第十四話:都市伝説の怪物
少女の日常は少し変わった。
時々だが、少女の目の前に黒い服を来た男性が現れ、少女と遊んでくれたり話を聞かせてくれた。
見た目は30代後半か40代前半。柔和な笑みによって深くなる皺が目立っていた。
「ほら、今日はお土産を持って来たよ」
そう言って手渡されたの物は、今まで食べた事もないような甘い洋菓子だった。
勿体ないと思い半分は残して家に持ち帰った。だが、こっそり食べている所を母に見つかり殴られた。残りの菓子は全て母に奪われた。
母は誰から貰ったか問い詰めて来たが、少女は男性のことは頑なに言わなかった。
あまり意味はなかったが、喋ってしまうともう男性とは会えないと感じたからである。
少女はすぐ男性に懐いた。少しだが居なくなった父の面影をその男性に見ていた。
もしかしたら、彼は私と母を置いて消えてしまった父なのかもしれない。少女はそんな事を考えていた。
男性は決まって少女が1人の時に現れた。
「そんな寒い格好をしていたら風邪を引くよ」
冬のある日、男性はそう言って少女に可愛らしいコートをプレゼントした。
少女は母に見つかったら取られてしまうと伝え、それを男性に返した。
「なら、今だけは着ていると良い」
そう言って男性はコートを着せてくれた。
常に肌着一枚同然の少女にとって、その温もりは初めてのものだった。
その日は寒波が来ていた。あまりの寒さに少女の隣に住む独居老人は後日凍死体で見つかった。
男性と出会ってから約1年が経った。
少女の家から母の恋人が消えた。
少女には分からなかったが、母は男に捨てられたのである。
その日の母は、今までで1番酷かった。
執拗に少女を蹴り、水場に少女の顔を何度も沈めた。
その度に母の「お前なんかが生きてるから」という言葉を聞き続けた。
次の日、少女は1人落ち込んでいた。
少女は男が消えれば母は元に戻ると考えていた。
だが実際には「お前なんかいらない」と言われ、家を追い出された。
行く当てもないのでいつもの空き地で過ごしていると、男性がやってきた。
男性は苦悶の表情を浮かべていた。少女の至る所に痛々しい痣が見えていたからである。
数秒の沈黙の後、男性は手を差し伸べてこう言った。
「もし良ければ、私の家に来ないかい?君に不自由な思いはさせないよ」
少女は少し悩んだ後、男性の手を取った。
ー
コンビニ手前の一本道、その先の踏み切りの先に例の風貌をした女性が立っていた。
「何で…あの人がここに…」
俺が下校時に目撃したのが、約30分前。
その時間でここまでやって来る事は…
可能か。俺が目撃したすぐ後に駅まで向かって電車に乗れば俺より先にここに着く事はできる。
でも何でわざわざ海星高校近くにやって来た?
確か最初は海星高校前を彷徨いていたらしいけど、学校の人間に注意されたから無空高校の方へ来たんじゃなかったか?
それとも注意された後も変わらず海星高校へ来ていたのか?
わからない…そもそも踏み切りの先にいる人物が危険な存在なのかすら不明だ。
いや、学校の周りを彷徨いてる時点で危ない人物ではあるけれども。
やっぱりあの女性はただ頭のおかしい不審者で、今回たまたま俺と女性の目的地が同じだっただけなのか?
だが、そんな偶然も普段の日常ならあり得ても、アゼル達異世界人がいる今の俺の日常では意味合いが変わって来る。
やっぱり噂の「ヒカマスさん」は異世界人が関係しているのでは?
