知らないところ
「本当うちのバカ息子はろくに勉強もしなくってねぇ。綾乃ちゃん、よかったら教えてあげてちょうだい?」
「私なんかでよかったら、いつでも。どうもありがとうございます」
トレーに二人分の飲み物とお菓子をのせて部屋に入ってきた悠人の母に、綾乃は柔らかな物腰で挨拶を交わす。
母は、初対面でいたく綾乃の事がお気に召したようだ。
「意外。そんな風に喋れるんだね」
「ん?」
外向きの笑顔を引っ込め、片眉を上げる綾乃。
「そりゃ、人によって態度は使い分けるに決まってんだろ。まさかオレが先生にもこんな接し方してると思ってたのか?」
ここ半年の記憶を掘り返してみる。確かに、教師陣の間での綾乃の評価は上々だった気がする。
反して、自分自身の評価は…言うに及ばずか。顔を覚えられているかも怪しい。
それにしても、先ほどの綾乃の立ち振る舞いは即席の演技や猫かぶりとは少し違ったように感じる。
嘘っぽさみたいなものがあまりないのだ。大雑把な態度も、丁寧な態度も、双方が綾乃自身であるように思える。
ひょっとすると、中学校の時の綾乃は母と話していた時のような穏やかな少女だったのかもしれない。
今の悠人は、綾乃のことをあまりにも知らな過ぎた。
もっと知りたい。彼女の好きなもの、彼女の苦手なもの、彼女が得意なこと、彼女の過去、彼女の足裏の匂いーー
「きゃああああああああああ‼︎‼︎‼︎」
綾乃のストッキングに包まれた足を口元に引き寄せた悠人はそのまま上段蹴りをくらい、反対の壁際まで吹っ飛んで失神した。
鼻血による大量の出血を代償として、悠人は綾乃も可愛らしい悲鳴を上げるということを知った。
何事かと心配した母親が階段を上がって声をかけてきたが、綾乃は如才なくゴキブリが出たといって事なきを得ていた。
「ほ、本当油断ならねー奴だな…!」
両腕で肩を抱いて体を震わせている綾乃。その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「ちょっとやり過ぎたかな?」
小学校から女子の上靴を盗み、家でそれを嗅ぐのを至高の趣味としている変質者のような表情で悠人は言った。
「分かったよ。人が嫌がることはやっちゃいけないって母さんもいってたしね。もう二度としないと誓う」
「そんなこの世の終わりみてーな目で言われても信用できねえって」
「しまった…目が口以上にモノを言っていたようだ」
そこで、わざとらしく綾乃が咳払いする。
「か、嗅ぎたいときは前もって言ってからにしろ!言っとくけど、悠人が特別なんだかんなっ!」




