畜生道の関所・牙狼関
牙狼関。
そう、呼ばれる関所らしき場所に網傘を被ったアゲハは辿り着いた。
奥にそびえる畜生城は霧に覆われ、その天を衝くような雄大な概観がはっきり見える事は無い。
天気は激しい雨で、牙狼関へ続く石畳の道に水溜まりが出来ていた。
側を流れる左右の三途の川である赤い川は畜生城に流れつき、ダンダラの修羅道から続く川の終着地である。増水による川の流れの勢いのせいか、流れる死体の顔もどこか苦し気に流れる。
盗賊の砦のような外観の牙狼関の石で出来た入口の門の左右には、篝火がゴウゴウと焚かれていた。雨宿りが出来るのは唯一そこしかないと思い、懐の手形を 確認し歩みを進める。すると、牙狼関に続く石畳の中央に、一人のアゲハより少し背の低い虚無僧が居た。
「ゲッ! まーた奴か。呪怨の痛みは今は無ぇ。ここで始末するか――?」
ふと、背後に気配を感じ振り返るとボロボロの熊が居た。
「手形ならあるぜ――って話せる奴じゃないか」
そのやつれた熊を峰打ちで倒したアゲハは、ゆっくりと牙狼関の入口の門に立つ男の方へと歩いた。
「今の熊を仕掛けたのはアンタかい?」
「違う」
「そうか。何で攻撃されそうになったかわからなかったもんでな。殺気もいまいちだったから峰打ちにした。こいつは手形だ。通してもらえるか?」
「手形を持ってきた奴は久しぶりだな。いいだろう、通るがいい」
相手を警戒しつつ、雨で濡れた手形を虚無僧に渡すと、アゲハは後ろを振り返りながら、
「……道がこの牙狼関の石畳になる前、いわばこの関所の統括範囲外にゃ、多数の骸骨の山があったが、ありゃアンタが殺ったのか?」
ジロリ、と天蓋の奥の眼光が鋭くなったその虚無僧は、
「私を含めた歴代の虚無僧が、な。畜生道のサヤカは力無き弱き者が嫌いでな。口五月蝿い蝿のような奴を選別する為に、この関所と手形を作った。私は餓鬼山を通らずに進んで来る者に対しての監視も担っているからな」
「そうか。じゃあ、通らしてもらうぜ」
「通るがいい」
手形の裏面を見つめながら、虚無僧は牙狼関の入口の門を開けた。
入口の門が開かれ、アゲハは中に入った。
その中は、だだっ広い空間だった。
地面の石畳は赤く、雨の匂い以上に血の匂いが立ち込めている。
降りしきる雨の奥の方で、獣の殺気が光る。
「……見た所、百匹の狼がいるな。戦うしかねーようだな?」
「それは貴様自身の判断だ。畜生道を得るための試練の一つ。乗り越えてみろ」
「それと、心臓に打ち込んだ呪怨ってのはアンタ倒せば消えるんだろ? 畜生道前にオレ達の因縁にケリつけようぜ」
「いきがるなよアゲハ。過去も乗り越えられないお前が、私はおろか畜生道を突破出来る事は絶無」
臨戦状態のアゲハの殺気もどこ吹く風の虚無僧は告げる。
「その顔だと相当呪怨の効果を知りたいようだな。餓鬼道を乗り越えた褒美だ。教えてやる」
「……気前がいいな。腹でも下してんのか?」
まるで戦闘を仕掛けてきそうに無い虚無僧の言葉に動揺していると――。
「死者が世界の果てにとどまれるのは三十日。それ以上は蓄積した死臭が身体を蝕み、完全な死に至る。呪怨はその死臭を心臓に蓄積させ、死に一日でも早く至らせるもの」
「そんなもんを撃ち込みやがったか……狂ってやがる」
ググッと左胸を強く握り締め、心臓から発する呪怨の黒い痣の蠢きを感じた。
その痣はすでに左胸だけでなく、腹部や右胸にまで影響を広げていた。
主である虚無僧の言葉に反応してか、その呪怨の蛆虫の如き蠢きは肌の表面に現れ、その奇怪な存在を見たアゲハは寒気と吐き気に呑みこまれそうになり、喉元を押さえながら必死に耐える。
