レイモンド 後編
侯爵令息に手酷く振られ、コリンナは学園で孤立していた。
相手が高位貴族であったが故。長いものに巻かれる形で友人と呼べる者からも軒並み距離を置かれてしまったのだ。
令息の連ねた理由はコリンナを悪し様に言うものばかりだったが、裏を返せば全て浮気で片付けられる。
それをさも自分が被害者であるように大弁を振るえば、引きずられるように同意の声が上がった。
元々コリンナは弁の立つ方ではない。
ララート伯爵家で受けた淑女教育も、男性に付き従うだけの貞淑さを求められたもの。守る相手も得ないままに、こうした悪意に晒されてしまい、コリンナは何もできなかった。
誰の目にも留まらないまま。
一人俯く学園生活は耐え難く、何度退学を申し出ようかと悩み続けていた。
「何をしているんだ」
そう声を掛けられてコリンナは肩を跳ねさせた。
何か、人に見咎められるような事をしただろうか。そんな恐怖に恐る恐る振り向けば、不機嫌そうな男子生徒が立っている。
流れる金髪を緩く結び肩から流し、宝石のようにくすみない真っ青な瞳がこちらを見ていた。
青年の気配をひと匙垂らしたような面差しは、凛々しくもどこか中性的な顔立ちだった。
「あ、あの……私、何か……」
「君のクラスに紳士はいないのか」
そう言うが早いか、コリンナが腕に抱えていた教材を素早く取り上げた。
それは日直当番に言い渡された仕事だった。
けれど孤立していたコリンナと行動を共にしたくない、もう一人は役割から逃げてしまったのだ。
「あの……」
「令嬢一人に荷物を抱えさせて、そいつらは何を考えているんだ?」
そうコリンナに向けて放った苛立ちは、けれどコリンナを見過ごした男子生徒たちに向けて放たれている。綺麗な青の瞳が燃えるような熱を帯び、怒りを示しているようだった。
答えられないコリンナに溜息を一つ吐き、男子生徒──アロット伯爵令息、レイモンドは歩き出した。
「この教材はジェシル教諭の言いつけか。資料室に運べばいいのだろう?」
「あ、あの。はい……そうです……」
それだけ言いスタスタと歩き出してしまうレイモンドを、コリンナは戸惑いながらも着いていった。自分が託された教材を、そのまま彼に全て任せる訳にはいかない。
レイモンドの事は知っていた。
アロット伯爵家といえば旧家で名門。その彼に取り入りたい人間は入学当初から多くいた。
……しかし彼は取り入りにくい人物であった。
おだてや挑発にも乗らず、持論の中で生きているとでも言うべきか。少し古風な思想に染まっているところもあり、堅物という表現が相応しいのかもしれない。
とっつきにくいとも違う。友好的でないとは言わないが、誰かに傾倒するとか、懐に入れるような事もしない。
やがて彼へ取り入るのを諦めた者たちが多数。遠巻きに様子を窺う、そんな存在となった。
……なんというか、自分とは違う理由で孤立している、とでも言うのか。しかし本人は気にしている風でもない……というより気付いていないのかもしれないようで。一緒、と言われると微妙な気分になる人物だった。
「ここでいいのか」
資料室に荷物を置き、レイモンドはコリンナに向き直った。
「あ、はい。大丈夫、です。……あの、手伝って頂いてありがとうございました。……あと、すみませんでした」
頭を下げるコリンナにレイモンドは訝しげに眉を顰めた。
「何故君が謝るんだ」
それを見たコリンナの喉が引き攣った。
誰かと学園で話したのはどれくらいぶりだろう。いくらレイモンドが他者に頓着しない人間であっても、自分の悪評くらいは聞いた事がある筈だ。
それを知っても尚同じように接してくれるか分からない。由緒正しい貴族の嫡男なのだ。
けれど言いたく無いのに、コリンナの喉は本人の意思を無視して声を発した。
「私が……悪いからです」
本当は違うと思っていても、結局そうなのだという思いが頭をもたげ、重くする。
