3年目(1182)
一月×日
年始め、久々に寂蓮殿が我が家にいらっしゃった!
非常にうれしい!
従兄とはいえ、相手は歌の先達。
俺の尊敬する歌人の一人だ。
話題は近年の歌壇についてが主であった。
「誰か注目株はいるかい?」と尋ねられたので、姫様の名前を挙げておいた。
まぁあの姫様の歌はそんなに優れているわけではないし、遊び程度で歌をしているだけだろうから、真面目に推薦したわけではない。
しかしあの姫様も曲がりなりにも皇族。褒めておくに越したことはないだろう。ここらで一つヨイショしておけば、巡り巡って俺にも利益があるかもしれない。
そう思って、特に褒めるべき点もないのに、美点をむりやりひねり出し寂蓮殿に語って聞かせた。すると寂蓮殿は「そうかい。あなたがそこまで褒めちぎるのだから、相当な腕前なのだろう。ぜひとも歌を見せてもらいたいものだ」とニコニコとおっしゃった。
それでさっそく姫様の歌を書いた和紙を持ってこようと席を離れた。部屋を出ようとしたとき、寂蓮殿が小さな声で「あいつが人を褒めるのは初めてきいたなぁ」と言った。
二月×日
今日は姫様のお守りの予定だったが、姫様の体調が悪いらしく休みとなった。
季節の変わり目で体調が崩れたのか。
まったく仕方がない人だ。
本当に周りに迷惑ばかりかける女だ。
でもまぁ健康を気遣うふりくらいはしておくべきだろう。
だから明日、文でも書いてみようと思う。
二月×日
女性宛ての文というのはなかなか気を遣う。
最近の平清盛逝去の話題でも書こうかと思ったが、
女性に政治の話題はまずいだろうか。
二月×日
庭の梅の花の話題をしようかとも思ったが、
あちらの御宅の梅の花の方が美麗だという噂だった。
この話題もあまりよくないかもしれない。
二月×日
歌の話をしようとしたら、熱が入りすぎて徹夜をしてしまった。
挙句、歌道論のような文章構成になってしまった。
さすがにいきなりこれを送られてもこまるだろう。
二月×日
必要最低限のことだけ書こうとしたのだが、
それはそれで味気がなさすぎる。
かといってこれといって適切な話題が思い浮かばない。
二月×日
快癒の知らせが届いた。
末尾に歌が添えられていた。
まぁまぁの出来だったが、まだまだの出来だったので、添削して返信した。
三月×日
姫様が世話になっている家に、最近新興宗教の坊主がよく姿を見せるらしい。
まぁ世を儚む身の上の姫様である。
加えて先月の病で気弱にでもなったか。
仏法にすがりたくなったのかもしれない。
三月×日
噂では、その坊主は比叡を破門になった破壊僧だとかなんとか。
なんでも念仏だけ唱えていれば成仏できるだとか嘯いているらしい。
仏僧にもかかわらず、修行をないがしろにした教えをするとは。
なげかわしい。
三月×日
破門されたという風評は誤りだったらしい。
なんでも東大寺の大勧進職に推挙されるほどの人物だとか。
しかし性格は悪いに違いない。
なにせその推挙を辞退したというのだから。
それってあれだろ。面倒な役柄を放り投げて、自由気ままに新興宗教の教祖様として大きな顔をしたいのだろう。
まったくロクでもない。
三月×日
姫様が世話になっている家に、また例の坊主が現れたらしい。
姫様は世間知らずだから、騙されているのではなかろうか。
二十歳まで外界から隔離されて育った女性だ。
それから十年近く経っても、あまり他所と交流せずに過ごしているらしい。
そりゃあカモにされるのにうってつけの女だ。
三月×日
姫様は例の坊主に懸想しているとの噂が流れた。
四月×日
今日は姫様のお守りの日、だったのだが。
喧嘩する羽目になってしまった。
新興宗教にはまる姫様に、少しきつめに説教したのがよくなかった。
姫様が言うには、その坊主の教え自体に興味はなく、ただその人柄ゆえに友人関係になったらしい。
はてさて本当にそうか。
まったく世間知らずのお姫様は。
五月×日
なんとなく小説を書いてみる。
唐を舞台にした恋愛ものだ。
まぁまぁの出来。
さすが俺。
歌だけではなく小説まで書けるとは。
六月×日
日記を書く気分じゃない。
七月×日
日記を書く気分じゃない。
八月×日
最近は、秋を題材にした歌を主に詠じている。
秋というのは、歌にされることが最も多い季節だろう。
それは紅葉や月といった風景が美しいことも理由だろうが、
おそらくその肌寒さがもっとも大きな要因ではなかろうか。
「君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」や「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」のように、肌寒さは寂しさを喚起する。
誰かとともにありたいという気持ちが強まる。
その気持ちの高ぶりが口から漏れて歌となる。
そういうものなのかもしれない。
九月×日
秋を題材にする。
今年はやたらと肌寒い。
十月×日
まったく、まったくもって、はなはだしく、苛立たしい一日であった!
