ある日のゲームテスター
「あー、寝すぎた……」
気が付けば朝になっていた。汗で張り付いたVRゴーグルを乱暴に外すとソファーの脇に放り投げる。
ミッション終了後、勇吾は十二時間眠った。これだけ長い時間、眠ったのは一か月ぶりだ。
意識を失ってぶっ倒れていたというのが本当のところ。変な姿勢で眠ってしまったのか、体の節々が痛んだ。
「テスターなんて引き受けるんじゃなかった」
勇吾はうんざりとした様子で呟く。
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新作ゲームのテストプレイ。
時給二〇〇〇円~。(昇給あり)
新作VRゲームのテストプレイヤーを募集しています。
超大型プロジェクトにつき、長期で働いてくれる方が前提です。
また機密保持のため住み込みで働いてくれる方のみの募集となります。
成果によってインセンティブあり。
もちろん、個室完備、三食おやつ付き。
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疫病に端を発する令和の大不況のあおりを受け、勤めていたソフト会社が倒産、社員寮を追い出された。
圧倒的な買い手市場で求職活動は上手くいかず、多くの企業からご多幸をお祈りされる中、唯一の掴み取った仕事こそが、この新作ゲームのテストアルバイトだったのだ。
しかも雇用条件も破格。最初こそ、こんな美味しい話がありえるのかと、いぶかしんでいたものの、募集要項に嘘はなかった。
給料は働いた分だけ出ているし、空調完備の奇麗なホテルまで用意してもらっている。食事はビュッフェ形式で、レストランは二十四時間いつでも空いている。
更にはゲームの成績次第でボーナスまで支給される始末。おかげで貯金はたまる一方。バイト開始から一年が経過し、勇吾の預金残高は今や現在五〇〇万円を超えていた。
しかし、雇用条件に嘘はないからといって、ホワイトであるとは限らない。
四五八時間。先月の勇吾の勤務時間である。
「おかしいだろ、今月、七四四時間しかないんだぞ」
ブラックバイト。働き方改革を推し進める、日本政府の方針から真っ向から逆らう長時間労働である。労働基準局に訴えれば間違いなく勝てるレベルの稼働状況だ。
勇吾がテストバイトをしているゲーム<妖精殺しのメビウス>は、妖精が支配する剣と魔法のファンタジー世界<ナインテイル>に、現代兵器を送り込んで侵略、異世界を征服しようがテーマの戦略ゲームだ。
本当の戦争に参加せよ、が謳い文句だそうで、練りこまれた設定や世界観はもちろん――ゲーム独自の言語まで存在している――グロ描写までサポートする恐ろしくリアルなゲームだった。
もちろん、ジャンルはリアルタイムストラテジー。二十四時間三百六十五日、休むことなくゲームが進行し続ける。
「どう考えても人が足りないんだよな……」
ここで問題となるのが、敵側の存在である。リアルを売りにするゲームだけあり、プレイヤーのログイン状況に関わらず、敵側――ゴブリンを始めとする妖精たち――も動いている。
つまり、夜討ち朝駆けは武家の嗜みとばかり、昼夜を問わず襲い掛かってくるのだ。敵からの襲撃があれば当然、対応しなければならない。戦闘ユニットのAIは貧弱なので放置するとだいたい部隊が壊滅する。
プレイ成績が悪くなれば、痛い目を見るのは勇吾のほうなのだ。バイト先からはプレイの成績が悪かったり、ゲームへの貢献度が低かったりした場合、解雇すると明言されている。せっかく見つけた高収入バイトを失わないためには、睡眠時間を削ってでも攻略を続けなければならない。
しかも<妖精殺しのメビウス>は、世界的にも有名な巨大複合企業が、社運をかけて開発している超大型プロジェクトだ。
