天川編 中編① 笑顔と月光と剣
「ようこそ、歓迎するよ! 改めて、ボクの名前はエシュタル・ライラック。両親はいるのだが、殆ど隠居状態でね。政務は全て一任されているよ」
こと、と目の前に紅茶が置かれる。サーブしてくれたメイドさんもやはり洋装だ。当たり前ではあるが。
さらに目の前にどんどんと料理が運ばれてくる。鳥の丸焼きにシチューのようなもの、サラダ、フルーツなどがズラリだ。
圧巻……というかイマイチ雰囲気と状況に追いつけていない天川に代わり、コホンとティアー王女が咳払いした。
「エル、アキラ様は貴女のテンションに面喰っていますわ。それと、まだお昼過ぎですのにこの料理はなんですの? 普通は軽食程度にするか、飲み物だけでしょうに」
「ティ、それは無理な相談だな。相手は勇者様、こちらもパーフェクトにもてなさなければなるまい? と、思ったのだが……」
かみ合っているようでかみ合わない会話。しかしエシュタルが天川達を見て、困惑していることを悟ると……パチン、と指を鳴らした。
それを合図に、メイドさんや執事の皆さんがザッと料理を下げてくれる。正直、助かった。
「あっ……」
難波と白鷺が名残惜しそうに手を伸ばしているが、全部片づけられてしまい二人ともガックリと肩を落とす。ちなみにゴリガルさんとヘリアラスさんは既に自分の皿に確保しており、普通に食べていた。自由過ぎないか枝神組。
「失礼、ボクとしたことが舞い上がっていたようだ。何せ、あの異世界人たちを招いているのだからね。先ほどの料理は、また作り直してディナーの時間にでも出させるよ」
ニコッと微笑むエシュタル。彼女に微笑みかけられて難波と白鷺は小さくガッツポーズしていた。そんなに食べたかったのか。
「まぁエルは昔から、おもてなしが好きですからね」
そう言ってエシュタルの隣に行き、座るティアー王女。冷静に考えれば、彼女は王女でエシュタルは一貴族。だというのに、あまりに気安過ぎる気がする。
天川が不思議に思っていると、ティアー王女がこちらを見た。
「ああ、先にそちらから説明すべきですわね。わたくしとエルは幼馴染ですの。少し、特殊ではありますが」
「小さい頃は、ボクと彼女とよく遊んでいてね。ティとはなんでも話す仲なのさ。ティ、昔みたいにエル姉と呼んでくれても良いんだよ?」
「む、昔の話は止してくださいな!」
珍しく、ちょっと照れたようにエシュタルを叩くティアー王女。どうして特殊なのかはわからないが……まぁ、取り合えず幼馴染故に気安いのだということは理解した。
しかし姉ということは、ティアー王女よりも少し年上ということなのか。
「彼女はアキラ様達よりも少し上ですわ」
「今年で十九だ。キミたちも親しみを込めて、エルお姉ちゃんと呼んでいいぞ?」
それで実際に呼ぶ度胸があるのは、おそらく白鷺くらいだろう。そしてその白鷺は女性慣れしていないので、呼ぼうとして口ごもっているようだ。
ティアー王女はコホンと咳払いして、話を進める。
「今日からこのカノープスを拠点として行動を開始するわけですが、エルの好意で当面はこの屋敷に住まわせていただけます。彼女は既に勇者派に所属することを表明し――」
「――ああ、ちょっと待ってくれ。ティ」
ティアー王女の言葉を遮るエシュタル。王女の言葉を遮るなんて不敬では……? と一瞬思ったが、そもそも呼心とか桔梗はちょくちょくティアー王女とキャットファイトしているので、今更気にすべきでは無いのかもしれない。
「実は早速依頼があってだね。それを終えたら、無期限にウチの屋敷を使っても良いことにしようと思っているんだがどうだろうか」
最初にティアー王女から聞いていた話では、一か月ほどこの屋敷に滞在している間にこの地での拠点を築くということになっていた。
この人数分の家を見つけるのに、時間がかかるだろうという判断だったからだ。
「どうせ部屋は余っている。わたしと使用人しかいないからな」
そう言って肩をすくめるエシュタル。その仕草はかなり大人っぽい。少し汗ばむような日が続いているのに一切肌を露出しないパンツスタイルであることも余計にそう感じさせるのかもしれない。
今まで出会った貴族の当主は若くても二十代だった。十代で任されるということは、よほど有能に違いない。
「それはこちらとしても助かりますけども、依頼ってなんですの?」
