第十三話:地域都市伝説『ヒカマスさん』
1人の少女がいた。
彼女はごく普通の女の子であったが、母に虐待を受けていた。
少女の家は貧しかった。
母と母の彼氏というロクでもない男と3人で、風が吹けば飛びそうなボロい家で暮らしていた。
母と男は少女に食事を与えなかった。
少女は日中は外で過ごす事を強要され、夜も家に上げてもらえず玄関の前で寝る事もしばしばだった。
母の機嫌が良くない時は殴られた。男には下腹部の性器を押し当てられ、舐めるよう強要された事もあった。
その光景を見た母親にまた暴行を受けた。
しかし、そんな事をされながらも少女は母を愛していた。小さい頃に受けた母の愛情を知っているからである。
少女が四つになるまでは、父もいる幸せな家庭だった。その頃の記憶は朧げだが、母が常に笑顔で見守ってくれていた事は覚えていた。
今はただ騙されているだけだ。あの男さえいなくなれば、また母は昔のように戻ってくれる。少女はそう考えていた。
ある日いつも通り夕方まで空き地で時間を潰していた。たまに遊んでくれる友達がいるが、今日は来ていなかった。
そんな時、少女はある男性と出会った。
「そこの美しいお嬢さん。こんな所で何をしているんだい?」
その男性との出会いは、少女にとって後に運命となった。
ー
ゴールデンウィーク明け2日目。俺は6日振りに学校へ行くため、通学路を歩く。
まだ身体の節々が痛いし、激しく動くと横腹の辺りに激しい痛みが走るが、日常生活に問題はないので登校する事にした。
同じ通学路を利用する生徒達から、一瞬顔を見られるのは折れた鼻とその痣を隠すために顔にガーゼを貼っているからだろう。
気にせず学校へ着き、自分の教室へ入って行った。
「おー!!サボり魔!!今日は来たか……ってお前どうしたんだよその怪我!!」
開口一番に俺の顔を見て驚いている海斗。
「昨日言ったじゃん。事故ったって」
昨日、メッセージで海斗から学校を休んだ理由を聞かれたので、「事故った」とだけ送っておいた。
「ええ…いや冗談だと思うじゃん普通。それにお前、前歯欠けてね?」
海斗は痛々しそうに俺の顔をジロジロと覗く。前歯がない事もバレてしまった。
「いやー!顔からモロに行っちゃってさあ!!歯何本か折れちまった。ハハ」
正直、歯が折れている事はバレたくなかったが、こうなればヤケだと思い自虐していく。
「え、ソウマ君大丈夫!?」
海斗が騒ぐ声を聞いて玲奈もこちらへ駆け寄ってきた。
「うん。ちょっと数本折れちゃっただけだから」
「ええ…でも鼻とか結構痛そうに見えるけど」
そう言う玲奈は俺の顔を見て若干引いていた。
「あー…折れちゃってるけど触らなければ痛くはないから」
「え!?鼻折れちゃってるの??」
さらに驚く玲奈。
「え…本当に大丈夫ソウマ君?…どうせ明日土曜日だからそのまま休んじゃえば良かったのに」
心配そうにそう言ってくる玲奈。
玲奈にこんなに気に掛けて貰えるなんて…この怪我も悪いもんじゃないな…
「いや、流石に2日も授業遅れるのはヤバいと思ったからさ。それに顔だけ酷いだけで身体は全然動くしな」
身体の方も動かすとまだ痛いが、大丈夫だと伝えるため大袈裟に右腕を回して見せた。
授業に置いていかれる事など勿論心配していない。俺が学校に来たのは式場先輩とシルヴィアさんに話を聞くためだ。
取り敢えず、今日の1時間目は体育だった。シルヴィアさんの3組とうちの7組は合同で体育の授業を行う。どこかのタイミングで声を掛けてみよう。
