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2年目(1181)

一月×日

 源の某に、「お前の歌はつまらん」と面を向かって言われる。

 以前なら「歌を解せぬ成り上りめ!」と憤りを覚えるだけであったが、最近は、なぜか、怒りよりも、気落ちの方が、強い。

 俺には、才能が、ないのだろうか。



二月×日

 また母に嫁取りの話をされる。

 そんなに何度も言わないでほしい。

 わかってる。俺みたいなやつのところに来る嫁がいないことくらい。

 歌以外に取り柄がないし。

 その取り柄も本当にあるのかないのか、だんだんわからなくなってきた。





三月×日

 歌を詠む気がおきない。













四月×日

 今日は久しぶりにブチ切れた!

 もうありえない! 本当に、まったく、どうにもありえない!

 あのあばずれ許さない!

 もうとにかくありえない!

 ありえなすぎるから今日はもう寝る!



四月×日

 昨日のことを書こう。

 父のもとに、内親王殿下が弟子入りした。

 賀茂の社の斎院だった姫様だ。

 病で務めを果たせなくなり、今はどこぞの家の厄介になっているという。

 そしてその無聊を慰めるために歌道を習いたい、という次第だそうだ。

 正直面倒ごとに巻き込まれた、と思う。

 女性、それも内親王が男の家に出入りするのは外聞が悪い。

 当然箝口令が敷かれている。

 まったくお姫様のわがままに付き合わされる我が家はたまったもんじゃない。

 それだけでも業腹だが、その上この女、ひどく性悪だった!


 その姫様と引き合わされて後、父は俺に「とりあえずお前が手ほどきしてやれ」と言って部屋を去った。

 父は歌の天才だが些か常識に欠けるところがある。男と女をふたりっきりにするとは。

 しかもこの姫様、見てくれは悪くない。まぁ美人、と言ってもよいかもしれない。そんな女といきなりふたりっきりにされれば、誰だって少しは動揺するだろう?

 まぁ俺も少々動揺したがそれを見事に隠し通しつつ、「さてどうしましょう」と言った。

 すると姫様は「まず手本を見せてくださる?」というので、俺は即興で一首詠じてやった。 

 その歌を聴いて姫様は「まぁ」と声をあげ、「夢想的で幻想的な、素敵な歌を詠ずるのですねぇ」と評した。

 久しぶりに他人に褒められた。それもあんな美女に褒められたのだ。正直、少し嬉しかった。が、喜んだ俺がバカだった。

 「でもねぇ」と姫様は続ける。


「あなたの歌って、艶がないわねぇ。ねぇ、あなたってもしかして、童貞?」


と尋ねてくる。

 俺は一瞬何を言われているかわからなくなった。だっていきなり面と向かって「童貞」かどうか聞くだなんて!

 人としてどうなのか。俺が答えに窮したもやむをえないだろう。

 なのにあの女!

 こちらが沈黙しているのを良いことに、クスクス笑っていやがった!

 これは男の沽券にかかわると思い、俺は毅然とした態度で「違います。童貞じゃありません」と言ってやった。たしかに俺に女性経験はない。しかし、何をどうすれば良いのかは聞き及んでいる。いざ本番となれば上手くできる自信はある。だから身は童貞でも心は童貞じゃない。俺は童貞では無いと言っても過言ではない。

 まぁ俺が童貞かどうかはともかく、あの女、笑い声を立てて「どもっちゃってかわいい人ねぇ」とかほざきやがった!

 どもってない!

 いやもしかしたらどもったかもしれないけど、だとしても、だからなんなのか?

 どもるかどうかは問題じゃないだろ。問題なのは男の矜持を傷つけようとするお前の性根だ! 全くもって言われるがままになっていた自分にイラつく。これは非難してしかるべき事態だと判断した。それで俺は口に出す言葉を選んでいたのだが、そのせいで気がつくのが遅れた。あの姫様、知らぬ間に俺の間近までにじり寄ってきていたのだ! 


「ねぇかわいい人」


と姫様は俺に囁く。

 その吐息が顔にかかる。

 梅の香がする。

 頭がしびれる。


「歌道のてほどきをしてくれるとのことだけど」


と姫様は続ける。

 いやに色気のある声色で、吐息のかかる距離で、


「私があなたに、色事をてほどきしてあげても、よくってよ」


と言った。


 そんな状況で思考停止した俺を、誰が責められる?

 しかし思考停止したのがダメだった。どうしたものか思案していると、姫様はいきなり吹き出し、腹を抱えて笑いだしやがったのだ!


「冗談よ、冗談。ごめんなさい。真に受けちゃった?」


 もう、まったく、この痴女は!

 いったい、おれをなんだと思っているのか!

 俺はもう今まで生きていて一番の屈辱を受けた!