「今朝、四か所で死体が発見された。いずれも単独で死亡しており……うち一名は、ギルドから情報共有のあった『特筆戦力』に数えられているAランクAGだ」
「「「「「「「「!」」」」」」」」
全員が驚いた表情になる。特に驚いているのはラノールさんで、ガタッと大きな音を立てて立ち上がる。
「お、お待ちください! まさか、カノープスにいるAランクAGで……『特筆戦力』ということは……!」
「ああ。お察しの通り、元第一騎士団のコール氏だ」
ギリッ! と歯ぎしりするラノールさん。元第一騎士団ということは、知り合いだったのだろう。
「彼は加齢を理由に引退されたが、その実力が衰えたわけでは無かった……。あのコールさんが……」
椅子に乱暴に腰かけると、両肘をテーブルにつけて項垂れる。彼女はそのまま大きく息を吐くと、数秒間黙った。
「………………。すみません、取り乱しました」
「いや、わたしもコール氏とは交流があったからね。気持ちは分かる。彼は人格、実力共に素晴らしい人だった。……さて、ここまで言えばわたしの依頼はもう分かっているだろう?」
エシュタルの言葉に、天川は頷く。
「魔族――ですね?」
「ああ。既に入り込まれていたとは、わたしとしたことが迂闊だったよ。言い訳と思われるかもしれないが、これでも最大限警戒していたのでね」
魔族に関しては本当に神出鬼没なので、それは仕方ないだろう。
それよりも、一般人への被害だ。
「今のところ、魔族の犯行と思われる物はそれだけですか?」
呼心が問うと、エシュタルはこくんと頷く。
「ボク達が発見できていないだけかもしれないがね。しかし少なくとも、不審死の報告は今朝の四件だけだ」
だけ、と言えるほど少ない人数では無い気がするが。
同じことをラノールさんも引っかかったのか、エシュタルに発言する。
「だけ、というには多すぎませんか? 状況的に魔族の可能性が高いとはいえ、そんなどっしりと構えていられる状態ではないはずです」
ラノールさんの言葉に、エシュタルは別の書類を出しながら答える。
「既に今朝から全ての関所を閉じて、街から誰も出していない。その上でギルド、第二騎士団と情報を連携した結果……少なくとも、登録されている中にはこの不審死を起こせるような『職スキル』を持つ人間は一人もいなかった」
更に続けて出てくるのは、死亡者数と書かれた書類。
「一週間前から今朝までの死者数は約二百人。そのうち、遺体が見つかっているのは約百六十人。病死が十二名、魔物等に殺されたのが約百人。それ以外が四十五名。その中で、死に方に共通点があったのはこの四件だけだ。……この言い方なら、よかったかな?」
よく見ると、彼女は書類を見ていない。つまり今のデータ全てを暗記しているということか。
「内部、外部共にこの不審死が発覚してからキミたち以外の人間をこの街の中には入れていない。そして、犯人を見つけるまでこれを解くことは無い。――ボクも君たちが来ると知っていたから、この対応を取れたんだ。頼りにしているよ」
彼女の落ち着き様は、天川たちへの信頼から来ている。そう言われると、こちらも何か言い返せるべくも無い。天川はラノールさんを見ると、彼女も頷く。
「承知しました。――エシュタル様、早速街へ出ます」
「ありがとう、ラノールくん。そうそう、不審死の詳細について伝えそびれていたね。――被害者は皆、全裸で胸を突き刺されて死んでいたようだ。遺品は死体の側に落ちていたようだね。あと、全員室内で殺されていたらしい」
それは確かに不審死だ。そして室内で……というところに『暗殺』である感じが如実に出ている。
「この書類に、調査報告はまとめてある。詳しいことは各自、自分で見ておいてくれ」
そう言って渡される新しい資料。今朝、死んだと聞いていて……今は昼過ぎ。なのにキッチリとまとめた資料を人数分用意しているとは。
天川が再度彼女の底知れなさに驚いていると、がたっと一人立ち上がった。志村だ。
「天川殿、これもしかして拙者もやるんで御座るか? 用事が終わったら帰るつもりだったんで御座るが……」
「……そりゃ、手伝ってくれると助かるが」
魔族が実際にいるのなら、一人でも戦力は多い方が良い。彼は少しため息をつくと、口を尖らせた。
「報酬は何を貰えるで御座るか?」
「じゃあそうだな……ああ、今度シュトレンを作るんだ。一緒にどうだ?」
「おっけーで御座る」
