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6年目(1185)

一月×日

 父に無期限の蟄居を命じられて1カ月が経つ。自室を出ることを許されず、外部との文のやりとりも禁ぜられ、「反省して、歌本の書写でもしていろ」と命じられた。経典ではなく歌本の書写を命じるあたり、父らしいなぁと思う。



二月×日

 最近は歌本ではなく『源氏物語』を書写している。

 父がこの物語を重視する理由が、昔はわからなかったが、今ならわかる。

 ここに描かれているのは、虚構だが、虚構ではない何かだ。

 現実の出来事ではないゆえに、よりいっそう現実に肉薄するという矛盾の塊だ。

 それは歌に通ずるものがある。

 31文字という言葉の文節で、何かしらの現実の風景だの心情だのを描写し尽くすことなんて、到底不可能である。

 それにもかかわらず歌は、何か現実的なものとして我々に迫ってくる。

 どれほど言葉を連ねても描写しきれない何かを、歌はえぐり出す。

 その「何か」とは畢竟、「あはれ」と嘆息するしかないような、そういうものだ。

 そんなことを徒然と考える。



三月×日

 賀茂祭の描写を読んで、ふと、そういえばあのお姫様も賀茂の斎院であったと思い出す。

 姫様とは今年に入ってから連絡をとれていない。


「来年こそはあなたの家の梅を一緒に見ましょう」


とおっしゃっていたのに、約束を破ってしまった。

 怒っているだろうか。



 賀茂社には、俺なりの思い入れがある。

 俺が歌壇に入ったのは17のときであった。

 賀茂の上社で60人の歌人による歌合が催され、その一人に選ばれた。

 あの頃はまだまだ拙い歌ばかり歌っていて、たしか


「神山の春の霞やひとしらに あはれをかくるしるしなるらむ」


などと詠じたのであった。「人々に知られないだけで、神山の美しい春霞は、賀茂の神が我々に慈悲をかけてくださっている証なのだろうか」、というのを表現したのだが、今から考えると少し理屈っぽい。


 …...とりとめのないことばかり考えてしまう。



四月×日

 復職できることとなった。

 父が尽力してくれたのだという。

 本当にありがたく、そして申し訳ない。


 久しぶりの職場は針の筵であった。

 まったく自分でもバカなことをしてしまったと思う。

 年末に、源の某が俺のことをバカにしてきたのだが、その日はとうとう堪忍袋の緒が切れて、手を出してしまったのであった。

 そんな短慮な俺に周囲は冷たい視線を向けてくる。

 これじゃぁ今後の栄達は望めないか。


 加えて、妻も俺に辛く当たる。

 もともと敵対する家同士の政略結婚の上、俺は歌にしか興味を示さない男だ。

 その上、栄達の道も途絶えたとなれば、離縁したくなってもおかしくはない。


 父は、以前と変わらず、だ。

 といってももともと口数の少ない人だから、何を考えているかまではわからない。

 ただ「励め」とだけおっしゃってくださった。

 最近、気がついた。父の「励め」という言葉には、親愛の情がこもっていることに。

 むかしはそれに気がつかず悩んだりもしたが、父は一貫して俺を愛してくださっている。

 こんな親不孝で、家に泥を塗るような真似をした俺を廃嫡せずにいてくださる。

 本当にありがたい。


 姫様は




五月×日

 疲れる。

 職場で用事をたらい回しにされる。

 雑用をありったけ任される。

 まったく。陰湿な奴らだ。

 家に帰っても、家内の愚痴を聞く日々。

 「これだから御子左家は、歌にうつつを抜かすばかりで云々」と俺のことをなじってくる。お前はもう六条藤家じゃなくてウチの人間って、わかってるんだろうか?



