[SS]オレンジ色に浮かぶ
久しぶりに訪れた駅の地下街は、前よりもずっと人通りが減っていた。
地上部に改装された新しい駅ビルに客が流れたせいだろうか。真っ直ぐ歩きやすいのはいいのだけれど、廃れていく地方の商店街に近い雰囲気がして物悲しくもある。
すれ違う顔は若者から順に少なくて、比較的年齢層が高い。
土産物屋や百円ショップあたりにはまだ立ち止まる客が見える。けれど、若者向けのアパレルショップなんかはまさに閑古鳥が鳴いている様子。
店の前を通り過ぎていく無関係の人々を、力ない顔の店員が扇風機みたいに首を振って見送っている。
「気の毒に」とは思うけれど、僕も無関係の一人。店員と合いそうになった目を逸らして、意味もなくスマートフォンの画面を覗き込んだ。
僕の用件は、父の愛用だった腕時計を修理に出すこと。名のあるブランド品ではないけれど、そこそこ値の張る代物だそうだ。なので、「仕上がり迅速」をうたったそこらの時計修理店よりも、買った店に直接持ち込もうと考えた。
色あせた金色で〈原友時計店〉と記された分厚いガラス扉を開けた。店舗自体はさして広くない。ただ、純白を基調とした内装と曇りのない透き通ったショーケースから、貴金属店らしい風格が漂っている。
「はい」と、奥のドアから人が出てきた。
てっきり白髪の老紳士みたい人が出てくるものだと想像していたが、現れたのは高校生くらいの茶髪の女の子。隣の雑貨店に間違えて入ったのかと不安になるくらい、インパクトを受けた。
その勢いでつい「お店の人はいませんか」と、口走ってしまった。
女の子はムスッとした。
「店の人間ですけど。何か御用ですか」レジカウンターを兼ねたショーウィンドウのガラスの上を彼女がコンコンと指で叩く。
「いや、失礼しました」
「いいです、よくあることなんで」
「すいません…」
申し訳なさを振り切ろうと、矢継ぎ早に用件を伝える。
機嫌を損ねた彼女からは、面倒くさそうな湿った相槌が返ってくる。
「あの、物を見ないとなんとも言えなんですけど」
「ああ…失礼」
彼女の不機嫌に押し流されるままに、腕時計を差し出した。
「どうぞ…」
しかし途端に、「ん?」と、彼女の目つきが変わった。 「これ、どこで買ったんですか?」
「いや、だからこの店で…」
彼女の視線が時計に釘付けになる。
「ベスタフィルってとこのレア中のレア品じゃないですか。一九七二年製。当時はまだ珍しかった水晶発振式。技術開発元の日本の社長さんとベスタフィルの社長が大の親友だったとかで、限定何本かで技術委譲されて作られたやつ。今はもうメーカー自体が残ってない。この文字盤の『Ami in time』って印字は、フランス語の『Ami intime』を崩したもの。アミアンティムは〈親友〉って意味なんです」
驚いた。「ああ…」としか返せない。
雑貨屋の店員と見間違えるほど若々しい女の子の口から出る言葉とは思えない。
「やばいです、これ」 彼女の不機嫌はどこかへ消え、嬉々とした表情で品物に見入っている。
「えっと…」
「しかも日本の小売店で仕入れたのはうちの店だけ」
「そうですか…」
「というか…」
「はい…」
カウンターに肘をついていた彼女が、急に直立した。そしてすぐ、つっぱり棒が外れたみたいにストンと、深くお辞儀をした。
「ありがとうございます。今の今まで大事に使っていただいて」
「ああいや、使ってたのは父なんで…」
「祖父の話だと、これは売ったんじゃなくて譲ったそうなんです。それもやっぱり、親友に」
「祖父…おじいちゃん…親友」
「はい。この地下街に来る前、まだ駆け出しの祖父を親身に応援してくれた人だと、言ってました」
「うちの父がそんなことを…」
「聞いてみたらいいじゃないですか。『何があったんだー』って」彼女が露を払ったように、無邪気な笑顔を見せる。
「ですね。そうします」
「本当によかった…。祖父に見せたら絶対に喜ぶと思います」
「それは…うん、是非。僕も父に聞いてみますね」
「はい、是非」
地下街から地上に出ると、心地よい秋風が吹いていた。普段の生活じゃ味わえないすがすがしさに駆られて、空を見上げる。真新しい駅ビルの窓ガラスに夕日が映えている。
その輝かしいオレンジ色に、「意地でも部品見つけて動くようにします!」と言いきった時計職人の笑顔が浮かんだ。