11.
「アリサ嬢はご無事でしたか……」
「うん、良かったよ。彼女が無事で」
そう言いながら大事な婚約者をベッドに横たえ、クライドはリビーヨ侯爵へ向き直った。
「それで奥方の方は大丈夫?」
「……」
その問いかけに侯爵は項垂れた。
「……無事ですが、もう一緒にはいられないでしょう」
その言葉にクライドは鼻白んだ。
結局は彼も貴族だ。例え愛しい妻だろうと、家が醜聞に巻き込まれるならば切り捨てる。
(まあ。やらかした内容から、醜聞じゃ済まないけどね)
そもそもクライドは元からこの男が気に入らなかった。主にアリサが好意を寄せていたと知ってからだが。
彼女が向けていたのは親愛や敬愛の情かもしれない。それでも面白くない。他者との関わりを拒むアリサにとって、その感情がどれ程特別か、クライドにはよく分かっていたから。
クライドにはナナミの良さは分からない。
だからアリサが感じる劣等感に寄り添えない。
女性の目から見ると派手なドレスを着こなす豊満な身体は羨ましいものなのだろうか。そんなものは心が伴わなければ煩わしいとしか思わないが。
そもそもクライドの周りには着飾った花たちが多く群がる。皆目立つように明るく華やかに、白粉と香水で匂いはキツくて目眩がするし気分も悪くなる。……やはり良く分からない。色気以前に品性を感じないだけだ。
だから目の前の男の落胆も分からない。
何故彼女を選んだのかも。
人の心なんて分からない。だから結局クライドは自分のやりたいようにやると決めている。その結果がどうであれ全て、自分のものなのだから。
クライドの執務室にアリサの部屋付きのメイドが駆け込んできて、ナナミの訪問を報告してきた。
アリサの周りの人間で、手渡していたブラックリストのナンバーワンだ。
彼女についてはフィリアからも釘を刺されていたし、いつか処分しようと思っていたのだが、今日がその時かもしれない。
クライドは謁見の終わったリビーヨ侯爵宛に義兄弟となる挨拶文と、お茶の誘いを認めた。
急ではあるが、安易に断るような人物ではない。例え都合がつかないとしても、直接断りに来るくらいするだろう。それで充分だ。
しかしアリサの部屋に着くと、想像以上の惨事が待っていた。
アリサの姉ナナミは媚薬と勘違いをし、なんと麻薬を購入しており、それを部屋に焚き染めていたのだ。
部屋に着いたクライドが甘ったるい香りに顔を顰めると、ナナミは焦点の定まらない顔でドレスをはだけさせていた。……正直ホラーだった。
何から突っ込めばいいのか分からないが、麻薬の購入、摂取、更に王族に使おうとしたのだ。罪は免れない。
(本来なら処刑だけど、信じられない事にアリサの姉だからね)
箝口令はしいたものの、結果リビーヨ侯爵は離縁を決めた。
それでも妻の監督不行き届きでペナルティを受けて貰うが。
そして、重要な離縁がもう一つ。
王族の婚約者のスケジュールを迂闊に漏らし、王族をも危険に晒した──ミレイ侯爵夫人も侯爵から離縁を申し渡された。
流石、目端の利かない人物だと感心しつつも、クライドは侯爵の判断を後押しした。
夫人はナナミと二人、実家の領地に厄介者として身を寄せる事になる。
(まあ、実際はそんな生優しいものでは済まないけどね)
罪人になられると面倒というだけで、名目上は病人だが扱いは相応のものだ。
(あの母親も可愛い我が子をどこまで庇えるものだかな)
保身の為にアリサと同じように切り捨てるのか、唯一残った自分のものを守り抜くのか。クライドには分からないしどうでもいい。自分は優しい人間などではないのだから。
ついでとばかりにクライドはミレイ侯爵にも引退を促した。妻と娘が立て続けに離縁となったのだ。大事にしたくないだろう、と暗に脅し、荷物よろしくどかしてやった。クライドは彼もどうでもいい。ただ居心地のよい思いをさせるつもりはないけれど。
アリサの弟である次期当主は未成年だ。婚約者の実家の支援を盾に、クライドは侯爵家の後継人を自ら選んだ。
(……これでもう、あの家に染みついた古臭い妄執は全て払拭される)
クライドは満足気に微笑んだ。
幼いアリサが泣き暮らした家は、もうどこにもない。
◇
「……殿下」
「ん?」
申し訳無さそうに見上げる婚約者にクライドは顔を蕩けさせた。
「……やはり私が婚約者では殿下にご迷惑がかかります」
何度かあったやりとりではあるが、アリサの迷いは晴れない。そしてクライドはいつも通りの答えを返してくる。
「駄目」
「……」
目障りだった家族が軒並みいなくなり、アリサとしては清々した。しかし王族の婚約者としては、そういう訳にはいかない。
「言った筈だよ? 私の不貞以外の破談は認めないと」
ひらひらと誓約書を振るクライドにアリサは口元を引き締めた。
「それはそうですが、この状態はあまりにも殿下にとって不名誉です。それにこんなのは例えの中に無かったといいますか……流石に予測不能ですよ!」
主に姉の馬鹿さが、ではあるが。
しかしそんなアリサの毎度の主張にも、クライドは全く興味が無さそうだ。
「まあ確かに、王族の前例にはないけどね。私はもうじき臣籍降下するのだから、気にしなくていいよ」
「……もうじき?」
クライドの発言にアリサは首を傾げる。
クライドが臣下に下るのは婚姻と同時ではなかったか。
目を瞬かせるアリサにクライドはにっこりと笑った。
