welcome to rebirth
みぞおちからの鈍い痛みに意識が浮上する。そこにあったのは見知らぬ天井。
「……目が覚めた?」
そして、見知らぬ男だった。
「あ、の……ここは?」
キョロキョロと眼球だけを動かす。シンプルだが気品を感じさせる和創りの内装が視界に入った。
「ここは雅家の離れで、今日からはキミの部屋だよ」
鮮やかな朱色の着流しを見に纏った男は、読んでいた本を閉じ徐に立ち上がると、まだ状況が飲み込めていない犬飼の元へと近寄ってくる。
「ボクはこの家の主で、名前は雅 虎之助。長官からキミのことを頼まれました」
ヨロシクとウインクを一つ投げられた。口調は軽いが空気が重苦しい。少しだけ緊張する犬飼のすぐ隣に、家の主は腰を下ろした。
「あ、の……」
「ずっと寝てたから喉乾いたでしょ? 水飲む?」
初めて会ったのにどこか見覚えのある美丈夫。言葉を遮られた犬飼は、少し間を置いてから頷いた。虎之助の手を借り腹の痛みに顔をしかめながら体を起こす。
「それにしてもごめんね~……ボクのかわいい娘が無礼を働いて。専属の医者が見てくれたけど、骨は折れてないみたいだから安心してね」
案外頑丈に出来てるんだね、なんて誉められた。
「狼子は、他人が自分の髪に触れるのを極端に嫌うんだ。心許した間柄だったらいいんだけどね」
(髪……? 触る……?)
――あたしの髪に触るな
(そうだ! あの時ッ――!)
思い出した。この腹の痛みの原因を。そして、何故に虎之助の顔に見覚えがあるのかを。
「あの女性のお父さんだったんですね」
差し出されたコップを受け取る。
「そう。そっくりでしょ、ボクに?」
髪の色とオッドアイの瞳を除けば、瓜二つと言っていいほどよく似ていた。虎之助曰く、狼子にとって父親に似すぎていると言うのは禁句中の禁句らしい。子供のように顔を膨らませ不満を露す彼がおかしくて笑ったら、一層腹が痛くなった。
「……ッ――!」
「しばらくは痛みが続くと思うよ。さっきキミのお腹見たけどけ、なかなかのグロテクス具合だったし。本人はこれでも手加減したらしいんだけど…本当にごめん」
「……いえ、女性の髪にいきなる触るなんて無礼なことをしてしまった自分が悪いんです……よく言いますもんね! 髪は女の命って!」
「いや、一般的にはそうなんだけど……そういう意味じゃないんだよね」
狼子にとっては。どこか含みを持たす虎之助の台詞。他にどんな意味が……と、首をかしげる犬飼に、彼はただ寂しく笑うだけだった。
◇
「……あの、ご当主」
「なに?」
「ちょっと近くないでしょうか?」
距離が。虎之助の息づかいが聞こえてきそうだ。
「そうかな~?」
そうですとも…観察するようにじっくり見られては、いい気はしないし落ち着かない。それに何故だか虎之助の瞳から視線を外せない。
「キミがあんまりにも可愛いから、つい見とれちゃって」
ニコニコと冗談を飛ばすが、その目は笑っていなかった。最初に感じた重苦しい空気が、犬飼の肩にのしかかる。
「犬飼賢士くん、キミは本国でとても優秀だったみたいだね。資料読ませてもらったよ。その若さで警視の階級ってすごいんでしょ?」
まばたき一つしない琥珀と暗灰色の瞳が、いまだ犬飼を捕らえて離さない。
「それなのにどうしてrebirthへ? 順調に出生街道を走っていたのに、どうして脇道にそれてしまったのかな?」
その理由をどうか教えて欲しい。優しく囁く虎之助の声が直接脳内に語りかけてくる。いつしか犬飼の意思よりも先に口が開いていた。
「わ、からない……んです」
「分からない? どうして?」
何か粗相をしでかしたのだろう。さもなければこんな地に誰が好き好んで来るものか。
「……本当に分からないんです。訳もわからないまま突然命令が出されました」
寄り道をしている時間はないのに。昔から並みの人より要領はよかったが、それでも涙ぐましい努力をして今の地位を勝ち取った。別に偉くなりたい訳じゃない、けれど困っている人を全て救うには偉くなくては駄目なんだということを、犬飼は学んでいたから。
「なるほど……嘘はついてないみたいだね。なら次の質問。キミは雅家のことをどこまで知ってる?」
「ここが更生施設として機能していた時からの管理者だと伺いました」
本国を襲った内乱の後、多くの逮捕者が島へと移送された。rebirth、文字通り更生という意味を掲げて。しかし実態は更生などどうでもよく、体よく邪魔者を葬り去りたかっただけ。その証拠に移送された者ら全員が他国からの移民で、その中の半分は犯罪とは縁遠い者たちだった。ただ自由と希望を求めただけなのに、必要がなくなると同時にぼろ雑巾のように捨てられ、半永久的にこの島に閉じ込められたのだ。そんな彼らの監視と逃走阻止の為に政府に雇われたのが、古来より優秀な能力を持つ雅一族だと聞いている。
「管理者、ね……。ま、いっか。じゃあ……最後の質問だよ。キミのその目、瞳の色はボクの左目と同じだね。暗灰色、この色はとても珍しい色なんだ。ご両親どちらかの遺伝かい?」
「はい、父方の。祖父も曾祖父もこの色だったそうです」
それがどうしたというのか、質問の意図が分からず眉間にシワが寄る。そんな犬飼を気にも留めない虎之助は、しばらく何かを考え込む素振りを見せ、やがて納得したのか今までとは明らかに違う笑みを浮かべ、こう言った。
「うん! 悪そうには見えないから合格!」
それから不快な思いをさせたと、犬飼に対する無礼を侘びた。
「茶木から昨夜のことを聞いて少し気になってね。もしかしたら本国からの内通者かもって……。でも質問にも真摯に答えてくれたし、ボクも読んでたけど犬飼くんがそれである可能性は限りなく無に等しいから……」
――それでいいでしょ、右近
「……あぁ。かまわんよ」
「──えっ?」
虎之助が誰かの名を呼んだ時、初めて気づいた。背の向こう側の気配に。そして呼ばれた者の懐の中の銃口が、いつでも犬飼を貫けるんだと嘲笑っていたことに。
これで二回目。犬飼は自分の不甲斐なさにうんざりした。