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05.


「ええ〜、本当に結婚するんですかあ〜?」


 辺境伯の執務室で。側近のカレルは呆れたような情けない声を出した。

 三十過ぎの男の物言いにしては軽すぎるが、歳の離れた男に仕えていると自然と精神年齢も下がるのだろうか。カレルは妙に子供じみた口調で不満を口にした。


「ああ……持参金が魅力的だな。それに空いてる辺境伯夫人の座に興味を示す輩が後を断たない。いい加減、後継争いの火種になりかねん」

 後継問題については、この年齢になって改めてヘルマンの頭を悩ませていた。亡くした妻を悼む時間が長すぎた自覚はあるが、ヘルマンに子供がいない事もこれに拍車を掛けている。


 ヘルマンの年齢を考えれば、妻となった女が子供を産むだけで、辺境伯を乗っ取る事も可能だ。自分としては最後の仕事は優秀な後継者を見出し育てる事だというのに……


 正直、世襲制は未だ根強い。

 そして自分たちに利が絡むとなれば周辺貴族たちもあさましく動く。

(煩わしい……)

 もう結婚なんてするつもりはないのに。


「またそんな事言って……随分評判が悪い令嬢だそうじゃないですか」

「……だからいいんじゃないか。愛するつもりもない、形だけの妻だ。向こうも田舎貴族の妻など本意ではないだろうしな。ほとぼりが過ぎた頃に出て行ってくれたら尚嬉しい」


 口の端を吊り上げるヘルマンに、カレルは小さく溜息を吐いた。

「閣下には幸せになって欲しいのに……」



 ◇



「俺、スライディング土下座って初めて見ました。……本当にあの人が悪名高い侯爵令嬢なんですか?」

「……普通、令嬢はスライディングも土下座もしないと思うんだが……そもそもそんな事私が知りたい。あの娘は本物なのか?」

 軽く覚えた目眩に頭を押さえるヘルマンに、カレルは微妙な顔で首を横に振った。

「俺が知る訳ないでしょう。閣下は釣書を貰ってるじゃないですか?」

「……釣書なんぞ当てにならないと大して見ていなかったからな」

 美しいとは思ったが釣書である。盛りに盛っているのだろうとあたりをつけた。実物はそれに違わぬ美貌の持ち主だったから余計に驚いたのだけど……


「それに何です、あのお婆ちゃん? ……閣下よく斬りませんでしたね」

「斬るわけないだろう……確かに色々ツッコミたいというか叱りたいが……あの者は私より年上ではなかったか?」

「……そう、ですよね、杖もついてたし。確かに遠慮しちゃいますよね……」


 疑問は尽きない。

 無礼を働いたあの使用人は、どう見てもベリンダの為に行動していた。その不敬をベリンダは頭を下げて謝罪して。噂通りの女だったら考えられない展開である。


「演技……とか」

「そう見えたか?」

「……いえ」


 うーん


 執務室では大の男二人が首を捻っていた。


 一体この辺境領に何が起こったのか。

 


「失礼いたします」

 沈黙を破ったのは執事の扉を叩く音だった。

 入室を許可すると困った顔の彼が佇んでいる。

「どうした?」

「あの……」

 ヘルマンが促せど執事はどうしたもんかという表情を作り言葉を濁す。


「なんだ」

「それがですね、ベリンダ様の乳母の方が……」

「……ここに来ているのか?」

「いえ、そうではなくて……」


 歯切れ悪い執事に顔を顰めると、観念したように口を開いた。

「城内で挨拶回りをされております」

「……」

「……」


 それがどうしたというんだ。という気もするが……

 だが執事と侍女長は既にベリンダに挨拶に行っている。それ以上は必要ないと思っていた。身の回りの世話をする者以外を彼女が気にするとも思えないし、出て行く可能性も捨てきれなかったからだ。


