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後編

「ふぁ……ん……」


 妙にくぐもった声がぼんやりした頭の中に響いている。ぴちゃりと響く水音はものすごく近くから聞こえるようなのに、霞がかかったように覚束ない。


「……絶対に……逃がすわけないだろう……」


 ぼんやりとした思考が聞き覚えのあるような声を拾ったが、内容までは理解できない。


「あぁふぅ……ん……」


 聞いた事もないような甘い吐息が、己の口から零れている気もするが、酒精に毒された思考はぼんやりしたまま……


「……リディ……」


 名を呼ばれたような気がしたのを最後に、意識は再び闇に呑まれていった。


 **********


 ふっと目を開けるとカーテンの隙間から明るい光が覗いていた。ぼんやりとその煌めきを目で追いながら、今までの記憶を思い出す。

 確か……クラウス達と食事をしていて、お酒を嗜んで……いやあれは嗜むなんてものじゃなかった。明らかにやけ酒だ。お酒に申し訳ない飲み方だ。


 自分で拠点の宿に戻った記憶がないから、恐らくクラウス達の手を煩わせたのだろう。

 思わず両手で顔を覆ってしまう。幼馴染とは言え久しぶりに会った友人達にこのような醜態を晒すとは……!

 そこまで考えて、妙に両脇がすーすーする事に気づいた。両手を顔まで持ってきたことによって、掛布との間に隙間が出来たせいなのだが、それが妙に生々しいというか、直に空気を感じすぎるというか……

 その事実に気づいて、思い切り身体を起こすと、ぐわんと酒精の残りの頭痛が襲ってきた。痛む頭を押さえながらも、この身に残る違和感を確かめると、信じたくない事に掛布の下には何も纏っていない己の体があるのみだった。その事実に心臓が軋みを上げる。

 掛布を引き寄せ露になった胸元を隠すも、ちっとも落ち着かない。耳奥で鼓動が鳴り響く。辺りを見回しても見覚えのない部屋だと言う事に更なる焦燥が募る。


(……きっと、お酒のせいで吐いたりとかして、ローザが脱がせてくれたのよね……会ったらお礼を言わないと……)


 そう思い込もうとするが、いくら吐いたとはいえ下着まで脱がすだろうかと言う疑問が後から湧いてくる。そしてもう一つの可能性も……

 いやでも流石に酔っ払いとはいえ、私を放置する程、あの二人は薄情ではないだろうと、一つ頭を振って思い直す。

 その思いを裏切るように、耳が別の部屋から響く僅かな水音を拾った。それはどう聞いても湯を浴びる人間が立てる物音で……しかも水音はこの部屋に設えている浴室から聞こえてきているわけで……クラウスやローザがこの部屋で湯を浴びる可能性は限りなく低いわけで……

 その事実に思い至った時、ざぁと血の気が下がる音が自分でも聞こえた気がした。

 お酒に飲まれて記憶を失くして、目覚めたら知らない部屋で全裸で、知らない誰かが湯を使っていて……

 カチカチと硬質なものがぶつかる音が響いた。それは己の口元から出ているが、最悪の想像に至った現状では、それを抑えることもままならない。

 目で見た状況と、それに至るまでの思考が繋がった瞬間、両の目から涙が溢れた。

 体にこれといった痛みも違和感もない為、純潔は残っているのかもしれないが、知らない第三者と二人で一夜を過ごしたというだけで、貴族令嬢としては致命的だ。

 その事実に涙が止まらない。


「……もうどうあってもアルのお嫁さんにはなれないのね……」


「……そんなわけないだろう」


 ぽつりとつぶやいた言葉にまさか返事があるとは思わず、びくりとその身を跳ねてしまった。

 声がした方に振り向くと、そこにいたのは明らかに湯を浴びたばかりといった体で黒髪をかき上げる、下半身だけ衣服に包み、程よい筋肉の付いた上体を晒したままの男性が立っていた。


