第0話 プロローグ
プロローグ
「クソ!追われてるのか!?」
「わかんねぇよ!」
「追われてたら死ぬだけだろ!!走れよ!」
口々に怒鳴りながら、必死の形相で三人の男が走っていた。
何から逃げているのかなんて、この世界に住む人類なら誰だって知っている。
神出鬼没で残虐無比。剣や火では傷一つつかない身体と、大人でも逃げきれない素早さを併せ持つ。炎を吐いたり、人知を超えた力を振るう訳ではないのに、その存在は毎日人を殺していく。
「やばい!!足音が……!!」
「気のせいだから喋るなって!」
成人男性を上回る体躯を、細くも逞しい四足で支えるその姿は、犬や狼にも似ていた。
それなら逃げ切る方法は、たった一つ。
「追いつかれる……!!」
「……クソがああぁ!」
ーその獣から、狙われないこと。
薄暗い黄昏時に、パッと鮮血が上がった。
その獣の名は、禍獣。災禍をもたらす獣。
ある日から突然現れた生きる厄災は、特に理由もなく人間を殺して回った。
捕食するわけでもなく、その牙や爪で人間を切り裂いていく姿は、まるで人間に恨みでもあるのかと思わせるほどだった。
誰かが言った。天の裁きだと。
言い得て妙だ。人間は増えすぎたんだ。
自然を壊し、住む場所を増やして、それが神の怒りを招いたんだと。
誰もがそう思った。
禍獣に対抗し、戦おうとするものもいた。しかし、とても人間の力では太刀打ちできなかった。戦おうと相対したものから殺されていった。
人間は絶望した。きっと近い将来、人間は滅ぶんだと。
しかし、神は人間を見捨てなかった。
ある時、水や炎を我が意のままに操る者が現れた。その者はその力を以て、禍獣を撃退して見せたのだ。人知を超えたその力は、まさしく神の奇跡と呼ぶべきものだった。
まるで、重たい雲の隙間から、太陽の光が差すように。絶望し、下を向くばかりだった人間に希望の光が差した瞬間だった。
その力は、後に神術と名付けられ、多くの人間が操れるようになっていく。
そうして、禍獣への対抗手段を手に入れた人間達は、知らず知らずのうちに集まり、禍獣との戦いを始めた。
突然現れる禍獣に対抗するために、自分達をあえて逃げ場の無い、壁で囲った。
壁の周りに戦えるものを集めて、それ以外はその壁の中で生活を発展させていく。
襲われながら、人が死にながら。それでも出来上がった街は、大都と呼ばれた。
数えるくらいの人数から始まったこの街が、いつか大きく広がるようにと、そう願われた名前の通り。滅びゆくかに思われた人間は、この大都の中で、再び笑い合える生活を取り戻した。
神術と禍獣が当たり前の存在になり、いつの間にか馴れ初めは、神話のように語られ始めた今頃も。
人間と、禍獣の戦争は続いている。
「聞いてる?秋葉君」
「うわっ!」
うとうととしていた意識を引き戻したのは、耳元で聞こえた先生の声と、首筋に落ちた水滴の冷たさ。文字通り飛び起きて黒板を確認すると、記憶にある板書とは大分変わっていた。
退屈しのぎに流れる雲を見ていたら、気づかないうちに眠っていたようだ。
「すいません!」
慌ててノートにペンを走らせると、屈んでいた先生は一つ息を吐いて水色の髪を手で撫でながら立ち上がった。
「全く……神術の話なんだから、しっかり聞いてね。と言っても、君には今更なのかなぁ……」
小声で付け足して、先生はやれやれと首を振りながら黒板の前に戻っていく。
「良いですか?今言ったように、神術は禍獣と戦うために、神様がくれた力です。呪いの術が呪術、妖の術が妖術ならば、神様がくれた力は、神術ですね」
カッカッと黒板に当たるチョークの音が響き始め、やっと追いついた板書が追加されていく。
「せんせーお父さんが魔法って呼んでたよ」
「あ、私はきとう?とか言ってた!」
神術、という単語に反応して、口火を切ったのは茶髪の男子。それに続いて桃色の髪の女子が続けて、クラスは僕も私もと一気に騒がしくなった。
いつもはうるさいなぁ、と思ってしまうその時間だが、今日は少し違う。魔法とかは確かに聞いたことがあったから、僕もその違いは知りたかった。板書に向けていた意識を、少しその会話に向ける。
「それは結構自由に呼ばれてるのよ。私も魔法って言っちゃう時もあるし……。でも、基本的には神術と呼ばれます。あだ名で呼んでも、友達以外には伝わらないよね?」
(なるほど……)
その説明一発で、騒ぐ子供達を全員静かにさせた先生は授業の話に自然に戻った。
「神術には火、水、風、土の四つの属性があって、みんなそれぞれ一つだけ使える。これはもう知ってるよね?」
はーい。と何人かの返事が返り、先生は気をよくしたようにニコリと笑って話を続ける。
「すごくたまーに複数の属性が使える人もいる……私の昔の友人にも一人居たんだけど、彼はどっちの属性も中途半端だって困ってたわ」
なんでー?と声が上がる。
「例えば水と土の二つを持っていたとしても、それ一つだけを持つ人に敵わないのよ。人が使える力が10だとしたら、水を10使える人に比べて、水5土5じゃ敵わないよね?」
さっきと比べて、返事があまりパッとしなかったからか、難しかったかな。と先生は苦笑した。
「それにね、神術を使うのにとても疲れるらしいの。みんなも沢山神術を使ったら疲れるよね?」
確かに、使い過ぎるとまるで走った後のような疲れが襲ってくる。神術の発動には体力を使うから。
「それが上手く扱えないから、疲れもコントロールできないとか。そんな感じらしいのよ」
神術の扱いを間違って、疲れて困ったことなんてない僕には、今日初めてピンとこない説明だった。
「属性を変えることってできないの?」
突然、誰かがそんな質問をした。ちょっと興味のある話だった。
また眠らないように注意しながら眺めていた雲から、視線を先生に戻してその質問の答えを待つ。
「うーん、そうだなぁ。まず答えから言うと変えることはできないよ。みんな、利き腕ってどっちかな?」
あまり関係なさそうなその質問に、思わず右手に視線を落としてしまう。僕の利き腕は右。隣の席の子も似た仕草をしていて、彼女は左手だった。
「先生は右です。これってあんまり意識しないでも使ってるよね?神術も一緒。利き腕みたいに、無意識に決まってるものなの」
そう言って先生は一瞬目を閉じ、右手を開いてその上に水を産み出した。チャプチャプとなるそれは先程寝ぼけていた僕の首に落ちてきたものだと思う。
「だから、他のを欲しがるよりも、自分の受け取った属性をしっかり使っていこうね」
はーい。と上がる返事と同時にチャイムが鳴って、その日の授業は終わった。
いつも僕にとっては当たり前のことばかりで、あまり楽しくなかった授業だったけど、今日の話は面白かった。