3.「感想」とはパン。あなたはどんなパンが欲しい?
「ポイント」が水なら、「感想」はパンである。と私は思った。
パンは貰えると、水なんかよりずっとずっと嬉しい。
「なろう」世界の書き手はみんな、感想を貰うために書いていると言っても過言ではないだろう。
水はいらない、と思っている人でも、パンを欲しがらない人はいない。
「なろう」世界の書き手は、誰もが飢えている。パンを欲しがっている。
パンがなければ飢え死にするからだ。
感想を欲しいと思う事は、なろう世界で生きるために当然の欲求なのだ。
しかしパンは、水よりも作るのが難しい。
そりゃそうだ、小麦粉から一から作っているのだから。
そして当たり前の話だが、パンには色んなパンがある。
作者の求めるパンの形や味だって、人それぞれだ。
どんなパンでも構わない、という人もいれば。
ただただ褒め讃える、柔らかくて甘いパンが欲しい人もいるし。
自分の歯や舌を鍛えたくて、敢えて硬くて苦いパンを欲する人もいるだろう。
欲しいパンが貰えない時だってある。
尖ってて口の中を痛めたりするパンや、罵詈雑言めいた毒入りのパンを配る読み手も、中にはいる。
あなたはどんなパンが欲しい?
あらかじめ、マイページの自己紹介のところに、どういう感想が好みか、書いておくのも良いと思う。
あるいは、こういうパンはお断り、と書いたっていいだろう。
それは恥ずかしい事じゃない。
だってパンの好みなんて、誰にでもある普通の事じゃないか。
小説を書き上げるのは、結構手間がかかる。
しかし感想を書く過程を想像して欲しい。こっちも結構手間がかかっている。
読み手から感想を貰えるというのは、非常に尊い事なのだ。
書き手が作品を書くのと同じぐらい、読み手も時間と労力を割いてパンを作ってくれるのだ。
もし貰えたら、感謝の気持ちを忘れずに。
しかも「なろう」世界のパンは、現実世界のそれと違い、不思議な性質を持っている。
他者にしか、配れないのだ。
自分で作ったパンを自分で食べても、何故か全然美味しくない。ちっともお腹は膨れない。
また判を押したような、全く同じ形の量産型のパンも駄目だ。だってそれは偽物だから。
偽物はすぐ分かる。気持ちが込もっていないからだ。自分を作品を見て書いたと思えないからだ。
偽物のパンでは、やっぱりお腹は膨れない。
「なろう」世界のパンは──他者からの「喜んで欲しい」「応援したい」という気持ちがあって初めて、パンとなり、喜ばれる。