「暗くて、地味だから……」
癖のあるくすんだ赤毛は纏まらず広がってしまい、全体的に暗い印象を与える。どこにでもあるヘーゼルの瞳は凡庸で、顔立ちだって印象に残るようなものでもない。
もっと自分が闊達だったら、美人であったら。
婚約者は浮気なんてしなかった。
仕方がないと、彼が周りの同情や同意を集める事も無かったのだ。
言葉と共に溢れるように、コリンナの瞳からみるみる涙が溢れ出した。
こうして一人でいる事も全て、自分のせいなのだ。そう思うと惨めで悲しくて仕方ない。
目の前のレイモンドが僅かに身じろいだ気配がしたが、コリンナはもう立っていられず、しゃがみ込んで泣き出した。
……どれくらい泣いていたのか。
はたと気が付いたのは頭の中にある雑踏を涙と共に洗い流して。ようやっと落ち着きを取り戻した頃だった。
屈んだままの視線の先に靴がある。
驚きに顔を上げれば、その勢いに驚いたらしいレイモンドの引き攣った顔が見下ろしていた。
「あ、……落ち着いた、か……?」
「は……私……」
思わず自分の顔を触る。
絶対に綺麗に泣けてなんていない。ぐしゃぐしゃの顔を、何の関わりもない男子生徒に見られてしまった。それ以前に泣きじゃくる姿はどう思われたのか。
泣いていくらか落ち着いた気持ちが、今度は羞恥に震え心臓が妙な音を立て始める。
「あー、君が誰か、さっき気が付いた」
けれどそんな焦りはその一言で吹き飛んだ。
ゆっくりと顔を向けるコリンナを、レイモンドは静かな眼差しで見据えた。
「不当だな」
「……え」
真っ直ぐに告げるレイモンドにコリンナは口を開けて固まった。
「私が聞いた話は人伝のものだが、どう聞いても君は悪くない。何故責められなければならないのか、私には分からなかった。正規の手続きで婚約を解消すればいい話を、令息がややこしくしただけではないのか? 私には彼らが学園の風紀を乱しただけとしか見えなかったが」
目を見開くコリンナに不思議そうに首を傾げ、レイモンドは続ける。
「なのに何故君はそんなに落ち込んでいるのか、私にはそれも分からない。毅然としていればいいものを、背を丸めて歩く必要がどこにある? ……私が言うのも何だが、そんな不幸を背負ったような顔をしていては、君を悪く思っていない者たちがいても、声を掛けにくいだろう」
「……」
それだけ言って、レイモンドは綺麗に畳まれたハンカチをコリンナに差し出した。
「あんなやり方がこの先も通用する筈がないからな、令息はいずれ痛い目を見るだろう。それより、今の君が自分が望むべく姿でないのは、何より自身の態度に問題があるからだ。恥ずかしい事が何もないなら、背筋を伸ばし前を見るべきだ」
他人事のようで、核心を突いた答え。
コリンナは込み上げる何かを抑え、ハンカチを握りしめた。
シトラス系の香りがツンと鼻に響く。
「……それで、変わるのでしょうか」
ぽつりと零した言葉に、レイモンドは請け負うように笑った。
「変わる。君の行動の変化を見てる者も、気付く者も必ずいる」
受け取ったハンカチを口元に押し当て、コリンナは再び瞳を潤ませた。涙が再び頬を伝う。
けれどそれは、先程泣いたような理由ではない。
「ありがとう、ございます」
自分が悪いんじゃないと、そう思っていても辛かった。
だからレイモンドにそう言われ、誰かに心を包まれて。コリンナはやっと、息を吹き返す事が出来たのだ。
(……そんな事が……あったような)
コリンナの話を聞き、レイモンドは僅かに面食らっていた。
学園一年生、十四歳の時だ。
かれこれもう、六年も前の話である。
そもそもレイモンドはあまり他者に関心を示さなかった。特に低学年の頃は、由緒正しい伯爵家の令息であるべく、そう振る舞うだけで精一杯だった。
