5.「感想(パン)をよこせ!」は正しいか?
たまに見かける。
「今の『なろう』では感想が少ない。もっと書くべきだ」
という意見を。
自分も前回「食糧危機」なんてタイトルでエッセイをぶち上げた身である以上、少ないという意見に異は唱えられない。
しかし「もっと書くべきだ」。本当に?
自分は前回、食糧危機だとか言いつつも、「もっと感想を書きましょう」みたいな話はしなかった。
そんな事をお願いするのは何かおかしい、と心の中で引っかかっていたからだ。
今まで述べたように、感想とはパンなのだ。
作るのに手間がかかっている。作者に喜んで貰おうという気持ちを込めるなら、尚更だ。
読み手に感想を強要してはならない、と私は思う。
それを言える人は「感想を書く」という大変手間のかかる行為を、軽く見ているような気がしてならない。
書き手の「作品」と、読み手の「評価」及び「感想」の関係は、商取引のようなもの。
等価交換であるべきで、決して安売りしたり、高く売りつけたり、安く買い叩いたりしてはならないものだと、私は考える。
「なんで? 書くだけだろう? いいじゃない、減るもんじゃないし」
と思う人もいるかもしれない。だがそれは間違いだと思う。
減るのだ。間違いなく減るのだ。「なろう」世界にとってかけがえのないモノが。確実に。
人間関係でも何でもそうだけど、「win-win」の関係でなければ長続きしない。
「win-lose」みたいな、どちらか片方が損をしたと思えるような関係や取引は、遠からず破綻する。
損をしたと思ったり、不快な気分になった人は、きっと「小説家になろう」から距離を置いてしまうだろう。
書き手はただ書きたくて書いているだけなのに、読み手は強要された上で感想を書かされる。
これっておかしくない? フェアな取引じゃなくない?
読み手が水やパンを配るのは、ちゃんと読み手が納得した上で行うのが大前提。
でなければ、きっと長続きしない。
マンガ「北斗の拳」に出てくる、種もみの爺さんは言う。
「今日より明日なんじゃ!」と。
感想を強要する行為は、この爺さんから種もみを奪い、育つ可能性のある未来の感想を、きっと奪ってしまうだろう。
書き手は決して、モヒカン刈りの悪党になってはいけないのだ。
少なくとも私はそう思う。
もちろん感想が欲しい気持ちは分かるけど。
苦しそうに要求してはいけないと思う。
憤りを込めて要求してはいけないと思う。
win-loseでは長続きしない。「やったら楽しそうかも?」と思わせるようなアプローチで攻めるべきじゃないか?
商取引と同じで、お互い得したと思える「win-win」こそが、次もまたやろう、やりたいという意欲に繋がるんじゃないだろうか。