自然との闘い
「……うっし! 先手必勝!」
早朝に目覚めたアゲハは寝汗を非常にかいていた為、外に出て薪を薪割りで切り、風呂の横の窯に入れて火を付けた。どうせ畑仕事で汗をかくが、常に一番風呂をダンダラに奪われている為にいつもより早く目覚めたこの日をチャンスだと思い、ダンダラが寝ている隙をついて一番風呂に入ろうとした。ガラガラッと硝子戸を開け、アゲハは風呂の中に入った。中にはすでにダンダラが良い具合で湯船に浸かっている。そのアゲハを見て、ダンダラは立ち上がった。
「グアアアアッ! 薪割りもまだまだだな。下の方もまだまだだ」
「五月蝿えっ! ジャングルが!」
「これが大人の証だ。どれ、身体を洗ってやろう」
「どういう風のふきまわしかしらねーが。風呂の湯加減は心にも安らぎを与えるのか?」
「いいから座れ。ワシの手拭いで洗ってやる」
ぺたんと床に座り、アゲハは風呂のお湯をタライで頭からダンダラにかけられた。
そして、背中を洗われる。
アゲハがダンダラの身体を洗ってやると、二人は湯船の中に入った。
「……光葉は修羅道ではどうだったんだ?」
「あぁ、この数十年でワシの修羅道を突破したのは聖光葉ただ一人。六道輪廻始まって以来の快男児だな、あの男は」
「快男児?」
眉を潜め、アゲハはダンダラの次の言葉を待つ。
「左様、光葉は快男児だ。あの男はほぼ戦わずして六道輪廻を全て通り抜け、現世に帰還した。天国と地獄の煉獄である六道輪廻がただの通り道のように通り抜けていった……あんな奴が現世にいるとはな。いや、全ての浮き世に……と言うべきか」
「本当にほぼ戦わずに六道輪廻を乗り越えた……か。狂った野郎だぜ。世界の果てですら、あの野郎からしたら特別な場所じゃねーのかもな」
溜息をつき、アゲハは言う。
ガシガシッとアゲハの頭を撫でるダンダラは、
「お前はまだまだこれからだ。光葉は光葉。アゲハはアゲハだ」
「確かにな。オレは……いや、聖光葉には誰がどーやってもなれる人物じゃねぇ。オレはオレ流で行くさ」
言いつつ、ザバッと湯船から上がる。
少し俯き加減のアゲハを見たダンダラは、
「どうれ、ワシが身体を拭いてやろう」
湯船を出て、浴槽にかけてあった赤い布をしぼり、アゲハの身体を拭いた。
拭かれたまま少し戸惑うような顔で言う。
「なぁ、ダンダラ。この場所は現世での出来事をわかる方法はあるのか?」
「あぁ、我々のような道の連中は現世を覗き見る事は出来る。しかし、干渉する事は出来ない。それをアゲハに教える事も出来ん」
「そうか。それでいいさ……」
ダンダラの答えに、納得が行くような行かないような顔をして現世の事を考える。
現世では宿命のライバルである鬼京雅が世界に向けて侵攻していた。
鬼瓦ファミリーを牛耳る雅は京都藩を無視して世界に乗り出し、数多の柊を駆逐した。
そんな状況も知らぬアゲハは、ふと自分の身体を拭く布に違和感を覚えた。
「……って、それオマエの褌じゃねーか!」
「グアアアアッ! 細かい事は気にするな」
「気にするわ! オマエ、褌の変えねーし!」
――朝陽がまばゆく顔を出した。
※
その翌日も、アゲハは畑を朝から耕していた。
朝は風呂炊きと朝飯作りをしなければならない為に朝はアゲハにとって畑仕事以上に戦場であった。その全てを済ませ、自分も朝飯をかっこむと、鍬と昼飯が入る握り飯袋を抱えて岩場の奥にある畑へ向かった。この肉体労働は予想以上にしんどく、修羅道を突破し会得するまでに一週間以上かかるのでは? という考えが汗を流すアゲハの中によぎっていた。
