12 公明
「陛下が来られます」
宦官が前触れにやってきて、その後に皇帝黒龍が来るのが常だった。
凛は皇帝を迎えるため立ち上がり、扉が開かれるのを待つ。
忘れたはずなのに、公明の顔がちらつき、凛の心を掻き乱す。
足音がして、扉が開かれる。
懸命に気持ちを落ち着かせ、凛は顔を上げた。
「こ、」
現れたのは、皇帝ではなかった。
扉は固く閉められ、彼は言葉を失った凛を寝台に縫い付けるように体を押し倒した。
咄嗟のことでわけが彼女は反応ができず、されるがままだ。
「黙って。わかるね?」
人差し指を唇に当てられ、彼の冷たい感触が凛へ伝わる。
その水色の瞳は灯籠の光で黄色にも見えた。
全く状況が理解できないままで、ひとまず彼女は頷く。
「君は凛だろう?」
すると彼はその手を離し、彼女を解放した。それから彼は寝台に腰を下ろして凛を眺める。
白銀の長い髪に、透明な水色の瞳。睫が長くて美しい人だった。
「は、い」
(彼はやっぱり公明だ。なぜ、彼が紫国の王なのかわからない。だけど、凛と呼ぶのは、昔の私を知っている証拠。だから、公明に違いないわ)
「これは君が望んだことなの?」
唐突に聞かれ、凛は理解ができなかった。
(意味がわからないわ。彼は何を知りたいのだろう)
「ごめん。もし、君が、後宮から出たいなら力を貸す。だけど、君がこのままいたいなら」
「いたくない」
反射的に凛の口はそう答えていた。
驚いて両手で口をふさぐ。
(なんてことを。旦那様に殺されてしまうかもしれない)
「私は君をずっと探していたんだ。そして、角家を突き止めた。彼のことは心配いらないよ。皇帝陛下にも許可をもらっている。君は後宮から出たい?」
「はい」
(出て何をするかはわからない。 でももう、娼妓真似事はしたくない)
凛はこの生活から逃げたかった。
なので差し出された手を掴んでしまう。
「わかった。私から皇帝陛下に伝える。安心して」
「公明。あなたは公明なのですか?」
「そうだよ。君があの時助けた公明だ。君が拾ってくれなければ、記憶がない私はきっと、誰かに殺されていたかもしれないからね」
「殺される?」
「そう。私は、あの時はただの王子の一人にすぎなかった。遊学途中で、襲われて記憶を失ったんだ。あの当時、紫国は王位継承でもめていてね。私は関わりたくないから、国を出ていたのに。結局、皆が殺し合い、私だけが残ってしまった」
彼は悲しそうに笑う。
「まあ、私のことはどうでもいい。君をもっと早く見つければよかった。角家でも後宮でも大変な思いをしたようだね」
「そ、そんなことは。旦那様にはとても十分なものを与えられて、」
「でも、それは望んだことじゃないだろう?」
(そう、私はそんなこと望まなかった。 街の娘として、女中のままでよかったから)
彼に問われ、凛は自分がこれまで押さえてきた感情が湧き上ってくるのがわかった。
「君を解放してあげる。私を助けてくれたお礼だ」
彼は優しく凛の頬に触れた。すると直ぐに涙が目に溜まり、溢れ出す。それを彼が何度も拭う。
「遅れてごめん。もっと早ければ、」
妃だった女性が平民になることは少なくはない。けれども、どれも罪を犯して、身分を奪われる場合だった。
(私は後宮を出ることはできるけど、恐らく、いい暮らしはできないわ。でも旦那様の影におびえて、娼妓の真似事をずっとするよりはましだわ)
「凛。私は君をただ後宮から出すことには反対している。君が苦労するのがわかっているから。だから、私が貰い受ける形でいいか?」
「貰い受ける?」
「大丈夫。形だけだ。でも、紫国に来てもらうことになる。いいかい?」
「紫国に?」
「辺境の土地だけど、いいところだ。命の恩人の君に不自由はさせない」
夢うつつの気持ちで、凛はただ頷く。すると彼は嬉しそうに笑って、部屋を出て行った。
(夢?ううん、そうじゃないわ)
頬は涙で濡れていて、あれが夢でなかったことを証明していた。
寝台を触るとまだ暖かさが残っていて、そこに公明がいたことを感じることができた。
☆
(凛……)
皇帝が承認しているとはいえ、妃の元へ皇帝以外の男性が通うことは好ましくない。公明、黎光は闇夜に紛れて与えられた部屋へ戻る。
今夜のことを提案してきたのは皇帝で、そのために彼は部屋を用意された。
誰にも見られない様に部屋に戻り、扉を閉めてから彼は先ほどの凛を思い出していた。
四年、四年の間で、彼女はすっかり花を咲かせていた。はち切れんばかりの胸が、大きく開かれた襟口からを少しだけ姿を覗かせる。噛みつきたくなるような香り立つ首筋が刺激的に彼を誘うようだった。潤んだ青い瞳に、滑らかな真っ赤な唇は食べてくれといわんばかり。
部屋の中で二人っきり、彼は自身の理性を褒めてやりたいくらいだった。
それくらい、彼女は魅力的だった。
茶会での彼女はただ美しい女性で、下心など浮かぶことはなかった。ただ皇帝陛下がにやにやと笑いながら、自分達の様子を眺めているのが癪に触った。わざわざ凛を隣に座らせるなど、嬉しいけれども今の立場では何もできない自分を歯痒く思った。
何かの罰のような茶会の後、凛はすぐに部屋に戻ってしまった。追いかけそうになる黎光を止めたのは皇帝陛下だ。
そして今夜の御渡りの話を持ちかけられた。
凛が望めば黎光が貰い受けても良いと言い、条件としては、紫国にしか生息しない白馬の無償譲渡を持ちかけられた。
白馬は育てるのが大変だが、これくらいの我儘は通してもらうつもりだった。即位してから黎光は国のため働きづめであったのだから。
その夜、陛下のお渡りとして、彼は周りの目をごまかしつつ彼女に会いにいくことになった。
彼を見た凛が悲鳴をあげそうになり、慌てて口を塞いだ。彼女の大きくて柔らかい胸が腕に触れ、必死に理性をかき集めた。
できるだけ、彼女を怯えさせないように話して、肯定の返事をもらい、皇帝の条件は満たすことができた。
(これで、凛を連れて帰ることができる。騙すようだけど、ここに置いてはいけない。また彼女が罠にかけられたりするのは御免だ。あの角家の主も許せない)
黎光は以前から考えていた凛を連れて帰る算段を実行に移すことに決めた。
そのためにまずは同行してきた子稔を数人の護衛と共に紫国に戻す。紫国に行く前に負の感情を凛に与えたくなかった。なので、彼女を歓迎していない彼を帰国前に会わせるわけにはいかなかった。
紫国で対面することになる。けれども今の彼女に負担をかけたくない。その思いで、黎光は子稔に帰国するように伝える。王の命令は絶対で、子稔は護衛を数人連れて、先に紫国へ立った。




