美少女魔王サロメ、地獄より参上する
―「はい、転生完了」―
今―私は、少女の足を舐めさせられている。十四、五、だろうか。歳のころは。いや、そうだ。そうだった。娘と同い年なのだ。
酸味、埃の甘い苦味が溷濁して味蕾を刺激する。私は三十歳年下の少女のゆびの股を舐めているのだ。犬の様にだらしなく唾液を垂れ流しながらだ。
何故かは分からないが、抗えない。傀儡の運動が推移する様に。
「…チカンのおじさま、ふふ、…波瑠のぱぱさん、アナタのせいで、…こんな場所まで歩いたら足が疲れちゃったから―、舐めて」
悪戯を言うような微笑みに指令された。不可抗の手品めいた指令だった。私は一瞬の迷いもなく、スチールデスクに腰掛けた少女の裸足にむしゃぶりついたのだ。
脳裏に妻と娘の顔が浮かび、散った。―
それは焼けた花被の様に脆く崩れた。面影を看取する間も無く。妻の夏菜子、娘の波瑠の顔が。逆光の中の像の様に、焦げ色に散るのだった。
―しかし。
―転生完了とはどういう事だろう。
美少女と言いうる。制服のブレザーは乳房を強調したラインをしており、何処となくフィクションじみていた。
それから、美少女『サロメ』のきっぱり整った長い髪は―、光線の具合のためか。なにか青いのである。
青ずんで見える。この世界の者では無い様にだ―、
そんなラチもない言葉が空転するのだ。―どうした健太。榎本健太。私よ。四十四歳、エノケン、サラリーマン。着実な会社員。十四歳の娘と二つ下の妻を養う大黒柱。仲良しファミリーのパパ。体脂肪率二十一パーセントが気になりだしスポーツジムへ通いだした凡庸な現実の申し子よ。住宅ローンを抱えた一般的社会人の私よ。―
―どうして通勤路の駅員室で、―娘の同級生の『足を舐めている』のだ?
ああ然し。この女の子は人間ではないのでは無いか?
確かに桜台中学校の制服を身にしている。
確かに娘の波瑠を知っていた。
だが、―何もかも演技がかっていなかったか?
―思えば何故、桜台中学校の生徒が私の通勤電車、あのスシづめの満員電車に乗っていたろう。
また狙いすました様に私の前に背中を見せていたろう。
そうして、不意に振り返り、濡れたイチゴ色の唇は謎の微笑みに転じたのだろう。しかも微笑みは芝居がかった泣き顔に転じたろう。
少女の美しい口元は齧歯類の口吻のごとく尖り、そこにキラキラと微細な産毛が認められた。いやに明瞭にだ。
なぜか其れは動物、いや。幻想の中にしか生きていない烈しい猛獣を連想させたのである。
鵺の様な少女の様な生き物はこう言ったのだ、―
「おじさま、―その。あたしのオシリ、―触らないでください…! チカン、ですか? チカン、なの? チカンとか―、本当にやめて下さい」
振り返る周囲。人面の壁の様だった。
断罪の空気が流れる。冰に似たヒヤリとしたもの。
私を圧する。スーツの上下がブリザードに凍りつきそうだ。今の今まで『日常風景』を形成していた周りは壁を成した。瞬刻のうちに、人面をした冰の壁と化した。
「あんた、次で降りなよ―、」
いかめしい低い声で誰かが言うと、うべなう者がいる。私刑のムードとなる中、
―当の少女は私に擦り寄り、耳打ちをしたのだ。―私にのみ届く、呪句の様な小声で。
「、―ねー、ねー、おじさまのこと、さろめね、ホント〜は知ってるんだ〜。榎本健太さん。榎本波瑠ちゃんのお父さまでしょ。波瑠ちゃんとサロメはね―
―クラスメートなんですよ、く・ら・す・め、〜、と。
同級生なんです―…、」
含み笑い。
何故、微笑うのだろう。
何故、こんな道化じみた退嬰的な口振りをするのだろうか。
嬲り傷つける様に。嗤う様に微笑うのだろう。
「サロメ、しょ・っくぅ〜。友達のパパにチカンされちゃったよー。しくしく。ああぁあぁー、波瑠ちゃん、知ったら悲しみますよね。きっと。深く。深く―。尊敬するパパが女子中学生に痴漢するだなんて―、あ☆それに、―虐められちゃうかも知れないですよ。おじさまの可愛い波瑠ちゃん、―
―中学生なんて残酷なんですから― 」
私は呪句の後半を聴いていなかった。茫洋と判断能力や認知機能を奪取された様に―
脳細胞をぬきとられでもした様に―
サロメにいざなわれる儘、会社への通勤路を途中下車したのだ。
初めて降りる駅だった。
年間二百日以上、いつも乗っている路線に決まっているのに、見覚えの無い様な気がする駅名だった。
それから想起してみたら、被害者である筈のサロメが矍鑠と私を連行するのは可笑しな話ではないか?
駅員や有志の徒が現れもせずに?
