろう。 しかも私は男だ! )
「皇帝陛下にはそのような趣味はないと聞いておりますが、不思議ですね」
憤慨する黎光に答えるのは、従兄弟の陽 だ。
彼の母の妹の子で、身の回りの世話をしていた。
黎光より二つ下のまだ十四歳、声変わりも始まったばかり。少女のような外見をしている。女装は嫌いではなく、女官達に女装をさせられても嫌な顔すらしたこともない、少し変わった少年だった。
「まあ、いいんじゃないですか? 黎光がこの国に定住したいというのであれば、私も反対いたしません。王子同士の馬鹿な争いに巻き込まれて死ぬよりずっとましな気もします」
陽 は黎光の着替えを手伝いながら、辛辣に言い放つ。
(父の容態が悪化しており、争いはますます過熱するだろう。 この国にいたほうが、安全。しかも皇帝陛下の庇護下だ。考えなくもないが、男娼として過ごすのはさすがに気が引ける)
「とりあえず騒ぎが収まるまでは輝龍城に滞在していたほうがよろしいかと思います」
「そうだな」
黎光は頷き、恒例となりつつある皇帝陛下との茶会へ足を運んだ。
それから彼には記憶がない。
茶会へ行く途中で何者かに襲われた。そして気がついたら、少女の前に立っていたのだ。
黒髪は帝国では一般的だ。しかしその瞳と顔立ちはまったく異なっていた。青い瞳は、宝石のようで、彫りの深い顔立ちには気品があった。
その少女は、すでに大人のように落ち着いて、黎光を見ていた。
「迷ったの?」
少女がそう尋ねてきた。
周りを見渡し、まったく見覚えもない景色であることを認識する。しかもここに至るまでの記憶が抜けていた。
ひらひらと雪が舞い降りてきて、黎光ぶるっと寒気を覚えた。茶会に行く途中だったので外套など羽織るはずもなく、外気が肌を刺し寒さに震える。
「着いてくる?」
少女に言われ、黎光はなぜか素直に頷き、その背中を追って彼女の部屋に入る。
(誰かに襲われたようだ。 そうでなければ、こんな街中に一人でいるはずがない。 陽は無事だろうか?
彼がそんなことを考えていると、少女が温かいお茶を目の前に置く。
「飲んで。寒いでしょ?」
黎光にとって毒味をされていないものを口にするのは、始めてだった。彼は勧められるまま、お茶を飲み、その温かさに浸る。
「お腹も空いている?」
聞かれて、空腹であることに気がつき、彼は頷く。
「これあげる。ちょっと冷えているけど」
少女に包子を差し出され、これも素直に受け取った。
こんなに素直な黎光を見たら、陽が驚いて口をバカみたいに開けるに違いなかった。それくらい、彼は素直に彼女の言うことを聞いていた。
(少女なのに大人の色香をもった、美しい人)
黎光は大きな青い瞳に見つめられると吸い込まれるような錯覚に陥った。
「私は、凛っていうの。あなたは?家まで送ってあげようか?」
(凛、彼女にぴったりの名前だ。 私は……)
名前を名乗ろうとして、黎光は口をつぐむ。
(私のことに聞かせないほうがいい。巻き込みたくない)
「どうしたの?」
何も答えない黎光に彼女はぐいっと顔を寄せてきた。
驚くほど可憐な顔がすぐそばにあって、彼は動揺してしまう。
(女も男も、私に近づいてくる者は嫌というほどいた。 だけど、こんなに心を揺さぶられたのは初めてだ)
「……覚えてないんだ。何も」
(彼女を巻き込みたくない。彼女に構ってもらいたい)
相反する想いがあって、気がつけば彼はそう答えていた。
「そう。じゃあ、しばらくこの部屋にいる?女将さんに許可とらないといけないけど。多分大丈夫。安心して」
満面の笑顔を見せられて、彼はもう、完敗だった。
少女は十六歳の黎光よりもかなりと年下に見える。しかし、彼は彼女に惚れてしまっていた。
宿屋の女中をしている彼女の帰りを待つ日々。
彼は慣れない部屋の掃除などを楽しむ。彼女の部屋、いたるところに彼女の痕跡があった。
そんな部屋で彼女の帰りを待つ。
黎光は初めて満たされた気持ちになった。
城のこと、紫国のことなどどうでもよくなっていた。
だが、現実は現実で、ある日彼は夢から目覚めさせられる。
役人と陽が突然やってきて、城に連れ戻された。黎光の痕跡を残さないように、使っていたもの全てを処分、買い替えたりして、彼は城へ連れ戻された。
王を失った紫国は混乱を極め、王子達は国民のことを考えずに王位を争う。そうして、民衆が不満を持ち始め、国は崩壊寸前だった。
そんな時に皇帝黒龍が黎光を連れ戻して、王になるように命じたのだ。
(命令であったが、断ることもできただろう。むしろ、皇帝陛下はそれを望んでいたかもしれない。紫国は次なる王も立たず国ではなくなることを)
しかし、黎光は紫国で生まれ育った。国を失くしたくなかった。
だから、皇帝の命令を受けた。
王子達が死に絶え、黎光だけが生き残った。
そうして紫国の王になった。
王になって、その仕事の大変さを理解する。母を後宮に捨て置いた父を彼は侮っていた。
頭の片隅にはあの少女ーー凛のことを思っていたが、忙しさに忙殺され、それどころではなかった。
やっと国として安定し、対抗勢力を根絶やした頃、黎光は十九歳になっていた。
落ち着いてくると、上がってくるのが次の後継者の話だった。
直系の王族は黎光しか残っていないため、後継の話が出てくる。
三年前、少女に出会うまでは彼は妻など誰でもよかった。
けれども王になった今、彼が欲するのはただ一人、凛だけだ。
三年も経ち、少女から娘になり、さぞかし美しく成長しているだろうと黎光は彼女を想う。結婚している可能性もあったが、彼は彼女を探させた。
宿を当たらせたが、すでに彼女は辞めており、角家という家に貰われたということだった。名のある家名だったので、黎光は心を躍らせた。
王妃として迎えるのに障害が少なくなると考えたからだ。
しかし、角家を調べさせ、その主が凛に加えた数々の躾という名の暴力をしり、怒りに震えた。早く解放してやると息巻いていたら、角家当主は彼女を後宮にねじ込み、黎光の目から隠した。
紫国は、輝火帝国の中でも辺境の属国。
しかし、彼は皇帝陛下が自身に興味を持っていたという、事実を思い出し、謁見を取り付けた。
皇帝陛下に目通りすることはできた。けれども後宮に男が立ち入ることはできない。
なので、彼は自身の配下を後宮に入れることを考えた。
名目は、部下に後宮で礼儀を学ばせたい。
彼の幼馴染でもあり、女官でもある翠をその任に当たらせることにした。すると彼女の恋人でもある従兄弟の陽が自身も後宮に潜入することを提言した。もちろん男は入れない。だから女装して女官として翠と共に潜入するという。
黎光は無駄な疑いを持たれたくなくて、反対したのだが、女装した陽は翠よりも嫋やかで、反対できなくなってしまった。それなら、陽だけ女官として派遣することも考えたのだが、これには翠が猛反対し、幼馴染の二人の勢いに押され、彼は二人を皇帝に紫国の女官として会わせた。
二人の艶やかな容姿を見た皇帝陛下は喜び、紫国からの見習い女官として受け入れた。