六月×日

 三月の謹慎中に、壇ノ浦で平家が滅亡した。

 それは良い。奴らには散々苦労させられたから、清々する。

 しかし、神剣が見つからないらしい。

 勾玉と鏡はなんとか海中から回収したが、神剣だけは3カ月以上探してもなお見つかっていない。

 巷では「八岐大蛇の怨霊が剣を持ち去った」とかいう噂が流れている。なんでもかんでも怨霊のせいにするのが都人の気質だが、それにしたって八岐大蛇の怨霊って……。


 閑話休題。

 神器たる剣が失われる。それは何か象徴的な出来事に、俺には思える。

 時代の主役はあきらかに公家から武家へと移行しつつある。

 神剣の喪失とは、朝廷が武力を失うことの象徴なのではないか。



七月×日

 大地震。

 重傷。

 姫無事。
















八月×日

 毎日大きな揺れが続く。

 いつくるともわからぬ地震に怯える毎日。

 俺は療養中なので伝聞でしか知らないが、外はひどい有様らしい。

 大地には地割れが走り液状化によって水が噴き出す。

 倒壊し、火災に見舞われた家屋や寺社は数知れず。

 御所の建物も危ういらしく、庭園に臨時の幄が設けられたそうだ。

 人死は数え切れず、また死体の回収作業も捗ってはいない。

 時期が時期だけに、このままだと疫病で、さらに多くの人命が失われるだろう。

 巷では「平氏の祟り」と騒ぐ者たちが後を絶たない。

 祇園の社には、疫病と震災からの守護を祈願する者たちが連日集うているらしい。



九月×日

 午睡を楽しんでいると梅の香がした。


 はて今は秋のはずと思い目を開けると、姫様が覗き込む形で、床に伏す俺を見ていた。

 いったいなんで。というかどうやってここに。とか寝ぼけた頭でアレコレ考えていたが、姫様の表情に焦点が合って、ハッとした。


 姫様は怒っていた。

 いつもはニヤニヤ笑いや意地悪な笑みや微笑みや満面の笑みしかみせない姫様が、目を吊り上げ口をへの字にして、怒っていた。


「なんで私が怒っているかわかります?」


と聞いてくる。分かるわけない。女心と秋の空という。ただでさえそうなのに、姫様の心なんて台風前夜の空模様くらいわからない。

 それでも沈黙に耐え切れず、恐る恐る口を開く。


「梅を一緒に見られなかった件でしょうか」

「それもあります」

「長らく連絡をとらなかったことでしょうか」

「それもあります」

「宮中で暴力沙汰を働いたことでしょうか」

「それもあります」

「暴力沙汰の原因ゆえでしょうか」

「......それもあります。自分のことは侮辱されても耐えるのに、私のことを侮辱されたくらいで人をぶつだなんて。あなたは本当に本当に愚かな人」

「愚かと言いますが、皇族への侮辱は死罪でしょう」

「侮辱と言っても、どうせどうとでもとれるようなネチっこい言い回しで言われたんでしょう? 『お前の懸想している女は、法然とかいう坊主と懇ろらしいぞ。年増好きの懸想相手もまた年増好きなんだなぁ』とか」


なぜわかる。見てきたのか。


「そんなことより、なぜ私が怒っているかわかりますか、愚か者さん?」


姫様は再び俺に問う。


「わかりません」

「まったく。安否確認の文以来、音沙汰が何もなかったからです」

「ああ......」


 そういえば失念していた。

 震災後、姫様に安否確認の文を送り「無事」との返信をもらって安心し、こちらの状況を報告するのを忘れていた。


「それは申し訳ありませんでした」


と素直に謝る。全面的にこちらが悪い。


「いいえ許しません」


 どうやら許してくれないらしい。

 そしてジッとこちらを見てくる。

 どうでも良いが、距離が近い。

 いつ家人がやってくるとも知れぬのだから、もっと距離を取るべきだろう。


 そう進言しようとしたときだった。

 久しぶりに大きな地震が来た。

 家が軋む音を立てつつ揺れ動く。

 突然のことに、姫様は床についていた両手の均衡を崩し、「きゃっ」という小さい悲鳴をあげて、こちらに倒れ込み、俺の胸にその小さな頭をのせた。

 姫様の髪の毛が乱れて俺の顔にかかる。

 梅の香が鼻腔をくすぐる。

 薄手の寝間着越しに、姫様の温度が伝わってくる。

 自分の鼓動の音がものすごく煩い。


 姫様は動かない。

 俺も動かない。

 姫様は動けない。

 俺も動けない。

 時間だけが流れていく。


 廊下から足音が聞こえた。

 姫様はバッと上体を起こし、顔をこちらに見せないように立ち上がったかと思うと、「許しませんからね!」と吐き捨てて、機敏な動きで廊下とは反対側の襖から部屋を出て行った。

 まるで猫みたいな動きだなぁと、思った。



十月×日

 先月、院は源義経の要請で、源頼朝追討の院宣を下した。ところが今になって手のひらを返し、逆に義経の追捕のため頼朝公に「守護・地頭の設置」を認めた。

 院の優柔不断というか、保身のことしか考えぬ態度に、宮中は不信感にみちみちている。

 まぁそれよりも問題は、「守護・地頭の設置」という警察権を認めてしまったことだ。

 警察権のない朝廷は、果たして国家だろうか?

 法律だけあって、取り締まる者のいないというのは、果たして国家だろうか?

 まぁしかし、これからの武士たちの出方次第か。

 当面は奥州での戦に忙しいだろうから、まだまだ善後策を考える猶予はあるだろう。



十一月×日

 あれから姫様は怒りっぱなし、らしい。

 「らしい」というのは、何を考えているのかよくわからないからだ。

 直接会って謝罪したいと文に書いたところ「もう顔も見たくもない」との返事が来た。絶縁かと一瞬思ったが、しかしそれとともに近状報告と、怪我の事後経過の伺いも認められていた。

 以来、文のやりとりは、以前同様に行われている。

 ただ「私はあなたを許していません」と、必ず文末に書かれていることを除いては。

 いったいどうしろと。改めて思う。ワガママで面倒な人だ。


 そういえば。

 謹慎以来、俺はなんとなく気まずくて連絡をとらなかったのだけれど。

 姫様はなぜ連絡をくれなかったのだろう?

 てっきり愛想を尽かされたのだと思っていたけれども。

 気になったので文に書いてもみたのだが、有耶無耶にされた。

 聞かれたくないなら聞かないほうが良い、のかな。



十二月×日

 もうすぐ今年も終わる。

 が、姫様は依然俺のことを許してはくれないらしい。

 しかし今日の文に、許す条件が書いてあった。


 「秋を題に、歴史に残る和歌を詠じなさい。それが出来たなら、許してあげる」


とのこと。

 なんだこの上から目線。

 何様だよ。あ、姫様か。


 歴史に残るって、また曖昧な。

 まぁしかし皇族にそう命令されたなら仕方がない。

 こんな面倒ごと、とっとと片付けてしまおう。

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