そう言った志村は、志村はいつものコートに着替えると、ドアの方へ向かっていった。……まぁ、志村が手伝ってくれるなら心強い。
今のやり取りがよく分からなかったか、エシュタルは少し首を傾げたが……コホンと咳払いしてから、背筋を伸ばした。
「というわけで、調査を頼む。ティ、今は関所を締めている状態だからね。商会や他貴族からの問い合わせが来ている。その辺についての対応を共に頼む」
「問い合わせ? どこ経由ですの?」
「関所で書面のやり取りはしているからね。それを通じて、だ。弾いていい物とそうでない物はボクが判断するが……先に関所へ向かってくれ。護衛は……」
「護衛ならオレがやる。何かあった時に送信と転移は一緒にいた方がいいだろう」
「了解ですわ。イガワさん、お願いしますわ」
王女だというのに、普通に現場に出ようとするティアー王女は相変わらずだ。しかし井川が護衛についてくれるなら確かに適任だろう。
その後も部下にテキパキと指示を出すエシュタル。彼女の動き、働きは……シローク長官、もといシローク団長に似ている。指揮官、と言った感じだ。
「じゃあ俺達も行くか」
「あ、アキラくん。ちょっと待ってくれ」
天川が皆とともに立ち上がったところで、エシュタルから声をかけられる。
コツコツとこちらへ歩いて来た彼女は、スッと天川の耳元に口を寄せた。その仕草に妙にドキッとすると同時に……ふわっと鼻腔をくすぐる香りが。
(……薔薇の香り?)
だいぶハッキリとした香り。こちらの世界では香水をつける人は多いが、ここまでキツイ物を付けている人は初めてだ。
しかし不快には感じない――むしろ品を感じる。
「ティから聞いているけど、ハーレムを作っているんだって?」
「はぇ!?」
素っ頓狂な声をあげてしまう。しかしエシュタルはケラケラ笑うと、天川の肩に手を置いた。
「残念だが、わたしは立候補出来ないからね。もし新しい子が欲しくなったら、メイドの中から有望株を紹介するよ」
「け、結構です! さ、さぁ皆早速行くぞ!」
慌てて彼女から離れ、天川は立ち上がる。そしてゾロゾロと出て行こうとしたところで、ティアー王女が駆け寄って来た。
「……今、エルに色目を使っていましたわね?」
「つ、使って無いですよ」
どう見たらそう見えるのか。
彼女はため息をついて、自分の腰に手を当てる。
「彼女は男性に興味無いのですから、ダメですわよ。エルは縁談も特にありませんし、パーティーなどで男性に近づくことも無いんですわ」
それは逆に貴族としてどうなんだろうか。
言われて、再度彼女の姿を見る。確かに一切の肌が見えない服装だ。男装と言っても、あれだけしっかり肌を隠すのは珍しい気がする。
首元まであるシャツに、白い手袋。ズボンだが、ひょっとするとその下にタイツでも履いているのかもしれない。
(徹底しているな)
「分かりましたか? アキラ様。ですから、彼女に手を出すのではなく、まずはわたくしで我慢していただけないと――」
「いやいや、黙って聞いてましたけど何でそうなるんですか!?」
「そ、そうですよ!」
「当たり前の話をしたまでですわよ!」
呼心と桔梗が割って入り、ギャーギャーとキャットファイトが始まる。天川はそれに巻き込まれないように、そっと離れた。
「やれやれ、モテモテだね。――ただ、少し時間いいかな? 今度は真面目な話だ」
そのキャットファイトから抜け出したエシュタルに声をかけられる。さっきは真面目な話じゃなかったのか……。
「ちょっと、二人きりで話したいんだ。準備が終わったら、庭へ来てくれ」
クスクスと悪戯っぽく笑うエシュタル。普通なら胸がドキッと跳ねる、美女からの誘い。だというのに、彼女が有能過ぎてちっとも甘酸っぱい雰囲気になる可能性を感じられない。
(一体、何の用だろうか)
天川は緊張感を以って、準備に戻るのであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦闘の準備、そして素性が割れないような変装を終えて……天川達はバラバラに行動することになった。
人海戦術が必要な以上、固まって動くのは悪手だと判断されたからだ。
「しかしこの格好は慣れんな」
天川は赤いサングラスをつけ、普段とは違う少しロックな格好になっている。ノリノリでコーディネートしてくれたティアー王女と呼心曰く「たまにはちょい悪で攻めるのも良い」とのことだ。ちょい悪……?