数十万人、あるいは数百万というプレイヤーが常時ログインしていることを前提として作られたゲームなので、ミッションの数がアホほどある。リアルを売りにした戦争ゲームなこともあり、ミッションの消化率が悪いと戦況まで悪くなるから始末に負えない。
そのため勇吾たちテストメンバーは、百名に満たない人員で、数万人のプレイヤーと同等の働きをしなければならなかった。もちろん多少はスケールダウンしてくれているはずだが、一人で何十人分の働きをしなければとても回らない状況だった。
結果、始まったのがデスマーチだ。
ゲーム難易度はヘルモード。
敵を倒すたびに見せつけられるグロ画像。
週七日十四時間というプレイ時間。
サボれば無職に逆戻り。
勇吾と同時期に働き始めた初期メンバーは、過酷な労働状況に耐えられず、ほとんどが辞めてしまったそうだ。
「……ああ、転職してえ」
しかし、この大不況の真っ最中、職を辞したところで別の仕事が見つかるわけもない。
引いても地獄、進んでも地獄。
ならば進んだほうがいくらかマシ。
要するに、世の中、そんな美味い話はないということだった。
*
ルームキーを使い、食堂の扉を開ける。そこはまんまホテルの上層階にあるビュッフェ会場だ。
勇吾たちがテストのために宿泊している施設は、元々リゾートホテルだったそうだ。不況のあおりで倒産した際、開発元企業が買い取ったそうである。ゲーム開発のためだけにリゾートホテルまで手に入れちゃうとか大企業様はやることが違う。
ホテルの従業員はそのまま雇用されているらしく、和洋中の様々な料理が二十四時間体制で提供されている。昼夜問わず月四五〇時間を超える過酷なテストプレイを続ける勇吾にとって、なくてはならない設備だった。
今日の気分は中華なので、トレイにエビチリと麻婆豆腐、チャーハン、ワンタンスープをよそった。何故かいつも空いている、食堂隅の見晴らしのいい窓際の席に向かう。
「いただきます」
「おや、勇吾君じゃないか」
白衣の壮年男性が手を振ってくる。
「おはようございます、坂木さん」
「おはよう、こんにちは、かな。隣いい?」
「どうぞどうぞ」
坂木は破顔して、席に座る。よっこいしょというセリフがおじさん臭くて笑う。
「久しぶりだね、勇吾君。調子どう?」
「流石に今回は疲れました」
坂木が分かり切ったことを尋ねてくる。勇吾ほどではなくとも、テストメンバーはもれなくデスマーチの真っ最中だ。
「だろうねえ、あれだけの長丁場じゃねえ」
坂木が茶化してくる。彼は<妖精殺しメビウス>の開発メンバーの一人で、前職は自衛官だったそうだ。つまり雇用者側の人間である。
「本来なら数人でチームを組んでやるミッションですしね」
「輸送系、何故か人気ないんだよな」
「つまんないし、拘束時間も長いですからね。時間単位で見ると効率が悪くなります」
「そう言った意味でも、勇吾君には助けられちゃったなあ」
「ボーナス、期待してます」
勇吾が返せば、坂木が楽しそうに笑う。
坂木は――親子ほど年の離れた相手にいうセリフではないかもしれないが――人懐っこい犬みたいな魅力の持ち主だ。年齢や立場の壁を少しも感じさせないので、勇吾としても気楽に付き合うことができる。
昨日、勇吾がクリアしたミッション<前線を立て直せ!>は、武器弾薬、戦闘ユニットとその交換用パーツといった大量の戦略物資を前線基地に運び込む、という重要なミッションだった。
現在、テストプレイヤーたちは、開発チームからの指示で<ミズガルズ滅亡>というグランドミッション――複数人が長期間に渡って参加する大型ミッション――に従事している。
ミズガルズは、ゴブリンたちが支配する軍事国家――人口五〇〇万人超、しかも国民皆兵制を取る――であり、それを百人足らずのテスト要員で滅ぼしてやろう、という極めて無謀な作戦であった。
テストプレイヤーたちの献身により、現在、国土の半分近くを支配している状況だ。今月中にはゴブリンキングが支配する、王都クライムに総攻撃を仕掛けようとしている。