雨の激しさが二人の空間だけ強くなるように強さを増す。
風も増し互いの声が少し聞きずらくなる。
虚無僧は天蓋に染み込む雨にも不快感を感じないのか、相変わらず単調な声で言う。
静かに狼の群れが二人に近づいて来る。
「修羅道を乗り越えられるかを試し、餓鬼道で呪怨を撃ち込んだ。これは誰もが現世において強き繋がりを持った死者から贈られる裏の試練。おそらくお前はもう十日程度しか世界の果てにとどまれまい」
「あ? 十日程度だと? あー、風がうるせーな! 何が十日だ? ん?」
「……相変わらずだな。お前がここにいられる期間だ。それまでに残る畜生、天海、輪廻、人間道全てを乗り越えなければ死ぬ。道一つに費やせる時間はそうないぞ?」
虚無僧は杖をチャリンと鳴らし、天蓋の奥の瞳を閉じた。
やれやれといった具合で、アゲハは雨が滴る網傘をくいっと上げ、冷えた手を刀にかけた。
痺れを切らすように最前列の狼が襲いかかってくると同時に、刀の鯉口を切った。
激しい雨音をかき消すように、肉を斬る音と血飛沫が上がる。
「ざっと百ってとこか。無駄な殺生はしたくねーが、向かって来るなら斬る、ぜ!」
修羅道と餓鬼道を駆使しながら、百匹の狼の群れを斬り刻む。
いつの間にか虚無僧は少し遠くに移動し、戦況を見守っている。
アゲハは虚無僧を意識しつつ、襲い掛かる狼を蹴散らす。
「おおおっ! ずえぃっ!」
三十匹を越えた辺りで、アゲハにも多少の勢いが途切れ始めてきた。
呪怨の影響と手の冷えで握力が少し抜けて来た為、一撃で倒せなくなって来たからである。
修羅道を使い、幻に噛みついた背後から串刺しにし、腰の回転を利用し横一文字の一閃で三匹仕止めた。
「ぐっ……!」
三匹の背後から顔面に迫ってきた狼に、網傘を吹っ飛ばされた。
雨で一瞬視界が奪われ、がむしゃらに白刃を振り回すと、
「――チィ! 餓鬼道……」
狼達はアゲハの周囲を取り囲み、襲いかかった。
しかし、餓鬼道の瞬間移動を使うタイミングを逃していた。
手足、両足、首筋を噛まれ血が吹き出るが――。
「乱れ揚羽蝶!」
ブオオオオッ! と一瞬、アゲハの周囲を切り裂く無数の斬撃が展開した。
ギャウ! という無数の狼の叫び声が上がる。
斬撃と共に現れた無数の紫の揚羽蝶が雨の中を舞い、やがて消えた。
「ふうっ……!」
腕の力の限界を越えたアゲハの両腕は、痙攣した。
片膝をつき、前を見据える。
(奴等も数が減った事で多少の揺らぎが出始めたな……。たかが狼と思ったが、今になって乱戦がこんなキツイたーな……)
怯えを見せながらも、狼達はアゲハの隙を狙う。
両者の間を乱すかのように、チリン……と、虚無僧の杖が鳴った。
その瞬間、雨を切り裂く電光石火の如く全ての狼の目の色が変わり、襲いかかる。
「右手はまだ無理か……らあっ!」
一匹目を回避し、蹴りで後ろに吹き飛ばし、動くようになった左手で刀を振るう。
死にもの狂いで刀を凪ぎ、蹴りをくらわす。
体当たりや噛みつきをくらいつつも、餓鬼道の瞬間移動で回避した。
「体温が下がって、痛みがよくわからねーぜ……?」
降りしきる雨の中、餓鬼道で移動した先にてアゲハは始めに襲いかかってきた狼を見た。
その狼は虚無僧を見て、怯えていた。
(……?)
チリン! と、虚無僧の杖が鳴ると、怯えたままの狼はアゲハに襲いかかった。
「チィ!」
斬撃が甘く、足元に転がった一匹の狼の死に間際に足首を噛まれた。
そのまま蹴飛ばし、追撃を仕掛ける群れを一瞬止める。
(……斬っても斬っても全然減りゃしねぇ。雨で視界が悪い錯覚だろうが、やけに必死だな狼ども!)
