坂木の罠2
「ん……?」
チャイムの音で目を覚ます。ディスプレイに移るのは、昨夜実施したミッションのリザルトだ。
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#前線基地を警備しよう(二〇〇〇―〇六〇〇)
戦果
ゴブリン発見20匹
ゴブリン討伐17匹
被害
なし
最終評価 A
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#前線基地周辺を強化しよう
戦果
トラップ538箇所
ゴブリン討伐17匹
被害
なし
最終評価 A
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「うわ、また寝落ちしちまった……」
似たようなリザルト画面が裏に一〇枚近く重なっていた。
最終評価はほとんどがA評価以上――作戦目標以上の戦果を達成――で、B評価――作戦目標を達成した――つまり、ノーマルクリア――は僅か二つ。もちろん、C評価以下はひとつも出していない。
ちなみに夜間の警備系ミッションは、輸送系ミッションに次いで不人気のミッションだ。理由は拘束時間が長いこと、基本的に防衛ミッションなので戦闘タイミングを制御できないことなどが挙げられる。拘束時間が長く、それでいていつでも戦えるよう集中も切らすことができない。その結果、非常に疲れるミッションになっていた。
時間当たりにこなせる数も少なくなりがちで、戦闘系ミッションに比べてどうしても稼ぎが悪く見えてしまう。
そんな中、勇吾は輸送系や警備系といった拘束時間の長い、支援系と呼ばれる不人気ミッションを優先的に請け負うようにしていた。
――正確には、みんなのミッションの受け方が下手なだけなんだよね。
支援系のミッションは、他の支援系ミッションと作戦領域が被ることが多く、一緒に受領できるという利点があった。
例えば、基地周辺のパトロールをしつつ、ブービートラップを仕掛けて回れば、警備と基地強化ミッションを同時にクリアできる。他にも、輸送ミッションと同時に、輸送ルートのある地域の警備を並行して請け負うなんて手もある。
どうせトラップ設置部隊や、輸送部隊に護衛を付けるんだから作戦区域全体を守ってしまえばいいだけである。
関連する複数のミッションを、大きな一つのミッションとして捉えてやればいいわけである。ミッションを同時にクリアできれば時間当たりの収益は確実に上がるわけで、むしろ、やらない理由が見つからないくらいである。
――なんで、みんなやらないんだろうな……まあ、つまんないからか。
敵を倒せば倒しただけ評価される戦闘系ミッションと違い、支援系ミッションは基本的に減点方式となる。与えられたノルマを一〇〇%こなして初めてB評価を受けられる。作戦中に一つでも瑕疵があれば、評価や報酬が下がるわけだからモチベーションなんて上げようはずがない。
仕事と割り切ってしまえばあまり気にならない。おかげで勇吾の作戦本部からの評価はかなり高く、時給も当初の倍、四〇〇〇円にまで賃上げしてもらっているくらいだ。
もう一度、チャイムが鳴る。
勇吾は慌てて起き上がると、扉を開いた。
「はい、どなたですか?」
「<エアバニCⅢ>と申します」
そこには少女が立っていた。
「はい?」
思わず聞き返す。
「<エアバニCⅢ>と申します」
「……いや、聞こえてなかったわけじゃないです。ちょっと意味が分からなかっただけで」
「本日一二〇〇より、貴官の部隊運営支援に着任するよう、坂木陸将より命令をうけています」
少女は直立不動の姿勢のまま答える。
「着任? 運用支援?」
「閣下より話をお聞きしているのでは?」
勇吾が首を傾げると、少女もまた小首をかしげた。
「…………」
「…………」
見つめ合う。今更気が付いたが、美少女だった。紛れもない美少女だった。いっそのこと、どこかのアニメから飛び出してきました、と言われたら信じてしまいそうな容姿をしている。
――そう、アニメだ。
そうして勇吾は違和感の正体に気付く。長い黒髪に黒目がちな大きな瞳、抜けるような白い肌、まるで作られたような整った顔で、左右対称黄金比率を採用しましたよと言わんばかりに美しい顔立ちをしていた。
思わず、ため息が漏れる。
悪い意味で。
そう、彼女は本当に、アニメのキャラクターみたいなのだ。
無表情、抑揚を控えた無感情な口調、冷めた瞳という典型的なクーデレフェイス。そこに薄灰色の軍服ワンピース――厳めしい軍服に可愛らしいふんわりスカートが取り合わせたコスプレ衣装――が絶妙にマッチしていた。
光を弾く艶やかな長い黒髪からは、頭部からは牛だか羊だか分からない捻じれた一対の角が生えていて、どうも耳につけた近未来的なヘッドフォンから伸びているようだ。
右目にはARグラス――ドラゴンボールで強敵が出てくるとすぐにパァン! ってなるやつ――を付けており、どうも左腕のアームバンドに装着された端末から操作するようである。
極めつけは背負った迷彩柄の巨大なギターケースだ。いわゆるコントラバスケースというやつで、サイズ的には少女よりも遥かに大きい荷物のその先端からは、これ見よがしに銃口らしきものが飛び出している。いかにも銃火器を収納してますよーと言わんばかりである。なんで全部を隠さないんだろう。
「……坂木さん、詰め込み過ぎ」
思わず、犯人の名前を呼ぶ。
「いいえ、私は坂木陸将ではありません」
「それは分かってます」
目の前でコスプレ美少女が電波を発していた。勢い余って属性を詰め込み過ぎて、ストーリー後半で完全に方向性を見失ってしまう類の可哀そうな被害者系ヒロインである。
眉間を揉む。好奇心旺盛な老紳士は、今頃、困り果てる勇吾の様子を離れた場所から観察しているに違いなかった。多分、きっと、とてもいい笑顔で。
「えっと……エア……なんとかさん?」
「<エアバニCⅢ>と申します……定刻となりましたので、これより貴官の支援を開始します」
エアバニ氏が宣言する。問題なのは、勇吾の知る限り、彼女のようなアニメキャラは存在しないことだ。
――つまり、オリジナルキャラの可能性が高い……。
「ごめん、何と呼べばいいかな……」
「それはマスターがお決めください」
――新たな属性キタコレ!