国一つを滅亡させるというグランドミッションだが、広い国土を蹂躙する関係上、兵站が伸びてしまっているのが問題となっていた。
戦闘ユニットを含めた戦略物資は全て〈ゲート〉と呼ばれる異世界への出入り口から運ばれるのだが、輸送ルートを掴まれてしまったようで、ゴブリン軍による輸送部隊の襲撃が相次いでいる。
おかげで前線基地は深刻な物資不足に陥っているそうで、開発チーム――またの名を作戦本部――は、前線の後退も視野に入れ始めていたそうだ。
職を失いたくない勇吾は、無理をして、この輸送系ミッションを引き受けた。
勇吾が運び込んだ物資の量は合計一二〇トン。このミッションのために輸送力の高い輜重系ユニット<ミミックドンキー>を一〇〇機も追加購入――元々、一〇〇機近く持っていた――し、後方にある物資集積所から一五〇キロ離れた前線基地まで輸送した。
<ミミックドンキー>は高い輸送力と不整地踏破力を持つユニットだが、機動力は低く、耐久性も低め、貧弱な武装――9ミリパラベラム弾を使うサブマシンガン――しか装備できないという弱点がある。
そのため敵部隊の襲撃を許せば、簡単に倒されてしまう。貴重な戦略物資を失いかねないばかりか、運んでいる弾薬が誘爆し、辺り一帯が吹き飛びかねないという危険なミッションだった。
そのため勇吾は、<ヘルハウンド>や飛行ユニット<オウルナイト>といった偵察系ユニットを同時に操りながら、彼らが上げる情報をモニタリングし続け、敵を発見すれば所定の迎撃地点に誘導、戦闘ユニットを操って撃滅する、なんて作業を繰り返さなければいけなかった。
敵を倒せばいいだけの戦闘ミッションと違い、輸送ミッションはとにかく拘束時間が長い。戦闘自体は少ないものの、襲撃のタイミングもコントロールできず、今回のような大規模輸送ミッションだと隊列も相応に長くなるため、警戒範囲を広げる必要があった。
要するに、片時も気を抜けない状態がとにかく時間も続くのだ。そんな極限状態で二八時間も過ごせば、流石にぶっ倒れようというものである。
「高火力で、重装甲で、機動力の高い、輸送ユニットがあれば、もっと楽にいけたんですけどね」
軽く当て擦り。ゲームの開発メンバーに元自衛官が在籍する理由はよく分からないが、リアルを売りにするゲームだから兵器考証の意味で雇われているのかもしれない。
つまり、坂木氏のGOサインが出れば、もっと強力な輸送ユニットが登場する可能性が高いというわけだ。
「いやあ、そうしたいのは山々なんだけども、技術的にいろいろ制限があってねえ」
坂木は痛いところを突かれたと額を叩いた。
「まあ、あまり簡単にしすぎてもユーザは離れちゃいますしね」
「そう、それそれ! 分かってくれて助かるよ」
我が意得たりとばかり何度となく頷く。
「おかげで前線基地も一息付けそうだって言ってたよ」
「あー、それはよかったです」
「でも、まだ物資は足りないみたいなんだよねえ」
「…………そう、ですか」
「誰か、引き受けてくれないかなあ……」
勇吾はさっと顔を逸らした。
「来週ぐらいにもう一回、引き受けてくれたら……臨時ボーナスとか考えちゃうんだけどなあ……」
坂木は「ちらちら」とわざわざ口に出しながら露骨な圧力をかけてくる。ほとんどパワハラみたいな交渉術である。
「具体的にはおいくらほど」
坂木は五本の指を指し示す。
「おっほん、バイトとはいえこれも仕事ですからね」
勇吾が応じれば、坂木はいい笑顔でサムズアップしてくる。
――ああ、またあの地獄が続くのか。
ため息を吐く。元より依頼は断れない立場。目の前にニンジンを吊るしてくれているのだから、引き受けるより他にない。
タダ働きよりもずっとまし。そう思って我慢するしかない。
楽して稼げる仕事なんて、この情報化社会には早々存在しないのだから。