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06.


「私は妻と死別したのではない、式当日に逃げられたのだ」


 ソファに二人並び、ヘルマンは気分転換にとワインを開けてくれた。

 グラスの中で揺らしたそれを口にして、聞いた話にベリンダは噴き出しそうになった。


「何故……」


 そんな事は自分が知りたいだろうヘルマンは、それでもベリンダに苦笑しながら答えてくれた。


「私の顔が怖かったのだそうだ。置き手紙にそう書いてあった」

「……お顔、ですか」


 ベリンダは改めてヘルマンの顔を見る。

 確かに甘やかな魅力のある顔ではない。けれど厳つい訳ではなく、凛々しい面立ちである。今ですら若々しく感じるのだから、二十年も前なら……もしかして研ぎ澄まされた刃のような危うさでもあったのかもしれない。


(それはそれで需要がありそうな気もするけれど……)

 怖い、という意味が分からない。

 ただ、切長の眼差しが温度を感じないアイスブルーだから。そんな風に見えるのかもしれない。

 

 まあつまり、決して不快ではない。単にその元妻の好みの問題だろうと、ベリンダはそう結論付けた。


「見る目の無い女ですわね」


 ふん、と吐き捨てるベリンダに今度はヘルマンが目を丸くした。それから遠慮なく噴き出し、肩を震わせている。そんなヘルマンの反応に慣れないベリンダは、視線をうろうろと彷徨わせた。


「……失礼。私は自分がそんな目に合うとは思って無かったからね。周りに言われるまま籍を入れ数年後、妻とは死別した事にしたんだ」

「それは……」


 ……辺境の地だからこそ出来たのだろう。

 領地を預かる者が婚姻を誤魔化すなんて、罪に問われても仕方ない。

 それでも……


「探さなかったのですね……」


 元妻の選択を尊重した。

 それに逃亡を暴けば元の妻の家がどう出るかなど想像に難く無い。醜聞を抱えた女の行く末など、ベリンダ自身がよく分かっている。

「悩んだんだが……結局私が追いかけたら迷惑だろうと思った」

「はあ……」


 ……迷惑なのはその女では? とはベリンダに人の事は言えないような気がしたので黙っておく。代わりに疑問に思った事を口にした。


「では私に最初に言ったのは……」

 ヘルマンはびくりと身体を強張らせた。

「私は……今更まっさらな気持ちで結婚に向き合う事など出来ないと……」


 またあの過去と同じ日が来ると思えば、心は自然と頑なになっていった。ならば心根の優しい令嬢を迎えれば良いのだろうけれど、傷つけられた自尊心はそんな可能性など見出せなくて。


「君と彼女が違う人間なのは分かっていたが、その……君の話を聞いて、お互い無関心のまま……いずれ別れる未来を迎える。私の結婚はもうそれで終いだと思ってしまった」

「やけくそですわね」

「あ、ああ……」


 たじろぐヘルマンを他所に、ベリンダの胸にはむかむかと不快な思いが込み上げた。

 過去の、たった一人の女に未だ振り回されているヘルマンに苛立ったし、それが不思議と自分自身の姿に重なって見えたからだ。

 悔しいと思った。


 たった一つに固執して。たった一度に囚われて。

 自分は……自分たちが迷いついたのは、向き合えないままの夫婦の寝室。

 でも本来ならお互いここに立ち入る事もないままに、再び別の方向に彷徨い歩いていくところだった……


(変わりたい……)


 進むべき方向に押し出されるのではなく、自らの意志で歩みたい。


「それに君には好きな相手がいると聞いていたからね」

「は?」


 唐突な呟きにベリンダは間の抜けた声をだした。

 怪訝な顔で自分を凝視するベリンダに、ヘルマンは恐る恐る口を開いた。

「えーと、第三王子殿下の従者の……」

「……」

「…………」

「………………」

「……………………」

「シェイド様かしら」

「長くないか?」


 いや、いいんだけどと一人納得するヘルマンを他所に、ベリンダはシェイドを思い浮かべた。

 何故だか分からないけれど、ベリンダも自分の心の内を全て晒さなければならないように感じた。


 ヘルマンの心の柔らかな部分を聞けて心地よかった。確かに様々な感情が身体を渦巻いたが、今は不思議と胸を満たしている。ならばヘルマンにもそう感じて欲しい。自分と同じ心を持つこの人に。


「シェイド様は……シェイド様を……私は、羨ましかったのだと思います」

 ベリンダは慎重に言葉を探った。

 じっと注がれるヘルマンの眼差しを横に感じながら、ベリンダは自分の膝を注視する。


「あの方は家と距離を置き、自由でした。けれどそれは後ろ盾のない状況ともいえます。それなのに実力だけで王族の側近の地位を勝ち取って、輝いて見えた。私は……この人に美しいと言われたら、誰に認められるよりも価値がある。そう思ったのです。それに……」


 それを恋と呼ぶのかは分からないけれど、執着していたのは確かだ。側近の好感を勝ち取れば、クライドの関心も引けるのではないかと。


 ベリンダには友人と呼べる者がいなかった。

 女性は皆ライバルで敵。例え自分に侍る者だとて気を抜けなかった。だから……

 お互いを認めて価値観を話し合う。そんな理想が胸に沸いた。何故ならシェイドは、傷ついているように見えたから。


 聞きたかった。

 自分に心を開いて欲しかった。

 自分の話も聞いて欲しかった。

 

 自分も寂しかったから。


「私は……話し相手が欲しかったのです。出来れば心の内を話せる相手が……」


 ぽつりと落とす言葉に羞恥が込み上げる。

 ベリンダは下げていた頭を更に落とした。

 

「それが従者だったと」

「……はい」

「そうか……私には、分からないな」

「……」


 だろうなとベリンダは苦笑した。

 共感を得られない事には慣れている。けれど心の内を吐露して言われるその台詞は、思いの外心を抉るものだ。

「……私は、妻とは縁が無かったが、それ以外は恵まれていたんだな」

 だからそう笑うヘルマンに驚き、恐る恐る顔を上げた。

「それなのに君に酷い事をした。すまなかった」

 ベリンダは目を見開いた。

(謝られ、た……?)

 真摯に、切実に。


 冷たいアイスブルーの瞳に憂いが見えて、ベリンダは思わずぐっと喉を鳴らした。

 心からの謝罪を初めて目にし、言葉が出ないどころか頭が働かない。

 ぱくぱくと口を開いては閉じ、けれど口から言葉が出るよりも先に。涙が溢れた。

「う、うわ……うわ──ん!!」


 どばっと飛び出す涙をそのままに、ベリンダは声を上げて泣き出した。やがて躊躇う様子を見せてから、ヘルマンがそっと頭を撫で、身体を抱きしめてくれて。子供の頃以来、ベリンダは初めて誰かに縋り、寄りかかった。


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