畜生道・サヤカとの戦い
「お邪魔しに来たぜ。アゲハだ」
そのアゲハの挨拶に、畳の上であぐらをかき湯飲みで茶をすすっていたサヤカは背後の声に不快な表情で振り向いた。上半身は裸で、囚人服のズボンしかはいていないアゲハは鳥肌を立てながらくしゃみをしている。
(小僧……まさかこの城の外壁を? 生きの良いプテラノドンを飛ばせてあったはずなのに……まさか畜生道を会得したのか?)
「あー寒みぃ。ったくのんきに茶なんてしばきやがって。あんなバトルロワイヤルとか大変だし、オマエ倒せば終わるからここまで来たぜ。邪魔する為に上がらしてもらうぜ。お邪魔しまーす」
畜生城の外壁を登って来ていたアゲハはプテラノドンの群れを軽くいなし、氷の居城の最上部に辿り着いた。左手で刀を持ちながら、サッと天守閣内に入る。周囲はシン、としているが冷たい鬼のような殺気が確実にアゲハを狙っている――刹那。
「つえぃ!」
アゲハは刃を一閃した。
先手で仕掛けたサヤカは十手でアゲハの刃を砕いた。
ヒュン! と、刀の切っ先が中空を舞う。
アゲハの刀は修羅道からの激戦の連続で無数の刃毀れを起こし、すでに鉄の棒でしかない。
中空を舞っていた刀の切っ先が畳に刺さる。
切っ先の無い白刃をひるがえし、アゲハは駆けた。
「とんだ歓迎だな。オレにも茶の一杯ぐらいくれよ。女のわりに異様に強えーサヤカさんよ」
「ほう、女だから意外か。なめてるな?」
「なめてねーさ。死んだオレの妹はオレよりも強かった」
「そう。でも死んだって言い方はおかしいんじゃない?」
ドキッ! とするアゲハの表情を嗤い、サヤカは一気に攻勢に出る。
動揺し、激しい焦りが判断能力を遅らせ、身体を硬直させる。
同時に、蛆虫のような呪怨の蠢きが全身の細胞を喰らおうと活発に動き出す。
右手に握力が入らず、相手の攻撃を防ぐどころか刀をさばくのにすら難儀し、身体中に十手の殴打を浴びた。ズザァ! と畳を抉るように転がり、壁に激突する。起き上がり、畳のカスが舞う目の前を見据えると細い鋼の先端部が右目の一センチ前に存在した。
「!」
呪怨の痛みを捻じ伏せるような超反応を見せ、右目のこめかみを抉られつつ右足を振り上げた。
こめかみから噴出す血がアゲハの右目を塞ぎ、蹴りはサヤカの胸に直撃する。
胸の前で蒼い粒子が弾け、勢いよく吹き飛ぶがスッと反転し天井に逆さまに着地した。
血で見えぬ右目は気にせず、希望を失わない左目だけで逆さのサヤカを睨む。
(あの粒子……やっぱ霊気だな。前の襲撃と赤鬼の戦いで畜生道のある程度の本質は掴んだぜ。プテラノドンも霊気を纏えば簡単に倒せた……)
「何その顔。もっと絶望なさい。哀れな恐竜達のように私に甘美をもたらす梨の果汁のような絶望に満ちた表情を」
アゲハは戦慄した。
人間だけではなく、動物の本能が戦慄した。
勝てる相手ではない……。
蟻が巨大な城を相手にしている圧倒的としか言いようの無い感覚。
地獄の力を得た鬼京雅のような阿修羅の霊気――。
じりっ……とアゲハの気持ちが逃げに後退する。
(全然近距離いけるな。あの氷爆は何だったんだ? こりゃ、一時撤退……いや、ここまで来たら逃げ道は無ぇ。やるしかねぇが、策がねぇ……命捨てるだけじゃ勝てねーな)
ベッと口の中に溜まる血を吐き、弱気に後退する気持ちを攻勢に見せようと声で虚勢を張る。
「初めて会った時に投げてきた氷爆は何だったんだ? オメーは近距離型だろ?」
