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幕間・弐 櫛木小桃乃

※残酷な表現や、流血表現を含みます。苦手な方はご注意下さい。



「起きろ」



 頬に跳ねた冷たい水が、それよりも冷たい声と共に私の目を覚まさせる。

 覚醒してまず感じたのは、刺すような頭の痛み。次いで身体の重さと吐き気。

ぼやけた視界では父の表情は見えないが、その視線が針のように鋭いであろうことは、ピリピリとした空気が物語っている。


「まだ休んで良いとは言っていない」

「……はい」

馬鹿みたいに震える脚で床の木の板を踏み締める。ギィと鳴った板はどこか抵抗するような音にも聞こえた。

ふらつきながらなんとか立ち上がり、右手を構え直す。

「……っ」

疲れや頭痛で満足にできない集中を、無理に掻き集めて目を閉じる。

 イメージするのは父のような圧倒的な力。

嵐の後の川のような、木をも倒す強風のような。

ーーそんな、神術。

「はっ……!」

右目の先に光が灯る。

それは、水でできたボールのようなものに姿を変えた。

「あっ……!」

 やった。と思った瞬間、そのボールは弾けて消えた。パシャン、と虚しく床に水が跳ねた。


 父のため息が部屋の空気を更に下げた気がした。

呼吸の音すら憚られる、そんな時間は父の再度のため息で破られる。

「もう一度」

しかし、もはや私に神術を発動できる体力は残っていなかった。

「できま……せん……」

恐る恐る答えると、返ってきたのはいつもの言葉。

「お前は、櫛木(くしき)に産まれたんだ」

 この言葉は絶対だった。

放っぽり出して逃げることなんて、絶対にできない名前。

櫛木家の威厳を、品格を、名前を守るために、神術が人並みに使えないなんてことは許されない。

 神術は、神様から貰った力だと人は信じている。

その力を受け取った人間が、櫛木の先祖だと言われているのだ。

 だからこそ、神術で他者に櫛木家が遅れをとるわけにはいかない。常に孤高の存在でなくてはならない。と、これは櫛木家の家訓にも似た考えだった。

 なんとかもう一度構えを取るが、その手は常に震えていて、左手で支えていなければすぐにでも落ちてしまいそうだった。

「水の力……いや、この際風の力だけでもよかった。何故二つも……」

父のこのぼやきも、沢山聞いた言葉だった。


 私は、属性を二つ持っている。

一つは水。櫛木家の伝統的な属性で、4つの属性の中で、最強格だと言われている。

 もう一つは風。

母の属性で、水のように最強だと言われることはまずない属性。


 良く言えば私は神の寵愛を人よりも多く受けた。

しかし、それを使いこなすことなんてできなかった。

平たく言えば身に余る。

 水も風も人並みには扱えない。神術を発動しようとすると、二つの属性がごちゃごちゃになってこんがらがってしまう。

 そのせいで神術が不安定だから、体力の消耗も早い。父は私と同じくらいの時、一日中神術の鍛錬をしていたと言っていた。


 私は半日も持たない。


 頭痛と眩暈に常に襲われて、木の休まる時間なんてどこかもなかった。

 髪の色だって、抜け落ちた。元々、私の髪は水色に近い青だった。

 しかし、私が二つ属性を持ち、そのどちらもが中途半端だと家のみんなが知った日。その日からこの父との神術の訓練が始まり、それからどんどん髪の色は白く染まって行く。

 それまで楽しみの一つだった本を読む時間も、鳴く鳥の声と一緒に歌うことも、できなくなった。

 その自由が消えて、代わりに自分が手に入れたものはまるでお婆さんのようなこの髪の色。

鏡や水面にどうしても映るこの姿を見るたびに、私は泣きたい気持ちになる。

「なんで二つも……」

父の嘆くような声は、そのまま私の想いでもあった。

 どうして、私は。

ーーこんな風に、産まれてしまったんだろう。


 無理に神術を発動したら、今度は微風が放たれて、私はついに体を支えていられなくなった。

(水、発動しようと、思ったのに……)