仮にシルヴィアさんがアゼルの敵だったとしても、日中の学校ならば戦う事などないだろう。
そう思いグラウンドへ向かった。
だが、グラウンドにいる3組の面々を見る限りはシルヴィアさんの姿は見えなかった。
「おい!?どうしたよその傷!!」
少し遅れてグラウンドにやって来た海斗が、俺の体操着姿を見て驚く。
正確には半袖短パンから見える素肌の傷にだが。
戦いから数日経ち、カサブタになっているものの、数ヵ所に擦り傷とは思えない傷が手足にいくつもあった。
「だから自転車で事故ったって言ってるだろ」
本当は火の鳥の群れに皮膚を啄ばまれたとは口が裂けても言えない。
「おい、どんな落っこち方したらそんな傷できるんだよ…」
そう海斗に呆れられてしまう。
他のクラスメイトからも驚かれたり気色悪がられたりしたが、それを適当に返事していた。
授業中、3組の男子に聞いてみたところ、どうやらシルヴィアさんは今日登校していないようだった。
仕方ないので次は式部先輩に会う事にした。
昼休み、3年の式部先輩のクラスへ向かった。
少し覗いてみたが、式部先輩の姿は見えなかった。
別のクラスで食べているのかと思い3年全クラスを覗いてみたが見つからなかった。
仕方ないので同じクラスの人にどこ行ったか聞こうと思ったが、流石に面識のない先輩に声を掛けるのは気が引ける。
まあ、3年の教室内をジロジロ見てる2年生って時点でそんな事気にする必要ないのかもしれないが…
放課後にまた探そうと思ったが、そもそも式部先輩も今日学校に来ているのか疑問に思い、同学年の陸上部の男子に聞いてみたらなんと式部先輩は今日朝練に来ていないらしい。多分休みだとも言っていた。
…おかしい。
俺が登校し始めた瞬間、異世界人の問題に関係ありそうな2人が入れ替わりで学校に来なくなるなんて。
俺が病院で寝ていたり、家でゴロゴロしている間に何か事が進展したのだろうか。
このまま2人とも学校に来なくなったりして…
午後の授業はずっとそんな事を考えていたため勉強に全く手が付かなかった。
帰りのホームルーム。担任からの連絡で、最近学校近辺で不審者が出るので下校の際は注意するようにと言われた。
「何?不審者出たのここら辺?」
その話を聞いて前の席の玲奈に話を振った。
「うん。『ヒカマスさん』の事だよね。私も昨日見たよ」
「ヒカマスさん?」
玲奈から話を聞くと、どうやらゴールデンウィーク中盤からここら辺の地域の小中高全ての学校で度々同じ女性が目撃されているのだとか。
主に午後4時から夕方にかけて学校から少し離れた場所から下校する生徒達を見つめている『ヒカマスさん』という女性は、見た目は20代後半かと30代前半、ボサボサの長い黒髪に、薄汚れたピンクのセーターと赤いロングスカートを履いており、目が魚のようにギョロっとしているのが特徴だと言う。
この時期の不審人物や変質者と言えば男性なものだが、女性とは珍しいと思った。
そんな人が下校時に目の前に現れたら確かにホラーである。
「でも何で『ヒカマスさん』って名前なんだ?」
ゴールデンウィーク中に出没し出したということは、まだ4日ぐらいしか経っていないのにもう名前が付けられている事に疑問を覚えた。
「うん。元々は4月の終わり頃から海星高校の方にその人が学校周辺でウロウロしてたんだって。で、丁度その女性の前を通った子の耳元でその女性が『…ヒカ……マス…』って呟いて来たらしいよ」
俺を脅かすように、玲奈は自身の前髪をバサバサと振った後、低い声を出しながらそのヒカマスさんとやらの真似をしてくれた。