「氷爆で奴隷を爆発させると、弾けた氷に血が写りこんで綺麗なのよ。特に最後の表情が小さな氷に写る様がたまらなくゾックゾックするわ」
「動物や人間を洗脳して自分好みに操る奴なんざ、認められるか。斬る」
「オスは私の命令を聞いていればいいの」
そのサヤカは言いながら、天井を蹴り突きを繰り出した。
瞬時に畳を返しそれを防ぎ、肩に白刃を担いだアゲハは、
「言うこと聞いたら畜生道は会得出来るのか? 違うよなサヤカ。この試練は力。オマエを超える力を持つことだろ?」
「そうかもよ? そっと、寄りなさい」
「嫌だね。全く目が笑ってねーぜ。怖いオネーサンは嫌いだ」
「あら、そう。そんな刃物じゃ傷はつかないわ。そろそろいたぶるのも飽きてきたわね」
「いたぶる……だと?」
ピクリ、とアゲハの左目の上の血管が動き抉れた右のこめかみから更に血が吹き出る。
「男などは私のいいなりでいいのよ。何故なら私は神だから」
「じゃー、この城は神の城か。女王様よ? オマエは道をさずける気があんのか?」
「お前に道をさずける気は無い。私がここを任されてから、六道輪廻にやって来る悪霊共は全て牢屋に叩き込み管理し、完全に存在を抹殺してきている。過去、聖光葉以外は皆、ここ畜生道で屍にした。貴様もここで死ね」
ギュッと何かを握りつぶすようにサヤカは十手を構え、蒼白い光と共に動いた。
(六道輪廻を破壊した雅の事には触れねーな。あの野郎のせいでオレにとばっちりがきてるぜ……現世に復活したら覚えてろよ雅)
瞬時に嫌な予感がしたアゲハはバックステップで後退し、十手を避けた。
ボコォ! 一撃でと天守閣の壁と屋根の半分近くが砕け、外の雨が内部に吹き込む。
「本物の畜生道! なんつー力だ。――!」
「修羅道――狭い場所で意味があるのかしら」
(また気で負け逃げちまった。これがスズメの言っていた力量を測る癖を無くせって事か。この癖は圧倒的に力量の差がある相手にゃかえって冷静さを失わせて自滅させる。あの騒乱の時と同じ状態になるって事だな……)
修羅道の幻で攻撃を回避したアゲハに対し、サヤカは暖炉の灰を手に取り空間に撒いた。
パサァ! と一気に灰が広がり視界が灰で埋まる。
ただ一ヵ所、灰が影響を及ばさない場所があった。
それは、人間の形をしていた。
「そこっ!」
「チィ!」
ガギンッ! とアゲハは鞘で十手を防ぐ。
ヒビが入る音と同時に刀を振り抜き、仕掛ける。
「馬鹿野郎が! 刀がもたねぇ! 畜生道を使うのは無理か?」
「畜生道を使うのは無理? 畜生道の本質を捉えたならやって御覧なさい。刀が砕ける前にね」
「へっ、言われなくてもやるさ」
「手加減しても三分も持ちそうに無いわね。痛ぶりがいが無い」
「戦いは三分クッキングじゃねーんだぞ!」
修羅道と餓鬼道を駆使し、幻と瞬間移動を混ぜながら刀を振るう。
すでに刀は物打にもヒビが入り、数度の激突には耐えられない。
心臓に巣くう呪怨は、六道の使用を拒絶し、その黒い染みを背中全体や下半身、首筋にまで急速に広げた。流石のサヤカも道の同時使用に驚いた顔を隠せず、多少の力を出して応じていた。床の畳と天井は互いの攻撃と踏みしめる足の重みで消耗し、破壊されて行く。
「おおおおっ!」
アゲハは餓鬼道にて、背後からの突きを繰り出すが、サヤカの身体には刺さらず刀は完全に砕けた。