そう思いアゼルに聞く。
「お、おいアゼル…あの踏み切りの先にいる女性…あの人ってお前と同じ異世界人じゃないのか?」
『……』
アゼルは押し黙る。
『……多分違うとしか言えん。だが、あの女を初めて見た時、何か術式の発動の痕跡を感じた。が、その一瞬のみだったからハッキリとはわからん。ただの勘違いと言えばそれまでだが』
アゼルもあの女性を怪しんでいるようだったが、確信に至る物はないといった感じだった。
「あの女性から魔力反応が出ている訳じゃないんだよな?」
『それは確実に違う。魔力反応はしっかり学校の方から発せられている』
つまり海星高校にいるであろう異世界人とこのヒカマスさんは別件という事か。
やっぱり女性の方はただの不審者の可能性が高いな。
魔力反応があるという海星高校近くをウロウロしてたから異世界人と何か関係すると勘繰ってしまったが、今の所証拠はない。
そう何でも異世界人や魔法へと考えを持っていくのはやめよう。
とにかく今は海星高校の方の魔力反応だ。
このまま何も起こらず帰れればベストだけど…
『…!!』
アゼルの動揺が俺に伝わってくる。
『…いきなり魔力反応が完全に止んだ?どう言う事だ?』
アゼルの声が脳内に響くと、それと同時に俺の足を乗っ取り走り出そうとした。
だから待ってくれ!!お願いだから絶対に校内に入るなよ!!
それに、問題にでもなって俺が目立つとお前も行動が制限される事になるぞ!!
『…チッ』
俺の脅し文句が効いたのかアゼルが操る足は、学校間近まで接近するも学校近くの住宅街の路地に入り込み一旦そこに身を隠した。
丁度その場所からは校舎の内部が一部見えた。
アゼルはそこから学校内部を観察しようとしていた。
『…チッ、ここから見る限りでは特に何も起こってなさそうだな』
アゼルが再度舌打ちをする。俺の目にも校舎内に残る数人の生徒の廊下の行き来が見えるだけだ。多分他の教室では今頃生徒達が部活動に励んでいるだろう。
グラウンドからは野球部らしき掛け声が聞こえてくる。一見すると問題ないように思えた。
『やはり中に入って確かめなければ正確な情報は手に入らん』
そう言って又もや駆け出しそうになるアゼル。
だから落ち着けって!!
俺が脳内でそう言った瞬間、背後から物凄い悪寒が走る。
背筋が異様な冷たさからスッと伸びる。
背後に誰か人の気配を感じる。人がそこにいるという圧を感じる。
勘違いではない。確実に俺の真後ろに誰かが立っている。
……誰だ?
怖さから振り向く事はできない。
タイミング的にアゼルが探していた魔力反応の正体、異世界人だろうか。
……。
数秒間その場で立ち尽くす。
すると背後から息遣いが聞こえてくるようになる。
生暖かい息と共に、俺の左耳元でこう囁かれる。
「…ハァ…ハァ、ヒ…ガリ…、リ…マズ…カ…」
「…ヒガリ、ジッテマズカ…」
井戸の底から発せられるような低い女性の声、俺が卒倒しそうになるのと同時に俺の意識とアゼルの意識が完全に入れ替わる。
アゼルは振り向きもせず、左手の甲を顔があるであろう位置にぶつける。
「ヘブッ!!?」
拳が完璧に当たった感触がした。
そのまま後ろを振り向く。
「…!!…ほう、お前か」
俺とアゼルの目の前には、鼻を手で押さえる30代ぐらいの女性。
ボサボサの髪に、薄汚いセーターとロングスカート。
「ヒカマスさん」と呼ばれる女性の姿がそこにはあった。
アゼルはすぐに拳を構える。
女性も一瞬よろめいたが、すぐに体制を戻し同様に拳を構える。
顔を見る限り、特にダメージは負っていなかった。
「……チ…ジガウ…オ、オオオオオ、オオオオオオオオオオオオオオオオ………オバエハテキ、アノコノデキ、アノコノテキ、アノコノテキ、アノコノテキ、アノコノテキ」
女性は低い唸り声を上げた後、何やらぶつぶつと呟く。
というか、何で今この女性と戦う状況になっているんだ!?
「知らん。喧嘩を売ってきたのはあっちだ」
アゼルはそう言って女性との距離を詰め、腹に一発入れようとする。
相手は普通の人間かもしれないんだ!!手加減しろよ!