名前の由来が何を指しているのか皆目見当がつかなかったが、そういった理由だったのか。
「じゃあ、その女性自体はゴールデンウィーク前からいたのか」
「うん。でも海星高校の先生達に声掛けられてからはこっち方面の学校に現れるようになったんだって」
「へぇー」
以前の俺ならこの手の話に興味を持っていただろうが、異世界人との厄介事に巻き込まれてからはこんな学校の噂程度では刺激が物足りないと感じてしまう。
異世界人が関係しているのかも、と一瞬考えたが話を聞く限り実体のあるちゃんとした人間ぽいし、本当にただの不審者なのだろう。
ホームルームが終わり、俺は足早に家に帰る事にした。
特に用事がある訳ではないが、まだ身体が怠いのでさっさと帰りたいという気持ちがあった。
結局今日は式部先輩とシルヴィアさんの件では収穫なしだった。
このまま2人が学校に来ないと、ゴールデンウィークでの戦いついて、男性の正体や広場破壊の隠蔽など色々明かされないまま終わってしまうのは少しモヤモヤする。
まあ、俺はこの世界の平凡な高校生。変に血生臭い事に首を突っ込むべきではないと思っていても、一度体験してしまったスリルや興奮は忘れる事はできない。
アゼルが脳内に居座っている以上、多かれ少なかれ異世界人達の戦いに巻き込まれていくのだからもう少しこの生活を楽しんでいくさ。死なない程度に。
「お?あれ例の『ヒカマスさん』じゃね?」
下校時、丁度帰ろうとしていた宗則と会ったので途中まで一緒に帰る事になった。
正門を抜け、通学路を2人で歩いていると宗則がそんな事を言い始めた。
宗則が見ている方向を見る。
確かに信号の先の奥の通路に先程玲奈から聞いた特徴を持つ女性が立っていた。
「…ウワッ、本当にいるんだな」
噂通りの服装に、ボサボサの髪、飛び出そうなほど両目をギョロギョロとさせながら、女性は学校の方を見ていた。
どうやら俺達以外の他の人間にも見えているようで、前を歩く生徒達もその存在に気づき、気味悪がっていた。
俺の予想通り幽霊の類ではなく、『ヒカマスさん』は実在の人間だった。
ヒカマスさんは、下校する生徒達に近づくでもなく、ただその場に立ち学校を見ていた。
「なあ宗則。あの人って昨日も見たか?」
何となく興味が湧き、宗則へ聞く。
「いや、俺が帰る時は見てないな。でも昨日帰りに見たって言ってる人は数人いたな」
「ふーん」
俺達が信号を渡りヒカマスさんとは逆方向へ進んでいくと、俺と宗則は別の話題で盛り上がっていた。
その間もヒカマスさんがその場から動く事はなかった。
一瞬、俺が横目で見た時こちらを向いているようにも見えたが、多分目の錯覚である。
『…』
アゼルの意識を感じたが、特に何も言ってこない。
前も式部先輩とすれ違った時にこのように反応していたが、何も言ってこないのでスルーする。
宗則とは駅で別れ、俺はそのまま家に帰ろうとしていた。
『…高い魔力反応を感じる』
唐突にアゼルの声が脳内に響く。
俺はため息をつく。
これは魔力反応がする所まで確認に行こうとアゼルが提案。そしてその場にいた異世界の人間と戦うっていう、ここ2週間でのいつものパターンだ。
おい、アゼル。こっちはまだ前の戦いの傷が癒えてないんだ。変に突っ込んでいってまた前みたいに強かったらどうするんだ。
『確認に行くだけだ。「最上の魔法」の在処に関係するかもしれないんだ。取り敢えず向かうぞ』
アゼルはそう言って俺の足の主導権を奪う。
待て待て!!その魔力反応っていうのはどのくらいの距離なんだ?
