輪廻道への道
海――。
世界の果ての西の海。
そこは一面の大海だった。
表面は黒いが、深海に進むにつれて現世と同じように青く透き通っていて、全てが現世に還る生命が輪廻する大海だった。沿岸部の陸地にて途方に暮れるアゲハは、腕を組んで自然融合を行いつつ思案していた。六道輪廻に居られる時間も後二日も無い為に焦りの色が浮かんでいそうなはずだが、ケロリとした顔で荷物を降ろし、刀を地面に置いて着物を脱ぎ始めた。
「……海の感覚だと海中だな。海の底に輪廻道はある。とりあえず刀一本担いで行くしかねぇよーだな」
羽織袴を脱いで素裸になり、褌に刀をぶち込み精神統一する。
少々、みっともない姿だが海中での動きを考えると裸に刀一本が一番動きやすい状態だった。
だが、サヤカにもらった赤いマフラーだけは首に巻いていた。
道案内の蝶にお礼を告げ、
「行くぜ輪廻道」
バッ! とアゲハは海の中に飛び込み、深海へと泳いで行く。
海の中は明るく、現世と同じように様々な魚が泳いでいた。
目視と第六感で周囲を確認し、修羅道の自然融合と畜生道の霊鬼人で一気に海底へ猛スピードで直進する。蒼い鬼のオーラを発する全身から繰り出される激しい泳ぎから発する水泡が上へ上へともがくように登って行く。道の同時使用は激しく体力を消耗する為に長くは持たない。
すでに全身の筋肉と直感は悲鳴を上げ始め、それはアゲハの表情に如実に現れる。唇の端から空気が漏れ、海との融合が曖昧になり、肺の空気が減り出した。同時に、海中に似つかわしくない姿の人物が現れた。この世界の果てにおいて、常にどの場所においても突如現れ、アゲハに対して敵意を向け、去って行く。神出鬼没の謎の虚無僧。
その正体を、すでにアゲハはわかっていた。しかし、表情には出さずにその黒衣の虚無僧を見据えた。深海の水の重さがアゲハを圧縮するように抑えつけ出す。
(戦う気満々のよーだな。いいぜ、オメーとの決着はつける。が、今は輪廻道の場所まで急がせてもらうぜ)
水中では会話も出来ない為に、刀を抜いて一気に虚無僧に突撃した。杖を構えた虚無僧の一撃を足で受け、その反動を利用して一気に加速する。そのアゲハに対し杖を背後で高速回転させ竜巻を作り出し、獰猛な海蛇が如く迫る。全く背後を振り返らずに進むアゲハは、背中が軋むほどの衝撃を浴び、肺の空気を全て吐き出してしまった。水泡が周囲に散り、同時に修羅と畜生の力が限界に来た。感覚と筋力の激しい衰退に、刀を持つ手の力が失せた。
(息が……続かねぇ……こんな場所で……)
肺の中の酸素が全て無くなったアゲハに、魚の群れがぶつかるように通過して行く。無数の深海魚が通りすぎた後、漂う虚無僧は藻屑のようになったアゲハを見た。ゆっくりと近づき、溺死寸前の表情を見る。
(……気絶か。死ぬ前に現世に戻さないと――!)
瞬間、虚無僧の天蓋が切り裂かれる。驚く虚無僧は、いきなり甦るアゲハに焦りを隠せない。その素顔を見たアゲハは、この世界で見せた事が無いような懐かしく、穏やかな表情をした。
「ようやくちゃんと素顔を見れたな。修羅道の自然融合の応用で魚の群れから酸素を少しずつもらったおかげで余力はあるぜ。……にしても久しぶりだな百合花」
言うなり、アゲハの刀は百合花と呼ばれる少女の心臓に迫る。
その切っ先は迷い無く心臓に突き刺さる――はずだった。
「……」
しかし、修羅道の限界を迎え、アゲハはすでに意識を失っていた。
やがて、ブオオオッ……と再度渦巻いた嵐が海中で渦を巻き、二人を呑み込んだ。
その渦の巻く海中に、か弱い少女の声が響いた。
「久しぶりだね。兄貴……」
※
「雪?」
ふと、目覚めたアゲハは雪の上で寝ていた。
天を見上げると空があり、自分が深海に向かっていた事が信用出来なくなる。
冷たい雪の感覚に身震いがし、スッと起き上がると、左手に赤いマフラーの感触があった。褌姿のはずだったが、何故かこの世界の果てに来た時と同じく、白地に紫の揚羽蝶が描かれた着物に仙台平の袴、羽織はダンダラからもらった羽織、腰にはスズメからもらった印籠。足はイズモからもらった赤い下駄を履いていた。今居る場所は天海道の氷の標本がある洞窟の奥に似ているが、地平線の彼方まで一面の銀世界で世界に自分しか存在していないような孤独感を感じた。ダンダラ羽織にいつの間にか蝶が描かれ、アゲハらしさが出た羽織を揺らしつつ、