しかし、それと同時にこの世界の果ての空気に慣れ始め、ダンダラが手に負えないほど栽培可能な畑の土壌を増やしてやろうと思っていた。欲望に燃えるアゲハはせっせせっせと畑を耕した。やがて数時間が過ぎ、作業に一区切りつけようと思った時にダンダラが叫び声を上げながらやって来た。手の甲で汗を拭い、額が泥まみれになるアゲハを見てダンダラは眉をしかめた。
「どうしたアゲハ。全く畑が耕せてないぞ?」
「は!? どんな冗談……」
何を言ってるんだ? と言った顔をしたアゲハは目の前の土壌を見た。
そこは朝来た時と同じ全く耕かされてない土壌だった。唖然とするアゲハは声も出ない。
(どういう事だ? オレが朝から耕していた地面は……まさか修羅道の幻? いや、まさか……)
謎の答えに迫るアゲハの思考はダンダラの声で止められる。
「まぁ、いい。一休みにするか。泥棒猫は相手するなよ」
「わかってるさ。その泥棒猫に分け与えるぐらいの土地まで耕してやるよ」
「ほう? 修羅道の幻とも見抜けずにひたすらに岩場の岩を叩いていたお前にそこまで出来るのか?」
ジロリと大きな黒い目をまるでお前には無理だと言わんばかりの勢いで見据えて来た。
歯ぎしりするアゲハは、踵を返し黙ったままダンダラの歩いて行く背中を見送る――が、
「――!」
猛然とした勢いでアゲハはダンダラの頭上に鍬を繰り出した。
「幻だぜ」
瞬間、真下からアゲハの鍬がダンダラの顎に向けて飛翔した。
「?」
確実にダンダラを捉えたはずだったが、ぐるんっ! と身体が一回転し地面に伏せていた。
わけがわからないアゲハの耳にダンダラの声が響く。
「自然がどうして欲しいかも感じられず、ただ己の欲を自然にぶつける愚物では我が修羅道を突破出来ずに死ぬのみ。人の信念があればこの畑は一日で作物は成る。光葉ならば狂気と言った所か」
頭を踏みつけられるアゲハは怒りに震えながらひたすらダンダラの言葉に耳を傾けた。ザクッ! と鍬を畑に突き刺し、ダンダラは小屋の方まで戻って行った。
アゲハは朝炊いた残りのご飯を握り飯にして入れた袋のある岩場の元へ向かう。そして抉れた岩に溜まる雨水で手を洗い、顔も洗う。すると、顔を横に向けた目の前に手拭いがあった。
「いいタイミングで来たなユリ。丁度ダンダラもいねぇぜ」
そこにはアゲハの手拭いを口にくわえたユリがいた。
手拭いを受け取り顔と手を拭いた後、ダンダラの小屋から見えない岩場の死角を背にし、ユリと共に昼飯を食べた。五感を研ぎ澄まし、握り飯の噛みごたえと塩の味を集中して感じた。
「……美味い。こりゃ、幻じゃねーな。大地が育んだいい味がするぜ。なぁ、ユリ」
夢中で握り飯を食べるユリの背中を撫でながらアゲハは今の現実が修羅道の幻ではない事を改めて実感した。息を大きく吸い、空間に見える限りの自然を感じた。
「集中すれば幻か現実かはわかる。さっきは欲をかいて作業し過ぎたから幻か現実かもわからなくなっていただけだ。ダンダラの野郎……必ず一泡吹かしてやるぜ」
指についた米粒をユリに与え、また撫でた。
「ダンダラの野郎はオマエを泥棒猫だと言ってたからオマエは幻と現実を見極められるようだな。この辺じゃここしか食い物は無いから必死にもなるか……アイツも微妙にプニプニしててな。ホント、オマエに似てるぜ」
過去を懐かしむようでいるアゲハの顔は意外にも冷めていた。ユリの事を手では愛でながらも明らかに心では愛でてはいなかった。少し声高に、誰かに語りかけるよう言う。
「この大根もそろそろ収穫時だな。お? あっちの芋が掘り返されてやがる、ユリの野郎の仕業か? ったくしょーがねーな。食べ頃は大根だぜユリ」
