02.
『別に一人で行けますわ、子供じゃあるまいし』
父の執務室で、母と三人。
顔を合わせて輿入れの話をしていた。
既にベリンダに興味を無くした父は、娘が使用人一人として心を砕かなかったと知り、呆れ嘆いた。
感情のまま泣き叫び、殴られたのは一週間前。
その間潮が引くように自分の周りから人がいなくなる様を、ベリンダは呆然と見ていた。
やがて輿入れ先を見つけ出した父に呼び出され、仔細詰める中で彼は益々苛立っていた。
『そうだな、もう侯爵家がお前に掛ける金などない。……全く、この家を直系以外に明け渡さねばならないとは……』
『外の子を入れるなんて止めて下さいましね』
『ふん、お前こそ。覚えが無い間に私の子を身籠ったなんて言わないでくれよ』
『……』
顔を合わせれば始まる口喧嘩にベリンダは目を伏せた。
話は終わったと、退室してしまおうか。もう誰に気を使う必要もなくなったのだ。不興を気にせずともいいだろう。
『嬢ちゃま、嬢ちゃま!』
けれど遠くから聞こえてきた馴染みある声に、ベリンダの身体が強張った。
杖をつきながら急ぐ足音は聞き慣れないようで、父母は口論を止め変な顔をして扉を見つめている。
『嬢ちゃま!』
やがてバタンと大きな音を立て扉が開き、一人の老婆が飛び込んできた。
『リマ……』
息を切らせて。執事を振り切り乗り込んできたのだろう。後から顔を出した執事が申し訳なさそうな顔を覗かせた。
『なんだ、この婆さんは……』
『旦那様!』
ぽかんとする父の前でリマは突然平伏し、父母は肩をびくりと跳ねさせた。
『ベリンダお嬢様の輿入れに、どうか、どうかこの私をお付け下さいませ!』
『は、はあ……?』
杖を投げ出し床に頭を擦り付けるその様に、父母は視線を合わせ何とも言えない顔をした。
リマは小さな目をぱちぱちと瞬かせ。それからにっこりと笑顔を作った。
「ばあは嬢ちゃまの結婚式には必ず出ますとお約束しておりました」
「……っ」
ふいっと顔を背ける。
「……でも、それであなた……退職金が貰えなくなってしまったじゃない!」
床に蹲るリマを父は冷たい眼差しで見据えた。
『……我が家にこんな役立たずが居着いていたとは知らなかった。どうせ不自由な身体を理由にまともに働いてなどいなかったのだろう。だが最後に役に立ちたいというなら情を掛けてやろう。そもそも乳母は輿入れ先に着いて行くものだからな。丁度良かったじゃないか、ベリンダ。お前の供が決まったぞ』
リマはありがとうございますと何度も口にするが、ベリンダは首を横に振った。
『お、お父様……リマは足が悪いのです。年だってもう……北の地はリマの身体に、よくありません……』
『そんなもの、今迄散々身に余る贅沢をさせてやってきただろう。払い過ぎた対価を返してもらうだけだ。お前も適任者が見つかって良かったじゃないか。この話はもう終いだ』
振り返る事なく立ち去る父母の背を見送り、ベリンダは小さく丸まるリマの背中に手を置いた。
『馬鹿ね……』
あのまま定年まで領地にいれば、満額の退職金に国から毎月の手当も貰えたのに。
下らない。
たかだか自分の付き添いの為に、全てを投げ打ってきたリマに、ベリンダは自身の顔を両手で覆った。
「私は絶対嬢ちゃまの花嫁姿を見るって決めてましたからねえ。なーんも問題ありませんよう」
変わらない笑顔にベリンダは奥歯を噛み締めた。
「馬鹿ね……」
滲みそうな涙を堪え、ベリンダは辺境伯の城を睨みつけた。
◇
御者の手を借り馬車を降り、ベリンダは目の前の城を見上げた。
辺境伯領には自領の兵士も抱えているし、有事の際には領民を避難させる必要もある。
聳え立つように見えるのは堅牢な作りだからだろうか。よく晴れた日差しを背負い、影を落とした色彩がそう見せるのかもしれない。
(白亜の城に住むと思っていたのにね)
見上げるベリンダに低い声が掛かった。
「遠路はるばるご苦労」
迎えというより、迎え撃つような緊張を走らせる一団から一歩前に出て。そう口にしたのは北の辺境伯だろう。正装に包まれ一際目立った容姿をしている。
ヘルマン・ベルリンクス辺境伯──
高い身長、引き締まった体躯。きっちりと撫でつけられた黒髪は、こめかみにグレーが混ざり始めている。年齢を感じさせるのはそれくらいで、若々しく精悍な男だった。
けれど冷たいアイスブルーの瞳はベリンダを冷たく見据えている。
(お父様と同じ……)
「王都を追われ行き着いた先がこことは、良家の令嬢にはさぞ居心地の悪い事だろう。慣れぬなら引き返す事も厭わない。その方がそなたには幸せだろう。手頃な男で手を打ち、身の丈に合った人生を送る事をお勧めする」
「……」
貴族らしく家の利を取る事を優先し、不必要なものは切り捨てる質らしい。
ここは辺境の地。
誰もベリンダが望んで嫁いで来たなどと思っていない。流刑だ。そしてここから出奔したところで誰もが「そうか」で済ますに違いない。
それを咎められる者など誰もいない。きっと、逃げ出したベリンダ以外は……
ふと目を閉じ自嘲気味な笑みを浮かべたところで、辺りにスパーンという音が響いた。
「は? スパーン?」
ぱちりと目を開ければ杖を振り上げたリマが辺境伯を杖で打っていた。
(んな?!)
「な、な、な……? ──何をする!!」
はっと気を取り戻した辺境伯の側近が、慌てて声を張った。
「──あんたは! 遠くから嫁いできたお嫁さんに何て事を言うんだい!」
「え、嘘。何、このお婆ちゃん?!」
ヘルマンの側近らしき男が声をひっくり返した。
辺境伯は驚きながらも腕でリマの杖を受け止めていたが、これは流石に看過できる事態ではない。呆気に取られていた側近も次第に冷静さを取り戻し、リマへ警戒を強めている。
そこでヘルマンが剣に指を添えるのを目に留め、ベリンダは息を飲んだ。
「リマ!」
(駄目よ……!)
何をもなく駆け出して。
「申し訳ございません!」
ベリンダはヘルマンにスライディングで土下座した。
ズザザザザサ(スライディング土下座の効果音)




