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【平成九年(1997年)晩春】その1


【平成九年(1997年)晩春】その1



 ドバイでホクトヴェガが星になった春に、美冬と孝志郎と俺の三人は中学生となった。


 中学は、やや学区が広くなった関係から、むしろ小学校より行きやすくなっている。美冬の体力の向上もあって、一緒に登下校する必然性は消え去っていた。


 同級生も増えて、これまでの三人の関係性もやや薄まりつつある。とはいっても、まったくの没交渉になったわけではなかった。


 同級生の姉が手掛けた起業の話を聞かされた孝志郎は、パソコンに親しみつつ、独学で数学を進めている。


 美冬からすると、姉の次に同級生が俺に毒された、との認識なのだろうか。なんとなく二人でいると当たりが強いように感じられた。


 ひふみ企画の一口出資馬の先陣を切ってデビューしたキヌノジャスティスは、勝ち上がりに八戦を要したが、先週ダービーへのステップレースのひとつである京都四歳特別に挑戦して制覇している。勝ち上がり後は、GⅢ毎日杯3着、若草ステークス勝利からのGⅢ優勝で、次走はダービーなので、急激な出世ぶりと言える。


 タイジュシャトルは、この時期には若手のはずなのに既に名伯楽の雰囲気を漂わせる藤島調教師に鍛えられ、4月にデビュー勝ちを果たしている。


 令和に入る頃の番組構成なら、NHKマイルカップを頂点にマイル路線が整備されていたのだが、この頃はマイラーでも無理をしてダービーを目指す時代である。もっとも、外国産馬にはダービーは未開放だけれど。


 ステディゴールドは5月中旬の未勝利戦を突破したところである。まあ、この馬の場合、前世の記憶に照らせば、実際の本格化はだいぶ先の時期になると思われる。


 キヌノジャスティスが制したGⅢの優勝賞金は4000万円ほど。中央競馬の賞金は調教師が10%、騎手、厩務員が5%は確定で配分され、馬主の取り分は80%となる。これは一口馬主クラブに入る割合で、そこからの配分は満額ではないにしても、なかなかの額ではある。


 キヌノジャスティスの募集総額は3000万円なので、一レースで越えてきたわけだが、飼い葉料や預託料に当たる月々の支払いもあり、まだプラス収支とはなっていない。


 重賞を勝利してこれなのだから、一口馬主として募集されているほとんどの馬は、収支としてはマイナスとなるわけだ。デビューできなかった場合の補償などはある程度設定されているものの、出資としては本来ならまったくお勧めできるものではない。


 一方で、一部にしても馬を持てるという夢が叶うと考えれば、高くはないのかもしれない。まあ、厳密には馬主ではないのだけれど。


 その点、俺は前世の記憶とのずれがなければ活躍するはずの馬を選ぶという、チート行為を実施している。よい子はそのあたりの事情を踏まえて、軽々には真似をしないでほしいものだ。


 そんなことを考えながら家路をたどり、敷地に入ろうとすると、見慣れぬ人影が見えた。熊ではなさそうだが、六つ下になる弟の雅也の同級生というサイズ感でもない。よく見ると木陰から隣家の方を眺めているようでもある。


 家には母さんと雅也しかいないはずだ。俺は、ゆっくりとその人物の方に歩み寄った。



◇◇◇◇◇



 夕食の途中で、美冬が問い掛ける声が響いた。


「おじいちゃんが来たの?」


「ええ、追い返してやったわ」


 美冬の母親は、実の父には当たりが強い。


「なんの用だったのかな」


「借金はだいじょうぶなのか、だって。いつの話をしているのかしら。とっくにあの人が解決してくれたのに」


 美冬の表情がやや曇った。結局、借金返済の経緯や資金の出所は、姉妹のどちらからも母親には伝えられていない。


 そして、夫から頼りになる筋から話をつけてもらっているところだ、との電話が入ったことで、その件はひとまずの決着を見ていた。


「自力で解決したんだから、早く帰ってきてくれればいいのに」


 独白調でのその言葉に、末娘の心は温度を下げるのだった。


「それで、おじいちゃんはどうしたのかな」


「さあねえ。市街にでも泊まるんじゃない? どうせ、競馬のついでなんだろうし」


 それはそうなのかも、と得心しかけながらも、美冬は食事を終えたら辺りを探しに行ってみようかと思考を巡らせていた。



◆◆◆◆◆



 家の前で拾った肌ツヤのよい老齢の人物は、ランカ牧場の経営者にして牧場長だそうだ。


 ランカ牧場は、漢字では爛柯牧場と書くとのことで、字面を教えてもらったら、なんとなく見覚えはあった。おそらく競馬新聞の馬柱の生産牧場欄で目にしていたものの、なんと読むかわからず、そのままで済ませてしまっていたようだ。爛柯とは、なにやら時を忘れる存在らしい。ただ、いずれにしてもどんな牧場か把握はできていなかった。


 そして、ランカという言葉は、美冬の口から耳にしたことがある。超時空アイドルの名ではなく牧場名としてだったので、関係者で間違いないだろう。ただ、美冬との関係性について話を投げても言葉を濁していたので、なにか事情がありそうだ。


「それにしても、その年でここまでの競馬好きとは末恐ろしい。どんなホースマンになることやら」


 天元護久てんげんもりひさと名乗った客人の、同好の士を見つけたためだろううれしげな言葉に、俺の胸はやや痛んだ。前世において、騎手として、さらにはもしかしたらその先にあったかもしれない調教師として競馬界に入る夢は、十五の夜に早々に絶たれた。そして今生でも……。


 ただ、今の俺には、かわいい姪っ子に騎乗馬を山ほど確保するという、人生を賭けるに値する目標がある。遥歌さんの起業は、所詮は他人のものだが、競走馬部門でも作って遺言で泣き落としをかければ、一助になるかもしれない。


「なんの、ただの馬好きのこわっぱです。そちらの生産牧場では、どんな馬作りを?」


「譜代のような大牧場水準を期待されては困るぞ。敷地の広さはそこそこだが、相手は地方競馬の馬主さんがほとんどでなあ」


「さあ、どうぞ。派手なおもてなしはできませんが」


 カットインしてきた母さんが、瓶ビールの栓を開けた。しゅぽんという音が室内に響く。


「これは恐縮です。こんな謎の闖入者に酒食などとは」


「いえ、息子がお友達を連れてくるなんて、滅多にないことですから。ちょっと、想定より大きなお友達でしたけど」


「友達……、確かにそうですな。さあ、少年。我が友よ。今宵は語らおうぞ」


 掲げられた黄金色に輝く液体入りのコップに、俺は麦茶の入った湯飲みを合わせた。



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