「まぁいいんだが……それにしても、何の用なんだろうか」
皆が出ていく中、天川だけはエシュタルに呼ばれた場所で待っていた。二人で話したい……というのだから、恐らくは「勇者派について」だろう。
(今まで無派閥だった人が、派閥に入るのだからな)
確認しておきたいことも大量にあるに違いない。
そう覚悟して待っていると、エシュタルが現れた。
「やぁ、ボクから依頼を出しておきながら……時間を取ってもらって悪いね」
「いえ、問題ありません。どうされました?」
天川が問うと、エシュタルはそれには答えず庭を示す。
「この庭は自慢でね。少し歩かないかい?」
「は、はぁ」
彼女に連れられ、庭の中へ。庭……というよりも、薔薇園のようだ。美しい、色とりどりの薔薇が所狭しと咲いている。
内部は迷路のようになっており、腰ほどの高さの生垣とアーチ。この中に隠れられたら、人を一人見つけるのも大変そうだ。
「この庭は最終防衛ラインも兼ねていてね。敵が逃げ込んだら、火を放つ。ボクらが逃げ込んだら……至る所に地下道が通っている。それを通れば、この湖を抜けて街に出られるようになっているのさ」
「……凄い、ですね」
迷路になっており、敵の追っ手を振り切って隠し通路を通れるわけか。天川は隠し通路があると言われて目を凝らすが、どこにそれがあるのかも分からない。
これが本館をぐるっと囲っている。
「凄いですね。……戦うために作られた、要塞みたいだ」
「要塞、か。誉め言葉と受け取るよ」
エシュタルは、口元だけで笑って見せる。アルカイックスマイルと言うのだったか――彼女のその表情から、感情がいまいち読み取れない。
天川は相手の心の機微を読み取るのが下手だとは思っていないが……それでも呼心たちなら理解出来ていただろうかと思うと、少し悔しい気持ちになる。
「それだけじゃなく、薔薇も綺麗ですね」
少しだけ話を逸らすと、今度はハッキリと嬉しそうにエシュタルが笑顔になった。
「だろう? この庭の手入れは、殆どボクがやっているんだ。当然、手が足りない時は庭師に任せるけれど……基本的に、毎日ボクが手入している」
「この広さ、全てですか?」
「勿論。パーフェクトに咲かせているよ」
天川は感嘆のため息を漏らす。そんなこと、天川に出来る気がしない。
「だが、この薔薇も……有事の際には、燃やすことを厭わない」
彼女は薔薇を一輪撫でながら、目つきを鋭くする。
「それが無派閥を貫いていた、ライラック家の覚悟だ。……だが、現在は国難とも呼べる状況。であればボクも積極的に介入すべきと考えていてね。だからこそ、新興派閥である『勇者派』と合流することを決めた」
覚悟――。
彼女の言葉には、重みがある。これが当主を――歴史を背負うということか。
貴族だから、血筋だから……というだけでは到底出来ないことだろう。
「だからキミに確かめたいんだよ。この家の、ライラック家のことを任せるに足る長なのかということを」
「……はい」
天川はグッと拳を握り、背筋を伸ばす。
「キミは派閥の長として、何が出来る?」
「今はまだ、剣を振ることだけです。でもいずれ……その剣で、全ての人を守ってみせます」
彼女と違い、積み重ねた歴史は無い。しかし、天川明綺羅個人が積み重ねた物はある。
そして……それを発揮できるのは、今はまだ剣を振ることだけだ。
「……キミは、貴族には向かないな。真っ直ぐすぎる」
優しく、穏やかな表情。
彼女は笑みを浮かべると、天川の背を叩いた。
「分かった。――もうベットしたんだ、期待しているよ。時間を取らせてすまなかったね」
「いえ。では、行ってきます!」
天川は頷き、走り出す。そしてアーチが途切れているところを発見したので、そこから跳躍した。
「神器開放――『ロック・バスター』!」
宝石の足場を出し、それを駆け上って湖を渡る。皆はちゃんと橋から渡っていたようだが、少し時間を食ってしまったのでそう悠長もしていられない。
(何名いるか分からない魔族……か。以前までなら不安だったが、今はこれがあるからな)
天川は取り出したケータイを弄びながら、ニヤッと笑う。なんと志村が改造を施し、『照魔鏡』をこれに搭載してくれたのだ。