いつの間にかアゲハは畑の呼吸が読めるようになっていた。親身になって働いた結果が、鋭い直感と肌で感じるようになった。スッとしゃがみ、素手で耕した土の感触を確かめ、ぼんやりとその土を見つめた。
(ユリ以外にも泥棒はいるじゃねーか……)
睨みをきかせながら川の向こうの林を見た。じっ……と頭を伸ばしながら鋭い爪を輝かせ、飯に飢えた殺気を放ちながら羆がこちらを見つめている。林の頭には、無数の鴉が獲物のみを見据えている。
「そんなカリカリすんなよ」
すでに戦闘は避けられそうに無い為、三メートルほど離れた鍬をチラッと見た――刹那。
「しまっ!」
ガブリ! とアゲハの左脹ら脛が突如現れた狼に噛みつかれる。苦悶の表情を浮かべるアゲハは、サアァ……と姿を消し始め、狼は戸惑う。
「らぁ!」
ガスッ! と蹴りを入れた。
怯んだ狼は距離を取る。
その間、体格の割には静かに素早く羆が迫っていた。
それを見越していたアゲハは、一気に目の前の鍬を持ち、羆にカウンターをくらわせようと下段に構えた。同時に、肩口に激痛が走り、耳元で羽ばたく鴉と目が合った。暗い奈落の底のような目に呑み込まれそうになるが、身体を揺らして鴉を追い払う。
しかし、後続の鴉共がアゲハの全身を狙いだした。ダンダラにもらったつぎはぎの作務衣が鋭い嘴により引き裂かれ、身体の肉も少しずつ喰われて出血が酷くなる。
「っ! このっ! ふざけやがっ――!」
目の前の巨大な影の一閃に、アゲハは胸元を刻まれた。その羆の爪の一撃が、激しく畑を抉る。ザックリと四本の爪痕が、胸元を真っ赤に染め上げた。目が充血し、我を忘れるようにアゲハは叫ぶ。
「動くんじゃねぇ!」
その叫びに、動物達は一瞬動作を止める。大気が震え、動物共の気を自然の波動が殺いだ。とめどなく流れる胸元の血を、ボロボロになった作務衣と腹のサラシで抑えつけ、何とか止血をした。分散していた鴉は一つに融合し、大型の肉食鳥に変化した。羆と狼は鋭い爪と牙を剥き出しにし、よだれをダラダラ垂らす。予想外の動物の強さに、アゲハは自然界の弱肉強食を垣間見た。
「……確かにこの畑の主を出し抜いて餌、得るにゃ強くある必要がある。賢さも必要だ。その点、オメー達は優秀……だがな……」
大きく深呼吸をし、風、大地、川の流れの呼吸を感じた。さっきとはうってかわって冷静にアゲハの動きを見据える動物達は簡単に動こうとはしない。死の縁に近いアゲハはそれを笑い、
「無料より高い物は無ーって事、教えてやるよ」
言い、一気に仕掛けた。そのアゲハは三人に別れ、三方に別れた。対峙する羆、鴉、狼は迫るアゲハを注視しつつ、その先にある野菜という獲物を見据えた。
「よそ見してていーのか? 全部実体だぜ?」
『!?』
一気にアゲハを屠ろうとしていた動物共は、三人の声に不気味さを感じた。
ダンダラとの野菜争奪戦で三体のうち一体しか実体が無い事は知っていたが、これは始めての体験の為対応出来ない。
その一撃に、三者三様の驚きを見せる。その勢いで一気に攻勢に出る。
「終いだ!」
各々の刃が止めの一閃を放つ。煌めく鍬を納め、鴉を倒した本体のアゲハは背後を振り替える。
「――にぃ!?」
ぬいぐるみのように小さくなったアゲハは、狼と羆に蹂躙されていた。
そのミニアゲハ二人は、まるで力が無く、戦闘に耐えうる力は無い。
「体力を消耗し過ぎて、実体を維持出来ねぇ……自然の力は使えても今のオレの体力じゃ……」
まるでアゲハを無視するように羆と狼は畑の野菜を荒らし出す。
すると、その動物達の子供達もひょっこりと現れ、親子共々野菜を食う。
手に持つ鍬を落とし呆然とした。
「そんなに美味いか……じゃあオレも頂くぜ」
