マグマに呑まれた揚羽蝶
天はすでに暗く、丸い月の淡い光だけが餓鬼山を照らす。
アゲハは頂上の火口付近に居た。
左手には松明を持ち、少しやつれているがその眼差しは何かの確信を得たようにギラギラとしていた。 その足元の何層にも積み重なれた灰色のザラザラとした地表が歩く人間の足取りを重くする。
ドプッ……ドプッ……と火口内は前後左右にマグマが揺れ、いつまた噴火するかわからない状況にある。スッと一匹の雀が現れ、人間の姿になりスズメになった。しかし、それを全く恐れない表情でアゲハはスズメを見据える。
(右足はまだ動くようね。だけどあの余裕は何? 山を駆け続けて体力も精神力も限界のはずなのに……)
対峙するスズメはそう思いながら満身創痍のアゲハをじっ…と見る。そして問う。
「アゲハの名字は知らない。何ですか?」
一切の明るさが消え、アゲハを試すかのようにスズメは言う。
肩で息をするアゲハは虚空に瞳をやり、光葉の言葉がよみがえる。
『貴方に聖は名乗らせません。世界の果てで六道輪廻を会得しても聖の姓を名乗らせる事は無い』
嫌なものを飲み込むように唇をかみ締め、息を呑んだアゲハは灼熱の風を感じつつ、
「……残念ながらオレに名字は無い。親も無い。たまたま京都のある山に捨てられていた時、見つけた奴が揚羽蝶の模様の羽織を着ていたという理由でアゲハと名付けたようだぜ」
「そう」
一言頷くスズメは仕掛ける。
「この山にゃ、霊がいんのか? 世界の果てなら当たり前か?」
「違うよー。世界の果てでも霊は現れない。特別な用が無い限りは、ね!」
「そーかい。あんがと、よ!」
「熱っ!」
とスズメはアゲハが投げた松明にぶつかる。
敗戦確定のアゲハは笑いながら刀を納めた。それを見たスズメは多少驚きつつ、
「終わり? 情けない、よ! 所詮、本当の意味で人の上に立てる人間じゃ無いようだ、ね!」
「逃げやしねー。戦ってくるぜ。弱い自分を見つめ直し、逃げない自分を作り上げる。おさしみー」
バッ! とアゲハは火口に自ら落ちた。
ズブズブ……とその身体までマグマに呑まれて行き、息を呑んでスズメはそれを見つめた。
手を振る右手も、灼熱色のマグマに呑まれた。
その光景を見つめたスズメは驚きの声色で呟く。
「おやすみ……でしょ」
※
あれから三日が経った。
マグマに自分から落ちたアゲハを助けずに、スズメは灰色の鉄の樹海の中で昼寝から目を覚ました。
夕陽がまばらに鋭利な樹海に射し込み、いつもとは違う感覚をスズメは覚える。
地面に敷き詰められる笹の葉を踏みしめ、スズメはじっと遠くを見た。
(……居る。あの男、生きていた? それともただの死骸か……)
火山口から吐き出されて竹薮の樹海に転がるアゲハの生死を確認する為に動いた。
竹薮を抜けた先の崖の下でアゲハは寝ていた。
衣服には特別あの時から変わりなく、マグマで消失した部分は見当たらない。
地面に埋まるキノコやタケノコなどを引っこ抜き、食べる分だけ集めて火を灯し、炙りながらそれを食していたようで、周囲の地面がかなり掘られていた。地面に敷き詰めてあるカミソリのような鉄の竹の葉を布団に見立て寝ている。その姿のアゲハを警戒しながらスズメは竹薮の中から見る。
(……どうしたんだアイツ。餓鬼道を諦めたのか……よ?)
そろりそろりと、スズメは闇を掻い潜りアゲハに近づく。
寝息が聞こえ、スズメは腰の匕首を抜いた。
それはアゲハの刀が無い事に気が付いたからである。
(所持していたはずの刀が無い。となると、あれは修羅道の幻の可能性がある……本体はどこだ、よ? 殺せばわかる、よ!)