以前の物と違いアラートをけたたましく鳴らしたり、周囲の人に分かるように光ったりはしなくなったためセンサーとしては使いづらいだろうが……個人が隠密活動で魔族を見つける分には相当使いやすくなった。
これを使ってこの人数で動けば、数日もあれば見つけられるだろう。
「一秒でも早く見つけられるに越したことは無いがな。ほっ」
すたっ、と地面に着地。取り合えず湖のほとりまで来たので、ここから先は徒歩で街の方へ歩いていく。
周囲を警戒して歩きながら、今日の……エシュタルが言っていた被害者の特徴について思い出す。四人が四人……AGが室内で、それも全裸で殺されるなんてことはあるだろうか。
(考えられることとしては――)
――妥当なのは、ハニートラップに引っ掛かった可能性。しかしそれにしては、殺された場所が定食屋や武器屋というのがおかしい。
彼らは全裸になり得ない場所で、周囲に人がいたにも関わらず誰にも悟られることも無く殺されたのだ。
(周囲から見えなくする、気づかれなくするのには、闇魔術を使ったのだろうが……)
そもそも清田ですら、人から見られないようにする結界は使えるのだ。魔族であれば、人から気づかれないようにするのは容易いだろう。
しかし――
「――中の調度品や品物が、一切動いていなかった……か」
遺体を見ると、明らかに戦闘をした形跡はあったそうだ。でも、戦闘があったはずの場所は調度品などが動かない。
「別の場所に連れて行って、改めて戻したっていうのは考えづらいが――む、雑貨屋か」
ふと、目に入ったのはややぼろい店構えの雑貨屋。中には数人の客がおり、二十代くらいの若い女性店員がカウンターで昼寝している。
なんとものんびりした雰囲気だが……。
(念のため、調べておくか)
ケータイを手に持ち、店の中に入る。被害者は皆、こうした何気ない場所で殺されているのだ。積極的に店などには入っていくべきだろう。
「お邪魔しまーす……」
軽く店主に声をかけて、中へ。ぼんやりと周囲を見渡すが、普通の雑貨屋とは少し違う。売っているのは食器やアクセサリーなどで無く、ゴムボールや振ると音の出る棒など。
タグや店内POPを見てみると、どうもペット用の玩具や子ども用の玩具が売っている店のようだった。
「なるほど……このゴムボールは、いいな」
ペット用のボールだ。大きさといい、重さといい……野球の軟球ボールと随分似ている。元高校球児からすると少し物足りないが、キャッチボールするくらいならこれでいい。
「野球の経験者は誰かいたかな」
そもそも運動部経験者が、戦いに出ている組にはあまりいない。というか高校でもやっていたのはゼロのはずだ。中学までで言えば、難波、井川、清田……
「あとは……阿部、もか」
中学時代、野球をやっていたと言っていた。それで数度、自慢げに話していたのを覚えている。
思えば、あの頃から人に対してマウンティングの激しい男だった。しかしだからと言って、まさか仲間を裏切って魔族に与する程とは。
それほどまでに何か、追い詰められていたということか。
「……考えても栓無きことだ。取り敢えず、このボールをいくつか買って帰るか」
王都ではこういう物は売ってなかった……ことも無いのかもしれないが、天川は一度も見たことが無かった。本格的な野球は無理でも、キャッチボールくらいは楽しめる。
そう思っていくつかボールを持って歩き出す。その時、すれ違おうとした女性からふわっと薔薇の香りが漂ってきた。
エシュタルの付けていた物と似ている、流行っているんだろうか……なんて思いながら、念のためケータイを向けると――
「あ、気づくんだーあ」
――天川は神器を抜いて敵の喉元に当て、逆に敵の鋭い爪が天川の首筋に当てられていた。
ぶわっ! と汗が噴き出る。同時に、一気に思考が冷えていく。
「結構、上手く化けてたつもりだったんだけどなーあ」
「ああ、全く気付かなかった。しかし俺には奇天烈だが頼もしい仲間がいてな」
ケータイの画面に映っているのは「Kill Now」の文字。まさか一軒目で見つけることが出来るとは思わなかった。
天川は大きく息を吐き、魔族の女を見る。ふわふわにカールしたブロンドヘアに、真っ赤なルージュ。しかしその目は、まるで狼のように鋭い。