「……あの老人は足が悪いのでは無かったか?」

「はい……それで城を歩き回るものですから使用人たちから気になって仕方がないと……止めてもベリンダ様がお世話になるからと聞かなくて……」

「……」


 辺境領では国境の諍もあり怪我人が多い。彼女の身体を案ずる者は少なくないだろう。

 カレルが肩を竦めた。


「まさかあのお婆ちゃん、間者とか」

「……そう思うか?」

「いえ……」

「……」

 室内に漂う微妙な空気にヘルマンは溜息を吐いた。

「分かった、私が話をしよう。乳母殿をここに連れてきてくれ」

 請け負うヘルマンに執事はホッと息を吐いた。



 ◇



「先程は大変ご無礼を致しました」

 部屋に入るなり床にへばりつくリマに、ヘルマンは慌てて立つように言った。

「そんな事は必要ない」

「そういう訳にはまいりません」

「……」


 一応自分が何をしたかの自覚はあるらしい。

 それを踏まえて辺境伯に殴りかかるとは、豪胆というか強かというか……


「私が話しにくくて仕方がない。カレル、立たせてやってくれ」

「はいはいお婆ちゃん。こっちに座りましょうね」


 カレルに手を引かれ、リマはありがとうございますとソファに腰を掛けた。


「早速だが城内から苦情が届いていてな。お前がやっている挨拶回りは必要ない。ベリンダ嬢の事は私から城内の者にきちんと伝える故……」

 笑顔が素のような顔をした老人は、にこにこと頷いているが、笑っているようには見えなかった。その様にヘルマンはふと言葉を途切れさす。


「──辺境伯様。私はあの時、あなた様に斬り捨てられる覚悟で挑みました」

 唐突に変わる話にヘルマンはぴくりと眉を動かした。

「あれがどれ程の不敬か、いくら私が老人でもそこまでボケてはおりません。……それでもしあなた様が私を斬り捨てるようならば、お嬢様には修道院に行って欲しいと、そう告げるつもりでございました」

 ヘルマンは顔を顰めた。


「……つまりお前は私を試したという事か」

「恐れながらその通りでございます」

 威圧するヘルマンを意に介さず、リマは平然と頭を下げた。……死を覚悟した人間はこうも図太くなれるものなのか。近くでカレルが固唾を飲んでいる。


「あの時のお嬢様を見て、辺境伯様はどう思いましたか?」

「どう、とは……」


 きらりと光るリマの眼差しに、ヘルマンは僅かに動揺した。

 リマの言いたい事は理解できる。

 あの時、彼女は話に聞いていたベリンダという女からは想像も出来ない行動を取った。

 誰かの──しかも使用人の為に、身を挺して頭を下げるとは……正直、意表を突かれた。


 真っ直ぐに向けられるリマの眼差しに居心地の悪さを覚え、ヘルマンは居住まいを正した。


「お前が主人思いなのはよく分かった」

 そしてベリンダがこの使用人に慕われているという事も。

 それは耳にしていた悪評に齟齬を感じるに十分だ。


「ほんの少しでいいんです。どうかお嬢様を辺境伯様自身の目で見てあげて下さい」


 そう頭を下げるリマにヘルマンは何とも言えない気分になった。


 結婚式まで五日ある。

 その間に話す機会くらいあるだろう。

 だからヘルマンは頷いた。

 元より婚姻目的で迎えた花嫁だ。交流に否やは……なくはない。


 それからヘルマンはベリンダの様子を気に掛けた。

 城内の使用人を集めベリンダに手厚くするよう声を掛け回る。

 そんな事をしていれば使用人たちから生温かい眼差しが向けられるようになり。よもやあの老人の思い通りではないのかと、自ら外堀を埋めているように思うのは気のせいか。


 しかし肝心のベリンダは部屋から一歩も出てこない。食事も部屋で取り、散歩もしない。てっきり散財でもされるかと思っていたのに、買い物の手配も全くない。


 会う用事がない……


 そもそもヘルマンとて暇ではない。

 終日、辺境伯としての業務と身体作りに励まなければならない。その間式の手配も侍女長たちと打ち合わせから行い、もともと急に組まれた予定の中、余分な時間は全く無かった。


 じとっ、とリマの眼差しが飛んでくるような気がしたが、多分気のせいだと思う事にして目を背けた。


 決して言い訳ではない。


 迫る日取りにヘルマンが頭を抱える中、走り回る使用人が目に留まった。

 二十年前の結婚式──


 そういえばあの時も同じように城内が慌ただしかった。


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