2-6 始まり
「黎光様。往生際が悪いですよ」
「凛も連れて行きたい」
「それは駄目です。凛様の評判を落とす様なことはやめてください」
昼食は思ったより時間がかかってしまい、黎光が陽に急き立てられる。
「さあ、凛様。お部屋にもどりましょうか」
恨めしそうな黎光の視線をぴしゃりを遮り、翠が凛へ微笑みを向けた。
(えっと……)
凛の視線黎光と翠の間で彷徨う。
「黎光様。凛様を困らせるのはやめてください」
「わかったよ。凛、ぎゅっとしたから元気もらったよ。午後の執務も頑張ってくる。君はあまり深く考えない様に。私の言葉を忘れないで」
彼の言葉に泣きそうになり、凛はただ頷くしかできなかった。
翠と共に彼の部屋を出て自室へ戻る。
その後、黎光は追い立てられるように王室に戻ったと聞き、凛の中に罪悪感が芽生える。
(執務の邪魔をしてしまったかもしれない)
「凛様。黎光様のことは気にしないでくださいね。困ったものです」
王のことを気にするなと、翠はまた大胆なことを言う。
「午後からは書庫へ参りましょうか?」
「いいの?」
「もちろんです」
次期皇帝の母になるため、凛は教養を学ばされた。角家で文字を教わり読書を強要される。書物はすべて知識を得るためであり、内容も歴史や地理、政治関連で楽しめる様なものではなかった。けれども現在、講師の教えについていけるのは、これらの読書のお陰だ。
後宮で書庫に行くことがあり、面白そうな書物を見かけたことがあった。手に取るとお目付け役の荀に睨まれ、角家の主人の顔も浮かんでも結局借りなかった。
紫国の王宮では自由を保障され、時間もあるため、娯楽として書物を読むことが多くなった。そのおかげで凛は書庫に行くのが楽しみになっていた。
気がつくと書庫で座り込んで読んでしまっていて、翠に苦笑されてしまう。
時刻を聞くと、すでに二時間ほど過ぎていて、慌ててしまった。
「随分楽しそうに読まれてましたね。借りられますか?」
翠は凛を急き立てることもなく、ゆるりと聞く。
「いいの?」
「ええ」
「でもまだ部屋にある書物は返してないわ」
「いいのですよ。お部屋にある書物は全部読み終わりましたか?」
「まだ、一冊読んでないものがある」
「それでは、この二冊を今日は借りて、残りは読み終わってからにしましょうか?」
「ええ。ありがとう」
(こんなによくしてもらってもいいのかな?それくらい翠は優しい。姉がいたらこんな感じかもしれない)
「翠様」
ふいに慌てた様子で、桂梨が書庫に入ってきた。彼女にしては珍しく髪が乱れている。
「桂梨、どうしたのです?」
「赤族の族長様がいらしゃって、翠様を探しております」
「族長が?どういうこと?」
「申し訳ありません。私にはわかりません。春風殿でお待ちです」
「……わかった。桂梨。凛様のことは任せるわね」
「かしこまりました」
「凛様、しばらく席を外します。申し訳ありません」
「謝る必要なんてないわ。ゆっくりしてきて」
(翠は赤族の族長の姪だもの。何かあったかもしれない。桂梨と二人になるのは正直緊張するけど、そんな事言えないわ)
翠が書庫を出て行き、凛は佳梨と二人きりになる。
「それでは凛様。お部屋に戻りましょうか?」
「そうね」
凛は借りる予定だった書物に目を落とす。
(まだ読んでないものも部屋にあるし、今日はいいわ)
書物を書架に戻し、書庫を出ようとしたところで桂梨が立ち止まった。
「どうしたの?」
「凛様。花芳に会っていただけないでしょうか?」
(花芳……、黎光の婚約者だった女性。床にふせっていると桂梨が言っていたけど)
「やはり無理でしょうか?」
「そんなことはないわ。花芳は大丈夫なの?」
「大丈夫と言える状態ではありませんが、一度貴方様にあってみたいと相談されたのです。陛下は婚約を解消してから花芳とは会ってくれず」
「わたしのせいね」
「とんでもございません」
桂梨の表情が一気に青ざめる。
「安心して。あなたや花芳のことは誰にも話してないわ。けれど、花芳はどうして私に会いたいの?」
「陛下が好きになった方を見てみたいという願いです。それでもしかしたら吹っ切れるかもしれないと」
(吹っ切れる。本当はそんな必要ないのに。黎光に相応しいのは花芳なのに)
☆
少し焦ったような桂梨に釣られた形で、何か緊急事態かと急いだ翠。
春風殿にたどり着いたが、そこには誰もいなかった。
歩いていた女官に、赤族の長のことを問いただす。
「赤衛様ですか?本日のご訪問予定は聞いておりません。もしかして来られる予定だったのでしょうか?」
族長と言えども、王宮へ訪問する場合は、先触れを出す。
そうして王宮で迎える準備をするのだ。なので女官たちは失礼がないように訪問客の名前を知らされている。
翠の質問に答えた女官も勿論本日の訪問客の名前を知っているはずだった。
「私の気のせいね。きっと。ありがとう」
翠は女官に礼をいうと、すぐに凛の元へとって返す。
(凛様)
嫌な予感に気持ちが焦り、翠はらしくないほど足早に王宮内を歩く。それは走るといっても過言でもない速さだった。
書庫を覗いた後、凛の部屋に足を伸ばす。
「凛様!」
そこには誰もいなかった。




