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皇帝の寵姫と紫国の王  作者: ありま氷炎
その愛はちょっと重たいかもしれない。(帝国編)
2/23

1冬殿の美凛

美凛めいりん?」


 夢から覚めた凛は、一瞬自身の立場を忘れそうになった。

 けれども自分を見下ろす男の顔を見て全てを思い出す。


「皇帝陛下……」


 目の前の美丈夫は、中央大陸を治める輝火帝国の皇帝、黒龍だった。

 昨晩、黒龍は冬殿に御渡りにきて、そのまま凛の元で夜を過ごした。

 後宮における凛の名前は、美凛だ。

 わずか一年で、皇后に次ぐ四妃にまで上り詰めた冬殿の妃だ。後宮には季節の名を持つ御殿があり、四妃が各々管理している。

 凛は十三歳の時に、角家の養女になった。

 元は天涯孤独の平民だ。

 角家の主人は、女中として働く彼女を目に留め、その美しさで皇帝の寵を得て、権力を握ろうとした。

 思惑通り、凛はわずか一年で四妃の一人まで登り詰めた。

 女官として入り、二週間後に夜伽を命じられ、十六嬪になった。

 数年たっても呼ばれず、女官として働き続ける女性もいるので、凛は特別だった。

 けれどもそれは当然だった。

 角家の主人の元、凛は非常に厳しい躾を受けた。

 命令をこなさなければ鞭が振るわれた。鞭を振るわれたのは一年ほどに過ぎない。しかし、凛は主人の鞭を見るたびに震え、必死に主人の命令を実行し続けた。

 妃となるための行儀、教養、歌や楽器の芸能、夜の作法を頭と体に叩き込まれ、凛は後宮に入った。

 初めての夜伽の後十六嬪になり、黒龍の御渡りが何度も続き、とうとう八夫人になった。この時初めて個人の部屋を与えられ、女官もつく。

 それから皇后の次の位、四妃の一人ーー冬殿の花梨が病死し、空いた位に凛が格上げされた。

 彼女は新しい冬殿の主になり、美凜めいりんと名を改めた。

 後宮に入り一年で、四妃になるのは稀で、やっかみも酷かった。しかし角家の主人の鞭に比べれば、優しい。

 皇后はまだ皇女しか産んでおらず、現時点で凛を含む四妃の誰一人として懐妊の兆しはまだない。


(私は頑張らなければ。主人のために他の妃よりも、皇后陛下よりも先に、男子を授かる必要がある。けれどもあんな昔の夢を見てしまった。 四年前の、まだ唯の女中だった時の、りんとして自由だった時の)



美凛めいりん?気分が優れぬか?」


 黒龍は口元に笑みを浮かべ、その漆黒の瞳を彼女に差し向ける。何事も見通す強い瞳で、凛は内心冷や汗をかきながらも微笑みを返す。


「いいえ。ご心配くださりありがとうございます」

「ならよい。よい夢を見ておったようだな」

「ふふふ。覚えていませんわ。きっとよい夢だったのでしょう」


(夢の中で他の男性と会っていたなんて、知られてはならない。 私は陛下の所有物なのだから)


 凛はいつも通り精一杯艶やかな笑みを湛える。

 皇帝黒龍を理解するのは難しい。そもそも天上人である皇帝陛下を理解しようとするのがおこがましい。

 理解などしなくても、夜を共にして、子を懐妊する。

 それが凛の、主人の目的だった。


 皇帝黒龍の漆黒の瞳は、凛の思いを全て見透かしているようだった。けれども皇帝は微笑みを浮かべたまま凛を眺めているだけだ。

 結局黒龍はそれ以上何も聞かずに、部屋を出て行ってしまった。



「あらあ、冬殿の美凛めいりん様に昨晩も御渡りがなかったのですか?」

 

 これ見よがしと、庭から声が聞こえてきた。

 四妃の一人である凛には後宮の冬殿が与えられている。皇帝黒龍も訪れる寝間を奥に、二つの部屋が左右にあり、左側が食事をする部屋で、日中の大半を過ごす居間が右にある。

 居間にいて、お茶を飲んでいると耳障りな女官の声が凛に届いた。

 皇后に次ぐ地位、四妃の一人である凛であれば、皇帝に言い付けて、女官たちへ罰を与えられる。けれども彼女はしなかった。陰口は大概は無視をしているのだ。ただ何か行動に移す輩にだけは罰を受けてもらっていた。それを知っているので、女官・らんはいつも嫌味を言うだけで終わる。

