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07. ※ リマ


 夫と子供を亡くし、リマは呆然と座り込んだ。

 うつる病だから亡骸に縋る事も許されない。

 愛しい夫も、まだ幼い子供たちも、触る事なく火にくべられた。

 袋からはみ出した息子の手が、ぶらりと火に落ち赤く灯る。

 何も出来ないまま近づく事も出来ず、リマはその場で泣き崩れた。



 無事で良かったと、あなただけでも生きなさいと同じ職場で働く仲間が励ましていたが、リマの心には届かなかった。魂が抜けたように動けない日々。


 やがて医師がリマに罹患の可能性があると雇い主に告げた。


 リマは身一つで追い出された。

 働く気力が無い女を甘やかす気は無かったのだろう。こんな状態で放り出す主人に怒りを見せる者たちにも、リマは何の反応も示さなかった。


「こんな様じゃ死んじゃうよ……」


 誰かが零したそんな言葉に意識が浮上する。


 リマは死にたかった。

 家族の元に行きたかった。

 けれど情けなくも命を手放す勇気は持てず、気付けばリマは駆け出していた。当てなどなくていい。ただどこかで野垂れ死ぬ自分を思い描いていた。


 けれど雷雨に遭っても、崖から転がり落ちても。リマは生きていた。

 やがてしぶとく生き残る我が身への憎しみが勝ち、リマは走りくる馬車に身を投げた。それがレーゼント侯爵家のものだった。

 

 

 ◇



 ズダボロのリマを見て、レーゼント侯爵夫人は顔を顰めた。けれど人の目を気にしてリマを連れて帰る事にしたのだ。

 そこでリマを拾い上げたのが屋敷の侍女長だった。


「……夫人は若い乳母を嫌ってらっしゃるから、お前なら丁度いいのではないかしら」

 リマの事情を聞いた侍女長はそう結論づけた。

 そこには一抹の同情と、適切な人材を見つけた安堵が垣間見える。

(侯爵家? 乳母?)

 何故ここにいる事が決まったのか、リマの理解が追いつかないままに話が進む。


 後から知った事だが、この家の主人は色狂いらしい。だから美しいだけでなく、年若いというだけで夫人は敬遠していた。

 年いった見窄(みすぼ)らしいリマなら間違いはない。そんな理由だったけど、夫人はリマを受け入れた。医師の診察をきっちりと受けるようにといいつけて。


 リマは改めて同じ母親の目で夫人を見た。

 だから、かもしれない。この二人の子供を置いて出て行く事は出来ないと、そう思った。


 

 

 ひと月後、リマは子供部屋へ通された。

 産まれる前から雇われていた乳母は既に解雇されているそうだ。子供が産まれてまだ四ヶ月しか経っていないのに……

 

 部屋の中央に用意されたベビーベッドの上を、からからとメリースタンドが回っている。

 

 そこに眠る小さな赤子。


「ベリンダお嬢様です」


 侍女長の声にリマは顔を上げた。

 真っ白な産着に包まれて、赤ん坊はすやすやと眠っている。


 リマは吸い込まれるように足を進め、手を伸ばした。


「ああ……」

 小さな身体から溢れる生命力を感じる。

 ふっくらとした頬は赤く柔らかそうで。まだ歯のない口は乳を夢に見ているのかムニムニと動いている。握りしめた小さな手は今にも壊れそうに──


 リマは火に包まれた息子の手を思い出した。

 火の中で力なく滑り落ちた子供の手。

 二度と取る事が出来なかったあの手に縋るように膝をつき、リマは赤子の手を両手で包み込んだ。


「ベリンダ、様……」


 生きよう。


 まるで命を分け与えられたように──

 溢れる気持ちと共に活力が漲ってきた。


 この手をずっと守っていこう。

 小さな手を額に寄せ、リマは涙を零した。

 その背を侍女長が優しく撫でる。


(私に何があっても……)


 この命が尽きるまで──

  

 

 ◇



 必ず守るとそう誓ったのに、足を不自由にしてベリンダを近くで見守る事は出来なかった。

 

 元々平民出身のリマは、いつでも替えの利く存在だったけれど……


 面倒見の良い侍女長から、最低限の礼儀は学んだ。けれど侯爵夫妻がリマの存在をどこまで許すかは、元々綱渡りだと思っていた。クビを言い渡されるよりはマシかもしれない。


 まだ、たった八歳のベリンダ。

 せめてベリンダが成人するまで、結婚するまで──

 彼女の幸せに輝く笑顔を見るまで、リマには彼女から遠く離れる事はできなかった。

 

 

 領地は厳しい場所だったけれど。仕事の合間に読むベリンダからの手紙に、リマはいつも励まされる。

 