餓鬼道の瞬間移動でスズメは寝息を立てるアゲハの目の前に立ち、匕首を首筋に立てた。
「もらったぁ!」
突如、上空から刀を持ったアゲハが奇襲を仕掛けて来た。
「……」
そのアゲハには目もくれず、地上にいるアゲハの首筋に立てる匕首を引いた――と同時に、竹の葉が刀となりスズメに迫った。互いに血が飛び、距離を取った。上空から現れたアゲハは幻と消えた。首筋から流れる血を抑えつつアゲハは、
「よく気が付いたな。上空の有幻影と竹の葉に偽装した刀に」
「アゲハは相手の裏の裏を突くのが得意だよね。いきなりアタシを追うのを止めた時点で、何か裏があると思った、よ!」
「そうかい、そうかい。オレも深手を負ったが、オマエも深手を負った。今は痛み分けだが、次の局面はオレの勝ちだぜ」
苦しい顔をしながら言うアゲハに対し、嘘は言ってない事を確信したスズメは、
「アタシのお腹の傷は浅い。深手じゃない、よ!」
「スズメ、オメーはオレの罠にかかったって事さ」
「罠?」
「試練を課し、この山のどこにでも瞬間移動するようなオマエが鬼ごっこを仕掛け、何故か逃げ回るオレを許す。しかも、その逃げ回る事に対して咎めはねぇ。常にオレが見える範囲ギリギリと動いていると気が付いた時、オレは気が付いた。オメーはただの構ってちゃんだとな。だが、それにも意味があったんだな。オマエは案外冷静な女だ。時折、その顔がチラついてるぜ。パンチラと共にな」
「しっかり見てたか。アゲハも男の子だね」
一瞬にして表情が変わったスズメに追い討ちをかけるようにアゲハは言う。
「この山にゃ、まともに動物もいねぇから生態系の磁場が狂い、まともな直感が働かねぇ。故に、全ての行動に遅れが出る。ここまで徹底した樹海を創り上げたのはスズメ、オマエにゃ人間を、他人を忌み嫌う所があるな? 現世で相当嫌な事があったはずだ。過去の歴史がどうとか言ってたな。修羅道のダンダラが言ってたぜ、全ての六道にはコンプレックスがある。その強いコンプレックスの塊が六道だってな」
ピクリ、とこめかみを動かしたスズメはニコッと嗤い、
「当たりだよ。でもそれだけじゃ勝てないよ」
シュン! と瞬間移動したスズメはアゲハの両目を屠ろうと匕首を横一閃に振った。
刹那の間合いでその一閃を受け止める。
右手からは血が溢れ出し、迷い無きアゲハの両眼がスズメを見据える。
蹴りが顔面を襲うが、左手で防ぎ、左足のカウンターを繰り出す。
ズゴッ! と足は鉄の竹に激突し、すでにスズメはいない。
樹海に激突音が広がり遠ざかって行く。
そして、懐からマッチを取り出し竹にこすりつけ、火を灯す。
落ちている笹の葉を拾い、
「……これにゃ火つかねーな。明かりは我慢すっか。そーいや、この前当てたわざと松明当てたの覚えてるか? 松明が熱いって事はオメーはマグマにたいして耐制が無ぇ」
「何が言いたいの?」
「餓鬼山のマグマの真相よ!」
「真相? 真似しないでくれる?」
「怒るなよ。この山のマグマはただの赤い泥。人間の心の奥をほじくり返す泥だ」
瞬時にスズメはその場から後退し、上から降ってきた笹の葉を回避する。
刹那――目の前に人の影が現れ、更にスズメは後退した。
元居た場所には刀を振りぬき硬直するアゲハが居た。
「髪にかすったか。おかっぱにしてやるつもりだったんだがな」
左足で蹴った衝撃で鉄の笹の葉をスズメの真上に落とし、回避した先に餓鬼道の瞬間移動で仕掛ける。完全な策だったはずだが、スズメは回避した。
笑うアゲハはトントンッと刀の峰で肩を叩く。
その余裕にスズメは不快感を覚える。
「マグマを浴びた時に、熱さを感じると同時に誰かの記憶が流れ込んだ。それは怨念を持った連中の心の熱さだった。それでマグマ自体に疑問が浮かび、初めに流れて来たマグマで樹海が消えていない事でピンと来たんだ。あのマグマはただの怨念の塊。無念の本流だから竹薮は消えないって事にな」
