悪役令嬢の母にはなりたくない
目の前に立つ男性は無表情に私を見下ろしている。闇よりも深い黒髪に、アメジストを嵌め込んだような切れ長の瞳。鼻筋は高く、薄い唇は真一文字に引き結ばれている。なんという美丈夫だろう。
ゲーム画面で見るよりも、その美しさは目に毒だ。ミリアリアは前世の記憶を掘り出しながら、小さくため息をつく。
目の前の美丈夫はリヴァル・バートランド伯爵。若くして王宮騎士団団長に登り詰めたお方。そして、今日からミリアリアの婚約者になる。
籍を入れれば、ミリアリアはミリアリア・バートランド伯爵夫人だ。
そう、乙女ゲーム「恋の囀り」の悪役令嬢、アナスタシア・バートランドの母親になるのだ。政略結婚の両親からの愛に餓え、恋敵であるヒロインの暗殺を企て、果てには撃退される憐れな悪役令嬢の母親に。
やりこんだゲームのヒロインでも悪役令嬢でも同級生でもなく、母親だなんて。膨らみのない薄い腹を小さく撫でて、ミリアリアは薄く笑う。
ゲームの世界でも、ここは今生きるわたくしの世界だから。
遠くない未来に産まれる我が子を、悪役になんてさせないわ。
悪役令嬢アナスタシアの性格の悪さは、家庭環境に起因する。政略結婚でお互いに関心のない両親。実子であるアナスタシアですら侍女に放置の日々。そうして愛に餓えたアナスタシアは、貪欲に愛を求めてしまう。
ならば、我が子に夫婦共々愛情と、必要な情操教育をすればいい。そのためにもミリアリアはリヴァルと心から夫婦にならなければならない。ゲームではアナスタシアの回想のスチルにしか現れない二人。これと言った会話のやり取りもないため、ミリアリアは自力でリヴァルと仲を深めなければいけない。
ミリアリアは人好きのする笑顔を浮かべ、リヴァルの手を取った。
「バートランド様、よろしければお話しませんか?」
「……承知した」
公爵家令嬢であるミリアリアにリヴァルは無表情に付き従うだけ。心の中で小さくため息をついて、ミリアリアはサンルームへと足を進めるのだった。
日差しの降り注ぐサンルームで、ミリアリアはお気に入りの紅茶を飲み、ほっと息を吐いた。どうにも、この美丈夫を目の前にして緊張してしまう。
ティーカップの中の紅茶を覗き込みながら、ミリアリアは口を開いた。
「……バートランド様は、この婚約をどう思われていますか?」
リヴァルはミリアリアの質問に、何度も口を開きかけては閉じ、諦めたように目を瞑った。
「貴族界のバランスを取るための婚約です。私は騎士団の団長と言えど、生家は伯爵家の中でも低位。中立派の公爵家との婚約で私は確固たる後ろ楯を得るのでしょう」
「ええ、政略的な婚約ですわ。ただ、私がお聞きしたいのは、政治抜きにしてバートランド様がこれを望まれているかです」
リヴァルはミリアリアの言葉に、眉を寄せた。貴族が家のために婚約をするのは義務である。なのに、この令嬢は本心を問うのかと。
目を開けミリアリアの表情を伺う。猫のような少しつり上がった瞳は、揺るがなかった。一文字に結ばれた口は、リヴァルが質問に答えない限り、開かれないだろう。
「……私がこの婚約で思うことは、貴女に申し訳ない、と言うことだけだ」
「それは何故ですの?」
「貴女は私より八つも歳が下で、公爵家の大切な姫君だ。私のような粗野な人間に嫁ぐとは……不憫な気がしてならない」
リヴァルの言葉を何度も反芻し、かみ砕き、飲み込む。ミリアリアの瞳がきらりと光を増していく。
「と言うことは、現在バートランド様にはお付き合いされている方はおらず、私に罪悪感を抱かれている、という事で間違いないですか?」
まるでコールセンターのクレーム対応みたいな口調だなと、前世の私が笑う。
「あぁ、そうだが」
「なら、ご安心くださいませ!私、あまり家格にはこだわりはありませんの。それよりも、バートランド様に好いた方がいなくてよかったですわ!」
現世の私も思わず笑みが溢れてしまう。
きっと、ゲームのような未来は訪れない。
ミリアリアは気が抜けたように背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。
「私、政略的な婚約であれど、暖かな家庭を築きたいのです。恋が育たないのであれば、家族愛や友情で構いませんの。領民を束ねる主として共に歩めれば素敵ですわ」
脱力したミリアリアのその姿に、リヴァルは嬉しそうに目を細めた。
「それは、素敵な話だ。是非、私も努力しよう」
数年後、恋が咲き、愛が実ることになる。これは悪役令嬢の母にならなかった話。ミリアリアとリヴァルの二人の始まりの話である。
おわり