力一杯に刀を振り、ふと疑問を思った。
(こいつら、別段痩せてもいねぇし、飯に困っている風にも思えねぇ……群れの頭がいるわけでもなさそうなのに統率もとれてやがる……)
踵を返したアゲハは、虚無僧が居る牙狼関の入口の方向へ駆けた。
そして、追いかけてくる狼達をチラッと見た。
「成る程な」
口元を笑わせたアゲハは、白刃を振り上げ――。
「せいっ!」
虚無僧へと振り下ろした。
いともたやすく、虚無僧はアゲハの一撃を杖で受けた。
「……フン!」
「っとぉ!」
突きを後方に飛びつつ、受け流した。
しかし、背後には狼の群れがいる。
「!」
チリン……という杖の音の後、狼達は近くにいる互いの喉元に噛みついた。
その牙は致命傷に至るほどで、震える狼達は一斉に死に絶えた。
「おいっ! 虚無僧てめえっ! 何故殺した!」
「役立たずは処分する。しかし、まだ全てではない。まだ一匹いるだろう?」
「野郎!」
言いつつアゲハが振り返ると、最後の一匹の狼がいた。
その目は絶望を写し、瞳孔が開いていた。
「何故生きている。使えない番犬は畜生道の司る牙狼関には必要ないと教えたはずだ。負けは死だ」
バサバサッ! と、突如カラスの群れが現れ、死んだ狼達を食い始めた。
一瞬の間の後、虚無僧の言葉に反応するが如く、狼は最後の力を振り絞りアゲハに襲いかかった。
「馬鹿野郎が!」
怒りに身を任せ、アゲハは飛びかかってきた狼を両手で掴みぶん投げた。
その狼は牙狼関の入口の屋根を飛び越えていった。
「すまねぇ少年!」
「狼が喋った?」
突然喋った狼に唖然としつつ、目に入る雨に瞬きもしないアゲハは虚無僧に対し怒りを露にする。
口元を嗤わせる虚無僧は、雨の中にザッと出た。
濡れる法衣が雨水で重さを増すように、言葉にも重さが増す。
「罪人風情が……何故、犬を逃がした?」
「生きてるからだ。ここで死ぬ必要はねぇ。つか、ありゃ何だ? 人間の魂でも宿ってんのか?」
「畜生城の牢獄で暴れた現世の罪人を動物に変化させ、使っているだけだ。改心する心も持たない救い無き存在には死あるのみ」
「ダンダラの小屋の近くの三途の川に流れてた奴等は畜生城に行き着くのか。廻ってやがるな」
「ここにいる全ての存在は世界の果てでは何かの道に頼らねば生きられん。あの犬は果たして他の道に辿り着けるか? その前に死ぬのがオチだ。その優しさは優しさではない。エゴだ」
「エゴで結構。死んだら何もねぇ。出来れば生きててほしぃ……ただそれだけだ」
アゲハは死んだ妹、百合花を思い言った。
「まるで誰かを思いながら言ってるようだな。あの犬はその誰かの変わりか。畜生道はくだらんと言うだろう。この道は力が全て。情けは無用な世界」
「あーそうかよ。畜生道ってのはだいぶ合理主義のよーだな。テメーにも畜生道にも頭にきたぜ――」
鬼のような形相でアゲハは虚無僧に斬りかかる。
キインッ! と金属の激突音がし、互いの位置が入れ替わった。
パサッと、虚無僧の右手の法衣が切れる。
「オメーさん。一体オレに何の恨みがある? 恨みを思いしらしたい相手なら、面と面を合わせなきゃわからねぇぜ」
「その刺青いつ入れた? 貴様、ヤクザ者か?」
左の着物の袖を吹き飛ばされたアゲハの腕は、露になった。
肩には揚羽蝶の彫り物がある。
背中を覆い尽くす揚羽蝶の群れが描かれた異様な刺青だった。
虚無僧に背を向けているアゲハは半身になり答える。
「ヤクザ者じゃねぇ。アゲハだ」