「……アル?」


 思わぬ人物の出現に思わずぽかんと口を開けてしまう。


「それ以外誰がいるんだよ。アホ面晒しやがって……」


 長い足を存分に動かして、寝台に腰を掛けるその姿を目で追っていると、むぎゅりと鼻をつままれた。


「ちょ!いたっ!」


「夢じゃねぇってわかりやすいだろ。この酔っ払いが!」


 鼻の痛みに呆然としていた意識が戻ってくる。涙もいつの間にか止まっていた。


「何よ!失恋した時にはやけ酒って昔から決まってるのよ!……て、痛たぁ」


 勢いよく反論してみたものの、頭痛がぶり返してきて、思わず掛布に突っ伏してしまう。


「そもそも一体誰に失恋したんだよ!俺以外に誰か好きな男でもいたのか?!」


「アル以外の誰に失恋するって言うのよ!昨日からみんなして傷抉り過ぎだから!やけ酒の一つや二つしたくなるわよ!」


「それならその前提自体が間違っているだろうが!俺はお前を手放すつもりはない!」


 掛布に突っ伏したまま、頭痛を何とかしようと回復魔法を使っている中で聞こえたその台詞に、昨日からもやもやと心にわだかまっていた感情が爆発してしまう。


「嘘よ!私聞いたもの!アルは私と婚姻したくないんでしょ!?ハルカ様とお幸せに!!」


 言いたかったことは言えたと不思議な達成感を感じながら、逃げるように掛布に潜り込むと、逃がさないと言わんばかりに掛布ごと抱きしめられた。離せという意思表示として掛布の中で身体を動かすが、いとも簡単に抑え込まれてしまう。


「お前なぁ。ちゃんと話を聞いてから飛び出せよ。この暴走令嬢が!」


「ちゃんと聞いたもん!」


 掛布のせいでくぐもったが、しっかり主張はする。私は昨日テラスでしっかりこの耳で聞いたのだ。アルが婚姻したくないと言ったのを。


「俺が言ったのは『三日後に婚姻したくない』だ!」


「だから婚姻したくないんでしょ?!何度も言わなくてもわかってるわよ!だから放して!」


「違う!三日後が嫌だっただけで、婚姻自体は嫌じゃない!」


「……それ何が違うのよ!結局婚姻したくないんじゃないの?!」


 思わずじたばたと身体を動かすも、相変わらず身体の自由は奪われたままだ。


「あー!もー!くそっ!いいから顔出せ!」


「いーやー!!アルが出てって!」


「ここは俺が用意した部屋だ!」


 どうやらここはアルが用意していた部屋らしい。といってもアルは前線に来る予定じゃなかったはずなのだが……

 はて?と悩んでいる間に、アルの手が掛布の上から身体をさわさわと撫でまわし始めた。


「ちょ!アル止めて!!」


「止めて欲しけりゃ、顔出せ!若しくは手出せ!左手な!」


 掛布の上からとはいえ、きわどいところにアルの手が差し掛かったところで、降参せざるを得なかった。


「わかった!わかったから!はい!左手!」


 アルの希望を聞くのは癪だったが、これ以上身体を撫でられると変な声が出そうだったので致し方ない。それこそ夢うつつで聞いたあの甘い声のような……

 そう思考を飛ばしていると、するりと左手の指に冷たい指輪の感触が通される。


「……なにこれ?」


「王太子妃の印章を兼ねた婚姻指輪だよ。これが婚姻式に間に合わない可能性があったから、『三日後』じゃ嫌だったんだよ……」


 アルの手から解放された左手を恐る恐る掛布の中に引き込む。王太子であるアルの印章に王太子妃を表す花を足した印章と、その側面に埋め込まれているのは、深い青の貴石。うっすら零れる光でもわかるその石の輝きは、アルの瞳の色にそっくりだった。

 その輝きに止まっていた涙腺が再び緩むのがわかった。


「これでわかったか。暴走令嬢。俺はお前以外と婚姻なんかしない。これは決定事項だ」


 はしたないと思いつつも、ぐすりと一つ鼻をすすって、おずおずと掛布の中から顔を出す。


「……ハルカ様は?ハルカ様が聖女だったらいいって話は?」


「あの頭も尻も軽いクソ女なんてどうでもいい。妙にくねくねしてて、腕に絡みついてくるから、新手の触手系モンスターの類かと思ってた。近くにいたのはな、奴が何を根拠にしてるのか知らんが、自分は聖女だって周りに言いふらしていたから、監視も兼ねてだよ。

 ついでにそんなクソ女に騙される頭の弱い貴族令息を釣れたのは物のついでだったがな。何を考えていたのか、俺の近くにいるようになって、自分たちは側近候補だってでかい顔し始めたらしいからな。ついでにその親もでかい顔して何やら不正を大ぴらにやり始めたらしいから、こっち来る前にきっちり引導渡してきた。

 というか側近なんてもっと前に決まっていて、既に動いているんだが、知らなかったんだろうなぁ。あいつら頭軽そうだったし。側近舐めてんのかって話だ。

 聖女だったらいいって言ったのは……もしあのクソ女が聖女だったら、リディがダンジョンに行かなくて済むだろ?いくらリディが優秀な回復魔法士だとしても、危険であることに変わりはない。勇者の嫁ってのも、向こうが諦めない可能性がある中で、リディを聖女として出すなんてしたくなかったんだよ。だからあのクソ女が聖女だったらなぁって思わず言っちゃったわけ。まぁ、万が一にもそんなことになるとは思ってなかったけどな。だからクソ女にはお前が聖女になる可能性なんて微塵もないって突き付けてやった。リディ以上に聖女が出来る奴なんているかよ。って……あーくそっ恥ずかしいな」