駅はほぼ無人、―いや、
思い起こしてみろ、健太。
不思議にも無人だった。働き蜂で犇く朝の通勤時刻と言うのにだ。
そんな駅が有るだろうか。この都心部に。
私とサロメは改札口の前に所在する、無人の駅員室に入ったのだ。
サロメは、
其の時―、こう独りごちた。可愛らしい鈴の鳴る風情でだった―。
―「はい、転生完了」―
…其の瞬間、何か、すさまじい転変を身の内に感じた。皮膚だけを残して体内の細胞が入れ替わったかの様な。刹那の内に何もかもが更新されてしまったかの様な。おぞけと言い得る様なものが私を急襲したのである。
…少女は予め与えられたシナリオを仕遂げていくかの淀みなさで、次にはローファーと濃紺の靴下を脱ぐのだった。
靴下には私の知らない様なポップなキャラクターがワンポイント刺繍されている。サンリオのハローキティやディズニーならギリギリ分かるが、其れとは違うようだった。ツノが生えていてコウモリの翼を携えている不可思議なキャラだった。目が三つ有った。
中身を吐き出してうずくまる靴下には、詩作品にある様な『トパァズ色の香気』とでも言いたいムンとした温かさが漂うのだった。
何だろうか―、騒めきの感覚。男性としての『芯』が刺激される感覚。いや然も且つ、芯が腐敗し萎えていくかの感覚。目眩く感覚だった。
私は顔を上気させたと思う。
すっかり裸足になった皮膚を美少女は投げ出したのだ、これも無人のデスクに細い腰を掛けて。
「…チカンのおじさま、ふふ、…波瑠のぱぱさん、アナタのせいで、…こんな場所まで歩いたら足が疲れちゃったから―、舐めて」
私は這いつくばり、舐めて、舐めたのだ。
たぶん、数時間そうしている。はじめのうちは会社の勤怠がどう等と考えてもいたが、一時間ほどで思惟が石の様になりどうでも良くなった。それより舌が破裂しそうだった。やがてして痛覚を通りこして、いまや殆ど麻痺している。だが私は行為を続行した。舌は出血していた。少女の足のゆびは私の血液で赤くなったが、彼女は色調をウットリと見つめるばかり。
「おじさま、ワンちゃんみたいね、―恥ずかしくないのかしら。娘とおんなし年の女の子の足、そぉんな物欲しげ〜に、がっついて舐めて」
「君は何者なんだ―、私には理解でき―」
「出来ない。当たり前じゃないですか。ケガレなき無垢な少女と☆、汚らしい『ちゅーねん』オジさんじゃ別の生き物ですよ」
カッとした。本質をはぐらかす口調。私を弄んでいるのだろう。メフィストフェレスにでも会っ 「メフィストフェレスにでも会ったようだ、なんておじさまは今、思考しましたよね」
―考えを読まれた。―
私は棒を飲んだ顔つきを晒しているだろうか。少女の爪先に対して。私の血で穢れた白い爪先に相対して。―この娘、何者だ―、悪魔―、いや、そんな存在が居るはずが―、
不意に、ばりん、と音が鳴った。
ほんの直ぐ上方でだ。
なにかが裂けた音だった。
生物的本能として、察知した音のみなもとに視線を投げようとしたものの、―…
どうにも頭を巨大な鉄塊に押さえつけられている様に―、首が動かなかった。脂汗が流れた。
「くるしうない☆、おもてを上げ〜い。余を見よ。許す」
サロメが貴人の様に道化師の様に号令すると、私の顔は私のもので無いように仰ぐのだ―、サロメを。主人さながらに。
―其処に存在するのは既に中学生の少女では無い。
儚げな外貌。それは確かに少女でしかない。
だが―、真っ青に染まった髪は人のものには見えず―。
それが破砕音のみなもとだったのか、ブレザーの背は大きな破口を開いていたのだ。
破口から、ざわ、と覗くのは―…翼。
一双の、此れも髪と同色をした翼であった。…
蝙蝠の様な翼竜の様な。
絵画の様な夢魔の様な。
飛膜を存在させているのだ―、少女は。
…、…、
…、仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空―…
私は無心に、―般若心経を誦していた。胸の内で。幼少期に死別した祖母に覚え習ったものだ。子供ごころに染み付いていたのらしい。
…度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中―…
「なんだ―、君は、私は慄かんぞ―、何者―」
「何者だ、悪魔か☆? 半☆分☆正☆解、て・いうか、その内界に響かせている詩篇? 聖句かしら? 神呪? やめていただける? 耳障りなんですけど」
彼女は僅かに端整な貌を歪めた。
サロメの白皙のかんばせには―、鳥肌めいたものが粟立っている―?
「面倒なおじさまね、意外にもマントラに通じているなんて―
じゃあ、種明かし―
私はね、―
地獄の帝、サロメ、―
アナタを喰いに来たの、地獄からね。
―…、いや―…、もう此処、地獄なんだけど。―
おじさまをね〜☆ 『肉便器』に為に来たのよ―、
―…、いや―…、もう貴方、肉便器なんだけどね。―ふふ、ふぅ」
えっ、―肉?―
何と、―言った?―
―俄かに、―室内に、―なまぐさい陣風が吹いた。