胸元はざっくりと開いており、へそまで見えているワンピース。スカート部分はアシンメトリーになっており、片側だけ長くスリットが入っている。
アクセサリーなどが派手で、夜職の女性のようだが……視線の殺気は並みのAGや騎士をはるかに凌駕している。
「ふぅん……よく分かんないけど、舐めすぎてたみたいね」
笑う魔族。天川はフンと鼻を鳴らし、彼女を睨みつける。
「俺はアキラ・アマカワ。勇者だ」
「知ってるに決まってるじゃなーい。あーしはメザーレット。よろしくねーえ、すぐお別れだけど」
メザーレットは妖艶に笑うと、パチンとウインクしてきた。その仕草が妙に古臭くて、なんとなく笑ってしまう。
しかしすぐに真剣な顔に戻すと、チャキ……と剣を押し付けた。
「俺は今すぐに、お前の喉を掻っ切ることも出来るし、仲間もすぐに来る。――おとなしく投降しろ。そうすれば、命までは取らない」
「あらそう?」
そう言ってメザーレットはパチンと指を鳴らす。すると次の瞬間、眠っていたはずの女性店員が立ち上がった。
「ッ! 危ないからジッとしていてくれ!」
天川が咄嗟に叫ぶが、何故かその女性はピクリとも反応しない。それどころか……目がとろんとしていて生気を感じられない。
その目付には、見覚えがある。
「……魔族ッ! 闇魔術で、戦えない人を……ッ!」
「あら、分かったみたいねーえ。でも人質を取るのは当然でしょーお?」
彼女がそう言うと同時に、女性店員が自分の首に両手を当てる。そして一気に自らの首を絞めだした。
「っ! や、やめさせろ!」
「あっははは、必死ね」
パチン、と指を鳴らすメザーレット。するとその女性店員は首から手を降ろし、再び生気の無い顔で立ち尽くすだけになった。
天川がホッとすると、メザーレットは楽しそうに笑みを浮かべる。
「感謝してよねーえ? あんた、今『特筆戦力』の中でも最優先排除対象の一人――スペシャルクラスなんだから。この前までヤングクラスだったけど、随分と出世したわねーえ」
最優先排除対象……?
言葉の意味は分かる。しかし、何故自分が最優先なのか。
天川の疑問に、魔族の女は答える。
「王都では大活躍だったじゃなーい? だからあんたと『三叉』はヤングクラスから、『猟鬼』と『騎竜』はマスタークラスからスペシャルクラスになって一気に警戒度が上がったのよ。ねーえ、『勇者』」
最後の『勇者』というのは自分のことだろう。
「……光栄だな、そんなに評価してもらえるとは」
清田、アトラさん、そしてラノールさんと同等の評価をしてもらえるとは。その事実に、ほんの少しだけ胸が躍る。しかも彼らと同様に二つ名で呼ばれるなんて。
ただ、志村がいないのは……やはり彼はまだ魔族に認識されていないのだろうか。
天川は少し不思議に思いつつも、剣に力を籠める。
「あーしたち魔族にとって、あの一件はかなり重要 だったのよねーえ。だから、アレをまさか阻めるやつがいるなんて思いもよらなかった」
気怠そうに、しかし嬉しそうに話すメザーレット。
「ブリーダがさーあ。この、『魔王の血』を作ったせいでさーあ。なんか、すっごく評価されてんだよねーえ」
クスクスと、笑みを漏らし……そして、クワッと目を見開いた。
「あっははは。なのに、失敗してんの。そのおかげで、研究畑の奴等じゃなくてあーしらみたいな暗殺者にチャンスが回って来たってんだよねーえ。ばっかみたいでしょー? そもそもさーあ。ずっと研究ばっかしてた陰キャが、なんで前線出てんのって話じゃん?」
せせら笑いながら、あの時の魔族……ブリーダをくさす。
「陰キャは後ろであーしらに任せて、シコシコばかみたいに薬とか作ってりゃいいのに。あっははは、調子に乗って前に出るから失敗すんだよーってねーえ」
その言葉の端々には少しの怒りと、妬み。
「相手がだれであれ……そうやって貶めるのは好きじゃない。口で言うほど、お前は上等なことが出来るのか?」
逆に挑発してみると、メザーレットは苛立ったような表情になる。
「……あんた、ムカつくわねーえ。噛みきるわよ」
がお、と犬歯を剥くメザーレット。そしてパチン、と指を鳴らした。そうすると、徐々に彼女から放出される魔力量が多くなっていく。
強力な魔術を使おうとしている――天川は腕に力を込めた瞬間、店員の女性が苦しみだした。
