アッシュ&クララ
セドリー伯爵は息子の愚かさに放逐を決めた。
しかし王妃の妹である妻は嫌がった。その甘さが今、家門の首を絞めているのだと考えれば、苦々しさがこみあげる。
王家へ嫁いだ家の令嬢。そう野心に燃え、熱心に口説いた相手。姉が厳しく躾けられたのとは対照的に、彼女が甘やかされて育てられたのは、彼にとっては都合が良かった。
素直な耳。彼の言葉を疑いもなく受け入れる姿など、好ましいを通り越し愉快。多少頭が足りないところも扱いやすく、伯爵の理想と言えた。
……家に迎えてからは好きにさせておいた。
簡単に言うと特別な愛情は掛けず、放置していた。
(そのせいか、息子に入れ込んだのは……)
母親に手を掛けさせ過ぎた。
結果、アッシュは家庭教師たちではなく、母の言葉に耳を傾けた。彼からすれば愛情深い母親。そんな人物が間違った思想を押し付けようとも、気付けなかったのだろう。
伯爵はアッシュの教育にも興味を示さなかった。行ってきたのは進捗確認だけ。それでも稀に会う息子の様子に問題はなく見えたのだ。
(……平民女と結婚すると言い出すまでは)
久しぶりに会う夫が渋面を作る姿に、夫人は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの? 愛する人を見つけられるなんて、幸せな事だわ」
そう笑う妻を見て、伯爵の背中を薄ら寒いものが駆け上がった。
「申し訳ないけれど、アロット伯爵令嬢には仮面夫婦になってもらいましょう。真実の愛の前には困難があるものだもの。仕方がないわ」
少女のように純粋な眼差しのまま、その一見無垢に見える瞳の底知れない危うさに慄き、伯爵は思わず後ずさった。
「君は……」
「アロット伯爵令嬢がダメだったなら別の相手を見繕って下さる? あの子の幸せの為なの」
甘やかされ、どこか夢見がちに生きてきた純粋な少女だった妻。
きっと幸せな結婚を夢見ていた彼女を野心の為に熱心に口説き、迎え、打ち捨てるように屋敷に置き去りにしてきた。
その過失が今、自分を追い詰めているのだと、伯爵はようやっと気付く。
「──私たちのように」
そう歌うように告げる妻に、足元が瓦解するような錯覚を覚えた。遅すぎる後悔に、彼はその場に縫い付けられたように、動けなくなった。
貴族の結婚は義務だ。
繋がりを得て、繁栄に導く為の。
しかし伯爵は王家への縁に浮かれ、目の前の妻との絆が既に切れていた事に、気が付いていなかった。
確固たると思っていたそんな縁など既に遠く、見えなくなっていた事にも。
「ねえあなた、早くアッシュを許してあげて。一緒に迎えに行きましょう?」
彼女が何も、見なくなってしまった事にも。
◇
一方アッシュはクララの手を取り、国を出るべく船に飛び乗っていた。もうここにはいたくない。
公衆で恥をかかされて、クララは棒打ちにまであった。
少しではあるがお金もある。異国で一からやり直すには心元ないけれど、愛する人と一緒なら……
そう握りしめていたお互いの手が震え出したのは、潜り込んだ船舶が海賊船だと気付いてからだった。
自分を見下ろす屈強な海の男たちに二人、泡を吹いて失神しかけた。……いや、クララはどうやら立ったまま白目を剥いていた。
このまま海の藻屑となるのかという思いが頭を掠め、気付けばアッシュは床に頭を擦り付け声を張っていた。
「で、弟子にして下さ──い!!!」
……やがて二人は気のいい海賊団で下働きを積み、数年後、東の海でイロモノ海賊団を立ち上げる事になる。
小悪党ぶりが板についた頃、しかしポッと出のルーキーにぶっとばされて一味は壊滅。逆恨みを抱きルーキーたちを追いかけて──とか、なんか色々やってるらしいが、今も元気に暮らしているらしい。
懸賞金は……あまり大した事はないらしいけれど。
◇
「──え、これ事実なの?」
件の令息が誤って海賊船に乗り込んで、成り行きで海賊になった報告を聞き、第三王子は面食らった。
「……彼には働き口を用意していたんだけどねえ」
そう溜息を零して肘をつく。
様々な理由で貴族籍を抜かれる者は稀にだがいる。
そこから都合の良い人材を拾い上げ、王家の影に仕立てる事もまた、稀にだがあった。
彼を影にと推したのは王妃だ。
恐らくその存在を一番煩わしく思っていた人だったが、思うところもあったのだろう。この顛末は不憫に思ったようだった。
市井で落ちぶれるよりは、という計らいだったらしいが、果たしてそこに救いがあったかは分からない。
(まあ、結局海賊になっちゃったしね……信じられない事に……)
流石に王妃の甥が海賊とか笑えない。
行方知れずとして事実は隠蔽するが、まあ気にする者は誰もいないだろう。……そもそも放逐された者の行く末を、知る事なんて皆無だ。
「……ほんっと、変わった従兄だったなあ」
権力に固執する父親からは義務を、姉へコンプレックスを抱いた母親からは、愛情を説かれて育った歪な存在。
けれどここは常にそんな危うい場所だ。
誰でも、いつでもおかしくなる可能性がある。
義務と権利を履き違えたまま権力を揮えば、振り下ろした刃は自身にめりこむ。
そんなキナ臭いものを突き止める影の存在は、一度その身を死地に晒した者、或いは全てを失った者の方が適性が上がる。
「……まあ、残念だけど」
第三王子は受け取った書類を蝋燭に焚べた。
端から燃え上がり、やがて灰になったそれを指から払い、拭う。
それを合図に控えていた影もまた、音もなくその場を去っていった。
「幸せなんて、人それぞれだよね」
そんな言葉を彼らへの餞として。その残像を振り払うように椅子に背を預け、大きく伸びをした。
二人の結末として、「海賊エンド」と「影エンド」と書いてみたのですが、「影エンド暗い〜。こりゃ最終話には向かん!」という事で。しかし海賊エンドは書く事が少なくて、短くなってしまいました。
まあ、おまけなので。はい。
……余談ではありますが、伯爵は自分の所業を悔いて、残りの人生は妻と向き合い、二人で人知れず息子の行方を追った……みたいのが影エンドの最後(だったかな)でした。伯爵家は遠縁の養子を迎える事になりますが、醜聞を抱え低迷状態になります。(やっぱ暗い)
海賊エンドには書いておりませんが、伯爵のその後の行動や状況は大体同じとなっております。
と、いう訳で。
今度こそ完結に漕ぎ着けたのではないか? と一息ついているところでございます。
本編より番外編とかの方が長くなってしまいましたが……これもまあ、ご愛嬌という事で(?)
そしてありがたい事に、今作は自作の中で一番読んで頂いた作品となりました。
これはもう嬉しいやら身が引き締まる思いやらと様々で。良い経験をありがとうございました。
そして最後までお付き合い頂いた皆様、本当にありがとうございます。読者の皆様はつくづく書き手のモチベーションだなあと改めて思いました。
こちらはこれにて閉幕となりますが、そのうちまた何か書き出すと思いますので。その際はお付き合い頂けると嬉しいです。良い作品を書けるように頑張りますね。
それではまたお会い出来る日を願って。
それまでお元気でヽ(*´∀`)