畳に転がるボロボロの刀の物打にサヤカの歪んだ愛に満ちた笑みが映ると同時に、その物打はスッ……と蝶になりと消えた。それに気がつかぬサヤカは無言で憔悴するアゲハを見る。
「まさか道の同時使用なんて出来るとはね。それはあの光葉ですら思い浮かばなかったはず……正直驚いたわよ。でも、私を殺せなければ意味が無い。さようなら」
止めを刺そうとするサヤカは、不穏な気配を感じ驚きの声と共に背後に振り返った。
「……? 霊気? 霊鬼人!」
そこにはボロボロの刀に蒼白い粒子を纏わせる本物のアゲハが居た。
憔悴する有幻影のアゲハは蝶になり消えた。
息を呑むサヤカは怒りがはっきり見えるように全身に蒼白い霊気が増して行く。
「霊鬼人? それが畜生道の力の名か。赤鬼の強さや赤池の陰鬱とした絶望の渦巻きの正体が畜生道の本質と睨んでいたが、当たりのよーだな。全身の細胞と筋肉が活性化してきたぜ。これがオレの畜生道っ!」
ブフォッ! とアゲハは刀だけでは無く全身に霊気を纏わせた。
蒼白い光と共に、全身の筋肉が活性化し肥大化する。
鬼のようなその霊気に畳はパチパチッと弾け出す。
刹那――高速で移動したアゲハの畜生道の霊気を纏う斬撃がサヤカの脳天に叩き込まれる。
(聖光葉――!)
驚いたままの顔のサヤカは、微動だに出来ず、額から血を流し立ち尽くしている。
「……っ!」
恥を感じたサヤカは、顔を蒸気させ十手では無く左の拳でアゲハの頬を殴った。
それは、サヤカの利き腕だった。
それほどにサヤカは今のアゲハの一撃に何も出来なかった自分を恥じた。
自分の血を見たのは聖光葉と鬼京雅との戦いのみであり、見下していた小僧に利き腕を使ってしまった事もサヤカの自尊心を傷付けていた。
「……どーやら一撃くわえる前に刀が砕けたか。ん? どーした? 額から血が出てるぜ? その顔、まるでオマエが飼っている連中と同じ顔だ」
殴られた口元を抑えながら、アゲハはよろよろと素手のまま立ち上がる。
額から流れる血を拭い、サヤカは重い口調で話し出す。
「貴様は聖光葉の弟子というのは本当のようだな。私に微かだが血を流させるとは……貴様の畜生道を認めよう。だが、試練を乗り越えたわけでは無い。畜生道は鬼にならねばならない」
「当然だ。霊気を上手く使うのは難しいが、もう一撃ならいけるぜ」
スッと背中に手を回し、首元からサヤカに狼にされたカオルからもらった仕込み刀を引き抜いた。
その鍔が無い脇差のような短さの仕込み杖を突き出し、
「一つ、教えてくれ。この畜生城は罪人の魂を昇華させる六道輪廻の要だと聞いた。罪人がどーゆふうに現世へ転生されるんだ?」
アゲハに光葉を重ね合わせるサヤカは苦虫を噛むような表情だが、しっかりとした口調で答えた。
「……罪人が現世へ転生するには修羅で身体を洗浄し、餓鬼のマグマで焼かれ、畜生で悪人は裁きにあい昇華され、天海で自然と融合し洗練され、輪廻でまた現世へ帰る。それが輪廻転生の法則。人間は人間と関わり学ぶしかない」
「そーいえば、光葉もそんな事を言っていた記憶があるな」
「私は個人的に奴は嫌いだが、光葉は他人に壁を作らず他人を知ろうとする男だった。光葉は他人の話を無理矢理にでも聞いてくる。ひたすらに他人を知り、それを全て自分に還元して自分の頑固さを磨く。何とも嫌な男だ……心の底では狂が無い人間は認めず、他人を踏み台にしか思わない悪魔……」
