4年目(1183)
一月×日
新年早々、母に「嫁をもらえ」という話をされて、げんなりである。
俺ももう22。たしかに嫡男として嫁を貰うべき年頃ではあるが、しかしなぁ。
あの姫様を見ていると、女というのはつくづく性悪なのだという気がしてくる。
性悪女と今後の人生を共に送るなぞ、考えただけでぞっとしない。
なので最近はあまり結婚のことは考えないようにしている。
母のことは適当にあしらっておいた。
去り際に母は「あの内親王殿下は、だめだからね」と言っていた。
なぜあのお姫様の話が出てくるのか。
俺に女っ気がないからか?
いくらなんでもそれは話が飛びすぎだろう。
二月×日
先日、姫様がまた体調を崩したらしい。
文によれば、この時期は床に伏せることが多いという。
「あなたの家で、一緒に梅を見ることができなくて無念」とのことだった。
梅ならそちらの家にもあるだろうに。
そんなにうちの梅が見たかったのか?
俺はうちの梅の枝を一本切り、それを添えて文を送った。
翌日、「あなたは愚かものね」という旨の歌が帰ってきた。
意図がよくわからなかったが、あまり出来のよい歌ではなかったので添削して返信した。
それからしばらく返信がない。
最近は三日おきにやりとりしていたのに、もう十日ほどない。
体調でも悪化したのだろうか。
三月×日
ああ、今日はなんて素晴らしい日だろう!
先日、父が勅撰集の院宣を賜うた。
偉大な歌人の父が選ばれるのは当然であるが、
父はなんと、その撰者の一人に俺を推挙してくださったのだ!
ああ、俺が勅撰集を!
なんたる光栄! なんたる至福!
喜びを誰かに伝えたかったが、残念ながら素直に喜びを分かち合ってくれそうな友に心当たりがない。いや、友がいないわけではないが、まぁ俺も顔が広いから、いろんなところに友がいるが、まぁそんなことよりも、誰かにこの喜びを伝えたい!
三月×日
俺としたことが。
気分が高揚しすぎて、あろうことか、あの姫様に、勅撰集撰者内定の報を入れてしまった。
あとから考えたらどうかしていた。
どうせまたからかわれるに違いない。
三月×日
返事が来た。
「あなたはとても素敵な歌人だもの。撰者としてあなた以上の人なんていないわ」
とのことだった。
これまた高度な嫌味すぎて、どこをどう解釈すればよいのかわからなかった。
まったく。
四月×日
結婚することが決まった。
相手は六条藤家の娘。
六月×日
疲れた。
この数ヶ月、撰者組織の立ち上げにかんする会合が何度ももたれ、何度も議論が紛糾し、何度も殴り合い寸前まで行った。皆、歌に対して熱い情熱をもった者達だ。議論が白熱するのは当然の事。かくいう俺もまぁ、何度かやらかしてしまった。若輩者のくせに目上の方々に食ってかかってしまって、申し訳ないことをしたと何度も反省した。それでも皆、こんな不束者をゆるしてくださった。ありがたいことだ。
それにしても俺も父も忙殺されていて、近頃は姫様の相手をしている暇がなかった。
そのせいでお姫様はすっかりへそを曲げてしまったようで、最近では毎日毎日うらみつらみを文に認めて送ってくる。
一応、来月からまた教授を再開することで納得してもらえた。
七月×日
最悪だ。
今日は姫様のお守りの日だったが、予定は延期になった。
いや、それは別にどうでもよい。
むしろ延期になってくれてよかった。
あの姫様といると疲れるからな。
うん、よかった。
いやまぁそれはどうでもよくて。
最悪なのは平家の連中だ。
あのくそったれども!
義仲とかいう源氏の手の者が都に迫ってきていると知るや否や、帝を連れて西国に逃げやがった!
しかも三種の神器とともに、だ!
これは、これはもしかして、我が国史上最低最悪の出来事なのではないか?
よりにもよって神器ごととは!
国が割れるぞ!
八月×日
宮中は連日連夜騒然としていていた。
なにぶん前例のないことだ。
どう対応するべきかで喧々諤々たる議論が巻き起こったが、一応の決着を見た。
高倉帝の第四皇子殿下を践祚したのだ。
まだ幼い方でいらっしゃるが、実際の政は、今まで通り院が執り行いになる。
問題は、神器がない以上、即位の儀式を行うことができないことだ。
前帝は公式に退位をしてはいない。平家の連中は前帝を旗印にするつもりらしい。
今この国には、二人の君主がいらっしゃる状態だ。
『日本書紀』に継体帝の前例があるとは言え、神器が向こう側にある以上、みながみな納得するわけにもいくまい。
加えて院の優柔不断な態度が火に油を注ぐ。
九条の兼実殿のとりなしで宮中はなんとか平静を保ってはいるものの、今後どうなるか全く予想できぬ。
この国はいったいどうなってしまうのか。
九月×日
まったく最近は忙しくてかなわない。
平家の連中が瀬戸内海の制海権を得たせいで、西からの年貢調達が絶望的となった。
さらに東もまた源氏が我が物顔で土地を占領していて、こちらも手出しができない。
東西から年貢が届かない。
このままだと冬を越せないのではないか。
入京した義仲の軍どもによる略奪も、目に余る。
武士だのなんだの言っても、所詮は野党と紙一重の連中。
京全体に、不安が広がる。
十月×日
源頼朝公に対して、朝廷はとうとう東国の支配権を公認することとなった。
武士ごときに政治を任せるなど業腹ではあるが、背に腹は変えられまい。
十一月×日
国難は続く。
義仲軍が源氏方から離反。
院は義仲を朝敵と認定し、官軍を向けるが、惨敗。
院と帝は幽閉されてしまった。
不逞の輩が国権を奪取してしまった。
武士どもが、官軍を容赦なく切り捨てて行った。
五条河原には夥しい量の首が晒された。
由緒ある寺社が幾つも燃え盛る。
婦女子の叫び声が上がる日も珍しくない。
ああ、まるでここは地獄ではないか。
九条の兼実殿は「狂乱の世なり」とぼやいたそうだが、
まったく酷い時代に生まれてしまったものだ。
十二月×日
今年ももうすぐ終わる。
前半は歌のみに専念できて幸福であったが、後半は散々な年であった。勅撰集編纂作業も延期となってしまった。
ただでさえ散々だったのに、あの姫様ときたら、三日に一回は文を寄越す。
「実際に会って教授していただけないなら、せめて文でご指導ご鞭撻いただけないかしら」
ときたもんだ。
こちとら忙殺されているってーのに、少し返信が滞っただけでも恨みの歌をわざわざ添えて文をよこす始末。
本当にいやになる。
こんな目に会うくらいなら、文でやりとりするよりも直接会って話をした方がまだマシだ。
来年はせめてそういう年になればよいと思う。