「良くそこまで気がついたね。火山口に落ちて生きてたって事は餓鬼道の真理に辿り着き、乗り越えたって事だね。百合花もそこまで心配する事無いのに」
斬られた毛先をくねくねといじりながら言う。
両足の脹脛の痛みを気にしつつ、
「とりあえず、皆とは仲良くなってきたぜ。オレの境遇を全て話し、奴等の話も全て聞いて来た。これでオマエと迷い無く戦える。戦いながらでいい。オマエの事を聞かせてくれ。オメーは多少、オレの知識があるみてーだからな」
「そうだよ。アタシは現世の頃は理由無くそこに生まれただけで差別される部落にいたの。同じ人間なのに百姓も町人も侍も、全ての人間がアタシの事を人間扱いしなかった。自分達より能力が上の事実を見せつけても、そこの部落出身というだけで誰も認めない。部落の仲間は差別に耐えきれず、死んで行ったけどアタシは町を転々とし、身分を偽る事で何とか食いしのいだ。ある町でやっと百姓の下働きをしている時、その百姓の息子との縁談が出たわ……」
「……」
喋り続けるスズメの新たな怒りが噴出したのを、アゲハは見逃さなかった。
風が竹薮から吹き抜けるが、スズメの怒りは熱を冷ます事は無い。
鉄の笹の葉がひらりと舞い落ち、言葉がこだます。
「……全ては上手くいくはずだった。初めての縁談の話で浮かれていたわ。やっとアタシも普通の人間として見てもらえる。普通の事をしていればいつか認められ、普通に生活が出来る。しかし、縁談の前日……婚約相手の取引先の人間の中に、前の町でアタシを差別した男がいたわ。その男が見下した表情で何かを言う前に、アタシはその男を匕首で刺していた。だけど、その男の死ぬ間際の台詞でアタシが差別階級にいた事を叫んだ。嫁ぐ先の人間達は死んだ人間のような目でアタシを見た。あれほど愛し合ったアタシの夫となる男でさえも。その時、目に止まる者全てを殺し、その町とアタシは終わった。そして、消えない怨念がアタシを支配しいつの間にか世界の果てにたどり着き、餓鬼道と呼ばれるようになった」
「……そうか。大変だったな。でも、今じゃその怒りもだいぶ風化しちまってるようだが?」
首の緩んだ手拭いを巻き直しながらアゲハは言う。
「所詮、人間は生まれの違い、階級や能力の差。そういった利権によるしがらみからは逃げられない。そこにはどんな思いも打ち砕く強さがあるわ……アタシは化け物じゃない。人間よ。時間が経てば風化するものもある。時間の流れは残酷だけど、人の心を癒すには時間が必要、よ! アナタはどうか知らないけど」
「……オレにも人恋しさも、淋しさもあるさ。子供の頃、唯一の繋がりがあった暗殺の才のある妹の百合花と離れた事さ」
アゲハはふと、語り出した。真剣な眼差しでスズメは聞く。
「百合花はオレよりも強かった。現世にいる義理の妹の京子も前はオレよりも強かったな。それはいいとして、幼少期のオレは妹とまた遊びたいが為に、十条という組織の裏に入り殺人を覚えた。動機や理由は色々と違うかもしれねーが、行き着く淋しさは互いに同じじゃねーか。この六道輪廻に来た理由は、六道輪廻を得る為だ。だが、もう一つの理由は妹の百合花と再会するためだ」
「妹……か。アナタはまだ完全には過去を乗り越えてないようね。アタシとは人生の流れた刻が違うからね」
「……そうだな。オレは完全に乗り越えてはいねーし、それでいいと思う。痛みがあっても大事な過去だからな。そして餓鬼道になり過去を乗り越えたなら、この山にも動物を放てばいい。今のスズメなら出来るはずだ、よ!」
笑いながら言うアゲハの言葉にスズメもつられて笑い、
「……そうだね。まるで光葉のような事を言う。じゃ、それは餓鬼道の試練を全て与えた後でする、よ! でもそーすると次の試練者にはどーいう試練を課そうかな?」
「んー、それはそんとき考えるって事で。行くぜ、スズメ! よ!」
笑うスズメはアゲハに言う。
「何か言葉の使い方がおかしいし……。まぁ、いいか……」