「わかってるッ!!」
アゼルのそう言って女性の腹に拳がクリーンヒットさせる。
「ッ!?」
する事は出来なかった。
俺の右腕は、女性の身体をすり抜けていた。
比喩などではなく、本当に背中まで貫通してしまっているが感触は空を切った時と同じだ。
今まで実体がしっかりとあった身体が、その部分だけ何故か半透明である
アゼルは今起きたことの情報を整理する為、一旦拳を引き抜こうとするが、同時に頭部に衝撃が走る。
女性の左足が、俺の頭のすぐ隣に来ていた。
女性から回し蹴りを喰らわされている状態だ。
幸いその一撃で倒れる事はなく、アゼルは後方へ飛び去る。
「ッてぇな!!こっちは槍男に殴られた時のこぶがまだ引いてねえってのに!!」
そう悪態を吐きながら頭部の蹴られた部分をさする。
「…それにしても、俺の拳は霧みたいにすり抜けたのに、あの女の足はしっかり俺の頭部に当たった…」
まるで、前の戦いで槍使いの男性に使われた火の鳥みたいだ。
女性は拳を構え、こちらに迫って来る。
「この女も『神霊』って奴なのか?そんなオーラは感じないが…」
アゼルは両手を構える。
「まあ!!こいつも霊の類ならやる事は一つだよな!!」
「天から使わされる御使いよ、かの魂達を輪廻の理から外し、地上への束縛を与えよ。永劫の時間への旅路を持って!!ヘブシッ!!!!」
アゼルが詠唱する途中、接近する女性の拳が俺の顔面に当たる。
「…クソッ!!この俺が詠唱を遮られるなんてビギナーなヘマかますなんて!!」
アゼルはかなり距離を取った筈だ。
だが、女性は人間とは思えないほどの速さでこちらに迫って来た。パンチが入る瞬間なんて姿が見えなかった。
「なら、もう一度…」
そう言って再度両手を構える。
「そいつにその手の魔法は効かないわ」
突如、背後から聞き覚えのある女性の声が迫る。
俺の横を通り過ぎる黒い影。
その人物は「ヒカマスさん」に対して何かを押し当てる。だが俺の視界にはその人物が何を持っているのか見えなかった。
何かが視界を遮って見えないなどではなく、本当にその人物が持つ物が見えない。
黒い格好の人物は、何かを持っている動作をしているがその手の中には何もない。
「!!!!…アバ……アバババ、アバババババババババババババババババババババ」
見えない何かを押し当てられた「ヒカマスさん」はいきなり奇声を上げる。
見ると女性の身体には袈裟斬りされた様な跡が出来ていた。
近隣に響き渡るような大きな奇声を上げた後、「ヒカマスさん」は霧のように霧散して消えた。
俺は何が起きたのかわからず、その光景を眺めている。
「あなた達、何でこの場所にいるのか聞いてもいいかしら」
黒パーカーのフードを深く被り、黒のホットパンツ、黒ニーソと黒ずくめの人物がこちらへ振り返る。
「それはこっちが聞きたい。どうしてお前がここにいる?」
アゼルがいつもの態度で質問し返す。
フードに隠れる顔の正体は式部先輩だった。
「ここで仲間を待っていたの。そしたらあなた達があの死霊と戦っていたから助けてあげたところよ」
その返答に少しイラつくアゼル。どうやら「助けてあげた」という言葉が最強の魔導師の癇に障ったらしい。
…子供かこいつは。
「…で、さっきの女は何者なんだ?どうやら事情に詳しそうだが」
「その質問の前に、先に私の質問に答えなさい」
「チッ…仕方ねえなあ…」
アゼルは渋々ながらも、自分達がなぜ海星高校前まで来た理由を説明した。
「なるほど…どうやら私の忠告は聞いてくれてないってことね」
式部先輩は、呆れた表情をしてそう呟いた。
「別に、俺が何しようが勝手だろ」
「そうね」
式部先輩は素っ気ない返事を返す。
「あなたが感じたという魔力反応は多分私の仲間のものよ。申し訳ないけれど『最上の魔法』関連ではないわ」
式部先輩の仲間…という事は話に聞く魔導騎士団。
魔力反応が学校からしたって事は、つまり海星高校に式部先輩同様魔導騎士団の人間が潜伏しているという事か?
まさかこんな近くに異世界人がもう1人生活していたなんて…アゼルはなぜ気づかなかったんだ?
そもそも魔力反応って言うのは一体何なんだ?魔力が高い人間を指しているなら最初からアゼルが認識していないとおかしいし、魔法が発動する時のエネルギー的なやつか?
