畜生城を斬る揚羽蝶
目の前は赤。
真っ赤な血だった。
その血を浴びているのは少年。
右手には刀。
左手には人間の首。
目の前には人間の胴体が倒れていた。
それは少女の身体だった。
無論、少年の左手にある首はその少女の首。
『……何故殺したの?』
ぎょろり、と目を見開いた少女の首が、喋る。
その少女をアゲハは誰よりも知っていた。
妹の百合花である。
「百合花……違う! オレはオマエを殺したかったわけじゃ……」
ガクガクッと震えたアゲハの身体の底から、叫び声が上がる。
百合花のバラバラの身体はいつの間にか繋がり、絹のような素肌がアゲハの肌に触れた。
頬を舐められ鼻を舐められ唇に濃厚な接吻をした。
百合花の唾液が鼻腔をくすぐると同時に、耳に冷ややかな声がする。
それは責め苦のように何度も、何度も、何度も響く。
その声に意識、感覚、全身の全てを呑み込まれ立ち尽くす。
『……絶対に許さない』
「うわあああああああっ!」
百合花はにんまりと笑った。
※
「かはっ!」
アゲハは死者が流れる赤川の横にある壮大な梨の森の一角で目を覚ました。
背中の土の感触と肌に当たる雨粒が、生きている事を実感させた。
遠くでは誰かが争うような物音がしているが、激しい雨音でここまで聞こえる事は無い。
何かが顔の方に近づき、顔を舐めた。
「ユリ!?」
そこには何故か修羅道ダンダラの区域にいた白猫のユリがいた。
白い毛並みは血で染まり、全身には無数の傷があった。
アゲハがいる周囲には息絶えた恐竜の群れが散乱し、降り続く雨さえ百を超えるおびただしい死骸の血の匂いを消せていない。赤川の傍には一船の木造の小船があるが、アゲハは気にも留めずユリの傷の具合を見た。
「……すげえ死骸の数。助けてくれたのかユリ。すまねぇな。その怪我もすぐに治してやる。腰の帯にくくり付けた袋に傷がたちまち治る餓鬼丸がある……ん? 六道輪廻の書が!」
重度の傷を負うユリの為に特効薬の餓鬼丸を探していると、懐にしまっておいた六道輪廻の書が粉々に砕け、かろうじて下の部分が残っている状態だった。光葉にもらった直筆の、世界に一つしかない世界の果ての謎が書かれた書物。その書物がサヤカのとどめの一撃を緩和し、アゲハは死なずにすんだ。
(光葉がオレを救ったか……オレは光葉にしてやれる事は六道輪廻を超え、狂を会得し奴と対等に張り合う事。それが光葉がオレに望む事……まだやれる事はある。命尽きるまで、何度でもやってやる……?)
息を飲んで書物を見ていたが、傍の鳴き声で現実に引き戻され、
「悪ぃユリ。餓鬼丸だったな。えーっと、ここにあるんだ……あった、あった」
腰の印籠から赤い玉のような餓鬼丸を出した。
しかし、アゲハの顔は喜びが少ない。
「小さくなってやがる……戦いの中で少し砕けちまったのか? でも食え。多少なりとも回復する」
無理矢理ユリの口に餓鬼丸を押し込んだ。
口に入れた餓鬼丸をユリは何故か飲まず、自分の顔をアゲハの口に近づけた。
何かを訴えるように鳴くユリにアゲハは疑問を持つ。
「どーしたユリ? それは毒じゃねぇ。多少細胞が死滅するらしーが、傷は完治する。小さいから効果は微妙だろうが飲まねーよりマシだ……ってオレに飲んで欲しいのか? そりゃ無理な相談だ」
グイッと餓鬼丸をユリの喉奥に押し込み、無理矢理飲ませた。
そして、アゲハはこれからを思案した。
十数秒でユリの身体に餓鬼丸の効果は現れ、ある程度の傷が一気に回復した。
動けるようになったユリは草の中から何かの紐をくわえ、引きずった。
それを手に取るアゲハは驚きと共に呟く。
「刀……か。しかもこれは光葉が六道輪廻に挑む時に帯刀してた、月光蝶じゃねーか! ダンダラの小屋にあった刀が何でこんな所に? まぁいい。この名刀ならいけるぜ。ありがとよユリ。オマエみてーな仲間に出会えて良かったぜ」
アゲハは笑いながら光葉が以前帯刀していた名刀三十工の中の一刀、刃紋が規則正しく波打ち、清廉な気高き美女のような美しき一刀を見定めていると、遠くの空にプテラノドンの群れが現れた。そして、地上にはトリケラトプスやティラノサウルスまで現れた。彼等はアゲハの首をあげようと野生の動物の本能丸出しで迫って来る。