 らんは凛と後宮に入った時期が同じで、所謂同僚にあたる。今では立場が大きく異なるが、始まりは一緒だった。

 

 (本当は全然一緒じゃない。私は生粋の貴族ではなく、平民。養子縁組によって貴族の娘になった紛い物。けれどもそれが何?貴族が偉いなんて私には思えないもの。後宮でしていることは娼妓の真似事と同じだわ)


 皇帝に気に入られるために、己を磨き、他者を陥れる。

 それが後宮という場所だ。貴族の娘のみが入ることができる後宮。こんな醜い場所、凛に選択肢があったなら、決して選ばない場所だった。

 彼女の元同僚、蘭は一度だけ黒龍にお情けをいただき、十六嬪になった。しかしその後は何もなく女官に戻った。二年以上お情けのない十八歳以上の女官は後宮を出て実家に戻れる。


(蘭は来年どうするのだろう?)


 かしましい蘭の声を聞きながら、凛は思う。


(私が憎くてたまらないくせに、いつもさえずるだけ。何か行動を起こしたら、私もそれなりの対応をするのだけど)


「蘭。美凛様に聞こえてしまうわ。口を慎んで頂戴」


 蘭の先輩女官の声も加わった。

 彼女も注意しているようでわざと凛に聞こえるように言っている。

 

(もう一人の女官はとうに十八歳は超えているはず。彼女は春殿の妃の手足。後ろ盾も得ているはず。だから後宮を離れられない。蘭もその道をたどるつもり?私を陥れ、あざ笑うため。敵対する春殿の妃の女官であれば私と渡り合えるとでも思っているかもしれないわ)


「かしこまりました。こう様」


 気が済んだのか、それとも春殿の妃に凛の気分を害するように言われただけなのか、蘭と先輩女官の声はそれから聞こえなくなった。


「美凛様。角家より文が届いております」


 実家角家の主人の目でもあり、女官でもあるしゅんがお茶を下げながら、文を差し出してきた。

 彼女は角家にいた時から凛の世話役であり、師でもあった。主人のように鞭を使うことはなかったが、その指導は冷たく厳しかった。

 凛は後宮には女官として入った。寵愛をいただき夫人の位になってから初めて専属の女官を持てる。多くは実家から気の知れた者を呼ぶ。たった一人だけ後宮の外から呼べるからだ。凛の場合、荀が角家から後宮にやってきた。

 凛の母は幼い時に亡くなっている。しかし生きていれば、年齢的にはしゅんくらいの年齢だった。


「美凛様?」


 渡された文をいつまでたっても開かないので、痺れをきらし、荀が問う。

 凛は声を出すのも億劫で、黙って開く。


 皇帝陛下の御渡りがなくなって、二週間経つ。

 こんなことは珍しく、角家の主人は荀から聞きつけて、文を寄越したようだった。

 凛の予想通り、文の内容は御渡りのことだった。


「美凛様、お返事はどうなさいますか?」


 返事はいつも荀が代筆する。

 主人が鞭を振るう様子を思い浮かべ、凛は震えそうになる。しかしまさか夢の内容を話せるわけがなく、御渡りがない理由には心当たりがないと口に出す。

 旬はそれを聞きながら、筆を取る。


(こんなこと今までなかったわ。寝言で私は、何か口走ってしまったの? だから皇帝陛下は気を悪くしてしまったのかしら)


 凛は主人の怒りを想像して寒気を覚える。奥歯がカチカチを音を立てそうになった。


 四年前、何も知らない凛は、お世話になっている宿の女将にも説得されて角家に入った。


(女将さんはきっと旦那様の裏の顔を知らなかったのね。だから、暮らしが楽になるからと背中を押してくれた)


 角家の主人は、宿屋で凛の姿を見て、後宮にいれることを思いついたらしい。


 凛は、四年前に拾い別れた公明こうめいとは比べものにならないが、容姿が整っていた。皇帝領外の民族の血が流れているらしく、髪は漆黒であったが、瞳は青色で彫りも他の人より深く、肌の色も白かった。

 そして角家で教育を受けつつ、更に容姿に磨きをかけた。


 荀の返事の後も角家の主人は痺れを切らして、何度も文を送ってくる。

 しかし凛は正直に答えられなかった。


(原因はきっと、あの夢だろう。もしかしたら彼の名前を口にしてしまったかもしれない。それが知られたら私は旦那様に折檻、もしかしたら、殺されるかもしれない)


 寝台の上で、凛は震える肩を抱いた。

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