「他人を踏み台にしか思わない悪魔ってのは、オマエにも当てはまるぜサヤカ。ここの罪人からすれば、オマエが光葉に対する畏怖と罪人がオマエに感じる畏怖は同じ。何ら変わりねーよ」
「黙れ小僧がっ!」
蒸気した顔を更に怒らせ、唾を飛ばしながらサヤカは怒鳴る。
「自分より強く、能力が高く、全てにおいて圧倒的な者が現れたらどうする!? 貴様は光葉を意識してるようだが、凡人は狂人になれん! ならば貴様の答えは何だ? どうやって絶望に平伏さない絶対的な力を得る!? 貴様は光葉を超えられるのか!?」
瞬時に仕込み刀に畜生道の霊気を纏わせ、サヤカに応じた。
しかし、心の乱れが霊気の集中を妨げ、仕込み刀は脆くも砕け散る。
カオルとの絆が砕け散り、全てが崩れ去る絶望の音が耳に響く。
その最中、アゲハはこの六道輪廻を超えるに当たって向き合わなければならない課題に直面した。
絶対的な存在に勝る力――。
それに対して対抗する手段は今のアゲハに出せる答えは無かった。
自分の気持ちとしては光葉を超えるつもりで今まで戦ってきたが、実際は強くなればなるほど光葉の存在は遠くなって行き、心の奥底では勝てないと実感していた。サヤカの吐く息に霊気が収束し、空中に無数の氷の物体が浮かんだ。それは紛れも無く、氷の爆弾である氷爆である。その絶対的な力の強さが目に映りこみ――。
(オレは光葉には勝てない……このままでは勝てない。三途の川から這い上がったのは強くなる為……オレは、ダンダラやスズメとの絆を守る為に……オレ自身の為に更に強くなりたい――この絆……この絆だけは!)
その強き思いが霊気を身体に纏わせた。
しかし悪魔の囁きが死を予言する。
「つまらないわ。死になさい小僧」
嵐のような十手の乱激に、死を直感した。
肉が爆発するように弾け飛び、大量の血が空中に四散する。
目の前が真っ赤に染まるアゲハは、かろうじて息をしながらその光景を見た。
「カオ……ル?」
「ははっ、後ちょいだったなアゲハ。お前に希望を託す……次は勝てよ……」
内臓が破裂し、すでに息絶える寸前のカオルは赤く染まる毛並みを振り乱しながら地上に落下して行った。そんな悲しみに悲観する間も無く、次の乱撃が迫っていた。放心に近いアゲハは鞘で防ぐが――。
「がああああっ!」
鞘も粉々に砕かれ、全身に乱激を浴び、口から放たれた氷爆の爆発を全身に受け、天守閣の壁を突き抜け外に飛んだ。しかし、アゲハは笑っていた。このまだ力の半分も出していない強敵に、圧倒的霊気を誇っていた妹の百合花を重ねると同時に新たな感情が芽生えていた――。
「惚れた……惚れちまったな……」
その微かな呟きは、サヤカに届かない。
霊気を足場にし、空中を疾走するサヤカはアゲハに迫る。
そのサヤカを見据え、
「死ねねぇ…これはダンダラやスズメとの絆だけじゃなく、百合花との約束でもあるからだ。あの言葉の本当の意味の全てを知るまでは死ねねぇ」
「奴はもう殺した。兄弟そろって弱いわねぇ」
「次……は勝つ……」
「次などないわ」
空中で必死に声をひねり出したアゲハに、サヤカは冷ややかな怒気を放ち十手を振るう。
呪怨の黒い血が空中に四散し、ザッバーン! と罪人が流れる赤い川に落下した。
そのアゲハに、恐竜の群れは襲いかかる。
クククッ……というサヤカの嗤いとともに、赤川は更に赤くなりその先の赤池に流れて行った。