 それから後のことは記憶にない。気づいたら自室で泣いていた。

 きっと怒りのあまり自失し、怒りのあまり涙が出てきたのだろう。

 まったくとんでもない女だ。


 しかも、よくよく考えてみれば、あの女は斎院だった身。

 斎院というのはいわば神に嫁いだ身。

 神に操を立てねばならぬ身分。

 いまは斎院を退いたとはいえ、同じこと。

 ってことはだ。あいつ自分だって経験ないんじゃねぇかよ!

 くそくそくそ!

 もう許せない。


 しかし、あの姫様の身の上を思い、少し溜飲を下げる。

 あの女ももう三十路過ぎだが、嫁ぎ先の宛てがないらしい。病気ゆえとはいえ、斎院を中途半端に放り出した身だ。そもそも神の伴侶を嫁にもらいたい男はいないだろう。

 いまは縁者のもとに身を寄せているとはいえ、そのうち厄介払いされるだろう。そのあとあの姫様にどんな不幸が待ち受けるか。それを想像することで、怒りを発散させる。


 しかしまったくとんでもない女だ。

 もう2度と会いたくない。

 なのに父は無情にも「二月に一回うちにくる。相手にせよ」とおっしゃられた。

 ああ。いまから憂鬱で仕方がない。



五月×日

 先月の屈辱が頭から離れない。

 余計なことを考えずにイライラを抑えるために、最近は寝ても覚めても、一日中歌のことばかり考えるようにしている。



六月×日

 今日はあの姫様がやってきた。

 前回のこともあるので警戒してたら「緊張しちゃって、かわいい人」と笑われた。

 緊張してんじゃなくて警戒してんだよ!

 まったくもってイライラする女だ。

 しかしこのイライラを発散させる方法を、俺は思いついていた。

 つまり、歌を詠じさせ、それに難癖をつけまくって、虐めてやれば良いのだ。

 この女の鼻を明かすことができる上に、うまく行けばへこたれて我が家には2度と寄り付かなくなるだろう。

 そうした考えのもと、試しに題を出し、何首か即興で詠ませた。

 すると、まぁ、意外というかなんというか、俺ほどではないし、あれではあるが、まぁ及第点ではあった。

 「どうだった?」と感想を尋ねられ「お上手です。私が教えることなどないかもしれません」と返した。

 するとだ、あの女、こちらの世辞を真に受けて、調子に乗って「そうねぇ。私が教えてもらえることは、ないかもしれないわ」と言いやがった!

 そして「逆に、私があなたに教えてさしあげましょうか?」とまで言う。

 またこの女、こういう言い方をする。しかしもうからかわれたりはしない。

 俺は意趣返しに「いったい何を教えてくださるのでしょうか」と聞き返す。

 するとだ。あの女「歌に情感をもたらすために必須なあの経験を」といいやがった。

 驚いて


「でも、あなたは元斎院だから、そんな経験ないでしょう」


と俺は聞き返す。斎院なのに、経験がある? いや、この女ならあり得るか? しかしそんな神をも恐れぬことを、誰と?

 そうした疑問が頭の中でぐるぐるしていると、ああ先日と同様に、あの女また腹を抱えて笑いだしやがった!


「ねぇかわいい人、いったい何の経験を想像しているの?」


 俺はどう答えたものかわからず沈黙してしまった。


「私が言っているのはね、月見や花見の経験よ。ねぇそういった経験の積み重ねって、歌に情感をもたらすために必要でしょ?」


 むちゃくちゃイラッときた。それでついつい嫌味を言ってしまう。


「なるほど、確かに経験の積み重ねによって月や花の歌にも情感が生まれるというもの。ではねやの経験のないものには、恋歌は無理とお考えですかな」

「あらあら。そんなことはありませんよ。たとえば、」


姫様は一呼吸置いてから、詠じた。


「つかのまの闇のうつつもまだ知らぬ 夢より夢に迷ひぬるかな」


 それは、即興とは思えぬ、わるくない、歌だった。

 あまりに、悪くなさすぎて、絶句してしまう。


 現実うつつには、刹那の逢瀬すら果たしたことがない。

 そうだとしても、夢の中で、相手を求めてしまう。

 相手を求める夢を見てしまうのだ。

 いやむしろ、現実の情事を知らないからこそ、情事への煩悩は際限を知らない。

 暗闇の中での睦事をまだ知らぬ身だからこそ、よりいっそう閨の営みへの妄念は膨らんでいく。

 何度も何度も夢に相手が出てくる。

 懊悩しつつ、また相手に会いたくて、夢に惑う。


「どうですか、先生?」


 姫様の声を聞いて、ハッと現実に引き戻される。

 気づけば姫様がニヤニヤと、意地の悪い笑みを顔に浮かべている。

 …...どうもこうも、うまく意趣返しをされた感がある。

 負けた、という気がする。

 姫様はさらに追い討ちをかけてくる。


「ところで、先生には、閨の経験がおありでして?」


 結局、そのあとも散々からかわれてしまう。

 もうあの女の顔も見たくない。



七月×日

 歌に励む。

 先月、あの女、教わる立場のくせして俺が手本として詠じた歌に難癖つけてきやがった。

 やれここはこうしろ、そこはああしろと、素人考えで好き勝手言いやがる。

 ムカつくが、しかし、その批判は的を外してはいないものが多かった。

 まったくド素人の感受性というのは案外バカにできない。

 しかしこのまま言われ放題というのも業腹だ。

 いつかアイツをぎゃふんといわさなければ。



八月×日

 今日はあの女と会う日。

 まったくもって今日も性質の悪い下品な冗談ばかり言いやがる。

 「そんなはしたないことしていてはいけません」とたしなめれば「女性なんて案外こんなもんよ。ねぇかわいい人、女性に夢を見すぎではなくって?」と恥じらいのひとつもない!