疑問に思い、早速その事をアゼルに聞く。
『…俺が言っている魔力反応っていうのは、高濃度の魔力の動き、つまりどこかで高威力の魔法が行使された時にその反応を感じているだけだ』
『他人の体内魔力量は周囲の人間ならば把握する事ができる。高い魔力量の人間なら一発でわかる。が、ある程度距離のある人間の魔力をピンポイントで察知する事は俺には出来ない』
でも式部先輩の正体にはゴールデンウィーク前日まで気付かなかったよな。それはどうしてなんだ?
『その時にも話した気はするが、あいつは何か特殊な力を使って自身の魔力を隠している。どういった方法かはわからんがな』
『学校にあった魔力反応がいきなり消えた事も納得だ。あいつと同じ魔導騎士団の仲間なら同じを方法が使えてもおかしくない』
なるほど。
「それで、さっきの女の正体については話してくれるのか?」
俺との脳内会話を打ちきり、再度「ヒカマスさん」について聞こうとするアゼル。
「部外者に教える義理はない」
式部先輩はそう言い突き放すが、
「と、言いたい所だけど、これから行う私達の仕事に少し協力してくれるなら教えてあげてもいいわ」
突然の誘いに俺とアゼルは動揺する。
「…は?何で俺が魔導騎士団に手を貸さなきゃいかん」
アゼルは不服そうに理由を聞く。
「今請け負っている事件、人手がいるかもしれないのよ。それにあなたが使う【転生の禁呪】。今回その魔法が使える機会があるかと思って」
「その代わりと言ってはなんだけれど、情報共有をしましょう。例の死霊についてだけじゃなく、あなた達が知りたい事全て、答えられる範囲でなら話すわ」
式部先輩のその提案に、アゼルは悩んでいるようだった。
俺としては揉め事に巻き込まれて血生臭い場所へと進んで行きたくはないが、ゴールデンウィークの槍使いの男性の件について聞きたいのは確かだ。
ここで誘いを断って後日聞く事も出来るが、その場合答えてくれない気がする。
対するアゼルは魔導騎士団に協力することに、あまり良い感情を持っていないだろう。
学校の魔力反応は『最上の魔法』とは関係なかったんだ。「ヒカマスさん」の件もそれ絡みとは思えない。
情報提供だけで話に乗るとは思えなかった。
「…わかった。その話に乗ろう」
意外にも承諾するアゼル。
おい、どういう心変わりだよアゼル。如何にも人と組むのが嫌そうな一匹狼みたいな性格してるのに。
『……今は少しでも「最上の魔法」の在処についての情報が欲しい。奴ら魔導騎士団に付いて回れば何か情報が手に入るかもしれん。
それに霊体化する女についても少し気になるしな』
あまり乗り気ではないようだが、アゼルも「ヒカマスさん」の件が中途半端に終わるのは好ましくないようだった。
「引き受けてくれてありがとう」
そう言って式部先輩は海星高校の方へ歩き出す。
俺達もそれに続く。
「まずは仲間と合流するわ。正門で待ち合わせをしているから」
「言っておくが、協力すると言っても俺が前線でお前ら魔導騎士団を守ってやるのは御免だからな」
歩きながら、アゼルは釘を刺す。
「フフッ、別に必要ないわ。私達も自分の身ぐらいは守れるつもりよ」
前にいる式部先輩が笑いながら答える。
1分も歩かない内に海星高校の正門に着く。
数人だが丁度下校する生徒とすれ違う。
他校の制服を着た男子と黒一色のコーデに身を包んだ女子が正門に立っているからか、何人かに訝しまれる。
アゼルが正門から学校内を覗く。
するとこちらへ向かってくる1人の少年の姿が見えた。
少し背が小さい。1年生だろうか。
整った顔立ちに、オレンジ色の髪をきっちりスタイリングしていて如何にもモテてそうな奴が近づいて来た。
「あ?」
俺の姿に気付くなり、少年は立ち止まりいきなりガンを飛ばして来た。
「は?」
いきなりの態度にアゼルも切れたのか、少年と同じように威圧的に返答を返す。
2人の間の空気は一瞬にして殺伐とする。
何やらもう一波乱ありそうだ。これ以上怪我を増やさんでくれ…アゼル。