勇吾は頭を抱える。ここに来てサーヴァント属性の追加である。ただでさえお腹いっぱいなところに、チーズたっぷりのシカゴピザが配達されてきた気分である。誰も頼んでねえという話である。
「と、とりあえず、エアさんでいい?」
「問題ありません。私の『ユニット名称』は、やはり覚えにくいでしょうか?」
「いや、別に……普通に名前を教えてくれたら助かるんだけど!」
「ですので、<エアバニCⅢ>と申します」
「おちょくられてる!」
「すいません、本名ですので」
「君、帰国子女かなにか?」
「いえ、日本製です。全パーツ中、七五%がメイドインジャパンです」
「残りの二五%はどこから来た!?」
「中国、タイ、ベトナム、インドネシアですね」
「まさかの東南アジア!」
「中国はASEANに加入していません」
「悪いけど、もう、帰ってください」
勇吾は大きく息を吐くと、扉を閉めるのだった。
*
朝食にグラノーラを食べて、運動着に着替えた。
寝巻類は洗濯カゴに入れておく。後で清掃スタッフが、クリーニングに持って行ってくれる。
ホテルの一室で在宅ワークみたいな働き方をしていると、どうしても衛生面がおろそかになりがちだ。そこで勇吾は、住み込み歴の長い坂木のアドバイスをもらい、ホテルクリーニングの月額使い放題プランに契約していた。月額使い放題なら逆に勿体ない精神が働いて、こまめに服を替えるようになるそうだ。
「ジムでもいくか……」
精神的に疲れたので、いっそ、汗と共に全てを洗い流したいところである。
もちろんトレーニング施設の利用はタダである。むしろ運動不足解消のため、テストメンバーには週三日以上のジム通いを推奨されているくらいだ。破ったからと言って罰則はないのだが、せっかく高価なジム設備に温水プール、専任のトレーナーまで付いているのだから、使わなければ損という気分になる。
変なところで勿体ない精神を発揮した勇吾は、今や週五日はジムに通う常連さんだ。今週は件の輸送ミッションのせいで通えていないが、体が鈍ってしまう前に顔を出したいところである。
「三食きちんと食べて、毎日のように運動。俺、前より健康になっ――」
勇吾は鍛え上げた肉体を見るべく、洗面所の鏡の前でポーズを決め、
「てはいないね」
悲しげにつぶやいた。黙ってタオルをバッグに詰める。
二四時間好きな物を食べ放題という環境のせいで、筋肉と同等に皮下脂肪も育っていたのだ。
つまり、ただ体が大きくなっただけ。シックスパックへの道は遥かに遠く、昼夜問わず室内でゲームをしているせいで肌はどんどん白くなっていく。抜けるような白肌は、常態化した睡眠不足により目の下に刻まれたクマをより深刻に見せてくる。人によっては痛々しく感じられるかもしれない。
寝不足の白いイノシシ。ある意味で、近寄りがたい迫力だけはある容姿となっていた。
「ま、仕方ないか」
勇吾の仕事はゲームのテストプレイヤーだ。いつまで続けられるか分からないが、遠くないうちに終わってしまう仕事である。テスト完了と共に、この不健康な生活ともおさらばである。稼げるうちに稼いでおかなければならない。
「よし、行くか……坂木さんにあったら、とっちめてやらないと」
元自衛官相手に返り討ちに遭いそうなプランを口にしつつ、勇吾は自室の扉を開いた。
そして三〇分前と全く同じ、直立不動の姿勢を取る美少女と会敵する。
「……あの、エアさん? 何でまだ居るの?」
「……私の帰る場所は、もう、ここしかありませんので」
「何の前触れもなく、重い設定を追加するの、止めません?」
大方、坂木氏の仕込みだろう、勇吾は深いため息を吐く。
相手は電波だ。しかも黒幕は面白がっている。
考慮してやる必要はない。
それでも、件の電波少女が重たい荷物を背負いながら、三〇分もの間、部屋の前で待ちぼうけを喰らっていたのは事実であった。
それが作られたキャラクターであっても、一見すれば儚く見える美少女――二次元の世界に存在していたなら――を放置したら強くなる類のゲームでもないのに、長時間、放置してしまったのだ。
それが少しだけ、勇吾の負い目となった。
「あー、よかったら、部屋に入る?」
「はい、感謝を」
エアはそう言って頭を下げる。
勇吾は迫りくるコントラバスケースの先端を辛うじて躱すのだった。