九月×日

 源の某にまたしてもバカにされる。

 しかも公衆の面前で。

 「貴公の歌は、禅問答のようでとても高尚だな」などと嫌みを言われた。

 言い返したいが、口下手なせいで、うまく言葉が出てこない。くそ。


 なんだか最近、気分が低調だ。


 年末に、父にまた歌を披露する。


 だが、俺の歌が認められることは、きっとないだろうという、気がする。


 また今年も、「励め」、とだけ、言われるのだろう。


 それを思うと、気が重い。



十月×日

 今日はお姫様のお守りの日だったのだが、酷い失態を犯してしまった。


 出会ってそうそう、「あなたって愚かな人」と姫様は出し抜けに言い出した。

 いくらなんでもそんなに真正面から侮辱されれば、さすがの俺も怒りをあらわにせざるをえない。「いったいどうしてそういうことを言うのか」と少し詰問に近い語調で尋ねたところ、おもむろに立ち上がって、こちらに近づいてきた!

 初対面時と同様、息がかかるくらいの距離まで詰め寄り、俺の目をまっすぐに覗き込んでくる。

 たまらず俺は首をひねって目を背けるが、あの女、俺の顔に手をあてがい無理やり顔の向きを変え、目と目を合わせやがった。抗議しようとしたが、いつものからかう素振りは見せず、真剣な面持ちでこちらを見ている。なにやらいつもの調子と違った。


「あなたは愚かで、世の中でうまくやっていけない人。どうしようもなく愚かで、まるで幼児のよう。愚かすぎて、世の中うまく渡っていけないのね。かわいそうな人」


と姫様は言った。

 先日、宮中でバカにされた話を、耳にしたのだろう。

 俺は怒りで頭に血が上り、姫様の手を乱暴に振りはらい、「あんたに何がわかる!」と怒鳴ってしまった。

 怒鳴ってから「しまった」と思った。曲がりなりにも相手は皇族。下手を打てば首がとぶ。

俺はおそるおそる、姫様の顔を伺う。すると、彼女は微笑んでいた。微笑んで、ゆっくりと俺に言い聞かせるように言った。


「わたし、あなたのそういう愚かなところ、嫌いじゃないわよ。あなたは愚かに、愚直に、ただ歌のことだけを考えて、歌のために一生を捧げようとしている。愚直なまでに歌というものを愛している。愚直に歌のために生きている。ねぇ。あなたのそういう生き方って、とても不器用で、世間からは笑われるかもしれないけど、でも私は、あなたのそういうところ、嫌いじゃないわよ」


 文面に起こすとまるで俺のことを褒めているかのようだが、内心どう思っていることやら。

 だいたい愚か愚かと、何度言うのか。

 まったく。



十一月×日

 今日は最高の日だ。

 披露した歌を、父が「良い」とおっしゃってくださった!

 はじめて褒めてくださった!

 今日は良い日だ。

 とても良い日だ!



十二 月×日

 今年最後の姫様のお守りの日。

 俺はウキウキしていた。

 姫様に自慢したくて仕方がなかった。

 あの父に、あの歌の天才の父に俺は褒められたのだ!

 お前が小馬鹿にしていた若造は、あの男に褒められるほどの一流の歌人なのだぞと自慢したくて仕方がなかった。

 まぁしかし、それを自慢げに言うのもはしたないことだ。

 なので俺は端的に


「先日、父が私をほめてくださいました」


とだけ言った。

 まぁ少々、出会い頭に唐突に言ってしまった感じではあった。

 いきなり言ったものだから姫様は一瞬ポカンとした顔をしていた。

 しかしすぐさま意地悪顔になり「あらあら、そんなに褒められたことが嬉しかったの?」と尋ねてきた。

 「いえ、ますます精進せねばと身が引き締まる思いです」と返せば「そんなニヤけ顔で言われてもねぇ。さぞかし嬉しかったと見えますわ。これであなたも一流の歌人ってところかしら?」とまた小馬鹿にするようなことを言う。

 それで


「私の腕前をお疑いですか?」


と尋ねた。

 そしたら、


「私ほど、あなたの歌が好きな者もいませんよ」


と笑った。

 またどうせいつものからかいの類であろう。

 まったく。

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