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「ステラ、俺は君以外を愛する気は無い」
大好きな菫色の瞳にしっかりと見つめられ、私は手にしていた紅茶をテーブルに置いた。
「……そう言われる日が来ると思ってました。……それでも、私も引けません」
ーーついに、この日が来た。
私は目を固く閉じ、自分の膝の上で拳を握った。
このグルノーワ王国は20年程の周期に一度、聖女を異世界より召喚する。
聖女の恩恵により、この国は魔物に襲われず平和でいられるのだ。昨年、先代の聖女様にして現王妃様でもある方が、聖女業を退かれたばかり。
昨日、新しく聖女召喚の儀が行われたことを、私は知っている。
その聖女の地位は絶対的な物で、召喚されるとすぐにこの国の皇太子と結婚が決まる。
今、私の目の前にいるアシュリー・グルノーワ様は、この国の第二王子。
騎士団長を父に持つ私との婚約が決まったのは、私が8歳の時。
優しくて聡明なアシュリー様に恋心を抱いていた私は、婚約が決まった時、天にも昇る心地だった。
そして、アシュリー様のお兄様、第一王子であるレオノア様が立太子されると、全ての人が信じていた。その証拠に、レオノア様には婚約者は立てられなかった。
だからこそ私は安心してアシュリー様に恋をしていられたし、彼に相応しくあるために、勉強も剣も、魔法も全て、努力に努力を重ねて来た。
アシュリー様にも隠すことなく恋心を体当たりでぶつけてきた。そんな彼も次第に私に絆されてくれ、距離が縮まり、お互いに名前で呼ぶようになった。
幸せな日々だった。
しかし、そんな幸せが脅かされたのは二年前。
レオノア様はいきなり皇太子の座をアシュリー様に譲ると、自身はステンシー領を公爵として治めるため、あっさりと城を出て行かれた。
城中の人がとまどいはしたものの、アシュリー様も実力と人望があったため、すぐに立太子が決まった。
となると、困るのは私の存在である。
聖女召喚の時に、皇太子に婚約者がいるのはまずい。
しかし王族側も、この国の英雄であり、騎士団長である父を持つ私を蔑ろにするわけにもいかず、宙ぶらりんなまま、この二年、放置されてきた。
婚約状態のまま、結婚を延期する形で、聖女召喚の儀式の日までずるずると来てしまったのだ。
アシュリー様が皇太子になられて、お互いに会う時間が減っても、私はこの二年、努力することを止めなかった。
なんなら、聖女と一対一張ってでも、アシュリー様を渡す気は無い。
たとえ彼の気持ちが聖女に傾いてしまっても、また私の方に振り向かせてみせる!
そう思うくらい、アシュリー様は私の全てだった。
そして今日。
久しぶりにアシュリー様とお会いして、王宮の中庭でお茶をしていた。
呼び出された時から、覚悟はしていた。父から、聖女召喚の儀式が行われたことを聞いていたからだ。
アシュリー様はきっと、国のため、私を切り捨てるだろう。
私はアシュリー様に縋り付いて、這ってでも抗ってみせる!!
予想通り、アシュリー様の口からは、昨日の聖女召喚について語られた。
『ステラ、俺は君を愛することはない』
予想通り。巷で大流行の恋愛小説のような台詞。
何百回と、頭の中でシュミレーションを繰り返してきた!
私は椅子から立ち上がり、高らかに宣言した。
「アシュリー様! 私ほどあなたを愛している女はおりません! この座は決して……はい?」
途中まで言った所で、はたと、自分が聞き違いをしていたような気がして、私はアシュリー様をじっと見た。
『ステラ、俺は君以外を愛する気は無い』だったような……?
自分の願望が脳内変換されてしまったのか。
「あの、アシュリー様……、先程の言葉、もう一度言ってくれませんか?」
恐る恐る尋ねた私に、アシュリー様は迷いもなく、キッパリと告げる。
「ステラ、俺は君以外を愛する気は無い」
聞き違いじゃなかった!!
「ふえ??」
アシュリー様は、私の重すぎる愛を受け止めてはくれていたが、こんな風に言葉にしてくれることは無かった。
だから、嬉しいはずなのに、理解までに時間を要して、変な言葉が出てしまった。
「わかっているさ。君以上に俺を愛してくれる人は、今までも、これからもいない」
嘘偽りの無い、真剣な瞳でそう言ってくれたアシュリー様に、私は思わず泣きそうになる。
う、嬉しい!!
「アシュリーさま……」
「アシュリーーーーー!!」
誰?!良い雰囲気をぶち壊すのは?!
見つめ合う私とアシュリー様の間に、元気な声が割り込んできた。
「あっ、いた! アシュリー!」
その声の主は小柄で可愛い女の子。肩までかかる黒い髪がサラサラで、真ん丸の黒い瞳がキラキラと眩しい。
ーー聖女。
見た瞬間に、そう思った。
水兵のような不思議な形の上着に、膝丈のスカート…………。あ、足が!!あんなに見えてる!!
きゅるん、とした擬音がぴったりな小柄の可愛い女の子。その容姿は、父から聞いていたものに当てはまる。
「……アオイ殿、今日はテーラーと魔法の訓練のはずだが……」
アシュリー様は少し困った顔で、その『アオイ』と呼ばれる子に声をかけた。
「だあってええ、アシュリーも一緒だと思ったのに! 酷いよ!」
「私は大切な用があると言ったはずだが……」
『俺』から『私』呼びになっているアシュリー様を見れば、すっかり皇太子モードになっていた。
そんなアシュリー様もカッコイイ!!!!
「大切な用って、コレ?」
不機嫌そうにアオイ様は、テーブルを一瞥した。
「そうだ」
「ふうん……」
アシュリー様の返事に、不満そうに答えると、アオイ様は私の方に視線をやった。
「あっ……! 初めまして。私、アシュリー殿下の婚約者のステラ・エリクソンと申します」
婚約者と言ったのは、もちろんわざとだ。
だって!!私のアシュリー様をさっきから呼び捨てなんて!!
私の牽制に気付いているのか、いないのか。アオイ様はプイ、とそっぽを向いてしまった。そして、あろうことか、アシュリー様の腕にしがみついた。
「私、アシュリーがいないなら、魔法の訓練なんてしないから!」
ギュッ、と胸を押し付けるようにアシュリー様にしがみつくアオイ様。
アシュリー様は、はあ、と溜め息を吐くと、立ち上がった。
「わかった。聖女として一人立ちしてもらわねば困るからな……」
「やったあ!!」
アオイ様はアシュリー様の言葉に歓喜すると、自身の頬を彼の腕にぴとりと付けた。
な、なななななな!!!!
「すまない、ステラ、また後で……」
申し訳なさそうに私を振り返るアシュリー様に、私は頑張って笑顔を返した。
その隣では、アオイ様が挑戦的な目でこちらを見ていた。
「アシュリー、ひどおおい、私のこともアオイって呼んでよお」
「彼女は婚約者だ………」
キャアキャアと騒ぎながらも、二人は王宮の中へと消えていった。
何あれ?!何あれ?!
もう、突っ込みどころが満載だ。
聖女様は、話に聞いた通り、可愛らしい人だった。でも、どうなの、あれ?!
普通、婚約者がいる男の人にあんなにくっつく?!
アシュリー様は、はっきりと私に、『君以外を愛する気は無い』と言ってくれた。
大丈夫だよね?