「来たか……完全に霊気をコントロール出来るようになんなきゃサヤカにゃ勝てねーな。バトルロワイヤル。受けてやるぜ」
懐の中にユリを仕舞い込み、転がっている黒鞘の脇差を拾い梨の森の中を出た。
吹きすさぶ雨に乾き出していた全身はすぐにびしょ濡れになり少しずつ体温を奪う。
トリケラトプスは後頭部から首の上にまで伸びたフリルを揺らし、口先を尖らせながら猛然と迫る。
角を避けるようにトリケラの身体の背中を蹴り、宙に舞う。
同時に、上空からはプテラノドン三匹が獰猛な口を開き、肉を喰らおうとしている。
刃を一閃し口を切り裂く。
今までにない刀の切れ味に興奮し、自分の右腕が半分死んでいる事を忘れていた。
「ぬううっ!」
心臓が異常な収縮を行い、全身の力が抜けると同時に吐血した。
右腕の握力が抜け刀が落ちる。
プテラノドン二匹はアゲハの胴体と足を噛んだ。
アバラ骨と左足にヒビが入りそのまま喰われそうになるが、突進して来たティラノサウルスがアゲハの顔面に頭突きをかます。その衝撃で身体は地面を転がり、ユリが生きている事を確認しつつ起き上がると同時に、左手で地面に刺さる刀を抜き振りぬいた。トリケラトプスの両目が失われ、そのまま突撃を受けた。吹っ飛ぶ身体はゴミのように転がり、赤川に沈みそうになる。雨と呪怨の呪い、そして今までの歴戦のダメージが視界をぼやけさせ、恐竜の群れがどれだけ存在するか認識出来なくなる。すでにその場所には百匹近くの恐竜の群れが迫っていた。
(このままじゃ死ぬ。呪怨よりもコイツ等に殺される……少し休まねーと駄目だ。逃げるにも自然融合で上手く隠れながら……自然融合……)
赤川に手を浸すアゲハの思考に何かが閃く。
「いい事思いついた」
迫り来る百を超える恐竜の群れに恐れる事も無く笑った。
「数日、傷の治療も兼ねて休むぜ。霊気の溜り場はこの先の赤池……行くぜユリ。勝つついでにサヤカにオレを惚れさせてやる」
ガブ! と噛まれたアゲハは悲鳴を上げつつ、そのままユリを抱え赤川に飛び込んだ。
修羅道の自然融合をしつつ、赤川の先の亡霊の渦であると同時に霊脈の中心でもある赤池に向け進む。 すると、身体から無数の揚羽蝶が飛んだ。
その水中に映える揚羽蝶に、ユリは見とれた。
天の赤き雲が白い満月を隠し、氷の冷気と死者の霊気が混ざり合い陰鬱とした霧となりそびえ立つ畜生城の大いなる存在を隠す。それを覆うように雨は止むことも無く降り続け、梨の成長と反比例するように恐竜達の精神と体温は削られて行く。
夕刻の闇がより一層霧の存在を深くし、畜生城の存在は霧と氷と雨の三つの天然の結界に守られ、外部からの侵入は不可能になる。その時刻はすでにサヤカは全て補修された天守閣にて眠っていた。
その三重の結界がひしめく畜生城に向かい、一人の紫の髪の少年が悠々と下駄をカラリと鳴らし、鼻歌を歌うような素振りでゆっくりと柄だかの獅子舞のような模様の傘を挿しながら歩いて行く。腰には白と黒鞘の大小の刀が鎮座し、主人に抜かれる時を待っている。隣には白い猫が歩き、鋭い眼光で先を見据えていた。
装束の着流しの柄はひたすらに雀が埋めつくされており、一瞬見るものをドキリとさせる模様だった。 その少年、アゲハは深淵の深い霧の中を難なく歩き、ふと思いたったように歩みを止めた。
城の入口まではまだ百メートル近くの距離があり、刀が届く距離ではない。
ギラリ……と二尺八寸五分の磨ぎの後のような青白い光亡をたたえた刃を抜き、大きく息を吸い目を閉じた。同時に、城の周囲を警戒していた女看守共がわさわさと現れ始める。
「邪魔だ退いてろ。今からこの氷の女王の牙城をたたっ斬る」
鬼のような熱気を帯びたアゲハの鋭い視線に、接近する女看守は皆一様に息を呑んで立ち止まる。
「今の行動は命令じゃねーな?」