その旺盛な食欲を見たアゲハは、自分も混ざり野菜を漁る。
バクバクッと真っ白い繊維を剥き出しにする大根を食らう。
まるで畑の野菜を早く食いきる競争のようになるダンダラの畑は、各々の食欲の欲望のみが空間を満たす。食欲を満たしたアゲハは、掘り返した大根や白菜を羆と狼に分け与え始めた。さっきまで命がけの争いをしていたのが嘘のようだ。
そして、畑の三分の一近くの野菜を食った動物親子は、のそのそと帰って行く。川に足を踏み入れる羆は、川の底を泳ぐ鮭を十匹ほど捕まえ、アゲハのほうに投げた。それを見送るアゲハは、自然の恵みから得る力を大きく感じ一匹の鮭を手にする。
「アイツ等はオレと戦いたいわけじゃねぇ。ただ食い物が欲しいだけだ。オレを見てなかったのがいい証拠だぜ……これが共存共栄か」
スゥーッ……と大きく息を吸い込み、大地が放つ空気を感じる。
全身の毛穴が開き、神経が研ぎ澄まされ土や空気、空間の全てを認識していく。
動物達が野菜を食べている顔を思い出し呟く。
「感覚じゃねぇ……わかる。これは今まで畑を耕して来たからこそわかる事。単純な戦い以外にも、学ぶべき事があるたーな。まるで光葉の教えのようだぜ」
この動物襲撃にてアゲハは共存共栄を知った。
共存共栄故に、自然を感じ自然と融合する統べをいつのまにか無意識の内に知った。
「……?」
ふと、アゲハの瞳はダンダラの小屋を見据え、煙突から煙が上がってないのを視認する。
(野郎は昼には野菜や芋を混ぜた鍋を食うはずだが、煙が上がって無いって事はどういう事だ? ユリがここにいるのは不味いか……)
不安を感じたアゲハはダンダラの来襲を警戒し、ユリを避難させようとした。
その時、ユリの瞳はアゲハを見据え、言葉を話した。
「泥棒猫には餌をやるなと言ったはずだが?」
ビクッ! としたまま背後に飛び退き、バランスを崩して尻餅をついた。
ズズズ……と目の前のユリは赤く変化していき、声の主であるダンダラに変貌した。
今まで接していたユリは、修羅道で生み出したダンダラそのものだった。
「ワシはあの猫と関わるなと言ったはず。畑を荒らす泥棒猫など許せぬ存在。畑を耕す苦労を知ったお前ならわかるだろう。無粋な動物達と共にここまで、ワシの畑を荒しおって」
歯軋りしつつ、収穫し尽くされたアゲハに委託した畑を見て言う。
「……何だ、実体化まで出来るとは聞いてねぇ。さっきのオレの修羅道の応用を……」
「基礎の基礎が出来る程度で修羅道が突破出来ると思うなよ。ここは世界の果て、六道輪廻の入口。簡単に突破出来たら他の道と修行者に申し訳がたたん」
「……」
「試練を課す日まで貸し与えた畑仕事にひたすらに励め」
言うと、ダンダラは小屋に戻ろうとする。
返す言葉も無いが、虚勢を張る。
「何、ここはオレの畑だ。食いたきゃ好きに食えばいい。この世界が自給自足の世界なら、動物との関係は大事だ。奴等じゃなきゃ取れない食料もあるからな」
「それでも、奴等が見返りも無くただ食い散らかすだけの存在ならどうする?」
「んのときは、斬って食うしかねーな。弱肉強食だ……って言いてー所だが、もっと畑広げて野菜の収穫量を上げて奴等の分も増やしてやるよ」
「試練の日までは好きにするがいい。試練の日がお前と泥棒猫の命日だ」
怒気をはらんだ声を上げ、ダンダラは去って行く。
その背中を見据え、アゲハは呟く。
「自然ってのは持ちつ持たれつじゃねーか。世界も人間も、動物もな……なぁ百合花」
実の妹の百合花を思い出し呟く。
そして、不眠不休の奮迅の努力をしたアゲハだったが、ダンダラに委託された畑の面積の三分のニしか耕す事が出来ずに試練の日を迎えた。