「余計な動きしたらーあ、あの子をやっちゃうよーお?」
へらへらと、挑発的に笑うメザーレット。天川は歯ぎしりしながら剣を止めると……彼女は笑いながら、しゅるりと服を脱いだ。肩の部分を外すだけで一糸纏わぬ姿になり、雪のように白い肌と桃のようにピンク色の乳首が晒される。
「なっ」
「あら、初心なのねーえ」
揶揄うように笑うと……魔族は、歌うように呪文を唱えた。
「『狂気の月光時計』」
地面に浮かび上がる満月。その上に時計の長針と短針が現れ……クルクルと回りだした。徐々に加速していく針、一体何が起きているのか――と思う間もなく、気づく。
身動きが、取れない。
「なっ……!?」
手が、足が動かない。剣が動かない。
いや、天川の身体が動かないんじゃない。
衣服が、剣が動きを止めたのだ。
「あっはははははははははははは」
胸を揺らしながら、へらへらと笑うメザーレット。彼女がパチンとウインクすると、背後で店員の女性がどさっと倒れた。魔力は見えないが、彼女が操るのを止めたのが分かった。
「もう、いーらなーい。だって動けないでしょ、『勇者』?」
地面の長針と短針がギュンギュンと加速していく。そこでふと、全くおかしいことに気づいた。
外の景色が、動いていない。
「何が……!? 『光盾』!」
「死ね」
ザシュッ!
彼女の爪が天川の首を切り裂こうとするが、直前に出しておいた光のシールドのおかげで切り裂かれるところまではいかなかった。しかし吹っ飛ぶことも出来ず、ダメージだけ受ける。
そこでさらにおかしいことに気づく。今の攻撃で……周囲の雑貨が、微動だにしていないのだ。
まるで、時でも止められたかのように。
「はッ!!!」
直感に従い、アイテムボックスに上半身の衣服をしまう。そして目の前にいるメザーレットを思いっきりぶん殴った。
ドゴオ! と派手な音が鳴り、壁に叩きつけられるメザーレット。それと同時に、天川の下半身が動き出す。
「やはり物の動きを止める魔術……! しかも、あの月の中にいるものだけか……?」
天川はすぐに反転する。天川の仮説が正しければ、距離を取らないと。走り出すために腕を振り上げると……ふにん、と柔らかい物に触れた。
「やん、どこ触ってんのよーお」
目を離していない。殴り飛ばした魔族は、確実に壁に叩きつけられていた。
なのに、もう目の前にいる。
「ッ!?」
女の前だが、全裸になる。彼女は驚いた表情になると、舌打ちして開いている窓から外へ飛び出した。
先ほど、理由は分からないが高速移動で天川の背後を取ったのだ。ここで逃がすと追いつけないかもしれない。
「神器解放――打ち砕け『ロック・バスター』!」
天川の手の中で『力』が収束する。それは一振りの剣となり、周囲に『圧』をまき散らしながら顕現した。
メザーレットの後を追って窓から出る。すると次の瞬間、天川の神器が動きを止めた。それは同時に、それを握る天川の動きも止めることになり――
「ぐっ!?」
――屋根の上から、メザーレットが飛び蹴りを。咄嗟に天川は『ロック・バスター』をアイテムボックスに仕舞い、間一髪で回避した。
しかし着地する寸前にメザーレットに腕を取られ、そのまま地面に押し倒される。全裸の男女が路地裏で組み合う姿は、何も知らない人がみれば愛し合っているようにしか見えまい。
マウントポジションから振り下ろされる、狼のような爪。天川はそれを両腕で掴んで防いだ。
「あら、ならこうねーえ」
即座に天川の上から飛び退き、走り出す。判断が速い――天川も立ち上がっておいかけるが、先ほどのような超スピードではない。むしろ、わざと天川に追いかけさせているような気さえする。
トントンッ! と屋根に上り、一定の距離を保ちながら走り続けるメザーレット。互いに全裸、裸足だというのに縦横無尽に屋根の上を跳び回れるのは流石と言うべきか。
「待て!」
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」
煽るメザーレット。彼女を追うと――その先に、ライラック家の館が見えて来た。
エシュタルの、非戦闘員がたくさんいる館が――
「ここは……!」
「とーぜん、ここの領主も暗殺対象よーお」
――行かせるわけにはいかない!
