表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/16

第9話 自嘲の笑みすら



「ほむらくん……!」

 全く予想だにしていない声が僕の名を呼んだ。

この場所にいるのは僕一人だけだと思っていたから、横面を張られたような驚きに襲われて、沈んでいた気分が一気に覚醒する。

 鈴の転がったような、迷子の子供が親を見つけた時のような、弾んだ声だった。

 脳裏に、とある光景が否応なしに浮かぶ。

木の根元に座り、膝を抱えて泣いていた。白い、少女の光景。

首を捻って声の主を探す。

ーーどうか、別の人であって欲しい。

そんな思いが、首の動きを緩慢にさせる。


 しかし、相手はすぐに見つかった。

その人物は、灯り一つないこの場所で一際目立っていたから。

 背後の木の裏から小走りに。こちらに向かってくる声の主は、真っ白だった。

まるでそれ自体が光っているかと錯覚するくらい、月明かりを浴びて輝く白髪は背中まで伸びている。

濡れて、艶めく瞳は宝石みたいなエメラルド。

嬉しいと叫び出しそうな表情は、可憐と綺麗のちょうど間のよう。

背が低くて、近づいてくるにつれて動きを追う僕の視線は下がっていく。

 ふっ。と、ため息にも似た何かが勝手に漏れた。



ーー合わせる顔がない。



 声の主は、櫛木小桃乃だった。



「久しぶり……だね」

弾んだ声と、親しみを込めた目線。それが心をズキズキと刺す。

「久しぶり……」

 笑顔を浮かべたつもりで、返した言葉は小桃乃にどう伝わったのか。不安で仕方がなかった。

「ここ、よく来るの?」

小桃乃は前屈みになっていた姿勢を戻してから聞いた。記憶にある身長差は、ニ年じゃさして変わらなかったらしい。

「いや、来るのは2回目だよ。偶然見つけたんだ」

 嘘を、ついた。

教官と来たと言ったら、きっと何があったか聞かれる。それに答える言葉を僕は持たない。

「そうなんだ」

 それっきり、沈黙が降りた。たまに吹く風が木の葉を揺らす音だけが僕らを包む。

 前会った時、小桃乃はあまり自分から喋らなかった。きっと今も僕から喋らないといけない。

この時間に居心地の悪さを感じて、僕はなんとか話題を探す。

「そういえば、研修団に選ばれたんだよね?」

ギシッと。聞こえる筈のない音がはっきり聞こえた気がした。

「……うん」

 頷いた小桃乃の表情は笑顔のまま。

きっと気のせいだ。少し困ったように、眉がカタカナのハのようになる笑顔は、彼女が以前見せた表情と変わらない。

「凄いよ。みんな小桃乃の話をしてる」

「あはは……」

小桃乃は曖昧な表情で笑って、それきり口を閉じた。二度目の沈黙の時間。

 自慢も、得意気な表情もしない彼女に、劣等感をじわりと抱く。

(僕とはまるで違う……)

 喋れば喋るだけ、小桃乃に触れれば触れるだけ、胸が痛んで血が流れるようだ。

まるで、焼けた鉄を握るような心地。


 不意に、月明かりが弱まった。雲が動いたんだろう。

それと時を同じくして、小桃乃が口を開く。

 いつの間にか、後ろで組んでいた手を胸に抱いた小桃乃の表情は、前髪に隠されていた。

「ね、ほむら君。私、本当は怖いの……」

あの日聞いた、弱々しい声によく似た声だった。

 まだ声変わりもしていないその声に、幾つの感情が込められているのか、僕にはわからなかった。

「そう……なんだ……」

とりあえずそう言っておいて、次に何を言うべきか考える。

こんな馬鹿な僕が、天才の小桃乃に、言えること。

(そんなの、あるんだろうか……)

 昔の僕みたく、何かできるわけじゃない。

 落ちこぼれで、周りのみんなに迷惑をかけて、決して許されない、こんな罪人に。

勝手に視線が下がる。小桃乃の方を見れない。



 その数秒に、雲に隠れていた月がまた顔を出して、月明かりが再び差した。

 風が一際強く吹いて、木の葉が鳴く。

「ごめんね、急に。こんな遅い時間に」

はっと顔を上げる。

 目に映った光景は、小桃乃が僕に背を向けた光景。

それを追うように、広がるスカートと長い白髪。

ーー月明かりを反射する透明な雫。

「こと……」

「おやすみほむら君。ごめんね」

僕の声を遮って、小桃乃は走っていってしまった。

 いくらなんでも、わかってしまった。

ーー僕は彼女を、裏切ったんだと。


「あぁ……」

 悔いても遅い。手を伸ばしても届かない。

走り去る白い背中は、もう見えない。

『じゃあ僕が、その怖いのから守ってあげる』

 記憶の中の小さな僕が、胸を張って言ったセリフが脳内に響いた。その後小桃乃が見せてくれた、花が咲いたような笑顔が思い浮かんで、ピシリと崩れた。

 嘘にしてしまった。

 ありがとうの言葉も。笑顔も、温度も、あの時間も。

 吐き気が込み上げてくるようだった。

ノロノロと木に背中を預けて座り込んで、目を閉じる。

 目に浮かぶのは、小桃乃の顔。

ここで会って最初に見せた明るい表情。

隠して、見せなかった泣き顔。

最後、口元は笑っていたようにも見えた。

 悲しかっただろうに、悟らせまいとしていた。

無力感に苛まれる。

 あの事件を起こさなかった僕なら、小桃乃は涙を見せてくれたのかもしれない。

 あの夜、馬鹿なことをしなかった僕なら、小桃乃を笑わせられたのかもしれない。

 頭を乱暴に掻きむしって、虚しくなってすぐ止める。

 いつだって僕は、後から失敗に気づく。

「……本当に、最悪だ……」

 月も星も、木も風も。

僕を裁くことも慰めることもせず、変わらずそうあり続ける。

 静かな夜に僕だけが、たまらなくちっぽけで。

ーー自嘲の笑みすら、出てこなかった。




 次の日、小桃乃を含む研修団は、トラックをガタガタ言わせながら前線の基地へ旅立った。

見送りとかそんなものはなくて、あっさりと2台のトラックは走り去っていった。

 遠目でも、彼女の白髪はよく目立っていた。

幸せなキスをして終了。とはなりません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