十月×日
昨日の話をしよう。
書き忘れていたが、六月に姫様のお守りをめでたく解任となった。
父曰く「そろそろ私が殿下の面倒を見る」とのことだった。
おそらく姫様は坊主をめぐる喧嘩でひどく気分を害し、指導者を変えるよう父に申し出たのだろう、まったくわがままな姫様だ、しかしこれでやっとあのわがままで性悪な女から解放される。
そう思って喜んでいたのだが、どうやら神は私を相当お嫌いらしい。
昨日、庭で紅葉を愛でながら歌を作っていたときのことである。
今頃あの姫様は父にしごかれているに違いない、この俺ですら父から認められるまでに長く険しい道のりだったのだ、あの素人女がそうそう簡単に認められるわけがあるまい、もし認められたら、それは俺よりもよっぽど天才ということになろうが、しかしそんなわけはないし、もしそうなら俺が姫様と二人になることも今後あり得まい。そんなことを考えながら歩いていたら、ふと後ろから梅の香がした。
それで振り返ったら、なんと私のすぐそばに姫様がいるではないか!
俺は驚きのあまり、姿勢を崩して後ろに倒れこんでしまった。
そしてあの性悪女は、俺の無様な姿を見て、腹を抱えて笑いやがったのだ!
「振り向いて驚くのはわかるけど。振り向いて、一瞬ポカンとした顔して停止して、それから驚いて、その上で転ぶなんて。あなたは本当にかわいい人」
などと言いながら!
羞恥に自死したくなるのを耐えつつ、立ち上がりなぜここにいるのかと尋ねれば「あなたに言伝よ。あとは任す、ですって」とのことだった。
話を聞けば、姫様の意向は関係なく、父が「そろそろ自分が面倒を見るか」と思ったらしい。
そして実際に教えてみたら筋は悪くない。姫様は「息子殿の教え方がお上手ですから」と言ったらしく、だったら自分が教えず俺に任せればよいと父は判断し、またお姫様の子守役を俺に押し付けることにした、という流れらしい。
まったくお姫様も余計なこと言ってくれるし、父も余計な判断をくだしてくれる。ようやく楽になれたと思ったら、また子守に再任とは! 憤懣やるかたない。
「ねぇねぇ、私と会えなくて寂しかった?」
と姫様は聞いてくる。それに対して俺は
「そういう発想が出るのは、姫様が寂しかったからでは?」
と返してやった!
俺はしてやったりと思った。いつもからかわれている意趣返しだ。今日は俺がからかってやろう。先ほどの羞恥を100倍返しにしてやろう。そう思っていた。ところが姫様はなんでもないというふうに自然体に
「そりゃあ意中の人と会えなければ、寂しいに決まっているでしょ」
と言い放った。
一瞬、時が止まった気がした。
目と目があう。
久しぶりに見る姫様の顔が、懐かしく思える。
きれいな顔だった。
いやまぁそんなことはどうでもよい。
言葉に詰まっていると、あの女
「なーんてね。まーた間に受けちゃうんだから、愚かな人」
といいやがった!
もうこの女の相手をするのは本当に疲れる。そんな真剣に見つめられたら、誰だってドキッとするのは当然だろうに。いったいどれだけ俺をからかえば気がすむのか。
「でも」と姫様は続ける。
「文のひとつくらい、くれてもよかったのではなくて?」
と、少しだけ怒っているような口ぶりで言った。
そんな口ぶりなものだから少し狼狽して
「送ろうにも何を書けばよいかわからなくて」
と言ってしまった。
そしたらあの女、獲物を見つけた猫のような目つきで
「へー送ろうとしてくれたんだ」
とのたまいやがった。
「いえ、今回ではなく、如月の時分の話です」
と淡々と事実を述べれば、
「そう。あのときね。そっか、あなたって本当に愚かな人。文なんて、なんでもよいのよ? 歌道論でも政治の話でも庭先の梅の話でも。なんでもよいのよ」
と見透かしたようなことを言われる。それでまた俺は少し動揺してしまい、またからかわれ、を繰り返す羽目になってしまった。
あの女と話すとひどく疲れる。
まったく。
十一月×日
少し焦る。
今年はあまり歌に身が入らなかった。
去年は父に褒められたが、今年もそうとは限らない。
去年の出来がたまたまよかっただけで、今年は父を落胆させてしまうかもしれない。
胃が痛い。
十二月×日
ああ、なんて素晴らしい日だろう!
披露した歌に目を通して、父がお泣きになられた。
一瞬何が起こったかわからなかった。
あの父が、涙を流したのだ。
そして
「もとより大器といえど、その齢にしてここまでの境地に至るとは。我が子ながら嫉妬さえ覚える天賦の才とその弛まざる努力よ」
と手放しで俺のことを褒めてくださった!
ああ、感極まって俺まで泣いてしまった!
「理知的な面ばかりが目立っていたが、情感もそれに伴うようになったらしく、父は喜ばしく思うぞ」
とも褒めてくださった!
何を褒められたのかはよくわからなかったが、とにかくめちゃくちゃたくさん褒めてくださった!
うれしい!
十二月×日
相変わらず姫様にからかわれる。
いったいいつまでこんな日々が続くのだろうか。
はやく姫様の子守を終えて楽になりたい。
そう思っていると、俺の心を読んだが如く
「ずっとこうしてあなたのことをいじめていたいわ」
などと恐ろしいことを言いだしやがった。
冗談じゃない。
まったく。