天川はグンと加速し、メザーレットの髪の毛を掴む。魔族と人族ではフィジカルに差がある、このまま引っ張れば転ばせられるはずだ。
普通ならば。
「そぉれ」
グン!
立ち止まった彼女が、力任せに首の力だけで天川を地面に叩きつける。髪を掴んでいたせいで、受け身が取れずに後頭部を打ち付けてしまった。
「ガハッ……!」
ぐわんと視界が歪む。しかしそれでもすぐに立ち上がり、何とか構えた。だがそこに飛んでくる――弾丸並みの木の槍。
「!」
目を見開く天川。地面に、湖に降り注ぐ木の槍たち。まるでスコールだ。
一切の音が無く、土煙が舞うことも無く刺さっていくそれらはあまりにも異様な光景。
目を覆いたくなるような惨劇を前に、メザーレットは楽しそうに嗤う。
「あっはははは。魔物化する必要も無かったわねーえ……って、あらぁ?」
しかしその笑みは……嵐のど真ん中、一番の危険地帯。そこで光り輝く天川によってかき消された。
「……理屈は分からないが」
舌打ち、そして加速して放たれる木の槍たち。それらの一切を、光り輝く剣――否、光そのものの剣で叩き落としていく天川。
「どういうことーお?」
右手には『職スキル』による光の剣、『エクスカリバー』。
そして全身には……ここ最近、練習していた『光鎧』という光魔法。ラノールさんから練習を解禁された、天川の新しい力だ。
「目が、見えている。つまり光は問題なく動いているというわけだ」
「……意味わかん無いけどーお。まぁ、流石は『特筆戦力』ってことかしらーあ。仕方ないわねーえ」
木の槍をやめ、やれやれと肩をすくめるメザーレット。芝居がかったお辞儀、そして微笑みと共に――空に向かって、吠えた。
「うぉおおおおおおおん……」
時計の針が浮かぶ月が、輝きを増していく。彼女の遠吠えに呼応するように、魔力の高まりに呼応するように。
来る――ミシミシミシィッ! 肉体が変質する不気味な音と共に、彼女の体躯が倍ほどになる。
下半身は鱗の生えた蛇。上半身は……両腕が鎌になった狼。だがそれらがくっついている腰の付け根は、やや不自然だ。
まるで上半身と下半身、まるで別の魔物をくっつけたかのように。
「――シックルウェアウルフと、セイバーナーガだったかしらーあ」
ただその貌にはメザーレットの面影が残っており、妙に古臭いウインクと共に舌なめずりした。
「あっはははは。合わせて、シックルウェアウルナーガ」
ドオオオオッッッッ!!!!!
周囲にまき散らされる、『圧』。オージョーと対峙した時と同じ、今すぐ逃げ出したくなるようなプレッシャー。
彼女のこれは――Sランク魔物!
「暗殺って言うには派手過ぎて、あーしはあんまり使いたく無いんだけどーお」
瞬間、メザーレットの尻尾が天川の腹にぶつけられた。ミシィッ! と鈍い音と共に、吹き飛ばされる。
湖の上をバウンドし、対岸へ。彼女の月から外れたことで周囲の景色が元に戻った。その隙をついて、『ロック・バスター』を取り出して地面に刺す。
「水切りの石になった気分だ。……いくぞ、魔族」
己を鼓舞するために呟く。必死に強がって、前を見ながら。
敵の全身を見据えるために。
すぐさま、足元が光る。彼女の月に入った証拠だ。
だがもう、覚悟は出来た。
「魔族! お前が殺したAGの恨み、今ここで晴らしてみせる!」
敵を殺す、覚悟が。
「あらーあ、そんなことできるの?」
「勿論」
目の前にいるのは、Sランク魔物。
新造神器は無い、しかしそれでも手ごわい相手であることに間違いは無い。
(清田は……強敵を前にしたら、笑っていたな)
全部、彼の真似をするつもりは無い。良いところだけ、取り入れる。
故に――笑う。全力で、心の底から!
強敵に挑戦する、そのシチュエーションを。笑え!
「皆の笑顔のために、お前には泣いてもらう!」
恐怖を、不安を、全部覚悟で切り伏せて。
天川明綺羅は、笑った。




