第7話 例えば河童
「幻想世界、…凄いところですね。」
「そうかしら、私はずっとここで暮らしているから。あなた達が話してくれる、あなた達の世界の方がよっぽど不思議だと思うわ。」
お世辞じゃないの、本当よ?とマリーさんは笑って付けたし、続きを話す。
「この幻想世界はね、あなた達の世界のすぐ側にあるの…なんて言ったら良いのかしら、そうね、''裏側''というが適切なのかもしれない。あなた達の世界が表側にあるとすれば、幻想世界は裏側にある。表裏一体の存在よ。」
いつの間に持ってきたのか、マリーさんは羽ペンと白い紙を使って絵を描いてくれる。羽ペンだ、凄い。生まれてはじめて見る本物の羽ペンにうっかり意識をとられそうになるものの、今はそんな時じゃないと必死に絵を見る。
マリーさんが描いたのは大きめの丸、その丸の線を挟んで外側と裏側、それぞれに向かう矢印を描いて、何やら文字を書く…Mのような文字と、砂時計を横倒しにしたような文字…これは確か。
「ルーン文字の…マンと、ダエグ」
思わず口に出してしまった呟きを拾ったマリーさんは、あら、と笑う。
「やっぱりあなたもわかるのね。そう、ルーン文字よ。」
「あ、す、すみません…説明の邪魔をして…」
先程説明をしっかり聞けと自分に言い聞かせた筈なのに、もう忘れている。鳥か、俺は。恐縮しながら謝る俺に、マリーさんは良いのよ、と声をかけてくれる。優しい。
「あなたがルーンを知っているか知らないか、これからの説明に関わってくる大事なことだもの。あなたが知識のある人で良かったわ。」
「知識なんて、そんな、」
「いいえ。ルーンの名前を知っている、それだけで資格はあるの。」
資格、それもこの世界に関わってくるのだろうか。きっとそうなのだろう。そうなら、大人しくマリーさんの話を聞いた方が良い。俺は今度こそお口にチャックをして、説明の続きを促す。マリーさんは頷いて、図に描き足しながら言う。
「この表裏一体の二つの世界、実はちょっとずつ近づいていってるの。…正確に言えば、この幻想世界があなた達の世界に近づいているのだけれど。」
丸の内側から外側へと矢印が引かれる。
「幻想世界はどんどんあなた達の世界に近づいて、どんどんどんどん近づいて、そして…」
丸の矢印が引かれた線の近くが、ぐしゃぐしゃと乱雑に塗りつぶされる。
「二つの世界が交わってしまうの。」
二つの世界が交わる、とは…
「それは、どういうことなんでしょうか。」
俺がそう問うと、マリーさんは紙から顔をあげ、とても真剣な顔で、まるでこれから深刻なことを話すような顔で言った。
「そうね…少し説明が難しいのだけれど、例えば…そう、日本なら、"カッパ"が出るの。生き物として、現実に。」
河童。
…それは深刻なことなんだろうか?
俺の微妙な気持ちが顔に出ていたのか、マリーさんは慌てて付け加えた。
「ちょっと今の例えは悪かったかもしれないわね。でも現れるのは"カッパ"だけじゃないわ。伝説や伝承、民話、おとぎ話。それらに出てくる不思議なもの、全てがあなた達の世界に出現するの。池は突然龍になるし、怒らせれば雨を降らせて災害を起こすかもしれない。伝説で退治し損ねた大蛇も、人に恨みを持ったまま再び村を襲いに来るかもしれない。"イギリス"ではエクスカリバーが現れ、"チュウゴク"では鳳凰が舞い降りる。…どうなると思うかしら?」
それは確かに、河童よりも深刻だ。
「…大混乱が、起きます…。」
その通り、とマリーさんが頷く。
「そんな大混乱は幻想世界側も望んでいないわ。だから、幻想世界があなた達の世界に近づかないようにするため、一人統治者を立てるの。」
「統治者、というのは…。」
「特別何をする人、というわけではないわ。ただ、"統治者"という肩書きを持ってそこに在る…生きるの。それだけで幻想世界は安定して、あなた達の世界から一定の距離を保って存在することが出来る。そういうものよ。」
「な、なるほど。」
わかったような、わからないような。
「ふふ、とりあえずは、そういうものだと覚えて貰えればそれで良いわ。…そしてここからが本題。この統治者の仕組みは幻想世界の誰も知らない。だから理由は説明できないの、ごめんなさいね。でもね、いくつかだけ、はっきりとしていることがあるの。」
「一つ、統治者は幻想世界の住人ではないこと。
二つ、前の統治者が亡くなると同時に、次の統治者選び、即ち統治者候補による選定戦が始まること。
そして三つ、統治者候補は他の世界のある地域から幻想世界に召喚され、選定戦を経て残った最後の一人が統治者になること。」
「つまり、ユウト。貴方の話を聞く限り、貴方はこの…統治者候補に選ばれたのよ。」