横倒しになった視界を、すっかり白くなった前髪が覆って隠す。

(また……かぁ……)

 覚えがあるこの感覚。

 さしたる抵抗もできず、声も出せずに、私は意識を手放した。


 ある日、父の神術を私は文字通りその身で体感することになる。その日、父は機嫌が悪かった。私が家から抜け出したことに腹を立てているんだと思う。

 その日の昼、家の人の目が離れた一瞬。その時見えた外の景色は魅力的が過ぎた。悪いと分かっていても、走り出す足を止められなかった。

 帰ってきた私を出迎えたのは、額に青筋が浮いた父の姿。

「まだ今日の訓練が終わっていない」

努めていつも通りの声を出しているのだろうけど、怒りが滲むその声は、震えていた。


「ーー!!」

 いつもと同じ暗くて狭い部屋の中、私の周りにだけ存在する水が、呼吸の自由を奪う。

 神術の使い過ぎによる疲れで、まともに動かない体を必死に捩るが、その水自体が意志を持っているように、私を逃がしてはくれない。

「ーーーーー!!!」

助けを求めて、見た父の目は、体を包む水よりも冷たかった。

 視界が暗くなり、手足の感覚が無くなる。

口から最後の空気が漏れて、泡となって消えた。

 また意識を手放す寸前、唐突に全身を包む水が消えた。

「ゲホッ……!ゲホゲホ……!」

 必死になって体内に入ってきた水を吐き出し、酸素を求めて荒い息を繰り返す。

 本当に死んでしまうのではないかと思うほどの、苦しみだった。

 涙で滲む視界の向こう、こちらを見下ろす父に向かって思わず手を伸ばす。

「たすけ……」

「櫛木の人間が他人に救いを求めるな!!」

鋭い声と共に鉄砲のような水が飛んできて、伸ばした左手の真ん中を貫いた。

 真っ黒な髪の、あったかくて優しい少年がくれた、あの火を受け取った部分を。

「あっ……!?」

「情けない……!情けない!!」

父はそう言い残して部屋をさった。

 残されたのは、左手から溢れる血で赤くなっていく水溜りに、うつ伏せに倒れる私だけ。



「ほむら……君……」

初めて私に声をかけてくれた、あの人の名前を呼ぶ。

 昼間の星空や、手のひらに乗った火。彼が向けてくれた笑顔や声を、藁にもすがる思いで思い出そうとする。

しかし、思い浮かぶのは父の目と水の苦しさばかり。

 もう彼がくれた暖かさは、何処かへ行ってしまったようだ。

「冷たい……なぁ」

 水に濡れた身体が、貫かれた左手が、胸に残る父の声が。

絶対零度の冷気を放っていた。

 その冷気に当てられたのか。


ーー目尻に溜まった涙すら、冷たい。


「わたしは……櫛木……」

他者を求めず、他者から畏怖されるほどの存在であること。それが櫛木家に産まれた瞬間から背負う使命。

 中途半端な私では、使命は果たせない。

「私は、櫛木。櫛木、小桃乃(ことの)

 私に、暖かさを求めることは許されない。

私に意志なんて、泣くなんて、自由なんて、認められない。

ーー私、なんて要らない。

弱くて、中途半端で、情けない私は要らない。

 ただ当たり前に強い、櫛木家の子供。これだけが必要だった。

「私は、櫛木……小桃乃」

弱い私は捨てるんだ。要らないんだ、情けないんだ。

 ノロノロと立ち上がって、右手と共にまだ血の止まらない左手を。穴の空いた左手を広げる。

「櫛木家の人間に、なるんだ」


 痛む体は目を逸らして。痛む心は見えないふりをして。


 求めてしまう、あの温度にも蓋をして。


 弱い自分を隠すように、櫛木小桃乃は神術を発動した。

 弱々しい水を、弱々しい風が巻き取って飛んでいく光景は、唇を噛み締めて堪えた筈だった涙にも見えた。

この話描いてる最中、呼吸を忘れていたので地上でおぼれかけました。

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