「当然だ。我々はサヤカ様から自由にこの畜生道を守る権限を与えられている。我々は人間として任務を与えられ、人間としての尊厳を守られた事でサヤカ様を信頼している。現世などでは我々はゴミ同然だったからな。サヤカ様の信頼に答えるのが我々看守の役目」
サヤカを信じて疑わない女看守に対し笑みを浮かべ、
「その力はサヤカを助ける為に残しておけ。勝つのはオレだからよ」
一点の迷い無き倫とした眼と存在感に、声を失う女看守共は捕まえようとする思考さえ崩れ、棒立ちになる。今のアゲハには近づきたくても近づけなかった。深い霧は周囲を漂う霊気と共にアゲハの身体を包むように取り囲んで行く。青白い霊気の渦は天に登って行き、やがて紫の竜巻へと色彩を変え始めた。
その暴風は天守閣を揺さぶり、寝ているサヤカの目を覚まさせた。起き抜けにも関わらず特に乱れた様子の無いサヤカは赤い下着一枚の姿のまま障子と金の雨戸を開け、目と鼻の先にある紫の霊気を帯びた異常な竜巻を見た。未だかつてこんな竜巻と霊気の圧力を感じた事の無いサヤカは、全身を雨で滴らせながら瞠目し、雨に打たれ透けて行く下着など気にもならずにいた。竜巻の中心部にいるアゲハは、刀を堂々たる大上段に構え畜生道を最大限に使い筋力と刀の力が増幅されるその瞬間――。
紫の竜巻から一筋の閃光が走り、ズウウウン……と畜生城が大きく揺れた。城を覆う氷は縦一文字に亀裂が入り、地面も振動する。畜生城は、アゲハの一太刀により真っ二つにぶった斬られた。
砕けた氷の亀裂は城の全体に拡がり、激しい音を立てて地面に落ち崩れて行く。真っ二つに断ち斬られた城の振動が収まると同時に紫の竜巻も収縮し出し、アゲハは竜巻に包まれた姿から解放され姿を現した。その顔は、絶対的な自信を持つものだけが見せる微笑を浮かべていた。
「……」
ミシミシッと手に掴む窓の格子を握り潰し、怒りに満ちるサヤカは今一番聞きたくない相手の声が耳に届く。
「……よぉ、サヤカ。仲間との約束通りこの城をたたっ斬ってやったぜ。オレの畜生道、中々の力だろ?」
「力を使いこなしたのは認めてあげる。でも試練は私を倒す事よ」
「オマエさんの半分はもう崩してるぜ。この城と共にな」
「傾いたのは城だけよ。それで私を殺せるとでも?」
「傾いたのはオメー自身の心だ。まぁ、殺さずに倒すだけだがな。あーしんど!」
急に倒れ込み、大の字になるアゲハは全身の虚脱感を否応なしに感じ取り、天に向かって叫ぶ。
サヤカは天守閣から飛び出しそうになる。
「待て。……オレは案外視力は良いんだ。とりあえず着替えろ。上下の大事な所が見えてるぜ」
「! 貴様っ!」
すぐさま奥に戻り、濡れた下着を脱ぎ捨てサヤカは着替え始めた。
その間、激しく降っていた雨は陰りを見せ始めた。
アゲハの作り出した竜巻に弾き飛ばされた女看守達は周囲の変わり行く環境と状況に呆然としている。 赤池の霊気、霧の霊気、氷の霊気、雨の霊気を全て取り込んで放ったアゲハの畜生道の大いなる一撃は、畜生城を切断したと同時に確実にサヤカの心を砕いていた。そのサヤカは、着替えを済ませ天守閣の窓からアゲハに向かってダイブした。起き上がるアゲハは左手で刀を持ち、雨が上がり始める天に微笑んだ。
少し離れた梨の森からダンダラとスズメはその様子を見つめていた。
服に多少の傷を負う二人は、進化するアゲハの成長を見て満足していた。
アゲハはただ強さを求めるだけの存在で無い事を改めて自覚し、光葉とは違う存在になりえる事も実感した。ガブリと梨を食べるスズメは、
「サヤカの心の壁を取っ払うとはやるね!」
「全てが丸裸になった今、条件は同じになった。後は自分の力と道に対しての答えが勝負を決める」
「でも呪怨は全身に廻っているよ。おそらく後三日くらいでアゲハは死ぬ。そして……」
「そして、この戦いにおいて畜生道は使えない。お前の進化を……」
「見せてもらう、よ!」
「……お返しか?」
「そうだよ! 美味しい所は持っていかせない!」
(女はめんどくさい……)
ダンダラは台詞に割り込まれ怒るスズメに面倒臭さを感じつつ、畜生城の前に立つ少年を見つめた。
その少年アゲハは正に威風堂々と呼べる姿だった。