「とんでもねー場所での再会だな。まさかオメーが輪廻道じゃねーよな?」
突如、アゲハは人が居ない方向へ向けて話した。
すると、その背後から白い裾の短い桔梗の柄が入る着物を着た少女が雪を踏みしめながら歩いて来る。首の赤い鈴を鳴らし、両手にはお得意の二刀小太刀がある。
「違うわよ。でもゆっくりは出来ないんじゃない? もう二日も寿命が無いはずだよ」
「そーだな。輪廻道の後に人間道も控えてんのに時間無さ過ぎだぜ。ちゃちゃっと試練を越える裏技とか教えてくんね?」
「マックのてりやきバーガー買って来てくれたらね」
「確かに食いてーな。現世から戻ってくる時に買ってくるぜ。てか、百合花なんでそんな成長してんだ? 年齢が五歳は上になってるぜ?」
「昔のままじゃ、すぐに貴方にバレるから修羅道の幻でスズメを意識して変装してたのよ。私とスズメは似てるしね」
「なーるほど。あの虚無僧は本っ当―――に嫌だったけどオマエの試練なら許す。鍛えてくれてあんがとな」
「変わらないわね。それでこそアゲハ――」
瞬間、百合花は消えた。
背後に瞬間移動し、右の小太刀を振るう。
首を切られたアゲハは苦悶の表情を浮かべ雪の上に大量の鮮血を撒き散らしながら倒れた。その百合花は追い討ちをかけるように鬼人の如き形相になり、青い霊気を全身から吹き上がらせながら両手の小太刀を十字に振りぬいた。ズゴオオッ! と雪が散り、キラキラと白銀が煌く。死骸になるアゲハの身体は無数の紫の蝶になり始めた。スッ……と百合花の足元の地面の雪が動き、アゲハの顔が見えた。
「修羅道の幻を使った後に必ず蝶が発生するのがアゲハの弱点。幻に最後まで集中してない証拠よ」
雪に化け隠れていたアゲハは百合花の隙を突こうとしたが、更に背後から喉元に小太刀を突きつけられ動きを止めた。極寒の地の冷気を拒絶するように額に汗が浮かび上がり、
「オレより先に六道を会得するたーな。成長しすぎだぜ」
「アゲハと同じで天海道までは会得したわ。でも、会得しても死んだら使う相手もいない」
「じゃあ、相手になってやるぜ。少しの間だけな」
「!?」
小太刀を突きつけられていたアゲハは揚羽蝶が無数に散り消える。
(……あの蝶を上手くフェイクに使った……弱点を上手く応用した。でもまだまだね)
瞬間、本体を見抜き餓鬼道の瞬間移動で移動すると同時に畜生道を纏う乱撃でアゲハを刻んだ。全身全霊の一撃に、右腕が飛ぶ。次に左手、左足、右足と失い、アゲハは身動きの取れない達磨になる。四肢を失う事よりもここまでの実力差は一体なんなのか? と疑問に思う中、百合花の声が響く。
「今まで道には私が多少の手加減をするように伝えてあった。だから出会ってすぐに殺されずに済んだのよ。アゲハ、貴方は立ち上がりが弱い。相手の力量を測ろうという癖以前に、相手を知ろうという気概がある。貴方は光葉になりたいの?」
「オ……オレは――っ!」
ガスッ! とアゲハは頭を踏みつけられ雪の中に顔をうずめた。顔の真横に突き刺さる蛹が頬を傷付ける。スズメに言われた相手の力量を測る癖以上に、光葉になりたいと言う言葉に反論が出来なかった。実際に百合花と会う事でアゲハの心に揺らぎが出て来ていた。百合花が出てきたという事は、その先に待つ人物が誰なのかを予感してしまっているからである。ギシギシッと頭を踏みつける力は増し、頭上の悪魔が囁くように言う。
「まだ生きたいと思えるか? アゲハ?」
「……たりめー……だ」
「言葉とは裏腹に、心は素晴らしく絶望に傾いているよ。その心を喰らいたい。私が言ってるのは脳ミソの事だよ? わかる?」
すでにアゲハに答える力は無い。
両腕、両足を失い、出血大量の為、意識も失いかけている。
このまま瞳を閉じれば死ぬだろう。
百合花は無機質な瞳のまま、足に更に力を込めた。
「やっぱ、この前の試練の時に死んでおけばよかったんじゃない? 引き際が良いのと、ただの逃亡は違うよ」