 思わずまじまじとアルの顔を見てしまう。そこには照れくさそうに頬を染め、視線を逸らすアルがいて……

 もっと近くで見たいと好奇心が疼いて、寝台から身体を起こす。近づいたアルとの距離に、昨日からさんざん翻弄されトゲトゲになっていた心がすっかり丸くなったのを感じた。


「ねぇ、アルはちゃんと私の事好き?」


 軽く横を向いているアルの頬にそっと手を伸ばすと、ぐっとその手を掴まれた。


「……好きどころじゃねぇ。俺はお前を逃がさない。絶対にだ」


 それは昨日夢うつつで聞いた覚えのある言葉で。こちらを見つめるアルの深い深い青の瞳に吸い込まれそうになっていると、おもむろに唇をアルのそれで塞がれた。


「んっ」


 ぺろりとなめられた拍子に薄く開いた隙間から、アルの舌が差し込まれる。

 その熱い口づけに翻弄されていると、いつの間にか掛布を剥がされ、アルの目の前に裸体を晒していた。そしてゆっくりと寝台に沈められる身体。


「あ、あの……?アル?このまま……?」


「あぁ、婚姻式は封印作業が終わってからって話にしてきたから、既成事実でも作っておこうかと。安心しろ。父上達の許しは得ている」


「ふぁ……許しってそんな……ん……そういう問題?」


「もういいから黙って俺に喰われてろ」


 そのまま美味しくいただかれたのは言うまでもない。



 その後、再びクラウス達と合流した。酔っ払った事についての謝罪とアルとの件は誤解だった事を伝えると、二人ともほっと一安心したようだ。


「だろうなぁ。アルがリディ以外とか考えられねぇもんな」


「そうねぇ。あのアルの執着に気づいていないリディもすごいけど……」


 ……何やらローザの発言に不穏なものが混じっているのは気のせいだろうか?


「でだ。封印作業なんだが……せっかくローザがここまで来てるから、付与魔法士として連れて行くつもりなんだが……」


「もちろん構わないよ!ローザの護衛は私に任せて、クラウスは思いっきり聖剣を振るえばいいよ!」


「俺も行く」


「「「え?」」」


 アルの思わぬ発言に、クラウスとローザと三人で顔を見合わせてしまう。


「だから俺も行くから。当たり前だろう?」


「いやでも、アルって王太子じゃない?流石に危険が……。確かにアルの魔法があればダンジョン攻略も楽だけど……」


 そう、アルは攻撃魔法を得意とする魔法士で、私と同じA級冒険者なのだ。本当はS級の実力があるのだが、S級になると各国の指名依頼が入る可能性があるので、断っているらしい。まぁ、確かに自国の王太子が冒険者として他国に手を貸すというおかしな状況は避けたいところだけど。

 なので、その実力は確かなのだが、今回は封印の解けたダンジョンで何が起こるかわからない。万が一という事もある。ちなみにクラウスも東国の王子だが、彼は第三王子なので、こう言っては何だが他に跡継ぎがいるのだ。アルはマリエル様がいるとは言え、基本男系継承なので、その身を危険に晒すことは避けて欲しいところなのだが……


「怪我してもリディが治してくれるんだろう?それにこの四人なら滅多な事にはならないだろうしな。だからとっとと行ってとっとと終わらせよう。そしてとっとと帰ってリディと婚姻式を済ませないといけないしな」


 そう言ってつぃと指先で頬を撫でられる。その甘い仕草に思わず頬に朱が昇る。


「……まぁ、アルが言い出したら誰にも止められないしな。よっし!四人で行ってさくっと封印しますかね!聖女殿!」


「そうですわね。頑張りましょう勇者様!」


 その言い方がおかしかったのか、ローザとアルが笑い始める。その様子にクラウスと私もつられて笑い出す。

 ひとしきり笑い合ったところで、翌日からのダンジョン踏破の準備に取り掛かるのだった。


 そして、ダンジョン踏破と封印作業の歴代最速記録を打ち立てるまであと少し。



 ご覧いただきありがとうございました。

 元々短編で考えていたのに、微妙に長い…そして俺たちの戦いはこれからだエンドになりました。

 短編で纏められる他の作家様を尊敬します。

 気が向いたらアルベール殿下視点も書いてみたいです。そちらではざまぁも出来るといいな。

 重ね重ね、ご拝読ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 焦るアルベール視点、ぜひお願いします♡ そもそも、そんなに好きなのに、他の女をそばにおいてるのもおかしな話で(`ω´)しかも、相手は命かけて戦ってるのにね!? 丸め込まれた感あるので、もっ…
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