在園中に騒ぎはポツポツとあった。ただどれも目のつきにくい場所だったし。確かに揉め事に発展した事もあったけれど……その度にあれこれ言う人の言葉を、レイモンドは真に受けず、自らの基準に従い行動した。
そもそもどちらかに肩入れする程仲の良い相手などいなかったし、レイモンドがそう振る舞うだけで、それに倣う者もゼロではなかった。コリンナに対しても、信念に則った行動の一つでしかない。
「アロット令息の視界に私が入っていない事は存じておりました。ですが、どうしてもお礼を言いたくて……つい無理を言ってしまいました」
そう何かを飲み込むように笑うコリンナを見てレイモンドは呟いた。
「まるで今日が最後のようですね」
はっと息を詰めるコリンナは一度目を閉じて、吐き出すように笑みを零した。
「実はもういい加減、結婚しないといけませんの。あれから良いご縁がありませんでしたから、母方の叔母から隣国で縁を繋いで下さると申し出て頂きまして……こちらの社交界も気まずいですし、祖国を離れる不安はありますが、そろそろ潮時かな、と」
諦めよりも悪戯がバレた子供のような口調で、コリンナは明るく話す。けれどその瞳には一抹の不安が宿っていて、僅かな意地らしさが垣間見えた。
「……私は父に縁談だと聞いていたのですよ」
そう息を吐き出しながら、レイモンドの頭では父が笑っていた。
自分を未熟者と断じる父。
けれど、多分……
コリンナがぱちりと目を瞬いている。
その顔をじっと見て、見ていなかった事に気がついた。
(──今まで私が見ていたのは、教師の並べた理想)
アロット伯爵令息としての器。
個ではない。
レイモンドは誰も見ていなかった。
ただこうあるべきと理屈を並べて生きてきただけ。
だから シェイドやクライドの姿を見て困惑していたのだ。……家の結びつきで得る伴侶は、生身の人間。それがレイモンドの頭から欠落していた。
だから覚えていないのだ。記憶、思い出。十代の多感と言われる時期でさえ、その全てがどこか希薄で、思い入れすらない。
レイモンドは苦笑した。
(本当に寂しいのは、私の方だったのだな)
父は見抜いていた。
そしてレイモンドが自ら気付く事を待っていた。
……多分、貴族の義務に縛られるだけでなく、自ら幸せを見出し、掴んで欲しかったから。
「コリンナ嬢、覚えておらず申し訳ない。ですがどうか隣国行きはこの縁談が纏まらなかったらにして頂けませんか? 私たちはまだ、今日顔を合わせたばかりでしょう?」
そう問えばコリンナは目を丸くした。
「……あの、ですが……その。……アロット令息は、私など……」
「確かに在園中の記憶は殆どありません。でも、今あなたが私の事を語ってくれた事……嬉しかったです。恥ずかしながら私は友人が少ないですから。そんな風に覚えていて下さって感動しました。ありがとうございます」
そう微笑めば何故がコリンナは真っ赤になってしまった。
よく分からないレイモンドはそのまま続けた。
「だから、今度はあなたの話を聞かせて下さいませんか。在園中の事も、それ以前も。……卒業してからも。……はは、私たちは暫く話題に事欠かなそうですね」
ついおかしくなって笑ってしまう。
こんな簡単な事に気付いていなかったなんて。
何故いつまでも未熟者で、妹から残念な眼差しで見られていたのか。
本当に大事なものは、家ではなく、それを守る人なのだから。
「う、わ、……私で良ければ……」
「ありがとうございます」
レイモンドはコリンナに向けて手を差し出した。
この縁が確かなものになるかは分からない。
けれど、自分の一部をずっと大事に抱いていてくれた人に、心を砕きたい。今はただ、そう思った。
「少し歩きませんか」
「あ、は……はい」
顔を赤らめ戸惑うコリンナの手をそっと取り、レイモンドは庭園へ向けてゆっくりと歩き出した。
半人前が一人前になるお話。
このお話は本編の少し後の話です。