「ウィンガム兄上と一緒に行うよ。コンラッド兄上の婚姻式でね」
「……それは」
継承権云々は置いておき、なかなか思い切った事と思う。しかし……
「兄上がやらかしたからね。性別は分からないけど、今後を考えれば一人だけって事はないだろうから問題ない」
──後継に問題がない。
「……」
以前、フィリアが念を押していた事を思い出す。
(……王太子殿下、あなた完璧主義じゃなかったんですか……)
アリサは遠い眼差しで義姉となるローデを案じた。
「アリサ」
急に変わった声音に顔を上げれば、真剣な眼差しのクライドと視線がぶつかった。
「何でしょうか?」
「好きだよ」
「はい?」
唐突に飛んできた台詞に、アリサは目を丸くした。
「今ならちゃんと聞こえる?」
「何を、言って……」
言い掛けてアリサは口を噤んだ。
長年の習慣で、相手から向けられた、その真意を探る。
そしてクライドから言って欲しかった言葉をしっかりと聞いて、自分の顔が耳まで熱くなるのを感じた。
(不思議だわ)
もし、望んだあの時に言われていたら、きっと今とは違い、頭だけで受け止めた。
でも今は違う。アリサの中にクライドへの気持ちが芽生え、はっきりと自覚しているからだ。
そんなアリサに、クライドは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「私が君に婚約したい、好きだからと言ったら、君は人心掌握の言葉だと受け取ったろうね」
「……それは」
そう言ってアリサの頬を指先で撫でながら、違うからねと付け加える。
「なんてったって君は頭が回るけど、自分の事に関しては曲解して解釈するし、自己評価は高いくせに変なところで低いから、どっちの方向に打てば響くのかサッパリ分からなくて随分と悩んだよ」
「……褒めてませんよね、それ」
というか本人を前にして、切実に愚痴るなんて如何なものか。頬を擽るクライドにムスッと顔を顰めてやると、何故かクライドは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「どんな言葉なら、或いは態度なら伝わるかと悩んだけれど。私が君の為に出来る一番の事は、君を歪ませた原因やしがらみを叩き壊す事しかないと思ってね」
「……」
普通はそうならないと思う。
「君の心を揺さぶるにはそれが最良だと思ったんだ」
なんでそうなる。
この人が王太子じゃなくて本当に良かったと、アリサはひっそりと神に感謝した。
でも……
「ねえ、それで。私の気持ちは少しは伝わったかな?」
「えっ」
アリサは間近にあるクライドの顔を改めてじっと見た。
(……慰謝料、九割)
最初に浮かんだのがそれで、自分も相当現金な女だなと苦笑する。
「そうですね、重い。という事はよく分かりました」
「え、そうかな? 普通じゃない?」
不思議そうに首を傾げるクライドの頬を、アリサは両手で包んだ。クライドの目が驚きに見開かれる。
「あと、あなたの気持ちよりも私のものを優先させてもよろしいですか? 好きです殿下。ずっとお慕いしていました」
クライドの表情の違いを素直に受け止め、アリサも自分の気持ちを真っ直ぐに口にする。
(確かに揺さぶられましたよ、殿下!)
クライドがアリサを囲った壁を叩き壊したからこそ、アリサは揺らぎ、違う価値観が芽生えたから。
そんな思いを口にして、アリサは恥じらいを隠すべくにっこりと笑った。
クライドは目をぱちくりと瞬いた後で、その顔はボン! と音を立てて真っ赤に染まってしまった。
(あら、新種のトマトみたい。可愛いわ)
「ふふ、美味しそうですね」
にっこりとしてやると、クライドは悔しそうに口元を腕で隠した。
「アリサ……っ、君、絶対に覚悟しとけよ!」
そんな顔で凄まれても説得力なんて無いけれど。
笑いながら、ふとアリサは自分が好きになった相手を信じたいと、目を細めた。
(人に心を預けるって、こんなに心地が軽くなるのね)
先の事はどうなるか分からないけれど……
(お金より、この人がいい)
「ふぐ!?」
アリサは少し距離を取ったクライドに両手を広げて抱きついた。
「大丈夫です。趣味が悪いのは分かってますから!」
クライドの身体全体が緊張で強張り、躊躇った両手が恐る恐る背中に回された。
「……くそ、複雑だな……」
そんなクライドの様子におかしさが込み上げる。
何でも好き勝手やってきたこの男が、自分の事となると慎重で遠回しで、けれど大胆な行動をとっている。
好きな相手にそれをされて、喜ばない女なんていない。
確かにやり方は悪かったかもしれないが、頑なな自分には必要だった。クライドはそれをやってまで自分に手を伸ばしてくれたのだ。嬉しくて、アリサは笑みを深めた。
「まあでも私以外にこんな優良物件はいないという事か」
──こんなのが何人もいてたまるか。
内心でツッコミを入れつつ、確かにこんな人はいないだろうと納得する。
(でも好き、大事にしたい)
そんなアリサの気持ちを見透かしたようにクライドの腕がアリサを強く抱きしめた。
「アリサ、好きだよ。これから毎日言うから、私の傍から離れないで」
どこか切実な思いが篭った台詞に目を閉じる。
「はい」
そしてアリサはクライドの隣にいる為に、きちんと努力もしなくてはと、密かに誓ったのだった。
※ 次回クライド編、最終話です