「残念だったな……これは修羅道の幻だ……」
「……幻なら早く攻撃してきなよ? 出来ないんでしょ? 私に世界の果てで得る六道は効かない」
言うなり、百合花は小太刀を構えアゲハの首に狙いを定めた。
どす黒い殺意の籠った刃に畜生道の霊鬼人の霊気が纏わされ肥大化していく。
(とうとう年貢の収め時か……六道輪廻が効かないんじゃ勝ち目がねぇ……。光葉を越えるのは無理だったか……)
「さようなら、アゲハ」
そして、刃は放たれた。アゲハの時は、走馬灯のようなゆっくりとした時の感覚になっていた――。
(終わりか……世界の果て最後の手前の輪廻道で破れるたーな。すまねぇな、みんな……)
その瞬間、ダンダラ、スズメ、サヤカ、イズモの顔が浮かび、その後に逃げ出した京都の戦いの血を血で洗う状況、そして光葉の顔が浮かび上がる――。
人々は敵味方共、一様に心の中に信念を持ち自分の人生と戦っており、自分の意思で戦う者、他人の意思に乗っかっただけの者、時代の渦に呑まれるだけの者。全ての存在が自分の生き様を魅せていた。その様は誰もが他者と憎しみあいながらも相手を求める絆を感じさせ、薄れ行くアゲハの心に世界の果てでであった人達との約束――絆を思い出させた。
(……オレはまだ死んでねぇ……息の根が止まるまでは諦めねぇぞ!)
カッ! と両目を見開いたアゲハは、目の前に落ちていた刀をくわえ、放たれた刃を防いだ。そして、立ち上がり、くわえた刀を失ったはずの右手に持った。虹色の輝きが全身に満ち、その瞳は何かの確信を得ていた。
(肉体が再生している……。輪廻道を無意識の内に会得したのね。これであの男に勝てる最低限のものは揃った。後は人間道……)
今まで会った仲間との絆の思いから輪廻道の輪廻転生を発動させたアゲハの四肢は再生する。そこで、アゲハは人と人との絆が自分の信念だとはっきりわかった。同時に、光葉を超える光が見えた事を確信する。
「――六道輪廻は全て繋がっている。これは輪廻道に向かう為の試練。この試練を与える理由は、自分自身の最大の目標と対峙する為の覚悟を問う為のもの。だろ、百合花?」
「大方合格。輪廻道の基本は生きようと、生き直したいと強く願う意思。私が輪廻道に会う為の最後の試練を与える役目をしたのは、アゲハにどんな絶望的な状況化でも生きようとする意思があるかどうか。この状況において尚、アゲハのように強い意思を持てる者はそうはいない。合格おめでとう、アゲハ」
刀を収めたアゲハは自分の両手を見つめた後、
「合格か。輪廻道を会得しねーと人間道にゃ繋がらねぇ。当然か。死ぬだけだもんな」
「そして、人間道を得る為に人間界に戻る為の試練を行う。これが、世界の果て最後の試練の概要だよ。輪廻道はあの男……心してかかるように」
パンッパンッ! と顔を叩いたアゲハはふと、空間に当たり前のように現れた障子の入口を見た。その障子は金張りの重々しい障子で、中がどうなっているかはうかがえない。裏側には何も無く障子をくぐるしか道は無さそうだった。
「……輪廻道はこの障子の先にいるようだな。普通に存在してやがるがこの障子は異常な霊気を纏ってやがる。輪廻道の基本は出来たが、その本質の先は奴との戦いで見据えるしかねぇか」
じっと障子の先を見据えるアゲハを見つめ、百合花はゆっくりと口を開いた。
「そうだよ。人間界に戻るには 光葉を越えるしかない。その障子の先に光葉は居る。行け、アゲハ……兄貴ならやれる。光葉のようになったら、絶対に許さないから」
「あぁ。あんがとよ百合花。オレは……光葉を越える!」
チン、と刀を収めると同時に疾風の如く、アゲハは走った。
勢いよく障子を開き、真っ白な空間の中へ飛び越んだ。
絶対的な自信と共に。
閉じられて行く先にあるアゲハの背中を見て百合花は言う。
「今まで試練を乗り越えて来た自分を忘れず、あの男の言葉に呑まれない事。だが呑まれるでしょう。呑まれてからが本番……そのままのアゲハが、光葉を超える唯一の手段。乗り越えろ、兄貴」
そして、輪廻道・聖光葉への障子の扉はピタッと閉じられた。




