13下賜
翌朝、宦官が冬殿を訪れ、正式に紫国の王へ凛が下賜されることを知らされた。
昨日の夜、凛はあまり寝付けなかった。
突然現れた公明が紫国の王であり、後宮から凛を救いだしてくれる。
そんな夢のようなことを言われて、興奮してしまったのだ。
角家の養女になってから、彼女の自由は消えてしまった。主人に怯える毎日。生活水準は向上しても心は毎日削られるような日々だった。
後宮に入ってからもそれは同じで、公明から持たらされた話は凛の妄想に思えた。公明が実際の人物であることも不確かであったのだ。それが属国と言えども一国の王。
非現実過ぎた。
しかし、宦官から下賜の話を知らされ、夢ではなく現実だと実感できた。
なので紫国での生活を夢想する。翠と陽から聞いた紫国の話を思い出す。角家や後宮では、紫国は辺境の地で、蛮族の国と教えられる。
住居は布でできた質素なもの、床で寝泊りをして、食事も床で行い、手で食べる。
確かにそれは野蛮かもしれない。しかし公明がいるならそんな国でもいいかと思った。
気分が明るくなる一方、同時に凛は後宮から本当に逃げられるのかと恐怖に怯える。
(旦那様は私を許す? 紫国へ私が行くことになれば、旦那様はどう思うのかしら? でも、これは皇帝陛下のご命令なので、逆らうことはできないはず。 私を陛下の側室にし、ゆくゆくは子を産ませ、次期皇帝の祖父となり、権力を握るつもりだった旦那様はさぞかし、お怒りになるだろう)
昨晩、公明から大丈夫だと聞かれたが、凛はまだ怖かった。
紫国に行く前に、後宮を出され実家である角家に戻されるのが恐ろしかった。下賜される凛は殺されることはない。しかし、これまで彼女にかけた時間、費用を考え、折檻をされるはずだった。
「凛様?」
「なんでもないわ。紫国の話を聞かせて」
「いいですよ」
凛の下賜が決まり、荀は角家に戻された。これは皇帝からの直々の命で悔しそうに彼女は冬殿から出て行った。
現在凛の世話をしているのは、翠と陽だ。けれども顔をよく見るのは翠で、陽は冬殿の外によくいるようだった。
「陽は忙しいのかしら?」
「ええ。凛様の出立まで色々準備をしているのです。私も凛様と紫国に戻ることができて嬉しいです」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。翠」
翠には借りがある。
いつの日か返す日が来ればいいなと思いながら、凛は彼女に笑いかけた。
一週間後、その日は唐突にやってきた。
凛は角家に戻されることはなく、紫国に直接渡ることになった。
持ち物はすべて紫国で揃えることになっており、荷物はほとんどない。
「やっと、我が王の念願が叶います」
「念願?」
翠は最初の日に来ていた毛皮を纏い、興奮して両手で握り拳を握っている。
「そのうち、おわかりになりますよ」
凛の問いに答えず、翠はにやっと人が悪そうに笑った。
その笑みは陽そっくりでさすが姉妹と思う。
「美凛。準備は整ったようだな」
「皇帝陛下!」
突然部屋に陛下が現れ、凛は傅く。けれども翠は頭を少し下げただけで、しかもなぜか凛を守るように立っていた。
「そう警戒するではない。約束は約束だ」
陛下は、彼女の態度に気を悪くすることもなく、凛のところまで来る。
「美凛。とても嬉しそうな顔をしているな。私の元でもそのように振る舞ってくれたら。まあ、今更になるがな」
「皇帝陛下」
「顔を上げよ。美凛、もし紫国の王が無体な真似をするようであれば、余のところへいつでも戻って参れ。そちの場所は残しておこう」
「お言葉ですが、皇帝陛下。我が王はそのようなことをされる方ではありません!」
皇帝陛下に向かって翠はそう言い返して、凛は目を丸くするしかない。
(翠はこんな態度で大丈夫なのかしら)
驚く凛に対して、側に控えていた宦官はまたかというような表情をしただけだった。
「さあ、参りましょう」
「ええ。皇帝陛下、一年後宮で過ごさせていただき感謝しております。皇后陛下との末長い幸せを祈っております」
「わかっておる。そちも達者でな」
皇帝最後の微笑みは作り物ではない優しいものだった。なので凛もそれに自然と笑み返す。
☆
「凛!」
冬殿を出て後宮を抜けると、門の前で公明と陽が待機していた。
公明の瞳は水色。目があったと思ったら、突然彼が駆けてきて凛は腕の中に閉じ込めらえた。
「紫国の王よ。ここはまだ城内。ひかえていただけるか」
(紫国の王。 そうだ、彼は王様だ)
宦官の言葉に、彼は立場を思い出したのか、腕の力が緩む。その隙に凛は腰を落として公明へ平伏した。
「宦官殿。これはすまなかったな」
冷たい、凛に呼びかけた声とはまったく違う底冷えする声で、紫国の王は宦官に告げる。
「お分かりいただければよいのです。それでは紫国の王。旅の道中気をつけてくださいませ」
紫国の王からまだ顔を上げるように指示がない。その為、凛は伏したまま二人の会話を聞くことになる。
(この宦官、名前はなんと言ったかしら。 随分ふてぶてしい感じがする。辺境といえ王には変わらないのに)
凛の戸惑いは正しかったらしく、陽と翠が怒りに震えて、もし武器があればその場で宦官を襲う勢いだった。
「凛。顔を上げて。君は私に仕えるものではないのだから」
宦官が去っていく足音がして、場の雰囲気が柔らかく変化する。
すると彼から言葉がかかり、凛は顔を上げる。
水色の瞳が彼女を見つめていて、その美しさを間近にした。凛は見惚れて呼吸を忘れてしまいそうになった。
(やっぱり公明はとても綺麗。見られるとどうしていいかわからないくらい)
「陛下。凛様が困っていますよ。そんなに見つめて」
「そうか、凛。悪かった!さっ、国に戻ろう」
陽の物言いは遠慮がなかった。公明は気分を害すこともなく、言われたように凛から視線を外す。けれども、その手は凛の腰辺りを触り、馬車に乗るように誘導していた。
「陛下。気が早いです」
(腰に触ったことかしら?)
翠が目を吊り上げて咎め、公明は苦笑して凛の腰から手を離した。
(随分、王と臣下の関係が親しい国のようだわ。それとも、この二人が特別なのかしら?)
凛は戸惑いの中、馬車に乗り、移動を開始した。