『少し遠い。だが、ここから真っ直ぐ進めば着く』
真っ直ぐ進めばって…このまま直進したら目の前のビルにぶつかっちまうよ。
「わかったよ。だけど距離があるなら電車で移動しよう」
俺は観念してアゼルの言う事を聞くことにした。
丁度この道沿いと阿賀見線の線路は並行だ。歩いて行くぐらいなら電車を使う。
正直まだ本調子じゃない身体で距離歩くのは疲れるしな。
すぐさま砂利ヶ前駅へ向かい、ICカードに料金をチャージする。
『?一体何をしているんだ。ソウマ』
珍しくアゼルが聞いてきた。この感じは初めて会った時以来だ。
「ああ。『電子マネー』って言って、このカードにお金をチャージするとその分のお金を翳すだけで使えるんだ」
『??俺の目にはその機械に金が吸い込まれていっただけにしか見えないのだが』
「カードの方にその金額分ポイントが増えるんだよ」
『…普通に硬貨や紙幣で払えば良いではないか。何故ワンクッション挟む必要がある?』
「こっちの方が電車乗る時便利なんだよ。あと、翳すだけだから変にお金出すのに手間取らないしな」
その様な会話を駅の切符売り場でアゼルとしていたが、側から見るとただ俺が独り言を言っているだけである。
ハッとなり振り向くと、俺の後ろに並んでいた人が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。
俺は逃げるようにその場を後にして駅のホームへと向かった。
『「電車」か…知識としては知っているが、実物に乗るのは初めてだな』
そう言えばそうだな。俺は普段徒歩か自転車登校だしな。アゼルと出会ってから電車に乗るのは初めてかもしれない。
『これほどの公共交通機関のインフラを整備している事も驚きだが、それを一般市民が日常的に利用できる事も驚きだ。俺の世界なら王族どもが独占してバカ高い使用料をせしめているところだぞ』
アゼルの世界がどんなものなのか、俺には知る由もないが、俺の世界でそんな独裁したら速攻で政党が変わるだろうな。
そんな事を話している内にホームに俺達が乗る電車がやって来た。
『自動車に乗った時も驚いたが、この電車とやらも魔力なぞ全く使われていないというのだから驚きだ』
俺は電車に乗り込む。
アゼルの言う魔力反応が近づいたら教えてくれ。そうしたらそこに近い駅に降りるから。
『わかった』
その言葉と共にアゼルは静かになる。だが電車内が物珍しいのか、俺の首を勝手に動かして周囲を見回る。
一駅過ぎた時だろか、
『…そろそろ近い』
じゃあ次の駅で降りるか。
車内の電光掲示板に目を向ける。
鮭駅か。確かこの駅のすぐ近くに海星高校があったはずだ。
海星高校と言えば、例のヒカマスさんが最初に現れたという場所だ。
アゼルの言う魔力反応は、まさかヒカマスさんと関係あるのだろうか。
そんな訳はないか。最近は何事も異世界や魔法に絡めて考えてしまっていかんな。
電車を降り、改札を抜けると足が勝手に動き始める。
『ここから先は俺が進む』
アゼルの言う通り足の主導権を渡す。
迷いなく進む足取りは、目的地が既に決まっているように感じた。
数分進んでいると、その先には広い田んぼに囲まれた海星高校が見えてきた。
まさか、反応ってのはあの学校から出ているのか?
『その通りだ』
アゼルの歩みに躊躇はない。
ちょ!!待った!!まさかあの学校の中に入ろうとしてないか?
『?何か問題があるのか』
いや問題大有りだから。勝手に他校の生徒が校内に入ったら怒られるから。
『チッ、だが直接確認しない訳には』
取り敢えずあそこのコンビニで様子を窺おう。あのコンビニからなら学校もよく見えるし。
『…それではあまり意味はないが…従ってやろう』
アゼルは渋々了承してくれた。
足の主導権を戻され、俺はコンビニに入ろうとした時、何か違和感を覚えて奥の一本道の方を見る。
奥の一本道には小さな踏み切りがあった。更にその踏み切りの先に俺はあり得ない物を見た。
「……!!…ヒカ…マス…さん?」
踏み切りの先に佇む人影。
それを凝視すると、そこには学校帰りの通路で見た人間と同じ見た目をした人間が立っていた。