『リマ、私第一王子殿下の婚約者候補になったのよ!』


「まあ!」


 手紙を片手に、リマは驚きの声を上げた。

 震える手で口元を押さえて感嘆の溜息を吐く。

 あれから一目も会えていないけれど、昔から愛らしかったベリンダは、それはもう美しく成長している事だろう。


 誰よりも幸せで美しい花嫁に……


 いずれくる未来に目元を滲ませ、リマは手紙を優しく撫でた。

 


 ◇



 それをおかしいと思い始めたのはいつ頃だったろうか。

 第一王子との婚約が成らず、第二王子との縁談が持ち上がり、それもまた立ち消えになって──流石にリマも王子たちに見る目が無いから、だけではないように思った。


(貴族というのは十代で結婚するのが一般的だという……)


 それなのにもうすぐベリンダは二十歳になる。

 それなのに今度は第三王子の婚約者候補になったと認めてあった。


「……」


 ベリンダの文面は明るかった。

 だからリマもずっと幸せな気分でいたのだが……自分はとても大切な事を見落としているのではないかと、胸が騒ぐ。


 王都に行こう。


 ベリンダに会いに行こう。


 やがてそう決意した頃、かつて自分を世話してくれた侍女長が領地へ訪れた。



「お久しぶりです、エルミー侍女長」


 頭を下げるリマに、エルミーは人払いをしてから教えてくれた。


 ベリンダは──


 ベリンダが──



「そんな……」


 聞くにつれて目を回しそうになる信じられない話に、リマは足をもつれさせた。


「……私ももう定年ですから、あの家に深入りするのが怖かったの。だけど……全て見ないフリをしてもいいものか、最近分からなくなってしまった……」


「どうして! どうして誰もお嬢様に寄り添ってあげてくれなかったんです?! きっとそれだけでベリンダ様は間違える事なんて無かったのに!」


 叫ぶリマにエルミーは厳しい眼差しを向けた。

「……口を慎みなさいリマ。私たちは所詮、しがない一使用人にすぎない。雇い主への諫言は己の首を差し出すのと同義です。……そこまでしても受け入れられる保障のない、ね」


 他人の為に自分の人生を掛けられるか。

 きっと家族がいた頃のリマも、同じように目を背けただろう。


「お嬢様……」


 リマは項垂れた。

 ただ浮かれて……ベリンダの手紙を勝手に心の拠り所にしていた。自分に呆れてものも言えない。

 彼女はどんな思いであの手紙を綴っていたのだろう。


 ──いや、落ち込んでいる場合ではない。ベリンダを助けなければ。

 ぎゅっと拳を作るリマを目に留め、エルミーはベリンダの嫁ぎ先を教えてくれた。


「私に出来るのはここまでです」

「いいえ。エルミー侍女長、ありがとうございます。あとは私が何とかします」

 今迄ベリンダに守られてきたこの命、今こそ使いどきがきたのだ。そう決意するリマに、エルミーの瞳がきらりと光る。


「間違えてはいけませんよ」

 かつての指導者の台詞に、リマはぴくりと反応した。


「あなたはお嬢様にとって掛け替えのない存在です。だからあなたは……あなただけは、決してお嬢様を悲しませてはいけません」


 私が言える立場ではありませんが。そう自嘲するように締め括り、エルミーは去って行った。

 行き先は知らない。

 けれど侯爵家を退職すると言っていた彼女の帰り先は、きっと王都ではないのだろう。

 リマはふと、エルミーの歳を数えようとして……止めた。

 それが彼女の決断だというのなら、リマに何を言う資格などない。

 

 リマは深く頭を下げ、去って行った元上司に感謝の念を伝えた。



 ◇



 もし辺境伯がベリンダを傷付けるような相手だったら、何としても逃さなければならない。

(……修道院)

 それが最善とは思えなかったが、ベリンダに行き場が無くなってしまったら困る。彼女の為に出来るだけ快適に過ごせる場所を探した。

 院長に何度も頭を下げ頼み込んで、必死に自分の思いを伝えてきた。


 少ない自分の持ち物の、目立つ場所に手紙を忍ばせる。

(お嬢様はきっと、見てくれる)

 

 しかし領地で忙しなく働くリマに、そんな時間は勿論無かった。

 だから自分から辞意を伝え、その知らせが侯爵家に届く前に、全てを準備しレーゼント家へ乗り込んだのだ。


 老体に鞭を打ったがやりきった。

 侯爵の言う通り、今迄主人に寄りかかり、甘えてきた分の奉仕だと思えばなんて事はない。


 頭を床に擦り付け、リマは只管ベリンダの未来を願った。


※ 次回ベリンダ編、最終話です

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