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「よっ! 調子はどうだおまわり?」
「あ! あなたは……」
離れを出てすぐ男に声をかけられた。
「茶木さん……でしたよね?」
きっと狼子を待っていたのだろう。名前を呼ぶと正解だと軽く手をあげられた。
「ありがとうございます! おかげ様で痛みは治まってきてます」
昔から人より傷の治りが早いのが取り柄だった。転んでも半日もすれば元通り。そう茶木に話すと、彼は一瞬だけ驚いた様子をみせた。
「……そうか、それでお嬢は?」
「まだ中でご当主殿と話しをされてます。すぐ追いかけるから正門で待っていろと言われました」
(……ということは、お嬢の予想が当たったってことだな)
目の前の客人の後始末をせずに済むことに、少しホッとする。
「でも広すぎて何処へ行けばいいのか……」
見渡す限り美しく造園された庭に旅館のような母屋。犬飼の部屋だと宛がわれた離家は一棟だけではなく、四方八方に何棟もあるのだから驚きだ。
「すごいお宅ですよね……。何十人くらい住んでるんですか?」
「通いのお手伝いさんは何人かいるが、ここに住んでるのは12人だな」
「えっ!? たったの12人ですか!!」
「ほとんどがダミーだからな」
「ダミー? なんですか……それは?」
茶木の言葉が気になり尋ねるが、
「ま、そのうち分かるさ」
何も教えてはくれなかった。
「案内してやるよ、ついて来い」
犬飼は彼に連れだって歩きだした。その道すがら虎之助に依頼された内容を話す。狼子と二人で行方不明の少女を探すのだと。
「たまにいるんだよ、そういう迷惑なヤツが」
話を聞くや否やその表情は一変する。
「迷惑…ですか? けど彼女は、島の恵まれない子供たちを救おうと活動してたんですよ?」
立派なことだと誉められても、迷惑だと煙たがれる理由はない。
「それが迷惑なんだよ。……いいか? おまわり、あんたは根本的なことが分かっちゃいない」
本国から見捨てられ、人間にもなれない人の集まりがこの島の住人。ここを訪れる者はあっても、この島から出ていく者は誰もいない。いや、正確には出ていけないのだ。
「俺たちには戸籍がない。存在しない人間なんだよ――」
自分たちは。rebirthへ連れて来られた日から、本国にあった戸籍やデータは消去され、その存在を抹消された。二度とその地を踏ませないために。そんな彼らが本国へと出向いて何が出来るだろうか?住むところも職も、人として当たり前の権利さえも手に入らない彼らが。
何百年たった今、政府の支援は少なからず受けているが、その存在を認められてはいない。
「表向きは観光施設なんてほざいてるが、この島に一般の観光客は来ない。来るのは金持ちや政府の要人だけだ」
毎日の定期船も一便、それも人目を隠すかのように夜にだけ出される。誰も寄り付かない島は、彼らにとって打ってつけの場所だった。
「利用するだけ利用して知らん顔する本国には、何百年も前から住人全員は憎しみの感情しかない」
心に深く根付いて、いつ爆発してもおかしくない。マリアの行いは善意のものだったとしても、環境が違えば悲劇を誘う引き金に変わってしまう。
「その嬢ちゃんが悪いやつだとは思わない。良かれと思ってしたことも分かるさ。けどな素直な子どもたちと違って、同情や哀れみで救えるほど簡単なヤツはいない、ここの住人はな」
茶木の静かな怒りがひしひしと伝わる。
「救うなんて言葉、反吐が出るぜ」
◇
「悪い、待たせた」
正門にて待ちわびる犬飼の元へ狼子が姿を見せた。
「いえ……大丈夫です」
離れで別れた時より何だか表情が暗い。腹心はどこかと狼子は尋ねた。
「あっ、……車を取りに行きました」
茶木の名前を出した途端、犬飼の表情は更に暗くなる。それを見て二人の間に何かあったのだと察した。
「茶木にやり込められたか?」
「……えっ?」
目を見開き隣を見る。狼子は正面を向いたままだった。少しして犬飼もまた正面へと向き直すと、俯き加減に話した。
「……はい」
「そうか、」
「善意が悪意になるなんて考え……想像もつきませんでした」
だから彼を傷つけた。何も知らないくせに、さも当たり前かのように振る舞ってしまった。警察官という職業をやっていれば怒りや憎しみを向けられることは多々ある。
「茶木さんに向けられた怒りは、今まで体験した中で一番恐ろしくて……一番悲しかったです」
人として困っている人を救う、それが犬飼の考えであり信念。それはどこにいても、どんな場所でも同じことだと思っていた。でも救う対象が人ならざる者なら?茶木がいうように全てを奪われrebirthから逃げることすら叶わない者たちならば?
誰も必要としていないし、煙たがられているのに…。
「……それでも救いたいって思うのは、浅はかなことなんですかね」
「さぁな……あたしには分からないよ」
「……そうですよね、すみません」
変な話をしたと謝る犬飼に、でも……と狼子が続ける。
「それがお前の『信念』だというのなら、貫けばいいんじゃないか?」
たとえそれが自分を、誰かを傷つけようとも。その覚悟があるのなら好きにすればいい。その言葉に、再び隣に視線を向けた。
「狼子さん……」
「けどな、その信念とやらは胸に秘めとけ。けっして強要はするな」
狼子の顔が、ゆっくりと犬飼へと向けられる。
「そして心得ておけ、――救えない者だっていることを」
交わった視線、琥珀の瞳の奥には、何の感情も見てとれない。
(……それは貴女のことですか?)
そう声に出してしまわぬよう、犬飼は心の中に閉まった。